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あらすじ
角田ワールド全開!!待望の小説集。「父とガムと彼女」初子さんは扉のような人だった。小学生だった私に、扉の向こうの世界を教えてくれた。「猫男」K和田くんは消しゴムのような男の子だった。他人の弱さに共振して自分をすり減らす。「水曜日の恋人」イワナさんは母の恋人だった。私は、母にふられた彼と遊んであげることにした。「地上発、宇宙経由」大学生・人妻・夫・元恋人。さまざまな男女の過去と現在が織りなす携帯メールの物語。「私はあなたの記憶のなかに」姿を消した妻の書き置きを読んで、僕は記憶をさかのぼる旅に出た。(ほか三篇)

 

ひと言
私の好きな角田 光代さんの本。初出は十年以上前のものばかりですが、角田さんらしい短編集でした。角田さんの本を読むと、いつも付箋だらけになって、読了後 どこをこのブログに残そうかと、その付箋の付近を何回か読み直すのですが、なかなかカットするのが忍びなくて今回もたくさんの文章を引用してしまいました。
この後、何年か十何年か経った後でこの引用文を読み返したときに、1つでも多くの作品の記憶が心に留まっていますように!

 

 

思春期に向けて成長した私は幾度となく、かつて時間をともにしてくれた彼女に強く感謝することになった。学校の外にも世界はあると教えてくれたのは彼女だった。私が見ているより世界はずっと広くて、退屈ならばそこから出ていけばいいと教えてくれたのぱ彼女だった。思春期特有の閉塞感を私が感じずにすんだのは扉が聞かれていたからだし、いじめがはやったときに、それにかかわらずにすんだのは扉の向こうの世界を知っていたからだった。
(父とガムと彼女)

 

 

K和田くんはたとえてみれば消しゴムのような男の子だった。他人の弱さに共振して、自分をすり減らす。共振された他人は、K和田くんのおかげでか、もしくは時間の力でか、自己治癒力でか、そのうちたちなおってふたたび世のなかに向き合い同化する。けれどK和田くんは、いつまでもすり減ったままなのだ。自分とは露ほども関係のないことがらに傷つき、うなだれ、気力を失い、そしてそのまま、たちなおることができない。それなのにまた、だれかの痛みに共振し、さらにすり減る。元に戻るすべを知らないまま。それがK和田くんだった。
(猫男)

 

 

きみと生活をはじめるときに、ぼくはあの見知らぬ家の時間のことを思い出していた。あんなふうな時間が、ぼくらの生活に流れればいいと思っていた。すぐじゃなくたっていい、十年後、二十年後、五十年後でもいい。交際をはじめたころの強い恋愛感情が薄れたとしても、それはかたちを変えて習慣のなかにひそみ、そのことに、ぼくもきみも深い安心感を覚えるような、そんなふうにいつかなれればいいと思っていた。 信じられるものを、ぼくは創り出したかったんだろう。それは恋愛感情というあいまいなものでも、婚姻という形式でもなくて、もっとささやかでちいさなもの。老婆が運んできたビールと、冷やしたグラスみたいなもの。こぽこぽというちいさな音や、湯気をたてる料理みたいなもの。お帰りなさい、いってらっしゃいとすりへるくらいくりかえす言葉。自分の名前すら忘れてしまったとしても、それだけは忘れない揺るぎない所作。そういうものを、きみと、創り出したかった。 薄っぺらい紙切れを持って区役所にいったあの日、ぼくが思っていたのはそういうことだったのだと、今、どうしてもきみに聞いてほしかった。……。……。
きみは遠慮がちに、薄い紙を差しだす。何か創り出せると信じていたぼくらが、区役所に持っていった紙とよく似ているが、正反対の意味を持つそれを受け取り、ぼくは寝室を出る。台所にいき、グラスを洗う。洗い終え、きみから受け取った紙を広げてみる。あとは、自分の名前を書き入れるだけになっている。 そのときぼくは思う。ひょっとしたら、創り出せなかったのではなくて、実際は創り出したのかもしれない。信じられるささやかな何かを。明日から別々の生活をはじめるとしても、それは消えずにぼくらの内にあり、そうして何十年もたったある日、ふと思い出したようにぼくらを安心感で満たすかもしれない。 ダイニングテーブルにつき、ぼくははじめて字を覚えた子どもみたいに、慎重に、ゆっくりと自分の名前を書き入れていく。
(おかえりなさい)

 

 

「ああ」悠平はグラスのビールを三分の一ほど飲むと、困ったような顔で笑った。「おれがきみくらいのときはさ、携帯電話なんか存在しなくって、たいへんだったよな。会おうと思って会えないことなんか、日常茶飯事。遅刻したって、連絡もできないわけだから。携帯電話が一番変化させたのは、恋愛の形態じゃないかなあ」
「それ、駄洒落ですか。ケータイが変化させたのはケータイ」椿は顔をしかめて悠平をのぞきこむ。
(地上発、宇宙経由)

 

 

このメールが、どういう仕組みで送られているのか私にはよくわからないんだけれど、メールを送る空中の電波みたいなものが、全部ショートしたとして、日本じゅうの携帯電話が不通になったとしたら、いったいどのくらいの関係がそれとともに消えちやうかしら。
見知らぬどこかで暮らす人妻が送ってきた文章を、晶は思い出す。 電波はさ、町じゅうにたてられた電波塔に集められて、宇宙に飛んでんだ。 ボタンのすべて赤く灯った販売機の前で、夜空を見上げたまま晶は見知らぬ女に向かって話しかける。宇宙を経由して、だれかの元に届くんだ。それって何かに似てると思わない? 何か――たとえば、祈りみたいなものにさ。人と人を会わせたりするのは、この電波塔のほうじゃなくて、祈り、みたいなことのほうだとおれは思うわけ。電波塔がぶっ壊れたって、祈り、とか、思い、みたいなものを、おれらは宇宙に飛ぼせるんじゃないかな。宇宙経由でだれかに届けようとするんじゃないかな。 へへへ、と笑って晶は冷たいお茶のボタンを押した。がたがたと、静けさを破るように缶が転がり落ちてくる。
(地上発、宇宙経由)

 

 

ひょっとしたらぼくらは本当にひとりかもしれない。だれといても、どのくらいともにいても、ひとりのままかもしれない。けれど記憶のなかではぼくらはひとりではない。ぼくの記憶から妻を差し引いたらこの八年間はぼんやりと白い曖昧な空白になる。格子窓のレストランを、桜の咲く墓地を、夜行列車の振動を、きらめく海沿いの道を思い出すとき、そこにはつねに妻がいる。妻の記憶にはぼくがいる。今、ひとりだとしても、あるいはだれかを失ったとしても、ぼくらの抱えた記憶は決してぼくらをひとりにすることがない。 だからだいじょうぶ。彼女の声が耳元で聞こえた気がしてぼくはふりむく。そこにはだれもいない。朝の陽射しに照らされた無人のテーブルが静かに並んでいる。
(私はあなたの記憶のなかに)