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あらすじ
森宮優子、十七歳。継父継母が変われば名字も変わる。だけどいつでも両親を愛し、愛されていた。この著者にしか描けない優しい物語。 「私には父親が三人、母親が二人いる。 家族の形態は、十七年間で七回も変わった。 でも、全然不幸ではないのだ。」 身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作

 

ひと言
これも2019年の本屋大賞のノミネート10作品が発表された日に予約を入れた1冊です。こんなに爽やかな読了感の作品は久しぶりで、この本も間違いなく本屋大賞の1,2位に入ってくる本だと思います。今年はたて続けに、いいノミネート作品が読めてラッキーでした。これからもいいノミネート作品と出会えますように!

 

 

梨花が言ってた。優子ちゃんの母親になってから明日が二つになったって」 「明日が二つ?」 「そう。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない? 未来が倍になるなら絶対にしたいだろう。それってどこでもドア以来の発明だよな。しかも、ドラえもんは漫画で優子ちゃんは現実にいる」
(第1章 24)

 

 

「また、来てもいい?」 私が聞くと、梨花さんは、 「えーやめてよー」 と冗談めかして言った。 「だめ?」 「だめだめ。私、今日すごく無理してるもん。またこれだけのパワー貯めるのに三ヶ月かかる。 次は結婚式だよ。早瀬君も優子ちゃんのウェディング姿も見られるなんて、今からわくわくする。病気だとさ、未来の予定が何よりの薬だって知ったよ」 梨花さんはまぶしそうな目を私に向けた。 元気でいてね。早く病気を治して。言いたいことはたくさんあるのに、どれも口からは出せなかった。 「またね」 そんな私に梨花さんはにっこりと手を振った。 「また。うんまたね」 私もそう言うと、一つ息を吐いて重いドアを引いた。
(第2章 5)

 

 

「えらいこと引き受けさせられたね」 梨花さんは、任されるとやりきらずにはいられない森宮さんの性分を見抜いていたんだ。私は、梨花さんに説得されていたであろう森宮さんの姿を思い浮かべて笑った。
「何度も言うけど、俺、本当にラッキーだったよ。優子ちゃんがやってきて、自分じゃない誰かのために毎日を費やすのって、こんなに意味をもたらしてくれるものなんだって知った」 「そうなんだ」 「守るべきものができて強くなるとか、自分より大事なものがあるとか、歯の浮くようなセリフ、歌や映画や小説にあふれてるだろう。そういうの、どれもおおげさだって思ってたし、いくら恋愛をしたって、全然ピンとこなかった。だけど、優子ちゃんが来てわかったよ。自分より大事なものがあるのは幸せだし、自分のためにはできないことも子どものためならできる」 森宮さんはきっぱりと穏やかに言った。まだ私にはその気持ちはわからない。早瀬君と共に進む時間が増えたら、わかる日が来るのだろうか。
「自分のために生きるって難しいよな。何をしたら自分が満たされるかさえわからないんだから。金や勉強や仕事や恋や、どれも正解のようで、どれもどこか違う。でもさ、優子ちゃんが笑顔を見せてくれるだけで、こうやって育っていく姿を見るだけで、十分だって思える。これが俺の手にしたかったものなんだって。あの時同窓会に行ってよかった。梨花と会わなかったら、俺今ごろ路頭に迷ってたな」
(第2章 9)

 

 

「なんでも度を超すとだめなんだよね」 「それを言うなら、あいつだろう。俺、風来坊のせいで、何も聴いてないときでも頭の中にピアノが流れてくるようになったんだぜ。あれ、一種の洗脳だ。訴えようかな」 私は何も知らなかったけれど、早瀬君は二度目の訪問で断られてから、三、四日に一度、森宮さんに手紙と自分が弾いたピアノを録音したCDを送りつけていた。
それがわかったのは、結婚式場や日取りが決まり早瀬君の家にあいさつに行った時だ。 前回とは違って、穏やかな表情で迎えてくれたお母さんに不思議に思っていると、お母さんは 「先日、被害届が居いたの」と一通の手紙を私に差し出した。そこには、見慣れた字で端的にメッセージが書かれていた。

 

 

三日に一度、早瀬賢人君からピアノ曲と暑苦しい手紙が送られ、困っています。結婚がうまくいくまでは続くようです。これ以上こんな目に遭わされては平穏な暮らしができません。どうか、二人が何も気に留めることなく、結婚できるようにしてください。     森宮壮介

 

 

「賢人が送った曲、全部まとめられたCDも同封されてた」
お母さんはそう言いながらプレーヤーのボタンを押した。
(あとがき)

 

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今年も大盛況だったJR高島屋の2019アムール・デュ・ショコラ。初登場でチラシの表紙にもなり、JR名古屋高島屋と大阪の阪急うめだ本店の2店のみでバレンタイン限定で出店。とても可愛いと話題性も十分の「TOKYO チューリップローズ」のチューリップローズ プレシャス(1188円)。ラングドシャクッキーを花びらのように細工したお菓子はほんとうに可愛くて食べるのがもったいないくらいです。味は……と思っていたら結構美味しくてびっくり。
今回のアムール・デュ・ショコラで一番印象に残ったお菓子でした。

 

来年はどんな斬新な、おいしいお菓子が登場するのか楽しみです♪。

 

 

TOKYO チューリップローズ
名古屋市中村区名駅一丁目 JR高島屋

 

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先日のTVで「亀広良」が取り上げられていました。伊勢芋や波照間黒糖が使われていて、どんな味なんだろう一度食べてみたいなぁと思っていたら お店近くの自動車学校に通っている下の娘がバレンタインにと、うすらひ を買ってきてくれました。黒糖がふわっと口のなかで広がり、甘すぎず上品な甘さでとても美味しかったです。ごちそうさまでした♪

 

京菓子司 亀広良
名古屋市西区上名古屋1丁目

 

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あらすじ
生老病死にまつわる苦しみ・悲しみ・痛み・怒りなどにあるとき、紐解いてほしい小さな写真詞集。てのひらサイズの小さく愛らしい金銅仏や印仏などの〈ほとけ〉に心安まり、空海や西行など先人の祈りや和歌・経典など古典の〈ことば〉に出合える1冊です。

 

ひと言
図書館の新着コーナーの片隅で、私を待ってくれていたかのように静かに御座(おは)しました。小さく愛らしいみほとけの写真とそれに添えられている和歌や経典に癒されるステキな一冊でした。
 
祈りの対象として多くの仏像が輸入され製作された。中には念持仏と呼ばれる、文字どおりてのひらに乗る大きさのつつましい仏たちも少なくない。てのひらは手の平、他を愛しみもすれば傷つけもする手を平らに開いて仏を乗せる。てのひらに乗った仏たちは等しく言うかのようだ。我を乗せたてのひらから始まって汝自身ほとけになりなさい、と。今様うたには次のようにある。

 

 

仏も昔は人なりき
我等も終には仏なり
三身仏性具(さんじんぶっしょうぐ)せる身と
知らざりけるこそあはれなれ

 

 

 

 

色不異空 空不異色
色即是空 空即是色

 

 

 

 

目にみえる姿や形は空であることと違わない。
空であることは形として在ることと違わない。
したがって、
形あるものはすなわち実体なきものであり、
実体がないことがすなわち形あるものである。
(『般若波羅蜜多心経』)

 

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無性にオムライスが食べたくなり「レストラン角家」へ。もう4、5回お昼にお伺いしているのですが、いつも注文するのはオムライス。あれっ、このブログに載せてなかったなぁということで今回アップしました。以前「ぐっさん家」にも取り上げられたことがあり、他のお店の1.5倍は十分にあると思われるオムライス(650円)をいただきます。ケチャップ味のチキンライスが美味しい昭和のオムライスで私のお気に入りのお店です。オムライス好きの人は是非どうぞ。ごちそうさまでした♪

 

レストラン角家(食べログ)
名古屋市西区児玉1

 

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今日も寒くみそ煮込が食べたくなり、自転車で東区泉にある「角丸」へ行ってきました。みそ煮込 梅(玉子・かしわ入り)(1050円)と小ライス(100円)をいただきます。ちょうどサラリーマンのお昼休みの時間と重なったのと、また今日は寒いので味噌煮込を食べようというお客さんで大混雑です。

 

相席が当たり前のお店で、「相席お願いします」と言って私が座ったテーブル席も前2人が連れ、隣は1人の4人席でした。同じ席の3人が同じぐらいに食べ終わり、外で4人が待っているので「席替わろうか?」とお店の人に言うと「いいですか、ありがとうございます」と心のこもった言葉を返してくれ、気持ちよく座敷席の1つ空いた席に移動しました。
座敷席でも、食べ終わった奥の2人の食器を店員さんが下げにくいので「これ、いい?」と言って手渡すとすごく喜んでくれました。代金を払いにレジのところに行くと運びの店員さんはもちろん、中で煮込みを作っていたおやじさんからも「お心遣い ありがとうございます 助かりました」と声をかけていただき、こちらも「ごちそうさま。すごくおいしかったです♪」と声をかけてお店を出ました。こういうお店大好きだなぁ♪。
昔は、特に大阪とかでは当たり前の光景だったんだけど、最近は相席をさせるお店が少なくなって…。人情味にあふれ、店員さんがテキパキと仕事をこなし、おまけにとってもおいしい味噌煮込み。心も体もポカポカと暖まる素敵なお店でした。ごちそうさまでした♪

 

 

角丸(食べログ)
名古屋市東区泉1

 

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あらすじ
小国ナスミ、享年43。息をひきとった瞬間から、彼女の言葉と存在は、湖に落ちた雫の波紋のように、家族や友人、知人へと広がっていく――。命のまばゆいきらめきを描く感動と祝福の物語!

 

ひと言
1月22日に2019年の本屋大賞のノミネート10作品が発表され、速攻でそのうちの5冊の予約を入れました。運のいいことに、この「さざなみのよる」はすぐに借りることができました♪。木皿 泉【和泉 務(いずみ つとむ)と妻 鹿 年季子(めが ときこ)夫妻の共作ペンネーム】さんと言えば2014年の本屋大賞2位に選ばれた「昨夜のカレー、明日のパン」を思い出します。とてもいい本だったなぁという記憶はあるのですが、どんな内容だったのか思い出せなくて…。自分が書いたブログを読み返してみました。25歳の若さでガンで亡くなった一樹。その嫁と一緒に暮らす一樹の父のお話。感想には「ノミネート作品をまだ全部読んでいないけど、これが大賞なんじゃないか」と書いてありました。この「さざなみのよる」もナスミの「死」が背景にあるから、その周りの人々の「生」が余計に際立って描かれていて、読む人をとてもやさしい気持ちにさせてくれる本でした。この本も間違いなく本屋大賞の1,2位に入ってくるんだろうなぁ。
2016年と2017年のお正月にNHKで「富士ファミリー」というタイトルでドラマが放送されているのでそれもレンタルDVDで観てみたいと思いました。

 

 

いつたったか、日出男がメンチカツを魚焼きグリルで温めなおしていて、うっかり焦がしてしまったことで大ゲンカになった。ナスミは、冷たいままでよかったのによけいなことをするからだ、と怒り狂った。なんで電子レンジでやらないのよ。それじゃあカリッとならんでしょう。何がカリッよッ。あんた、バカじゃないの、焦げたモノは発癌物質なんだからね、んなもん、絶対に食べないからね、とナスミは本当に口にしなかった。日出男は、温かいの食べさせてやりたかっただけじゃないかと、こちらも怒りがおさまらないようすで、真っ黒になったメンチカツを意地になって全部食べた。なのに、発癌したのは自分だ。あれ、なんだったの、とおかしくて笑ってしまう。あのとき、自分は何に腹を立てていたのだろう。自分の思い通りにならなかった、ということに荒れ狂った。もともと人間なんて、思い通りになんてならないのに。それがわかったのは病気になってからだ。あの頃の自分に教えてやりたい。あんたは、自分で考えていたのより百倍幸せだったんだよって。
(第1話)

 

 

みんな、泣きたいぐらい優しかった。意地悪が懐かしく、しかたがないので自分が意地悪になってもみたが、それでもみんなは優しく笑うだけで、そうか、自分はもうこの世界から降りてしまったのだと気づいたのだった。最初は、まだ生きているのにと憤慨したが、そのうち、それもまたこの世で自分に与えられた最後の役なのだと思うようになった。癌の末期患者の役を演じている。その方が、まわりの人間も接しやすいだろうと思うからだ。テレビで見た患者のようにふるまった。新米の女の看護師の笑顔も、テレビで見たのと同じだった。彼女だってそれが正解とは思っておらず、他にやりようがないから、そんなふうにしているのだ。みんなわからないのだ。まだ死んだことがないのだから当たり前だ。でも、わからないなりに、こんな感じかなと想像して精一杯やってくれている。みんなで協力して、お芝居をしているような気持ちだった。ならば、それにのっかるしかない。もうこれ以上、家族を困惑させたくなかった。混乱は、みんなを苦しめるだけだということを、病気になってからイヤというほど知らされたのだから。いまさら、本当の自分をわかって欲しいなどと思わない。窓の外の景色と同じように調和のとれた世界の中で、消えてゆきたいと思うだけだ。
(第1話)

 

 

おんばざらだるまきりくそわか

 

 

笑子ばぁちやんが教えてくれた、お経というか呪文のようなコトバをふいに思い出す。千手観音さんの真言だと言っていた。「生きとし生けるものが幸せでありますように」という意味であるらしい。……。……。  「ガンをやったちぃ姉ちゃんみたいに、達観できないわよ」 月美がそう言うと、 「とりあえず口に出して言うんだよ。心はそう思ってなくてもいいんだって。言っているうちに、それでもいいかって気待ちになってくるんだって」……。……。 それが言えるようになったのは、ナスミの二度目の入院が決まったときで、月美はまさか、あんなに元気だった姉に癌が転移するなんて思ってもいなかった。 「ちぃ姉ちゃんを助けて下さい」 誰かにこの願いを聞いてもらいたかった。そのことで、義母が幸せになるなら、それでもいいと思えた。私のことを嫌いな人も幸せになって下さい。そう祈らなければ、ちぃ姉ちゃんが救われないというのなら、私は喜んでその人たちの幸せを心から願います。

 

 

おんばざらだるまきりくそわか。
(第3話)

 

 

「そっか、それを言いにきてくれたんだ」とナスミが言うと、加藤由香里は、うんと子供のようにうなずいた。被害者なのに、加害者でもあって、そのことで何年も何年も苦しんできたのだということがナスミに伝わってくる。「そうなんです。わたし、根性くさったヤツなんです」 苦しそうにそう言うと、ようやく何か吐き出したような顔になった。 「じゃあ、この会社で、いい仕事をしなよ」 加藤由香里が顔を上げると、ナスミは笑っていた。「この仕事、続けていいんですか? だって、わたし、子供をお金にかえたんですよ」 加藤の顔が苦しくゆがむ。 「だから、お金にかえられないような、そんな仕事をするんだよ。みんなが喜ぶような、読んだ人が明日もがんばろうって思うようなさ、そういう本をつくりなよ」 加藤由香里が何と答えていいのかとまどっていると、ナスミは穏やかな声で続ける。「失った子供と、同じだけの価値があると思える仕事をするんだよ。それだけだよ、私たちがこの世でできることはさ」 加藤由香里は顔を上げたまま、口をへの字にした。泣くのをこらえているような顔だった。 「それで、わたしはゆるされるんですか?」 「バカだなぁ、ゆるされるためにやるんじやないよ。お金にかえられないものを失ったんなら、お金にかえられないもので返すしかないじゃん。だから、やるんだよ」 加藤由香里は、何を根拠にそんなにきっぱり言うんだろう、というような表情でナスミを見た。「そんなこと、できるでしょうか」「私が見ててやるから、やんな」 ナスミは青い空を見ながらそう言った。「ずっと見ててあげるから」 台所で、柱に描かれた目を見上げながら、加藤由香里は、神妙な顔で鷹子に言った。「ナスミさんからのメッセージを感じます」 ナスミと聞いて、鷹子も神妙な顔になる。「お金にかえられないものを失ったんなら、お金にかえられないもので返すしかない」「ナスミがそう言ってるの?」「はい」「そんなことを」 鷹子は、柱の目を見上げた。何かにすがるような顔だった。 「見ててやるから、やんな。ずっと見ててあげるから」と加藤由香里が言うと、 「ほんとうに?」と鷹子が子供のような声を出した。見ると、今にも泣きだしそうな顔だった。
「ほんとうに、ナスミがそう言ってるの?」 「はい、そう言ってます」 加藤由香里は、自分もまた泣きたいのをこらえてきっぱりとそう言いきった。 ナスミの実家から出て振り返ると、富士山が迫るようにあった。その上に青い空がひろがっている。その空に向かって、ナスミに声をかける。 「あれでよかったんですよね?」病院の中庭でしゃべった後、ナスミは、 「不思議だよね。今、カトーに話したようなことは家族にはできないんだよね。なんか照れくさくてさ」とベンチの上で手足をうぅんとのばしながらそう言った。なら、自分が伝えましょうか、と加藤由香里が言うと、ナスミはその気になって、笑子に頼んだダイヤモンドの目のことを教えてくれたのだった。 「わたしが死んで、すぐはダメだよ。お姉ちゃんが気弱になるのは、たぶん一週間ぐらいしてからだから、そのへんねらってくれるとありかたい」 「わたし、やります。お金にかえられないこと、やらせて下さい」 そう答えたのだった。 駅に向かって歩きながら、加藤由香里は自分でも気づかぬうちに歌っていた。

 

 

お茶をのみにきてください
はい、こんにちは
いろいろお世話になりました
はい、さようなら

 

 

あの日、別れ際にナスミが教えてくれた歌だ。お姉ちゃんがいれるお茶はうまいよぉとナスミは自慢していたが、その通りだった。自分が選んだ果物屋のゼリーは、うまかっただろうか。だったらいいのにと加藤由香里は心の底からそう願う。
あげたり、もらったり、そういうのを繰り返しながら、生きてゆくんだ、わたしは。そうか、お金にかえられないことって、そういうことか。ナスミがうんざりするほど歩いただろう道を、加藤由香里もまた歩きながら、そう思った。
(第8話)

 

1月27日 私の弟の長男(甥)の婚約発表、彼女を親族へ紹介する食事会のため堺へ行ってきました。

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前日の夜から東名阪の鈴鹿―亀山が雪のため通行止め。朝になっても解除されず、名神の岐阜羽島ICから高速に乗って大阪の堺を目指します。新名神が利用できないので多くの車が名神に流れてきて大渋滞するかなと思って早めに家を出ましたが渋滞もなくスムーズに走れました♪

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堺の仁徳天皇陵のすぐ横のステーキ屋さんで食事会です。
明治初期【くわ】は分厚い肉(ステーキ)を焼くために使われたとのこと。趣向を凝らせた鉄器でいただくレアなお肉はとても美味しかったです♪。

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甥にはもったいないくらいの明るくかわいいお嬢さんで、話しも弾みとても楽しい食事会でした♪。

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今後とも末永くよろしくお願いいたします。
また若い2人にこれからもいいことがいっぱいいっぱいありますように!
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あらすじ
「空」とは何か?「色即是空」のほんとうの意味とは―。日本人にとって最もなじみの深いお経といえる『般若心経』。その実体は、「釈迦の仏教」とは異なり、自らが仏へと至る“神秘力”を得るための重要なファクターだった。最小限の言葉だからこそ、逆に無限大の宇宙がそこには存在する。わずか二百六十二文字に、般若経の神髄を表現したとされる“呪文経典”の全貌を知る。

 

ひと言
YouTubeで【「100分de名著」般若心経 】を観ることがあり、とてもおもしろかったのでもっと詳しく知りたいと思い、本も読んでみようと借りました。「般若心経」を唱えたり写経をしていると、ふと無心になる瞬間があったり、なぜかわからないけれど、ふと心がすごく落ち着く瞬間があったりします。
般若心経を心の友として、これからも大切にして、ともに生きていけたらいいなぁと思いました。

 

 

釈迦の死から約五百年たった紀元前後、つまり今から二千年ほど前のインドで、新興の宗派である「大乗仏教」が興りました。『般若心経』は、その大乗仏教運動の中で作られた数多くの「般若経」をもとにできあがったものです。ここに登場する主人公の観音様はそういった大乗仏教の中で生み出されたキャラクターですから、釈迦のころの古い仏教には存在しませんでした。あくまで大乗仏教の教えの中で現れてきた大乗特有の理想の救済者なのです。
また、その次の「般若波羅蜜多」とは、「六波羅蜜多」と呼ばれる六種類の仏道修行のうちでもっとも重要な「智慧の修行」を極めることによって得られる「完璧な智慧の体得」なのですが、この修行も大乗仏教になってからさかんに言われるようになったもので、釈迦のころにはありませんでした。般若波羅蜜多という語はインド語の「プラジュニャー(智慧)」と「パーラミター(完成した)」を合わせたものに漢語を当て字したもので、大乗仏教の特有の用語です。
こういった点からもわかるように、『般若心経』は釈迦の時代の教えをそのまま伝えたものではなく、また、釈迦が説いたままの教えを広めようとして作られたものでもありません。では何かと言えば、大乗仏教の教義、なかでも「般若経」の持つ不思議な。″神秘の力″を広めるために作られたのです。これは事実として意識しておく必要があります。
その後に、続いて「五蘊」という聞き慣れない言葉が出てきますね。これは、「われわれ人間はどのようなものからできていて、どのようなありかたをしているのか」ということを釈迦が分析し、独自の思想から五つの要素に分けて把握したものです。その五つの要素とは、「色」「受」「想」「行」「識」の五種類です。かいつまんで言うと、「色」とはわれわれを構成しているもののうちの外側の要素、つまり肉体のことを指します。本当は木や石などを含めて外界にある物質全般を指すのですが、ここではとりあえず肉体のことと考えたほうがわかりやすいでしょう。残る四つは内面、つまり心の世界に関係する要素です。「受」は外界からの刺激を感じ取る感受の働き、「想」はいろいろな考えをあれやこれやと組み上げたり壊したりする構想の働き、「行」は何かを行おうと考える意思の働き、「識」はあらゆる心的作用のベースとなる、認識の働きです。私たち人間は、この五つの要素、すなわち五蘊の集合体だ、というのが釈迦の教えなのです。……。……。
人間という存在は、この五つの要素が、ある特定の法則にしたがって作用しあい、関係しあうことによって存在している、と釈迦は考えました。「五蘊はある」と釈迦は言ったのです。
ところが『般若心経』は、「そのような五蘊はぜんぶ錯覚だ、実体のないものだ」と主張するのです。それが、「照見五蘊皆空」(五蘊があり、そしてそれらの本質が空であると見た)という言葉の意味です。そして、錯覚であると悟ったからこそ、この世の一切の苦しみや憂いから解放されたというのです。
このように、『般若心経』はある意味、釈迦の教えを否定する経典です。釈迦の時代の教えを「錯覚である」と言って否定し、それを超越するようなもう一つ高次の論理をその上にかぶせ、みずからが釈迦の時代の教えよりも上位に立つことを目指した、そういう経典なのです。……。……。
釈迦の教えの最大の特徴は何かというと、自分の心の苦しみを自分の力で解決する、「自己救済」の宗教であるということです。これを「自利」といいます。老病死の苦しみや煩悩にさいなまれて、生きていくのが苦しい人が、俗世と別れ、出家して仏道修行一筋に生きようとする。その後押しをしてくれるのが釈迦の仏教なのです。
(第1章 最強の262文字)

 

 

観自在菩薩
(かんじざいばさつ)
【聖なる観自在菩薩が】

 

 

行深般若波羅蜜多時
(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)
【深遠な般若波羅蜜多(智慧の完成)の行を行じながら観察なさった】

 

 

照見五蘊皆空
(しょうけんごうんかいくう)
【五蘊があり そしてそれらの本質が空であると見たのである】

 

 

度一切苦厄
(どいっさいくやく)
【そして一切の苦しみや厄いを超えたのである】

 

 

舎利子
(しゃりし)
【舎利子(シャーリプトラ)よ】

 

 

色不異空 空不異色
(しきふいくう くうふいしき)
【「物質要素」(色)は「実体がないという状態」(空性)と別ものではなく「実体がないという状態」は「物質要素」とは別ものではない】

 

 

色即是空 空即是色
(しきそくぜくうくうそくぜしき)
【この世の「物質要素」(色)は「実体がないという状態」(空性)であり「実体がないという状態」が「物質要素」である】

 

 

受想行識 亦復如是
(じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ)
【それゆえに 「実体がないという状態」(空)においては「物質要素」(色)はなく「感受作用」(受)はなく「構想作用」(想)はなく「意思作用およびその他の様々な心の作用」(行)はなく「認識作用」(識)はない 「また同じこと」これら4つも空である】

 

 

舎利子
(しゃりし)
【舎利子よ】

 

 

是諸法空相 
(ぜしょほうくうそう)
【この世のすべての基本的存在要素(法)の特性は「実体がないという状態」である】

 

 

不生不滅 不垢不浄 不増不減
(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
【それらは起こってくることもなく 消滅することもない 汚れることもなく 清らかになることもない 滅ることもなく 一杯になることもない】

 

 

是故空中無色
(ぜこくうちゅうむしき)
【それゆえに「実体がないという状態」(空)においては「物質要素」(色)はなく】

 

 

無受想行識
(むじゅそうぎょうしき)
【「感受作用」(受)はなく「構想作用」(想)はなく「意思作用およびその他の様々な心の作用」(行)はなく「認識作用」(識)はない】

 

 

無眼耳鼻舌身意
(むげんにびぜつしんい)
【「眼」はなく「耳」はなく「鼻」はなく「舌」はなく「触覚器官(身)」はなく 「意(心)」はない】

 

 

無色声香味触法
(むしきしょうこうみそくほう)
【「いろかたち」はなく「音」はなく「香り」はなく「味」はなく「感触」はなく「思い浮かぶもの」はない】

 

 

無眼界 乃至無意識界
(むげんかいないしむいしきかい)
【「眼によって起こる視覚」はなく「耳によって起こる聴覚」はなく「鼻によって起こる嗅覚」はなく「舌によって起こる味覚」はなく「触覚器官によって起こる触覚」はなく「意によって起こる意識」はない】

 

 

無無明
(むむみょう)
【「無明」はなく】

 

 

亦無無明尽
(やくむむみょうじん)
【また「無明」が尽きることもない】

 

 

乃至無老死
(ないしむろうし)
【「老いと死」はなく】

 

 

亦無老死尽
(やくむろうしじん)
【また「老いと死」が尽きることもない】

 

 

無苦集滅道
(むくしゅうめつどう)
【「苦」「集」「滅」「道」という「四諦」はない】

 

 

無智亦無得
(むちやくむとく)
【「悟りの智」もなく 涅槃の「獲得」もない】

 

 

以無所得故
(いむしょとくこ)
【それゆえ舎利子よ 涅槃の「獲得」がないのであるから】

 

 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
(ぼだいさった えはんにゃはらみったこ)
【それゆえ、菩薩には「獲得するということ」がないのだから 般若波羅蜜多(智慧の完成)に依り】

 

 

心無罣礙 無罣礙故
(しんむけいげ むけいげこ)
【心になんの妨げもなく過ごしている 心になんの妨げもないから】

 

 

無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
(むうくふ おんりいっさいてんどうむそう)
【恐怖することがなく 倒錯した思いを超越しており】

 

 

究竟涅槃
(くぎょうねはん)
【涅槃に入った人なのである】

 

 

三世諸仏
(さんぜしょぶつ)
【過去 現在 未来におられるすべてのブッダは】

 

 

依般若波羅蜜多故
(えはんにゃはらみったこ)
【般若波羅蜜多(智慧の完成)に依って】

 

 

得阿耨多羅三藐三菩提
(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
【この上ない正しい悟りを完全に悟られたのである】

 

 

故知般若波羅蜜多
(こちはんにゃはらみった)
【ゆえに以下のことを理解せよ 般若波羅蜜多(智慧の完成)は】

 

 

是大神呪 是大明呪
(ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ)
【大いなる真言(マントラ)であり 大いなる知力を持つ真言であり】

 

 

是無上呪 是無等等呪
(ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)
【最上の真言であり 比類なき真言であり】

 

 

能除一切苦
(のうじょいっさいく)
【一切の苦しみを鎮める真言であり】

 

 

真実不虚
(しんじつふこ)
【ウソいつわりがないから 真実なのである】

 

 

故説般若波羅蜜多呪
(こせつはんにゃはらみったしゅ)
【般若波羅蜜多(智慧の完成)において 真言が説かれた】

 

 

即説呪日
(そくせつしゅわつ)
【それは以下の如し】

 

 

羯諦羯諦 波羅羯諦
(ぎゃていぎゃていはらぎゃてい)
【行った者よ 行った者よ 彼岸に行った者よ】

 

 

波羅僧羯諦
(はらそうぎゃてい)
【向かい岸へと完全に行った者よ】

 

 

菩提薩婆訶
(ぼじそわか)
【悟りよ 幸いあれ】

 

 

般若心経
(はんにゃしんぎょう)
【以上『般若波羅蜜多心』が終わった】

 

 

 

(参考)【別の書物からの現代語訳】
観音様が智慧の修業を注意深く行っていた時、
色、受、想、行、識の5つがすべて空であると見極め、
一切の苦しみや災厄から解放された。
シャーリプトラよ、物質は空ではなく、空は物質ではない。
物質は空であり、空は物質である。
感受、表想、意思、識別もまた空である。
シャーリプトラよ、あらゆるものは実体がない。
生きることも滅びることもなく、よごれることもきれいになることもなく、増えることも減ることもない。
それゆえ空である場合は、物質は存在せず、感受、表想、意思、識別も存在しない。
目・耳・鼻・舌・身体・意志が存在せず、形・音・香り・味覚・触覚・心の対象も存在しない。
目で見て感じることもできない。
また世の中のすべてを感じることもなく、迷うこともなく、迷いがなくなることもない。
また老いて死ぬこともなく、老いて死ぬことがなくなることもない。
苦しみもその原因もなくすこともなくすための方法もない。
知ることもなければ得ることもない。
よって得ることがないから、菩薩は智慧に依存するがゆえ、心にさまたげがない。
心にさまたげがないゆえ、恐怖がない。
あらゆる誤った考えから遠く離れているので、心が安らいだ状態に行き着くことができる。
過去・現在・未来の仏は、智慧に依存するがゆえ、完全な悟りを得る。
ゆえに知るべきである。
智慧は、偉大な神の真言であり、偉大な悟りの真言であり、この上ない真言であり、他と比較できない真言である。
あらゆる苦しみを取り除く効果があり、真実である。
最後に智慧の真言を述べる。次のような真言である。
往きて往きて 彼岸に往きて 彼岸に到達した僧侶は 悟りである。

 

 

2019年1月20日 大寒。結婚した娘も一緒に十数年ぶりに家族4人でダイナランドへスキーに行ってきました。

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朝から名古屋は雨、東海北陸道はぎふ大和から先はチェーン規制が出ていて天気予報では午後には雨(雪)も止むとのことで9時ごろ家を出発。郡上八幡を過ぎたあたりからは雨が雪になります。

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11時ごろにスキー場に到着。運転免許証を提示して55歳以上のシニア券 3900円を購入。

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娘2人は小さい頃からスキーは何回も行っているのですが、スノーボードは初めての下の娘と2回目の上の娘はスクールに入って教えてもらいます。

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午後になっても雪は止まず、手袋やウエアーもベトベト。視界も悪く、私は10本も滑らずに終わりにしてしまいましたが、娘たちは4時過ぎまでスノボの練習です。
ほんとうに久しぶりの家族スキーで楽しいひとときを過ごすことができました。