イメージ 1 
 
春の彼岸で堺に墓参りに帰る途中、新しく開通した新名神の鈴鹿PAに立ち寄りました。焼肉のみさき屋ぼつ焼き丼(650円 オープン記念価格 通常780円)を目当てに行ったのですが残念ながら売り切れ。チキンカツ味噌ソース定食(850円)をいただきます。これも美味しいのですが、やっぱりみさき屋(夜のみ営業)のぼつ焼き丼が食べたかったなぁ。
これが食べられるまでは、鈴鹿PAのスマートインターを利用して亀山から名阪国道で大阪に帰ろうかな。次の機会を楽しみにしています。ごちそうさまでした。

 

すず食堂(食べログ)
鈴鹿市山本町 鈴鹿パーキングエリア内

 

2019年3月17日 16時 待ちに待った 新名神 新四日市JCT~亀山西JCTが開通します。

 

イメージ 1

慢性的な東名阪道の渋滞は2008年2月23日の新名神 亀山JCT~草津田上ICの開通から始まりました。
このブログは 2010年1月5日に始めたのですが、2日後の 1月7日に東名阪の抜け道という記事をアップしたぐらいです。
愛知西部に住み、実家が大阪の堺である私にとっては 11年待ちに待った、待ち続けた新名神の開通です。
ネットで工事の進捗状況などの記事も観せてもらいましたが大変な工事だったと思います。すべての工事関係者の方々に感謝です。ありがとう。
これで実家への帰省や、好きな京都へ出かけるのにも、あまり渋滞を心配せずに済み、時間も大幅に短縮されそうです。
3月22日には堺へ帰る用事があるので新名神と鈴鹿PAを利用させてもらいます。

 

 

お待たせしました!新名神開通

 

 

ありがとう!新名神開通

 

 

【追記】

 

 

新名神 新四日市JCT~亀山西JCT開通式典

 

 

イメージ 2
 
イメージ 3

 

 

3月17日 16時40分 道路情報

 

 

イメージ 4

 

3月10日もう32回目となる今回の3人旅は、リーダーのIさんのガイドで中村公園およびその周辺を散策してきました。

 

イメージ 1

9時30分 地下鉄 中村公園の3番出口で待ち合わせて、いざ中村公園へ。先ずは加藤清正の出生地の妙行寺へ。

 

 

イメージ 2

すぐ北の豊臣秀吉の生誕地の常泉寺にもお参りします。

 

 

イメージ 3

2017年5月に公園内に完成した 初代中村勘三郎生誕記念像と記念撮影。

 

 

イメージ 4

1910年 名古屋に行幸した大正天皇(当時は皇太子)の迎賓館として使用された中村公園記念館に咲いていた満開の梅。1本の木に紅白の花が咲く「源平咲き」のとても綺麗な梅でした♪。

 

 

イメージ 5

これも公園内の秀吉清正記念館にあった加藤清正等連署血判起請文。
内容は、このたび秀吉が重病である。万が一お亡くなりになったときはすみやかに上洛し御ひろい様(秀頼)に忠誠を誓うというもので、熊野三山にお参りした時にいただいた牛王(ごおう)宝印に書かれていて、実際のヤタガラスの起請文が観られてよかったです。

 

 

イメージ 6

今回の3人旅は地下鉄と徒歩で巡る予定でしたが、雨なので私の軽で移動します。
予約してあるお昼まで時間があるので、あま市の前田利家の正室 まつ(芳春院)の生誕地まで足を延ばします。

 

 

イメージ 7

福島正則の生誕地です。

 

 

イメージ 8

蜂須賀小六正勝ゆかりの蓮華寺から南西に三十間のところにある旧宅跡。

 

 

イメージ 9

お昼は八田駅近くの「日本料理 おぎ原」の松花堂弁当(1800円)です。人に勧めたくなる素敵な雰囲気おいしいお料理のお店でした♪。

 

 

イメージ 10

前田利家ゆかりの荒子観音寺をお参りし、3mを超える円空作の最大の仏像の仁王さんを拝見します。圧巻です。本坊の円空佛を拝観しようと思ったら毎月第二土曜日のみの拝観で観ることができませんでした。残念。今度は日時に注意して観に行きます。

 

 

イメージ 11

八田駅近くの「八田 水の広場」という公園にあった洪水から助かったきつねの話という言い伝えの碑 前にいる2匹のキツネがとてもかわいいです。石碑に出てくる風宮神社、雨宮神社、三狐神社を巡ります。

 

 

イメージ 12

仏足石がある龍潭寺へ。仏足頂礼と言って、この石にさわり本堂に向かって合掌礼拝してください。幸せになりますと書いてありました。

 

 

イメージ 13

前田氏発祥の地といわれる前田速念寺(前田城址)へ。本堂が利家?の兜の形をした斬新なお寺でした。

 

 

イメージ 14

地下鉄の中村公園駅に戻り、大鳥居のすぐ横の「孝和堂 本店」で黄粉おはぎ(180円)とうぐいす餅(190円)を店内でいただきます。雨で少し冷えた体にあたたかいお茶と美味しいおまんじゅうで元気回復です。

 

 

イメージ 15

次は7月末に京都に行こうと決めてここでお別れです。いつものことながらとても楽しい3人旅でした♪。

 

イメージ 1 
 
あらすじ
恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。

 

ひと言
心に残ったフレーズに付箋を貼りながら読み進めましたが、付箋が20近くにもなってしまいました。
ポスドクや変異体、ヘテロやホモといった理系でなければちょっとしんどいかなと思うような部分も「デカパイ」や「アッホー」「アホ」というようなユーモアあふれる表現で読み手を引き込んでくれます。専門的な部分の表記が多いかなとも思いましたが、これだけの表記があるからこそ、研究の難しさや、それを発見したときの喜び、本村がどれだけ植物に恋をしているのかが伝わってきてとてもよかったと思います。また下に引用した松田が奥野とのことをカミングアウトするくだりは漱石の「こころ」のようで、長く引用させてもらいました。それにしても三浦しをんさんがどれだけ研究室に通い取材をしたのかというのがすごく紙面に現れていて、取材した研究者の言葉をそのまま文章にするのではなく、自分なりにちゃんと理解して自分のものとして表現しているんだなぁというのがすごく伝わってきます。「舟を編む」もそうでしたが、道を究めようとする人々をほんとうにうまく表現しエールを送るような文章に仕上げる三浦さんに感服です。ひょっとしたらこれも本屋大賞に絡んでくるかも!?素敵な本でした。ありがとうございました。

 

 

生まれてから死ぬまでの限られた時間のなかで、金もうけをしたいとか、人助けをしたいとかなら、まだ想像の範囲内だ。だけど、「真理の探究」を選び、志すひともいる。損得も、意味とか無意味とかも超え、ただ「知りたい」という情熱に突き動かされているひとがいる。それってすごいことだ、と藤丸は思った。
(1)

 

 

考えてみれば、すべての「親」は、子どもがいるから親なのだ。「子どもを持つことにまったく興味を抱けない」と言いだした我が子を、価値観の異なる、理解の及ばない存在だと認識する可能性大だろう。しかも本村の場合、男女交際にも結婚にも興味がなく、胸躍る対象はシロイヌナズナだけなのである。両親の混乱と落胆を思うと、なんだかいたたまれない気持ちになる。 だが、そこはやはり本村の両親だ。本村か博士課程に進んだ時点で諦めというか踏ん切りをつけたのか、一人娘が帰ってきたことを純粋に喜び、上げ膳据え膳のもてなしぶりだった。母親は餅やらおせちやらをもっと食べろとうながしてくるし、父親は「一緒に飲もう」ともらいものの上等の日本酒をいそいそ開けるしで、本村はべつの意味でなんだかいたたまれない気持ちになったほどだ。 愛が重い……、と本村は思った。藤丸が唐揚げにこめた愛には気づかなかった本村だが、楽しそうな両親の様子から、自分がいかに愛されているかをさすがに察した。重いけれど幸せである。
(3)

 

 

だが、最後の写真を見たとたん、松田は凍りついた。 「それは、崖下の地面を至近距離から撮った写真でした」 松田は平板な口調で言った。「『ピンぼけしているのですが、落下の衝撃で撮れたものではなく、なにかを撮ろうとしたのだろうと、警察のかたはおっしゃっていました』と奥野のご両親は言いました」松田には、わかった。そこになにが写っているのかが。 奥野は最後に、松田が頼んだ腐生植物の写真を撮ったのだ。 「私はすべてを察しました。奥野が崖から落ちたのも、崖下に腐生植物を発見したか、腐生植物がありそうだと思ったかして、身を乗りだしたからでしょう。私が『腐生植物を』などと言ったために……」 「先生、それは」 と川井が口を挟もうとしたが、松田は聞こえていないかのようにしゃべりつづげた。 「あのときほど、あらゆる感情と思考が押し寄せたことはありません。私はこわくなりました。この真実をすぐにでも奥野の両親に打ち明け、赦しを乞いたいと思いましたが、そんなことを言われてもご両親だって困るだろう、『あなたのせいではない』などと心にもない言葉を言わせる苦痛をこのうえ味わわせるのかと迷い、結局なにも言いだせませんでした。しかし、よく考えれば、それも私の卑怯さが選択したことです。私は奥野の両親に泣いて責められるのがこわかった。自分が奥野の死の原因になったということを、受け止めきれなかった」
ただ、どういう心の働きだろう。ピンぼげした最後の写真だけは、なんとしても欲しくて、奥野の両親に譲ってくれるよう申し入れた。なにも知らない両親は、「焼き増しできるから」と快く写真をくれた。
……。……。……。
「奥野はなぜ、この写真を撮ったのだろう、という考えに私はとらわれました」と松田は言った。「ひと知れず崖から落ち、救助が来る可能性はほとんどゼロの、絶望的な状況です。大怪我を負い、死を目前にした奥野の痛みと苦しみと恐怖は、口をつぐんだまま奥野の両親のまえから逃げだした私が感じたおそれなどとは、比べようもないものだったでしょう。にもかかわらず、奥野は最後の力を振り絞って、腐生植物の写真を撮った。これはもしかして、告発の一枚ではないか、と私は思いました。いわゆるダイイング・メッセージです。自分の死は、『腐生植物を』という私の依頼が原因となったものであると……」 「ちがいます!」 本村は思わず叫んだ。「ちがうと思います」 「はい」 松田はちょっと笑った。もう何度も何度も、そのことについて考えてきたのだとわかる表情だった。決して答えの返らぬ問いを繰り返すことに、半ば倦み、半ば諦めたかのような。 「『奥野はそんな人間ではない』と、私は浮かんだ思いをすぐに振り払いました。崖から転落するという不幸な事故に遭遇し、死の恐怖と孤独に押しつぶされそうなときにも、それをだれかのせいにしたり、ましてや告発しようなどとは、微塵も考えないようなやつだ、と。実際、彼は非常に合理的かつ心根の優しい男でした。私は必死に、『奥野は俺との約束を果たそうとして、最後に腐生植物の写真を撮ってくれたんだ。この一枚は奥野の友情の証だ』と思おうとしました」 だが、振り払っても振り払っても、写真は奥野の告発であり指弾なのではないか、という考えは、松田の脳みそにこびりついた。松田はだんだん眠りが浅くなり、眠っても悪夢を見るようになった。
……。……。……。
一周忌には少し遅れてしまったが、松田はできあがった冊子の束を持って、奥野の両親を訪ねた。冊子を渡し、奥野の草稿をもとにした論文も、近々雑誌に掲載されることを報告すると、両親はとても喜び、松田を歓待してくれた。松田は仏壇に冊子を供え、線香を上げて手を合わせた。 その冊子には、奥野が最後に撮った写真も載せた。松田は奥野の両親に、そこに写っているのが腐生植物であること、自分がそれを撮ってきてくれるよう奥野に頼んだことを話した。本当はその場に伏して、奥野にも奥野の両親にも謝りたかったが、そんなことをしても両親を苦しめ、死んだ奥野を困惑させるだろうと思ったし、自分が楽になりたいだけだということもわかっていたので、畳につきそうになる手をぐっと握ってこらえた。ただ、「もっと早くにお伝えせず、すみません」と詫びた。 奥野の母親は、松田の話を静かに聞き終えると、「よかった」 とつぶやいた。「じゃあ、あの子は最後に、松田さんとの約束を守ることができたんですね」 松田は黙って頭を下げた。どうしても震えてしまう松田の肩を、奥野の父親が軽くつかんで揺すった。 「ありがとう、松田さん」 と奥野の父親は言った。松田は、顕微鏡室で自分の肩を叩いた奥野の手を思い起こしていた。やはり親子なんだなあと思った。 花や果物がたくさん捧げられた仏壇で、遺影の奥野は快活に笑っていた。
(3)

 

 

もし、失敗や悩みごとをだれにも相談したり打ち明けたりしたくないのだったら、いつもどおりに振る舞うほかない。いつもどおりに振る舞う気力がどうしても出ないのだったら、心にかかる事柄を思いきってだれかに相談したり打ち明けたりして、分け持ってもらうほかない。 元気をなくした様子を見せ、なおかつだんまりを決めこんだまま、周囲から心配を寄せられるばかりでは、大人だとは言えないはずだ。本村は自身をそう鼓舞する。……。だれかに助けを求めることは、決してかっこ悪いことではないし、自分の無力を表明することでもない。まっとうなコミュニケーションだ。むしろ、「こんな弱音や本音を言ったら、相手にどう思われるだろう」と縮こまり、寄せられる心配すら遮断して閉じこもってしまうほうが、よっぽど勇気がなく、周囲のひとの心を無視する行いだと言えよう。
(4)

 

 

「藤丸くんだったら、どうする」 と川井が言った。 藤丸さんは、研究や実験にはまるで詳しくないのに。本村は驚いた。どうして川井さんは急に、藤丸さんに意見を求めることにしたんだろう。岩間と加藤も、本村と同じ思いだったらしく、川井と藤丸に慌ただしく視線をやった。 藤丸だけは、さして驚いたふうでもなかった。発言を許されてうれしそうに、しかしこともなげに、「つづけるっすね」 と答える。 門外漢のはずの藤丸が、確信に満ちているのがどうしても解せず、最前以上の驚きに打たれもした本村は、「なんて言いきれるの?」 と、思わず丁寧語を忘れて聞いてしまった。
「デカパイができたとき、本村さんぱすごくうれしそうでしたよね」 藤丸は頬を掻いた。「そういう気持ちって、大事にしたほうがいいと思うっす」 「でも、遺伝子を取りちがえてしまったから、あれが狙いどおりの四重変異体かどうかは……」 「俺、ガキのころから料理を作るのか好きでした」 と、藤丸は真剣な表情になって言った。「最初は母親に教わったり、レシピ本を見ながら作ったりしてたんすけど、そのうちどんどん自分でアレンジするようになって。勘で調味料を入れたり、『この食材は合わないだろ』ってもんをぶちこんでみたり。そしたらますます、料理が楽しくなったんです。激まずなものができることもあったけど、思いがけないぐらいおいしいときもけっこうあって、うれしいしスリルがあるから」藤丸は一生懸命に、経験と実感に基づいてしゃべっていた。本村だけでなく川井たちも、藤丸の言葉に聞き入った。
「レシピ本に書かれたとおりに作って、予想したとおりの味になったときより、『こんな料理になった!』って意外なときのほうが、まずいもんかできたとしても、楽しいです。だから俺は、本村さんもこのまま実験をつづけてみたらどうかなと思うっす。うれしいとか楽しいって感じたんなら、結果が失敗でも後悔はしないっすよ。『また次、もっとおいしい料理を作ろう』って思いながら、俺は激まずの失敗作を食べる派です」 ま、俺の作る料理と本村さんがやってる実験とでは、難しさのレベルがちがうと思いますけど。藤丸は照れくさそうにつけ加えた。 「ううん」 と本村は首を振る。ううん、まったくちがわない。料理も実験も同じだ。予定どおりに実験を進めて、予想どおりの成功を得ることができるか。期日までに博士論文を提出できるか。そんなことばかりに気を取られてしまっていたけど、私がまちがってた。 実験に筋書きなんかない。研究に期日なんかない。 うっかりミスも含めて、目のまえで起きている事象を先入観なくよく観察し、誠実かつ公正に事実を記録しつづける。失敗しても工夫を重ね、この世界の理ににじり寄りつづける。自分の命が尽きる日まで、「どうして」と問いかけ、謎を追究しつづける。それが実験であり研究なんだ。
(4)

 

 

うっかりミスから、目論見とはちがう四重変異休らしき株を作ってしまったけれど。その子葉を見たときの喜び、「これだ」という確信を、無理に葬り去ることはしたくない。博士論文の提出期限も、研究成果も、いまはどうでもいい。偶然によって生まれた、あのデカパイを調べつくしてみせる。 覚悟をもって決めたことだったら、実験が完全なる失敗に終わったとしても後悔はしないだろう。 「直感をバカにしすぎてはいけないということです」 松田は椅子を立ち、鞄を手にした。「私の言う『直感』は、『神からの突然の啓示』といった類のものではありません。日々、愚直に観察をつづけているからこそ得られる直感なのです。本村さんは、もっと自信を持っていいと思いますよ」 衝立の向こうへ消えた松田に、 「ありがとうございます」 と、本村も立ちあがって頭を下げた。
(4) 

 

イメージ 1
 
ふぐのランチの後、師匠が連れて行ってくれたのが名駅西のエスカにある「ココノン(QOQONON)エスカ店」。あれここ 前「プルシック」というお店だった場所じゃん。開放的なイートインになってる。メニューも「プルシック」で人気だった なめらかプリンやレトロプリンがあり、甲羅グループの新しいお店のようです。プリンはさすがというか相変わらずというかとてもおいしいです。人気のシフォンケーキは売り切れで食べられませんでした。次は是非。
今年の2月18日開店。まだ10日で食べログにも情報がないので2月1日に先にオープンした覚王山店の情報です。

 

QOQONON(ココノン)(食べログ)
名古屋市中村区椿町6 エスカ地下街

 

イメージ 1
 
今日のお昼はグルメの師匠とお店の前で待ち合わせて、先日TVで紹介された「FUKU浜金 柳橋市場店」のとらふぐてっさとふぐの天ぷら丼(1296円)をいただきます。
てっさは酢醤油を、天ぷらはテーブルの上の塩をかけていただきます。うまい!てっさもたっぷりと盛られて、これで1200円は超お値打ちです。ランチでふぐが食べられるという幸せ♪。KITTE名古屋にもFUKU浜金さんはあるのですが、とらふぐてっさとふぐの天ぷら丼が食べられるのは柳橋市場店だけ。次はお店の人 おすすめの魚河岸海鮮丼を是非食べにいきたいです。ごちそうさまでした♪

 

FUKU浜金 柳橋市場店
名古屋市中村区名駅4

 

イメージ 1
 
美味しい味噌カツ丼を食べた帰り、以前TVで観て立ち寄ろうと決めていた「洋菓子店slow」へ。あの「テーラ テール」の数軒西にあります。
注文を受けてからクリームを詰めてくれるという評判のシュークリーム【プレーン(280円)抹茶(370円)トリュフ(550円)胡麻はもう販売されていないとのこと残念】をいただきます。びっくりするくらいクリームがパンパンに詰められていて、そのクリームがとてもおいしいです♪。プレーンが一番好きかな リピ確定!。次回は口コミで評判のカヌレも食べてみたいです。ごちそうさまでした♪

 

洋菓子店slow(食べログ)
名古屋市東区泉3

 

イメージ 1
 
最近は寒さも和らいできたので、お昼に自転車で東区の東海中高校近くの「岩正」さんへ味噌カツ丼(600円)を食べに行ってきました。
かなりご年配のお父さんが「いつもありがとね」「待たせたね」とステキな笑顔で応対してくれます。とても濃厚で甘めの味噌ダレがたっぷりとカツにかかって、流石 創業100年を超える老舗。これぞ本当の名古屋めしという味です。玉子でとじてあるのもグッド!味もいいし、お店の雰囲気もいいし、そしてかなりお値打ちだし 次はみそ煮込みをいただきたいと思いました。ごちそうさまでした♪。

 

岩正(食べログ)
名古屋市東区筒井1

 

イメージ 1 
 
あらすじ
モネやピカソなど、美術にまつわる小説をはじめ、精力的に書籍を刊行する著者、その創作の源は旅にあった!? 世界各地を巡り、観る、食べる、買う。さあ、マハさんと一緒に取材(!?)の旅に出よう!

 

ひと言
原田 マハさんと出会ったのは2013年夏の「キネマの神様」が最初でした。2014年5月「カフーを待ちわびて」を読んで、原田 マハさんはもう私のお気に入りの作家さんになりました。その年は6作品、2015年は13作品と読み続け「フーテンのマハ」はちょうど私が読む原田マハさんの30作品目の本になります。あまり絵画のことはよく知らなかった私が、絵画や芸術家のことに興味を持つようになったのは原田 マハさんのおかげです。ほんとうにありがとう。
この「フーテンのマハ」は原田 マハ=(イコール)ニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーター というイメージだった原田 マハさんの新たな一面が見られたような作品でとても楽しく読ませてもらいました。これからもステキな作品を楽しみにしています。

 

 

それから マハさんが紹介してくれたお店も掲載します。食べログで調べてみるとどれも 3.5以上のお店ばかりでした。マハさんありがとうございます。

 

 

弘前キュイジーヌ「レストラン山崎」木村秋則さんのリンゴのスープ
金沢の割烹「よし村」蟹炒飯
梅田の北新地「天平」餃子
高知 屋台の餃子「松ちゃん」
高松のうどん「竹清」「誠うどん」
神戸 欧風料理店「もん」

 

 

あるとき後輩の男子に、いきなり「原田さんってマグロっぽいですよね」と言われたことがある。当時、社内きってのファッショニスタ(と自分で言うのもなんだが)たった私は、最新かつ奇抜な服装を好み、「Mビルのイメルダ夫人」とか「ファッションで人を嚇かす」などと言われたことはあったが、「マグロっぽい」と言われたのは初めてで面食らった。……。……。彼いわく「だって止まったら死んじゃうでしょ」とのことだった。そのとき生まれて初めてマグロというのは生きるために泳ぎ続け、移動し続ける種であることを知った。……。ちなみに、デビュー後、私のペンネームについて「マッハで移動するからですか?」と訊かれたこともある。以来、ペンネームの由来を訊かれればこの一言を用いることにしている。
(1 奇跡のリンゴと出会う) 

 

 

仲居さんがフグの白子を持ってきた。Cさんが私に「これ、なんですか?」と訊く。「白子です」と私は答えた。「シラコってなんですか」とまた訊く。えーとえーと、と私は考えを巡らして、できるだけ小さな声で「精子です」と答えた。 「え、なんですか?」「だから、精子です」「セイシ……?」「精子です。精子。男の人が持ってるアレです。子供の素です。精子です、精子!」 ほとんどシャウトする私のそばへ仲居さんがすすっとやってきて、 「違います。精巣です」 と言い直してくれた。……あ。そのとおりです、はい……。 かくして一生に一度(たぶん)の「フグの宴」は終わった。VIP三人に気をつかうあまり、せっかくの味の記憶がさだかではないのがいまだに残念だ。
(5 鳥取「カニ喰い」旅)

 

 

私が小説を書き始めるきっかけになったのが、旅先でのある男性と「犬」との出会いだった。物書きになるまえから、私はなんのあてもなくぶらりとフーテンの旅に出るのが常だったが、そのときも、もともと行く予定ではなかった沖縄の伊是名島という離島を訪れた。その前日に泊まった民宿の女将さんが「いいところだから行ってごらん」と勧めてくれたのだ。それじゃあ行ってみようか、と出かけたところ、美しい浜辺で黒い犬と戯れる男性と出会った。と書けば読者の皆さんの脳内には玉山鉄二的イケメンが登場するかもしれないが、当然ながら一般人のおじさんだった。すごいのは犬のほうで、おじさんがサンゴの塊を海に投げると、ザンブと飛びこんで回収してくるのだ。私は目をみはり、しばらく眺めていたのだが、ついに好奇心に抗いきれずに話しかけた。「すごいですね、このワンちゃん。なんていう名前ですか?」。するとおじさんは応えた。  「カフーです」「おもしろい名前ですね、どういう意味ですか?」「沖縄の言葉で『幸せ』という意味ですよ」。その瞬間に、なにやら霊感じみたものが、すとーんと私の中に落ちてきた。沖縄の離島の浜辺で、「幸せ」という名の犬に出会ってしまった。まさにこの瞬間、わがデビュー作『カフーを待ちわびて』が芽吹いたのだった。この鳥人おじさん、名嘉さんのネーミングセンスが、私の作家人生を決定づけたと言ってもいい。
(14 報切なおじさんはタクシーに乗って)

 

 

私が学生時代を過ごした街・神戸は、エキゾチックでレトロな雰囲気のある街として知られる。グローバル化の進んだ現在では、何をもって「エキゾチック」というのかは不明だが、昔もいまも、どこかしら日本的ではないムードが漂っているのは事実だ。「レトロ」というのも、ひょっとすると「頑固に変わらない」と言い換えることができるかもしれない。つまり、昔のまんま変わらずにいる、それでいてそれがたまらなくすてきだ――そういう街である。
(15 永遠の神戸)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
行方知れずの父を探すため、少年は伊能隊と共に旅をする。没後200年を迎えた伊能忠敬の足跡を少年の視点で描く歴史読み物。伊能忠敬の生い立ちや、時代背景、当時の風俗、測量技術の進化など、解説ページも充実。

 

ひと言
以前「茶話歴談」という同人誌を読む機会があり、その本に、忠敬の地図作成に必要な星天観測のための望遠鏡を作った岩橋善兵衛に焦点をあてた作品を載せられた人がいて、とても興味深く読ませてもらいました。
1795年 (51歳)で幕府天文方の高橋至時(よしとき)(32歳)に弟子入り。1800年(56歳)に第一次測量(蝦夷地)に出発して足かけ17年、1816年(72歳)の第十次測量まで日本国中を測量して歩き、1818年(74歳)には念願の『大日本沿海輿地全図』の完成(1821年)をみることもなく亡くなってしまった伊能忠敬。
50歳を過ぎてから新しい学問を志し、70歳過ぎまで日本国中を測量して歩いた不屈の精神力と実践力に唯々敬服です。
 
忠敬は立ちあがって、平次を手招きした。「みなが寝静まってから、星が出るとはな」 つぶやきながら外へ出ると、忠敬は空を指さした。流れの速い雲のあいだに、ちらちらと星がまたたいている。
「いくら手を伸ばしても、天の星にはとどかぬ。だが、頭で道理を考え、手足を動かして測量すれば、地を歩いていても星にとどくかもしれぬ。それが学問だ」
そう語った忠敬は、振り返って、照れたように表情を崩した。 「わしがこんなことを言うのは、まだ早いな。十年ばかり地べたをはいずれば、格好がつくかもしれぬが」 言葉のひとつひとつにとてつもない重みを感じて、平次はかたくなっていた。自分は広大な学問の世界の、入り口をちらりとのぞいただけである。踏みこむ覚悟ができているのか、まだ自信がない。 蝦夷地に行けば、それが手に入るだろうか。 ふいに、父の言葉を思い出した。 「はるか昔、西洋の偉い学者が言ったそうだ。『学問に王道なし』。近道をしようとすると、必ずしっぺ返しをくらうぞ」 そのときは聞き流していた言葉の意味が、今実感された。数をかぞえながら、一歩ずつ歩いていくことで、たどりつける場所がある。自分もそこへ行きたいと思った。人の思いをよそに、星はただ輝いている。
(二章 測量 3)