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あらすじ
第二次大戦中の米国戦時情報局による日本研究をもとに執筆され、後の日本人論の源流となった不朽の書。日本人の行動や文化の分析からその背後にある独特な思考や気質を解明、日本人特有の複雑な性格と特徴を鮮やかに浮き彫りにする。“菊の優美と刀の殺伐”に象徴される日本文化の型を探り当て、その本質を批判的かつ深く洞察した、第一級の日本人論。

 

ひと言
先日読んだ新書にベネディクトの「菊と刀」の中の言葉が引用されていて、50歳以上の人にとっては、超有名な「菊と刀」だが、そういえば知っているだけで読んだことがないことに気づき図書館で借りた。
今の若い人に勧めようとは思はないが、私個人としては、やっぱり読んでよかったなと思える一冊であった。

 

 

一九四五年八月十四日に日本が降伏した時に、世界はこの「忠」がほとんど信じがたいほどの大きな力を発揮した事実を目撃した。日本に関する経験と知識をもつ多くの西欧人は、日本が降伏するなどということはありうべからざることである、という見解を抱いていた。……。……。こういうふうに日本を分析していたアメリカ人は、「忠」を勘定に入れていなかったのである。天皇が口を開いた、そして戦争は終わった。天皇の声がラジオで放送される前に、頑強な反対者たちが皇居の周りに非常線をめぐらし、停戦宣言を阻止しようととした。ところがいったんそれが読まれると、何人もそれに承服した。満州やジャワの現地司令官も、日本内地の東条[英機]も、誰一人としてそれにさからうものがいなかった。われわれの部隊は飛行場に着陸し、丁重に迎えられた。……。このような態度には少しも不思議なところはなかった。それを不思議に感じたのは、人間の行為を左右する感情が、いかに多種多様であるかということを容認することのできなかった西欧人だけである。……。すなわち、日本人は、たとえそれが降伏の命令であったにせよ、その命令を下したのは天皇であった、と言いうる権利を獲得したのである。敗戦においてさえも、最高の掟は依然として「忠」であった。(第六章 万分の一の恩返し)

 

 

……。だが返さないのは、彼が山嵐から受けた恩について感じる気持ちと対照して独白しているように「清をおれの片破れと思ふからだ」。この言葉が日本人の恩に対する反応を理解する手がかりになる。たとえどのように錯綜した感情がともなうにせよ、「恩人」が実際に自分自身である限り、すなわち、その人が「私の」階層的組織の中に一定の位置を占める人であるか、風の吹く日に帽子を返す場合のように、私自身もおそらくそうするだろうと想像されることをするか、あるいはまた、私を崇拝している人間である限りにおいて、日本人は安んじて恩を負担する。ところが、いったんこれらの条件が当てはまらなくなると、恩は堪えがたい苦痛となる。相手から蒙った負債が、どのように些少なものであっても、それを不快に感じるのが立派な態度である。(第五章 過去と世間に負目を負う者)

 

 

さまざまな文化の人類学的研究において重要なことは、恥を基調とする文化と、罪を基調とする文化とを区別することである。道徳の絶対的標準を説き、良心の啓発を頼みにする社会は、罪の文化(guilt culture)と定義することができる。……。したがって、恥の文化(shame culture)には、人間に対してはもとより、神に対してさえも告白するという習慣はない。幸運を祈願する儀式はあるが、贖罪の儀式はない。真の罪の文化が内面的な罪の自覚にもとづいて善行を行なうのに対して、真の恥の文化は外面的強制力にもとづいて善行を行なう。恥は他人の批評に対する反応である。……。「恥を知る人」という言葉は、ある時は'virtuous man'[有徳の人]、ある時は'man of honor'[名誉を重んずる人]と訳される。恥は日本の倫理において、「良心の潔白」、「神に義とせられること」、罪を避けることが、西欧の倫理において占めているのと同じ権威ある地位を占めている。したがってその当然の論理的帰結として、人は死後の生活において罰せられるなどということはない。(第十章 徳のジレンマ)