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あらすじ
戦後50年を経て、私たちが見失っていたものが何かを今、懐かしく想い出させてくれる人がいる。名古屋と金沢をつなぐバス路線沿いに2000本の桜を植えつづけたバス車掌 佐藤良二さんの人生を描く。

 

ひと言
今年もまた桜の季節が巡ってきた。先日、図書館で桜の本の特集コーナーが設けられていて、そこにあったこの本が目にとまった。1994年から行われている名古屋-金沢間250キロを36時間以内に走るウルトラマラソン「さくら道国際ネイチャーラン」(平成25年4月19日~4月22日)も今年で20回目を迎える。
東海北陸自動車道の飛騨トンネルが開通するまでは、荘川ICから国道156号を御母衣ダムに沿って走るしか道はなかったが、その道沿いに2本の立派な荘川桜が移植されている。今まで数回、荘川桜の横を走ったことはあるが、桜の季節の荘川桜は見たことがないので是非1度観に行きたいと思った。

 

 

桜の季節に、私の好きな歌を3つ。

 

 

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし  在原業平

 

 

願はくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ  西行法師

 

 

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 今宵逢ふ人 みなうつくしき  与謝野晶子

 

 

 

報いを求めず、ひたすら桜の花で人びとの心を喜ばせ、桜の花を通して人の世に和が生まれることを願って桜を植えつづけた佐藤良二さん。妻の八千代は、良二さんの桜の仕事に反対しながらも、民宿を営み子供と家庭を守ってきた。「無理して大学へ行かなくてもいい。人に喜んでもらえる人間になればそれで上等なんや」―― 娘の美智子とゆかりにそう話していた良二さん。しかし、八千代は良二さん亡きあとも民宿をつづけ、二人の娘を大学に進ませた。父が亡くなったことで娘の進路を狭めたくない、と考える八千代の意志からでもあった。八千代は言う。
「最初から最後まで、主人は体が弱かったし、仕事もよう休んだりしていましたから、私は反対していたんです。家のことは全部私まかせでしたし、村の付き合いだけでもやってほしいと思いましたが、主人は桜ばかりをやっていて、村の付き合いにはいつも私がかわりに行っていました。家族の団らんもほとんどありませんでした。家にはほとんどいませんでしたし、仕事から帰るとすぐまた出て行って。子供も、とうちゃん、今晩家でとまるんか?と言うくらいやったんです。入院して、帰って来たかと思うと二、三日休養して、すぐまた桜をいじる。すると三日もすると、また入院。そのくり返しでした。他の人は咲いた桜を見るだけでいいでしょうが、私にしたら夫の体の方が大事やったんです。桜で体をこわしてしまうくらいなら、やらない方がいいと私は言っていました。ですから、その頃の私は心の底から喜べなかったんです。子供をどうして養っていこうか、どうして生きていこうかと思ったことが何度もありました。病気になっても、桜を植えに行ったし、桜をしなければもっと長く生きられたろうにと、今も思います。病室の壁には、もう桜のことはやめてしまおう、と紙に書いて貼っていましたけど、どうしてもやめられなかったんやね。でも、今はお父ちゃんの植えた桜をみると、子供もポロポロ涙をこぼすんです。この前も、お父ちゃんの植えた桜が人に切られてしまったんです。すると娘はポロポロ涙を流して、何で切ったんや、どうして切らしたんやと言うんです。そうなると私も悲しいんです。今になれば、よかったのかなあと思っています。家にも一本植えてあるんです。植えて歩いて残ったのが一本。今ようやく咲くようになって、その花を見ると、お父ちゃんのことを思い出します。ああ、お父ちゃんが花になって帰ってきよった、とそう思うようになりました。お父ちゃんのかたみは、毎年花を咲かせる桜なんやなあ、と思うんです」
(一筋の桜街道)