休息期の振り返りが終わると、
アメブロを始めた頃に追いつきます。
いつかこのブログが必要な人に届きます様に。
-番外編-
今シーズン観ているドラマ
「夕暮れに、手をつなぐ」
まだ序盤ですが、引き込まれています。
主人公の空豆の故郷である宮崎県えびの市は、
私の母の故郷であり、
私の産まれ故郷になります。
母の実家で聴いていた宮崎弁、
正直なところ、通訳不可避です。
時折り発せられる「〜ばってん」を、
なんで急に「✖️」?
と幼少期の頃は感じていました。
ドラマでは聴きやすい方言になっていますね、
それでも懐かしく感じます。
「オレンジデイズ」の脚本家と言うこともあり、
後半も楽しみです。
ところで、
ドラマの中で流れるヨルシカの
「春泥棒」
妻が休息期の時によく聴いていました。
ヨルシカの歌詞は、
どことなく古風な日本を感じさせる表現が多く、
気に入っています。
https://www.uta-net.com/song/296138/
「春泥棒」の勝手な解釈と感想です。
主人公は、
今は亡き妻との最後の春のことを、
その結末を桜の花を命に見立てて、
振り返っているように感じます。
序盤では、
「さぁ、今日さえ明日過去に変わる」
「ただ花が降るだけ、晴れり、今春吹雪」
当然のように明日が来るような表現で、
2人の日常、これからの幸せや希望を感じます。
中盤では、
「花散らせ今吹くこの嵐は、まさに春泥棒」
「花の隙間に空、散れり、まだ春吹雪」
花が降るではなく、
散るという表現に変わります。
嵐に春を(桜の花=命)を奪われそうな状況、
それでも、
まだ花が残ってると僅かな希望を感じます。
でもどこか主人公は、
妻の命の最後が来る事を悟っているのかなと、
感じさせます。
終盤では、
「花見は僕らだけ」
「散るなまだ、春吹雪」
桜の季節が終わりつつある中、
自分たちだけはまだ春のままでいたく、
何とか命を繋ぎ止めたい気持ちを感じます。
「あともう少しだけ」
「まあ数えられるだけ」
「あと花二つだけ」
「もう花一つだけ」
無情にも過ぎていく悲しい回想ですね。
最後は、
「ただ、葉が残るだけ、はらり、今春仕舞い」
主人公はこの出来事を振り返り、
過去にかたをつけている様に感じられます。
歌詞を文字で読んだのは初めてですが、
「仕舞い」と言う漢字、
「終い」とはまた違っていいですね。
中島みゆきの「糸」の
「しあわせ」を「仕合わせ」と表現する感じ、
それと似ていて綺麗です。
私にとっての春泥棒は、
2020年の春、
妻の無邪気な明るさ、生きる希望、元の人格を、
ことごとく奪い去っていった統合失調症です。
番外編