春泥棒 -番外編- | 妻と私の異世界生活

妻と私の異世界生活

2020年の春
妻が統合失調症を発症

突然、異世界に放り出された妻と私の闘病記録

急性期、休息期を経て回復期に入り安定したのも束の間、2023年の夏、妊娠発覚と同時に再発

いつかこのブログが誰かの助け舟になります様に。



休息期の振り返りが終わると、


アメブロを始めた頃に追いつきます。


いつかこのブログが必要な人に届きます様に。




-番外編-


今シーズン観ているドラマ


「夕暮れに、手をつなぐ」



まだ序盤ですが、引き込まれています。




主人公の空豆の故郷である宮崎県えびの市は、


私の母の故郷であり、


私の産まれ故郷になります。




母の実家で聴いていた宮崎弁、


正直なところ、通訳不可避です。




時折り発せられる「〜ばってん」を、


なんで急に「✖️」?


と幼少期の頃は感じていました。




ドラマでは聴きやすい方言になっていますね、


それでも懐かしく感じます。


「オレンジデイズ」の脚本家と言うこともあり、


後半も楽しみです。




ところで、


ドラマの中で流れるヨルシカの


「春泥棒」



妻が休息期の時によく聴いていました。



ヨルシカの歌詞は、


どことなく古風な日本を感じさせる表現が多く、


気に入っています。


https://www.uta-net.com/song/296138/




「春泥棒」の勝手な解釈と感想です。



主人公は、


今は亡き妻との最後の春のことを、


その結末を桜の花を命に見立てて、


振り返っているように感じます。




序盤では、


「さぁ、今日さえ明日過去に変わる」


「ただ花が降るだけ、晴れり、今春吹雪」


当然のように明日が来るような表現で、


2人の日常、これからの幸せや希望を感じます。




中盤では、


「花散らせ今吹くこの嵐は、まさに春泥棒」


「花の隙間に空、散れり、まだ春吹雪」


花が降るではなく、


散るという表現に変わります。


嵐に春を(桜の花=命)を奪われそうな状況、


それでも、


まだ花が残ってると僅かな希望を感じます。


でもどこか主人公は、


妻の命の最後が来る事を悟っているのかなと、


感じさせます。




終盤では、


「花見は僕らだけ」


「散るなまだ、春吹雪」


桜の季節が終わりつつある中、


自分たちだけはまだ春のままでいたく、


何とか命を繋ぎ止めたい気持ちを感じます。



「あともう少しだけ」


「まあ数えられるだけ」


「あと花二つだけ」


「もう花一つだけ」



無情にも過ぎていく悲しい回想ですね。



最後は、


「ただ、葉が残るだけ、はらり、今春仕舞い」


主人公はこの出来事を振り返り、


過去にかたをつけている様に感じられます。




歌詞を文字で読んだのは初めてですが、


「仕舞い」と言う漢字、


「終い」とはまた違っていいですね。




中島みゆきの「糸」


「しあわせ」「仕合わせ」と表現する感じ、


それと似ていて綺麗です。




私にとっての春泥棒は、


2020年の春、


妻の無邪気な明るさ、生きる希望、元の人格を、


ことごとく奪い去っていった統合失調症です。