silent -番外編- | 妻と私の異世界生活

妻と私の異世界生活

2020年の春
妻が統合失調症を発症

突然、異世界に放り出された妻と私の闘病記録

急性期、休息期を経て回復期に入り安定したのも束の間、2023年の夏、妊娠発覚と同時に再発

いつかこのブログが誰かの助け舟になります様に。



いつもは過去を振り返りながら、


後半で少し現状を綴っておりますが、


今日は番外編として、


最近、感じたことを書きたいと思います。





最近ドラマを普通に観られるようになった妻、

(急性期は現実と区別できず観れませんでした)


1クールで3つ程は観ているので、


私も隣で観ています。


今期観ているドラマは、


「silent」


「クロサギ」


「アトムの童」


中でも妻は「silent」にはまっているようです。


この「silent」


私はドラマが始まる前の予告CMが、


まるで今ドラマが始まったかのような入り方で、


不思議な違和感があり、気になっていました。





本編の映像も、


どこかセンチメンタルかつナチュラルな感じで、


毎回、心に刺さるような言葉や場面があります。





撮影カメラマンがCMカメラマンで、


撮影方法も特殊と、ある番組で報道されており、


私はそういうことか、としっくりきました。





ドラマや映画を観る時、


ふとしたところで自分と重ねたりしますよね。


その回数が異常に多いのが、


「silent」と言うドラマです。





昨日もそう言うシーンがありました。

(以下ネタバレあり)





ヒロインの母親と、


病気で入院していた父親の話の中で、


「大変だからもう面会に来なくていいよ」


「迷惑かけたく無い」


と入院中の父親が母親に告げた昔話のシーン。





ヒロインの母親は、


「ぶっちゃけ、お父さんのために行ってたわけじゃ無いわけよ」


「自分がいたところで、何にもならないし」


「なんかあっても、ボタン押せば看護師さん来るし、私は何もできないし」


「いたくているだけなのにね、伝わんないよね、そういうの」


「自分が横にいて病気治るならね、そんな能力あったらとりあえずお父さんさっさと治してさ、全国の病院回るよね」


「そんな力ないのわかってるわけよ、ただ横にいたいって言うだけの自己満足なわけよ」


「大変だからって、迷惑かけるからって、それじゃ納得いかないよね」


共感度100%…


私はこころの中で、


いいね!ボタンを100回くらい押しました。





妻が急性期の時によく言われました。


「私と一緒にいると大変だから」


「私と一緒にいると迷惑がかかるから」


「私といると幸せになれないから」


「だからもう私と別れてもいいよ」


半分は本心で半分は嘘のこの言葉、


何十回も言われるので私はこう答えていました。


「大変とか迷惑とかはこっちが決めること」


「俺は一緒にいたいからいるだけ」


「別れたくなったら言うから気にしなくていいよ」


その場しのぎだったのか、


優しさだったのかも、


今となっては分かないのですが、


これがなかなか伝わらないのです、


そのままの意味なんですけどね。





ブログの本編でも、


こう言う会話が出てきた思いますが、


ドラマを観てあれで良かったのかもしれない、


そんな気持ちになりました。





そのシーンの後、


ヒロインが母親に、


彼氏の耳が聴こえないこと告げるシーン。


「で?お母さんにどうしろと?」


母に反対されるとかも、


と思っていたヒロインはえっ?という表情


「さっきも言ったけどお母さんには病気を治す力はないし、聴こえるようもしてあげられないし」


「お母さんがダメって言ったらダメなの?」


「やめなさいっていったら、やめるの?」


首を横に振るヒロイン


「じゃぁね、お母さん別に関係ないもん」


のくだりもすごく良かっです。


そのあと、


すぐお父さんとの惚気話に戻す間の取り方、


これは共感とかそういうのじゃなくて、


ただただ、構成なのか演技力なのか、


いいシーンだなと思いました。


話し方や仕草、


性格が母親からヒロインに受け継がれている感を、


あの短い章で感じさせるのは凄いと思いました。





もう一つ、


このドラマを観て感じてしまうことがあります。


これは、完全にエゴで、


今の経験がなかったら感じなかったと思いますし、


抱きたくはなかった感情です。


「手話でも伝える手段があっていいな」


耳が聴こえないことはとても辛いと思います、


当事者と関係者にしかわからない苦労や苦しみがあると思います。


それでも、ふとそう思ってしまうのは、


妻が急性期の時、


言葉じゃ何も伝わらない感覚が、


根強く残っているからだと思います。





幻聴と妄想で、


どんな手段を使っても、


どんな言葉を選んでも、


紙に書いても行動で示しても、


見えてるのに、聴こえてるのに伝わらない苦しみ。





ドラマの感想もここ最近で随分変わったなと、


しみじみ思います。いいんですけどね。


まだ終わってないですが、


間違いなく最近で1番好きなドラマです。






話は変わりますが「silent」の終盤に流れる


Official髭男dism の「subtitle」いいですよね。




歌詞が、悲しかった自分の過去に刺さります。


伝えたい、伝わらない、その不条理がいま、

キツく縛りつけるんだよ

そう。




救いたい=救われたい

そういうこと。




かけた言葉で 割れたヒビを直そうとして
足しすぎた熱量で 引かれてしまったカーテン
そんな失敗作を 重ねて 重ねて 重ねて
見つけたいんだいつか 最高の一言一句を


言葉選び、大事だったな。




って自分に重ねると、

悲しさと懐かしさが同時に湧いてきて、

心にに沁みます。




一つだけ、

正しさよりも優しさが欲しい

当時の私は、

優しさよりも正しさが欲しかったです。


「優しすぎるよ、もうそういうのやめてよ」

と泣かれ妄想が激しくなったことがあります。

あの頃は、何が正しいのか、何が正しかったのかと常々考えていました。

まぁ、この歌詞の意味とは少しずれてますね。





妻はこのドラマを観て、何を感じているのだろう。

私とはまた違う目線で見てるかもしれませんね。