-発症から6ヶ月後-
離婚届事件の後、
少し落ち着いたのか、
次の日私がソファーに座っていると、
でんぐり返しで体当たりをしてきました。
「なんか、どうでも良くなってきたぞ」
おそらく束の間の躁状態だったのですが、
半年近く姿を表さなかった元の妻が出てきた事が、
この上なく嬉しかったことを覚えています。
まだどこかに妻がいることに、
少し安心したのだと思います。
でもそれは本当に束の間の喜びで、
その後も、
陽性症状が容赦なく妻に襲いかかりました。
その頃は、
私が会社から帰るといつも、
幻聴と会話しているか、
幻聴の言葉を必死にメモしていました。
「旦那が働いているのにお前は怠けている」
「旦那に釣り合わない」
「掃除が下手くそ」
「料理が下手くそだから旦那が病気になる」
「お前は他の病気だ」
「ブス、デブ、整形しろ」
「お前が仕事しないから破産する」
「俺のことを旦那に言ったら殺す」
四六時中、こんな幻聴と闘っていたようです。
旦那に言ったら殺すと言われているせいで、
幻聴の内容をあまり私に話しませんでした。
幻聴の言葉をそのままリピートすることがあり、
その時初めて内容を知ることが多かったです。
四六時中の幻聴によるダメージは蓄積し、
1週間に1回は発狂して泣いていました。
そんな中でも、
1週間に数時間だけ、
元の妻の様になることはありました。
退院して3ヶ月経った頃、
私が会社から帰宅すると、
「今日、会社説明会に行ってきた」
「え?いきなりどうした?働くの?」
「1日中家におると批判されるし怖いから」
「まだ早い気がするけど…まず先生に相談しよう」
原因は幻聴だろうとわかっていました。
それにしてもすごい行動力…
幻聴も妄想もあり定期的にパニックを繰り返す中、
会社説明会を予約して面接に行く妻…
強迫観念だろうかと心配でした。
次の通院日に先生に尋ねると、
「少し早いけど、頑張ってみますか」
「ただ、条件は3時間以内、週3回までにしてください、少しでも嫌になったら辞めること、約束してくださいね」
と、意外にもあっさり容認した先生にびっくりしました。
当時の私の知識は、
統合失調症で、働ける人は20%程度
働けても再発して辞める人が多いというものでした。
先生は多少のリスクは容認するタイプで、
「色々経験する事で病識もでてきます」
とも言っていました。
しかし…
そのリスクを背負うのは私…
気が気ではありませんでした。
そして1週間後、
派遣社員として働くことになった妻。
時間は19時〜22時、週3回、景品の箱詰め作業
先生の言った条件を律儀に守った内容を、
よく探してきたなと思いました。
初出勤の日、
疲れ切った顔の妻が帰宅、
「なんとかできた…下手だけど…」
少しだけ嬉しそうに妻は言いました。
私の心配をよそに、
妻はこのタイミングから、働き続けます。
「働いてるとね、少し生きててもいい気がする」
「あなたといても許される気がする」
「存在価値があるように感じる」
希死念慮とは逆の、
そう言う妻の発言を聞いた私は、
そこに少しだけ希望を見いだすことにしました。
何もしないで変わらないままなら、
多少のリスクは度外視、
サポートに徹するのが自分の役割かもしれないと、
覚悟を決めました。
そこから数週間で、
案の定仕事の悩みが増えていったのですが、
その代わりと言ってもいいのか、
私が偽物という、
最もやっかいな妄想の1つが消えていきました。
現実的な悩みが、
非現実的な悩みを消した瞬間でした。
-現在- (発症から2年半後)
今日、妻は大腸の内視鏡検査です
以前健康診断で引っかかった便潜血の件です。
昨日は流動食のようなものだけで、
「腹減って死ぬぞ」
とか言っていましたが、
2年前の入院中はほぼ何も食べなかった妻。
検査日は朝6時から、
モビプレップという下剤を飲み続ける為、
「腹減ってやばいから眠く無いけど早く寝る」
「眠そうやけど」
「眠く無い、明日朝洗濯干す、おやすみ」
と言い、洗濯機の予約をしていました。
眠そうな妻は、思った通り速攻で寝ました。
そして私が1人の時間を楽しんでいると、
ヴィーン、ヴィーン、ジャバジャバジャバ…
「いや洗濯機回ってるやないかい!」
とりあえず乾燥機を出し部屋干しの準備。
妻が入院中以来でしたが、
洗濯物を干しながら改めて苦手だなと思いました。
毎日何も言わずに洗濯してくれているだけで、
私にとっては充分すぎるくらい、
存在価値がありますと言いたい
そう言えば、
ジェラートピケ福袋のメンズは無理でした
開始1分で売り切れって…
今は帰郷の時の菓子土産を悩んでいます
どなたかおすすめは無いでしょうか❓