これまで私は、自己肯定をするために、
「自分を褒める」ということをしてきました。
今日は部屋にこもらず、外に出て新鮮な空気を吸ったね、そんな私素敵!
前の私よりも、前向きになってきたね、成長だ!
今日は、あの人に「ありがとう」と言えたね、よくやったね!
小さな「できた」こと、
ちょっと頑張ったこと、
以前の自分と比べた変化、
そんなことに目を向けた「自分褒め」を、結構長い間やっていました。
当時の私にとっては、それが最善策。
やってないよりは、やっていた方が、
確かに気分は前向きになり、
自分に自信もついていったように思います。
そしてその後、さきこさんの「設定変更」を知ってから、
気付けば、自分を褒めることって、
すっかり、やらなくなっていました。
それは、「自分を褒める」必要性を感じなくなったから。
私が自分を褒めていた時、実はとても苦しかったんです。
「それって、なんでだろう?」
そんな疑問の答えが、さきこさんの、この記事(↓)にありました。
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それを無理やり男性性で「肯定!!」「丸をつける!!」と克服しようとしてるのが
みんなが勘違いしている「自己肯定」なんだよ。
勘違いしてるんだよ。
穴を塞いで足場を作ることが「肯定」じゃないんだよ。
「女である」ことに「肯定」も「丸つけ」も必要ないんだよ。
肯定しよう、丸つけしよう、としていること「そのもの」をまず疑わなくちゃ!
そうしようとしている限り「女とは克服しなくてはならない性」のままなんだよ。
男が言う「肯定」と女の「肯定」は全くの真逆だから!
(全文はこちら↓)
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「自分を褒める」って実は、
「自己否定している私はダメ!だから肯定しないと!」って、
「自己否定している自分」を否定している行為だった。
そしてそれは、
私の「そもそも」である「女性」というものを否定する行為。
だから苦しかった。
逆に言えば、私はずっと知っていたんです。
褒めるという行為が、自分に合っていなかったことを。
だからいつも「違和感」を感じていた。
私が、自分を褒めることが必要なくなったのは、
自然と自分を「肯定」できるようになったから。
それは、「自分を見ること」ただそれだけで♡
「自己否定する自分」までも「見る」
それが、「肯定」というものだと思いました。
自分のことを、頑張っていくつも褒めていたあの時より、
「自分を見る」だけの今の方が、
簡単に、あっという間に、自己肯定感が生まれ、
断然、自分にどっしりとした芯を感じています♡