春なのに~涙がこぼれます
春なのに 春なのに ため息また一つ。。。
画像の家は普通に建っているように見えますが
大きく手前に傾いていて屋根も壊れ
雨漏れがひどく天井が剥がれて垂れ下がり
室内はカビてすごいことになっています。
もう6月、季節は初夏ですが
振り返ってみると~
去年までウキウキしていた春ですが
今年はため息ばかりだった気がします。
いつも情報を共有させていただいている方の記事第2弾
能登半島地震発生から5か月 石川県輪島市出身のシナリオライターが見つめる“ふるさと”の今
石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さんは、発災から一日も休まず、現地ならではの情報や行政の情報をまとめ、X(旧・Twitter)で発信を続けています。
MRO北陸放送では、町野町を中心に被災者の声を藤本さんがまとめた記事を月に1度、NEWSDIGで配信しています。
今回は第2回、「明日が今日よりよくなりますように」で一日の投稿を締めくくる藤本さんの目には、今の町野町はどのように映っているのでしょうか。
輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透です。
私のふるさと、輪島市町野町は、輪島市の東側にあり、今回の地震の震源地・珠洲市と隣り合っています。町野町は、1956年に輪島市に編入されるまで、単独の町として存在していました。集落を中心として地域の人たちが助け合って暮らしている姿は、昔も今も変わりありません。私は、2歳から高校卒業まで、町野町で過ごしました。
輪島市町野町
〇復旧さえ、道半ば
地震発生から5か月がたち、日に日に報道が減ってきており、また、その内容も復興を扱うものが多くなりました。いち早く復興に向かわれる地域があること、そうした地域、企業、人が増えていくことは、とても有り難く喜ばしいことです。
そんな中で、いまだ避難生活が続く奥能登地区の今を、どうか知っていいただきたいと思っております。町野町は復興ではなく、復旧さえ道半ばにおります。
○新たに倒壊する家、危険と隣り合わせの通学路
5月中旬、町野小学校の通学路にある家屋が倒壊しました。以前から日に日に傾きが増して危険であることから、子どもたちに近づかないようにと呼びかけていた矢先のことでした。
この日、急遽緊急解体が入り、ブロック塀に乗っていた屋根などの撤去が行われ、ようやく安全の確保ができました。
今回は、人通りのない時間帯に倒壊したため、人的被害はありませんでしたが、5月の記事でもお伝えしたように、新たに倒壊する家は珍しくないのです。
緊急解体となった住宅
町野町においても公費解体に先駆け、危険な状態にある家屋の緊急解体が進められていますが、被害が甚大なため、まだ安心できるような状況にはありません。
被災家屋が建ち並ぶなかでの生活が日常になってしまっている今、特に小さなお子さまは、倒壊しかけた家屋にぬいぐるみを見つけて駆け寄ってしまうなど、危険な状態を正しく認知できない可能性もあり、今後一層の注意喚起の必要性を感じております。
○なかなか進まない片付け、6月からは、ごみ袋も有料袋に戻る
5月の記事で、「家の片付けを進めたくても、ボランティアに頼めない現実」を紹介させて頂きました。町野町は応急危険度判定で「赤」と判定されている家屋が多く、ほとんど自分たちだけで片付けを進めている状況です。
公費解体が決まったとはいえ、思い出の品や今後の生活に必要なものはできるだけ残したいと、家の片付けを進め続ける人たちの姿があります。
奥能登の家は、非常に大きく、一般的な民家でも都会の人が想像する民宿や料亭ほどの広さがあります。ボランティアの方にも頼めず、傾いた家の中で必要なものとそうでないものを分ける作業。本当は残しておきたいのに、保管場所の問題で残せないものも多くあります。
また、家が大きく傾いていることから、気分が悪くなり、作業時間が限られてしまうという問題や、家が倒壊するかもしれないという恐怖もあり、思うように片付けを進めることができないのです。
6月より輪島市の燃えるゴミは有料袋に戻ります。それまでには、と今日も片付けをされる方々の苦労は、はかりしれません。
久しぶりに自宅の片付けに入ったところ、野良猫やスズメ、イタチなどの野生生物が住み着いて留守番をしていたという話や、ツバメが戻って来て巣作りをしていたという話も聞かれるようになりました。
「留守番」という言葉選びに、能登の人らしい優しさと同時に、それだけ家が宝物であったということが伺えます。ツバメに関しても、石川県では、県全体で「ツバメ調査」が行われており、毎年5月になると戻ってくるツバメを楽しみに待っていたものでした。
○町野町、唯一のスーパー「もとやスーパー」
輪島市の水道復旧率は、5月20日の時点で約97.2%。個々の家庭での断水も少しずつ解消されてきましたが、下水道や浄化槽の問題はまだ残ったままです。
そんななか、町野町唯一のスーパー「もとやスーパー」さんに、4月26日、発災から初めての鮮魚が並びました。
お刺身はフクラギとヤナギバチメ、生魚はスルメイカとカワハギ。鮮魚の取扱では、水を多く使うことから、地もののお魚がお店に並ぶようになったのは、水道復旧のおかげです。
4月26日、もとやスーパーに発災後、初めて鮮魚が並ぶ
その後、もとやスーパーさんは、5月2日に初めてのお惣菜を再開しました。仮設住宅や避難所では滅多に食べることのできない揚げ物を中心に、震災前よりも品質を上げ、「全部絶品」という店長さんのお墨付きで販売し、お客様から好評を頂き、完売となりました。
もとやスーパーさんは、その後もお刺身や精肉を充実させ、お惣菜も数日置きだったものが5月下旬にはほぼ毎日の販売となるなど、町野町と近隣地域のみなさんの食事を支え続けています。5月24日には、冷蔵ケースを拡充してさらにお刺身や精肉などの食材の充実が進みました。
もとやスーパーに並んだ精肉(5月26日)
もとやスーパーに並んだおそうざい(5月26日)
今後、食中毒の問題などから避難所などに配布されているお弁当がなくなることから、もとやスーパーさんが担う役割はさらに大きくなっていくものと思います。
震災後、新たに作られたのぼり、「まちのまんなか もとやスーパー」「営業中」が、今日もお客様をお迎えしています。
まちのまんなか「もとやスーパー」のぼり
○「地域経済を回す」循環型支援
4月3日より、NPO法人リエラさん(大分県日田市)が、もとやスーパーさんで食材を調達した、炊き出し支援の取り組みをはじめてくださいました。
本来は能登町の古民家、能登屋(石川県鳳珠郡能登町小浦)を拠点に活動をされていらっしゃるのですが、町野町の現状を鑑みて、支援に動いてくださっています。
NPO法人リエラさんのご支援は、単なる炊き出しに留まらず、炊き出しの材料を現地で調達し、地域住民に還元するという「循環型炊き出し支援」を実践くださいました。
この循環型炊き出し支援は、温かい食事を提供するのみならず、①町野町唯一のスーパー「もとやスーパー」さんの在庫回転の後押し、②食事の支援だけでなく、みなさんの交流の場と機会を生み出しています。
具体的には、炊き出しのご支援の間に発生する、待ち時間や飲食の時間を地域の交流の場として機能させてくださり、地域コミュニティの新たな活性化のために、さまざまな工夫をしてくださっているのです。
これまでの炊き出しは、メニューは決められたもので、配布されるものを受け取るというものでしたが、そこから一歩踏み込んで、選べるメニューをご提案くださったことで、町野町のみなさんの食事に対する意識も大きく変わったように感じております。
また、循環型支援として、町野町にお心を寄せてくださるみなさまに呼びかけ、個人のみなさまのご支援と、もとやスーパーさんのご協力で、夏季限定の「アイスの差し入れ」を企画・実施しています。
地域循環型支援として、差し入れたアイス
たくさんの方のご支援のお陰で、これまでの第1回・第2回開催で、合計922個というたくさんのアイスを、町野町と近隣地域のみなさんに差し入れすることが出来ました。
○被災者の「口の健康」を守った歯科医師、「当時のことは、はっきり思い出せない部分も」
町野町で開業して42年、地域に親しまれていた「広江歯科」は、家屋と診療所が全壊し、避難生活を余儀なくされました。
一見無事に見えるが、全壊判定の歯科医院 提供:広江歯科医院院長
21日間に及ぶ避難所生活では、町野町ならではの助け合いを感じ、自分もなにかしなくてはと、いわい歯科クリニックの岩井先生とともに「お口の体操」や口腔ケアグッズコーナーを設けて「1日1回のブクブクうがいの励行」などの口腔ケアに取り組み、発災4日目からは訪問用機材を使い、義歯修理などを行っていました。
断水によって水がなく、飲み水にすら困る状況でしたが、マウスウォッシュを一口分だけ含み、小さな紙カップに吐き出し、それをティッシュで吸い取ってコップを使い回す――という工夫をしながら、口腔ケアを呼びかけました。
避難所では、エコノミークラス症候群を予防するため、JAのスタッフの方や有志の方がラジオ体操を行ってくださり、「お口の体操」もそれに続けて実施されました。
断水時でも、できる限りの口腔ケアを続けることで誤嚥性肺炎の予防に繋がればという思いがあったそうです。
当時のことをお聞きしましたが、「はっきりと思い出せない部分も多くあり、21日間風呂にも入らず、なにをしていたのだろう」と振り返っていらっしゃいました。
今は再建を目指して広域避難を続けています。二次避難が呼びかけられていた1月、「必ず能登に戻すから」という言葉を信じて、今の歩みは遅くとも再建の道を進んでいます。
○深緑の能登、青空を泳ぐ鯉のぼり
4月のおわり、こどもの日を前に、「能登鯉のぼりあつめ」をしませんか、と有志の方から呼びかけがありました。
4月の「町野町桜あつめ」「能登桜あつめ」というお花見の企画をX(旧Twitter)上で立ち上げたところ、多くの方に桜のお写真を届けて頂いたことを受けてのことでした。
形が変わってしまった窓岩を前に、元気いっぱいに泳ぐ鯉のぼりの写真や、町野小学校の校舎を背に泳ぐ鯉のぼり(震災復興子ども支援さん提供)をはじめ、珠洲の空を泳ぐ鯉のぼりの写真が多数寄せられました。
窓岩前の鯉のぼり 提供:能登の有志の方
町野小学校の鯉のぼり 提供:町野町の有志の方
私の実家もそうですが、各家庭に大きな鯉のぼりがあり、5月になるとゆったりと空を泳いでいたものです。
鯉のぼりが泳ぐ青空というのもまた、能登の景色のひとつなのだということを改めて感じました。
〇長期避難生活に疲れ、危険とわかっていても
季節は巡り、今は、田植えに向けての準備が進められています。田んぼに水を張り始めたというお話を、耳にするようになりました。
地震による地割れや傾きによる影響もまだまだ多くありますが、農作業を進めてくださっている方々のおかげで、今年も水田の風景が見られるのだと思うと、感謝の念に堪えません。
あたたかい季節になり、二次避難から戻られている方のお話を聞くようになりました。
ただ、仮設住宅はまだ希望者の数に達してはおらず、たとえば、みなし住宅に入られた方は、畑や田んぼで農作業をするために、半壊の家に戻っていらっしゃっている状況です。
どんなに不便であっても、故郷で過ごしたいという気持ちの方がどれほど多くいらっしゃることかと思うと、言葉になりません。
また、長期にわたる避難所生活から、ご自宅に戻られた方も非常に多くおられます。危険であるとわかっていても、家の中に居住スペースをどうにか作って過ごしている状況です。
5月末に完成した東大野の仮設住宅は、まちづくり型の木造住宅。6月の第1週からは入居が始まる予定です。たくさんの人が町野町に戻り、安全な家で新しいコミュニティを形成して過ごせるよう願うばかりです。
MRO北陸放送では、被災地の声を集め続ける藤本さんが見つめる被災地の現状をNEWS DIGで、毎月掲載します。
------------------------------------------------------------------------------------
藤本透
シナリオライター。アプリゲーム『ノラネコと恋の錬金術』メインシナリオライター。『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』、『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル2』のシナリオ執筆に携わるほか、様々なジャンルでの執筆を手がける。石川県輪島市町野町出身で、石川県を舞台に描かれたアニメ「花咲くいろは」の小説版を執筆。2024年1月1日の能登半島地震発生以降、SNSを通じてふるさとの情報を日々きめ細かく発信している。
もともと町野町は辺鄙なところ
発災後はそれをより強く感じるようになりました
輪島市でありながら国道が埋まったり崩落したりして
中心部への道がなくなり分断された状態が長く続いていました
(現在は仮設道路ができ迂回路経由で行き来できるようになった)
電波状態が良くない土地でほぼすべてがケーブルテレビ加入世帯
地震により設備が壊れ未だに地上波が見れない世帯が多い
今現在も続いています
これが地震から5ヶ月経った現状です!
そしてまた明日も解体予定の実家へ
最近は発災直後からせっせと蔵に運び入れたモノの見直し
混乱状態の中で両親が必要と思っていたモノ
今になって見ると何故こんなモノを必要と思った?
それが相当数あるんです(^_^;)
明日もがんばります(>_<)
(お借りしました)