あきらめていた妹の車救出! | KARA好き...そしてこれからも

KARA好き...そしてこれからも

KARAとAPRILはずっと一緒!
ずっと見守り応援します!!

令和6年能登半島地震が起きた1月1日以来

倒壊家屋に囲まれて動かすことができなかった妹の車

 

2024.1.3撮影

 

1階部分が崩落した手前の納屋に押しつぶされた軽トラ

奥に見えるのが1階部分が潰れた母屋

その間に見えるのライズが妹の車

 

隣の家も、その隣の家も、またその隣の家も

この反対側の家屋も倒壊して道を塞いでいます

この地域もひどい状態です

 

こんな状態だから妹は車が出せるのは何年先?

このまま置いといても税金かかるだけ

いっそのことナンバー切ってしまおうか。。。

そんな気持ちが強くなっていました

 

 

 

 

2024年

元日の15時くらいに妹夫婦と両親が母の実家に訪れていました

(空家になってて母が管理を任されている)

 

父と義弟は画像手前の納屋で除雪機のメンテナンス

母と妹は画像奥の母屋で所用をしていたとのこと

 

最初の揺れも大きかったのですが

昨年5月の珠洲を震源とする地震を体感していたので

さほどの驚きはなかったということだった

 

しかし。。。

 

16時10分ごろ 最大震度7の能登半島地震

 

下から突き上げる激しい衝撃と

そのあとに続く経験したことのない揺れに

これはただ事じゃないと察したとのこと!

 

納屋の中で四つん這いになって動けなくなっている父を

義弟がその体勢のまま外に引きずり出し

 

母屋では柱にしがみついて動けない母を

妹が外まで引きずり出したという

 

どちらも外に出て間髪入れずに建物が倒壊したらしい

年寄り二人を救ってくれて感謝(>_<)

 

 

父の軽トラが家屋の下敷きになったが

妹のライズは修理すれば乗れる状態だった。。。

 

が、しかしその場所からは出ることができない

車でそこまで行ったものの帰りに乗れる車はない

 

実家まで小一時間かけて歩いてきたらしいが。。。

 

同じ家の中にいて引きずり出された母は靴を履いていたが

妹は履き物が無かったとのこと

母を引きずり出すのが精一杯だったらしい

 

妹夫婦のおかげで両親は九死に一生を得た!

ありがとう!!ホントにありがとう!!!

 

その後実家まで歩く事になるのだが

流石に履き物無しでは歩けない

と思っていたところ母の実家のすぐ近くにある老人ホーム

その前を通ったら知り合いが声をかけてきたので

事情を話しホームのスリッパをもらった!

 

これでなんとかなると津波警報が出る中

行きにはなかった地割れだらけになった道を歩き

崖崩れで半分塞がり停電でよく見えないトンネルを通り

大きな段差ができた橋を渡り

大蛇がうねったように見えるヒビだらけの道を

一心不乱に歩き続けたと言ってました

 

実家近くの避難所で再会した時にはみんな涙目でした

生きてて良かった!

お互いに交わした第一声はそれでした。

 

その時妹は車から降ろしてあった自分の長靴を履いていた

聞けばスリッパでは歩けないから借りるねと!

 

暗闇迫る中歩いて帰るという

 

 

後日談だが

その日はあちこち大規模な土砂崩れありで道路が寸断

街灯もない暗闇を進むのは無理ということで

置いてきた車のところまで戻ってきたのが夜中の1時くらい

一睡もできず夜明かしして明るくなってから

約20km先の自宅を目指し歩いたという

 

明るくなってから見る光景はこの世のものとは思えず

 

あちこちで寸断された道を迂回して

土砂崩れを乗り越えたり田んぼ道を通ったり

海岸まで降りて昨日まで海の底だった岩場を歩き

空腹でクタクタになり体力の限界を超えて

歩道で大の字になって体を休め

そんな時に見上げる空がすごく綺麗な青空だったと

 

その先の道中もずっとサバイバルだったと

 

出発してから10時間後なんとかたどり着いたとのこと

 

そのあとの記憶はあまり無いと。。。

 

そうだろうね

ホントお疲れさまでした!

無事に帰れて良かった(>_<)

 

 

 

2月の第2週目

災害ボランティア団体のおかげで救出できると連絡が!

母の実家がある地区の区長さんと近所の車屋さん立会いのもと

倒壊家屋の下敷きになった軽トラを撤去し

瓦礫をどかしてライズが出せるようになったと!

たまたま携帯番号を知っていた車屋さんから父に連絡があった

 

そして元日から40日後

ホントにいい天気

 

屋根がペチャンコになった軽トラは

 

隣の倒壊家屋で行き止まりになった道路まで移動されていました

 

そして妹の車がなんとか出せる状態に!

見た瞬間ありがたくて涙が出ました

 

無事に救出できたライズは

 

この日の朝は寒くてまだ凍ってるライズ

(かわいそうなので傷が見えない角度で撮影)

 

損傷箇所は~

ボンネット、フェンダー、バンパーが凹み

ヘッドライトが割れ

Aピラー、フロントドア、ドアミラーが損傷

フロントガラスにも大きなヒビが入ってました

 

それでも乗って帰ることができる喜びは大きい

 

 

あとで知ったことだが。。。

助けてくれた災害ボランティアのNGO団体さんたちは

色々な形の支援をしているとのことで

潰れた家から大切なものを救出してもらった方がいたり

住宅修繕のお手伝いをしたり

炊き出しや足湯など避難所での活動もしていると

 

 

今日もニュースになっていました

>>

 

 

おかげで~

さだまさしと繋がった気がする←

 

 

被災したおかげで感謝する気持ちは前より強くなった気がする

 

 

両親は10日間ほどの避難所暮らしを経て

同じ市内の妹の家にお世話になってる

まだ水道は出ないのだが

それでも地元にいたいという意見を尊重したい

妹夫婦もいてくれて問題ないと言ってくれてる

ありがたい(>_<)

 

 

自分はというと。。。

元日から5日間の避難所生活を経て

6日に戻ってしばらくは給水所に通っていたが

今は居住地のライフラインも戻ってる

 

それ以来は休日になると実家に行って

使えそうなものを見つけたりして片付けしたり

 

地元の被災者に伝えたい情報を収集して

SNSで繋がった地元出身の方と情報共有してる

 

日々更新される情報を毎日追いながら

 

ときどき推しのSNSを覗いたりして息抜きもしてる!

 

以前とは違う生活パターンになったけど

 

またいつかKARA漬けの毎日になりたいと思ってる!

 

 

地震の前ブログ >>