義を貫くことを誇りとする | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


6月上旬、ある方(Mさんとします)とサシ飲みをしました。この方は僕から見ると「スーパーティーチャー」授業や学級経営のエキスパートです。

本も何冊も出されていて、メディア出演もされています。けれど僕とサシ飲みをされるくらいですから、謙虚な方だということはお分かりのことと思います(笑)


Mさんとお話をしている中で「僕は有名でもないし、力があるとは言えないけれど、自分の生き方は間違っていなかったな〜」と思うことがあったので、今回記事にしてみました。


僕個人の話なので、誰かのお役に立つ内容ではありません。そんな考え方もあるのかと思っていただけたら幸いです。



僕は、自他共に認める正直者です。誤魔化すことや嘘が苦手。物事を真っ直ぐに見つめたいタイプです。

思い起こしてみれば、これは幼少期から全く変わっていません。曲がったことが大嫌い。自分が正しいと思うことを行っていないともやもやしてしまいます。そしてそれをはっきりさせないと気が済まない性格なのです。


この性格のお陰で、自分を取り繕うこともできず、一般的に見て損することも多くありました。出世とは程遠いところにその身を置いています。


けれど僕はそんな自分を嫌いではありません。一般的な価値基準からすると損をすることは多いですが、人生として損をしているとは全く思っていません。むしろ僕は、恵まれた人生を歩めていると考えています。



それはなぜか?僕が「義を大切にする」人だからだと思い至りました。


僕は真っ直ぐに物事を見つめようとします。「本質の追究者」と名乗っているくらいですから、物事の本質を捉えようと日々精進しています。


けれど先日の飲み会で分かったことですが、意外と僕みたいなタイプは少ないのかな、と思いました。

と言うのも本を出されたり、講演会をされたりするレベルの先生たちの中には、不誠実な人も多くいることが分かったからです。


Mさんは数多くの授業や人を見て来られました。その中で著名な人も多く見てきたそうです。


本に書いてあることと実際にやっていることが異なる。
「褒めること」を謳っているのに、結構叱りつける場面が多い。
自由進度学習を推奨しているけれど、授業中好き勝手なことをしている児童もかなりいる。
有名であることを笠に着て、後輩に高圧的に接する。
本の中に書いてはならないことを書いてしまう。

など様々な問題点を指摘されていました。


僕はMさんに聞きました。
「本を書いてしまうと、(色眼鏡で見られて)結構大変になるのではないですか?」と。

するとMさんは「その通りです。だから僕は自分がやったことややれることしか書かないのですよ。」と答えられました。「なるほど、だからMさんからは嘘の匂いがしてこないのか。」と思いました。



僕は、本を出している先生はすごい先生なのだと思っていました。けれど中には理想論ばかりを書いていて、実際の行動が伴わない人もいることを知りました。僕はそのような人は、義を欠いていると判断します。



それに比べたら、僕は義を貫くことに関してその先生たちより優れています。有名でもないし、実績もまるでないけれど、義だけは欠かしたことがありません。


僕が語る言葉や普段の行動は、自分が本当に思ったことや正しいと思ったことしかありません。何かの借り物ではないのです。だからきっと読者の方々には「嘘がない人」と映っているのではないかと思います。


では、義を貫くことの良さや特徴というのはどこにあるのか、僕なりに考えてみたことを箇条書きしてみます。


1.信用される
これが一番です。人に信じてもらいやすくなります。裏表がないので、安心感をもたれるように思います。


2.本質を見つめる
誤魔化すことやかわすことなど、物事を斜に見るのではなく、真正面から見つめます。

すると物事の本質が見えてくるような感覚になります。世の中に溢れる体のよい言葉に惑わされることなく、本当に大切なことは何かを探し続けます。


3.言葉が届く
僕は義をもってコメント等をします。自分が思ったこと感じたことを率直に伝えます。

不思議なもので、このようにするとその言葉に力が乗る感じになります。力の乗った言葉は相手に届きやすいです。

逆を言えば、このようなタイプが苦手な人には鋭いナイフのような切れ味の言葉になるので、好まれないことも多いです。


4.潔くなる
僕は物事をスパッと切ります。自分にとって良い悪いの判断を素早くします。

昔、とある所属自治体の算数の研究授業を受けたことがあります。

その協議会では、授業への批判的なコメントも多く見られました。僕はそのコメントに対して「いや、僕はそう思わないです。これこれこういう意図があってやりました。」といった対応をしました。すると最後に、その研究会の重鎮の方から「カミーさんは武士のような人ですね」と言われました。


それがどの部分から出た言葉なのか、そして好意的な意味だったのかは分かりませんでしたが、僕はその言葉に感激したのでした。なぜなら僕が目指している境地の1つが武士の境地だからです。


義を大事にした武士。それに似たように感じられたということは、そこに一歩近づけたのかな、と考えたのでした。


良いものは良い。ダメなものはダメ。そして自分が必要だと思えなかったら必要なくて、他の人が必要ないと思っていても自分が必要だったら必要なのです。そこに他者の判断基準を持ち込みません。


ただ1つ加えると、独善的というわけではありません。自分にとっても「周りにとっても」良いものを良いと言っているつもりでいます。



潔さは、自分の判断を的確に行うために大切です。


5.引き寄せる
義を貫いていると、義を大切にする人が集まってきます。それは僕にとっては非常に居心地の良い空間となります。


不誠実な人のところには不誠実な人が集まります。僕の周りに義をもった人たちがいるのは、僕に義があるからだと考えています。


6.運が良くなる
これは思い込みでしかありませんが、義を貫いていると運が良くなるように感じます。

「お天道様が見ているよ」

という今や死語にもなりつつあるものですが、僕はこれが本質だと思っています。

神様が見ているのです。そして神様は義を貫く者の味方をしてくれると思います。






まだまだ考えれば出てきそうですが、長くなるのでここまでにします。


持続可能な社会を築くためには、細く長く活動を続ける必要があります。そのために、義を貫くことは不可欠なことだと考えます。

なぜなら「不誠実な人は結局残らない」という事実をたくさん目の当たりにしてきたからです。人から嫌われている人、自分勝手な人、傲慢な人、そうやって周りに悪影響を与える人は、一時有名になったり栄えたりしたとしても、最後には落ちぶれていきます。


盛者必衰の理ですね。

一方、義を貫くことは一時損な人生を送っているように見えても、必ず復興させる力になると僕は思います。


義を貫くこと。これを誇りとしてこれからも生きていきたいです。


最後までお読みくださりありがとうございました。