僕が教室で個性尊重を訴えない理由 | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


前回のブログを書いてみて、新たな気づきがあったので記します。


前回、世界からの押し返しについて記しました。その過程で僕は「和して自分」というスタンスが大切だと書きました。

これは、まず社会がある。そこに自分をアジャストさせる。それから個性を発揮する。このように、段階を踏む必要があるということを示したものです。


社会では、初めから個性を認められるわけではなく、社会にある程度自分をアジャストさせていく必要があると僕は考えています。


この考え方がベースにあるので、僕は教室で個性尊重を訴えることはほとんどありません。なぜなら個性尊重を訴えると「勘違いする人」が必ず出てくるからです。



逆説的ですが、僕は個性尊重を旨としています。社会の中で最も生きやすいのは、個性が尊重された状態にあると考えるからです。


しかしこれは一人一人の要求に応えることとはまるで意味が異なります。世の中の愚か者は、「人は生まれながらに人権があり、一人一人が大切にされなければならない」という言葉をそのまま受け止めて、「自分の話を全ての人が聞かなければならない」と誤って解釈してしまいます。


僕が愚か者と断言している理由を簡単に説明します。


もしその愚か者の意見を聞かなければならなくなった時、その意見によって他者に不利益や不都合が起こる可能性が高まります。もし他者にそのようなことが起こったならば、その人の人権が守られなくなるのです。


全ての人には人権があり、一人一人大切にされる前提ならば、一人の主張によって他者の人権が蔑ろにされることの理屈が合わなくなります。


こんな簡単な仕組みに思いを巡らせることもなく、自分の主張ばかりを繰り返す愚か者を、個性尊重を訴えることで醸成させてしまい兼ねなくなるのです。これが僕が教室で個性尊重を訴えない理由です。


それともう一つ理由があります。

教室の中に個性尊重の雰囲気ができるのは、互いの自由を認め合い、一人一人が大切にされている時だけです。つまり「自由の相互承認」や「相互尊重」の形が整った状態です。これは人間関係における最上位の形であり、理想的なものです。


だから僕は、心の中では個性尊重を求めてはいるものの、教室では個性尊重を謳いません。「簡単に言葉にできるものではない」からです。




教員の中には、軽々しく「個性を大切にします」などと言う人がいます。そしてそれを真に受けて、自分が特別な存在だと勘違いする保護者や子供も出てきます。これは適正な学級運営をするための害毒にしかなり得ません。


簡単に言葉を使うな。そして綺麗事を並べ立てるのであれば、その言葉の定義をはっきりさせておけよ。と僕は思います。



個性尊重を訴えると、わがままな子供が増えます。と言うより、わがままな子供を適切に指導できなくなると言った方がよいかもしれません。わがままが出ても「個性を大切にすると言ったわけだし、これも個性のうち」などと考えて「叱れない」ケースが増えるからです。


授業中の不規則発言。4年生の社会科で「水はどこからやってきて、どこに向かうでしょう?」と質問した時に、「水は水道から出て、体の中に入っていきます。」などと答えたら、どう思いますか?

それを個性尊重教師は「あなたはおもしろい考え方をしますね。確かにその通りです。はい、Aさんに拍手〜」などとするのです。バカですか!?と思います。


社会の教科書を目の前にして、水源林やダム、浄水場などが描いてある図のページを開かせておいてこの質問をしたら、上記の発言はふざけているあるいは明確な間違いです。


間違いを指摘せずに、発言したことを褒める今の風潮、僕は狂っていると思います。



おそらく、声に出さなくても僕と同じように考える保護者も結構たくさんいらっしゃるはずです。そして賢い保護者ほど声を上げない傾向にあるわけです。


だから愚か者が幅を利かせる社会ができます。僕はそんな社会を絶対に築きたくないのです。


今僕にできるささやかな行動は、せめて僕のクラスや学年だけでも愚か者に幅を利かせることのないようにすることです。具体的に言えば「ダメなものはダメ、良いものは良い」と価値付けして伝えることです。


僕は、叱る褒めるという手段を使って子供たちにその価値づけを行っています。『「叱らない」〜』という本が僕のバイブルになったのは、そんな自分を肯定してくれていると感じるからです。


嘘っぽい理想論を語る人を信用してはなりません。言葉は誰でも簡単に取り繕うことができます。大切なことは「中身」です。つまり行動です。


もしあなたの知り合いの中に教員がいたら、その人がどのようなタイプなのかを見てみてください。理想を語るが実がない人か、理想を口にするわけではないけれど子供たちが生き生きとしたクラスづくりをできている人か。オススメするのは後者です。


僕のような人の方が、本当の意味で言葉を大切にしていると思いませんか?



最後までお読みくださりありがとうございました。