守破離の守とわがままの境界線 | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊キョウイクの探究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


多くの子供たちと接してきて、「なんでこんなこと分からんのかなー?」と思うことを数多く経験してきました。

そして出した結論。

「初期段階で素直さがなければ、その後伸びない」

ということでした。


守破離という言葉をご存知でしょうか?何かを身に付けるためのステップについて示された言葉なのですが、今日はこの最初である「守」の段階に目を向けてみました。


昔、柔道界のレジェンドである谷亮子さん(旧姓、田村亮子さん、通称柔ちゃん)のパーソナルトレーナーをされていたという方のお話を伺ったことがあります。その方のお話の中で最も心に残った言葉があります。その言葉とは

「亮子はね、これをやった方がいいと言うと即『これをやった方が強くなるんですね』と言ってやったんだよ。」

というものでした。柔ちゃんは、世界トップアスリートのお一人です。自分以外の人は、自分よりも柔道の技能においては下にいます。そういった人が、パーソナルトレーナーの言ったことを素直に聞いて、すぐに行動に移していたそうです。

その方は「亮子の強さはこの素直さだった。」とおっしゃっていました。


僕はそれを聞いていたく感動しました。そして「そうか。世界の超一流の人は素直なんだ。」と心に刻まれたのでした。



柔ちゃんは柔道界では、もはや「離」の位置に立つような存在です。けれど彼女は、常に「守」の部分を内包していたのだと考えられます。



守は、型を学ぶ段階です。何事も最初はどのようにしてよいのか分かりません。先人に教わって初めてできるようになります。


最初は何も教わらずにやってみることも大切です。自分でやってみて、どのようにしたらよいのか分からなくなったら、人に教えてもらうことが効果的だと思うからです。

ただ中には、いつまで経っても「人に聞く」「人から学ぶ」ことをしない人がいます。何のプライドなのか知りませんが、頑固にそこを拒絶している人は、明らかに成長が緩やかになります。はっきり言えば、伸びません。


反対に、ぐんぐん伸びていく人がいます。その人はとにかく素直に話を聞いてやってみる人です。言われたことをそのままやってみるわけです。


守の段階で「型」を学ぶと、いずれ手放しでもできるようになります。そこでようやく「破」の段階に行けるようになるのです。

でも後に伸び悩む人は、守の段階をすっ飛ばして、破や離に向かおうとします。

「オレはこのやり方で生きてきたんだ。」

と、意固地になって成長を止めてしまう人が出てくるわけです。


守の段階は、地味で時間がかかるため、面倒くさく面白くないことが多いです。これをコツコツできるかそうでないかによって、一流かそうでないかに分かれます。

今年の箱根駅伝でも優勝した、青山学院大学の陸上部では、原監督は選手をスカウトする時に、ある基準をもっているそうです。その基準とは「性格の良い子」を選ぶということです。


性格が良いというのを、僕はイコール「素直な子」だと捉えています。素直な人は、どこに行っても愛されますし、仕事を覚えるにしても、協働するにしてもメリットしかありません。企業が雇いたい人の必須条件にもなり得るのではないでしょうか。


なぜ素直が良いのかというと、伸び代を大いに感じられるからです。素直な人は、「守」の部分をコツコツとできる人が多いです。今はそれほどの力がなくても、後でぐんと伸びる可能性を秘めています。


逆に、素直でない人はデメリットを多く享受することになるでしょう。


目上の人から可愛がられることもなく、人が厚意で教えてくれたことを拒否するわけですから、どんどん周りから人が離れていきます。素直でないということは、人から愛されにくくなるということです。



今日は、「守破離の守とわがままの境界線」というタイトルで記事を書いていますが、その境界線は何かというと、何回も書いていますが

「素直さがあるかどうか」

に尽きます。


そう考えてみると、小学生というのは発達段階的にも「守」のレベルにいるのだと痛感します。


僕は、子供たちの自立を目指して教育活動を行っていますが、これは教えることをしないで、子供たちに活動主体にさせるという意味ではありません。むしろ僕はここ数年、がっつりと教えることは教えています。そしてそれを守るように子供たちに伝えています。



例えば、交通安全指導の際、「信号を守りなさい」と伝えます。僕は個人的には車の全く通らないところで信号を待つのは馬鹿らしいと考えていますが、小学生には守るようにと伝えています。


それは、自分で判断する力が備わり切っていないからです。まだ初心者や初級者の段階にある子供に「自分で判断しなさい」と言うことは無責任なことです。


そもそも、それに対する知識も経験も少ないのに、的確に考えることなんてできるわけがないのです。そういった子供たちには、まず教える。そしてそれをそのままやらせることが大切なことになります。


ほとんどの子供は、こういった指示や助言に耳を傾けます。そして型にはまった状態で、知識や経験を増やしていくわけです。


しかし中には、自己流にこだわって自分勝手な判断で行動する子もいます。そして多くの場合、たくさんの失敗をします。


自己流にこだわる子は、失敗から学んでいく方がよいと思います。でもその道は、かなり険しいものだと覚悟する必要があります。



今の教育システムや多くの人のマインドセットの中では、素直でない人はかなり生きづらいように思います。


やはり「守」から入る。その方が合理的なのではないかと考えます。


小学校で習うようなことは、常識的なものばかりです。この知識がなければ社会生活を送ることは難しいのではないかと思うようなものばかりです。

つまり「学ばねばならないもの」です。


そう考えると、得意だとか苦手だとか考える前に、「半強制的にでもやるもの」にする必要があると思います。


学校の勉強なんてできなくても生きていける。そういう声が時々聞こえてきます。確かにそう思うこともあります。


でもそういう人は気がついた方がいいです。それを面倒くさがったり嫌がったりすることで、今後の生き方が左右されてしまうということに。


守の段階では、面倒でも、大変でも、苦手でもやるのです。そういった辛抱する力が備えられなければ、今後何をやっても上手くいかないと僕は考えます。


一足飛びに、「破」や「離」には行き着きません。「守」を徹底することによってようやく積み上げられるのです。


「やらなくてもいい」という言葉は甘美ですが、それは後々毒になることもあることを自覚した方がよいと僕は考えます。


わがままになるのは、ずっと先で良いと、僕は思うのです。

最後までお読みくださりありがとうございました。