いつもお読みいただきありがとうございます😊キョウイクの探究者の武井義勇(たけいきゆう)です。
前回、『守破離の守とわがままの境界線』という記事を書きました。今日はこの続きです。
小学校教員を17年も続けていると、1年生から6年生までの学習の系統性がある程度見えてきます。
すると、「これを外すと、後々苦労することになる」学習内容というものが分かります。僕はその学習単元が出てきた時に鬼になります。
どのような鬼かというと
「問答無用の鬼」
です。
もうね、周りくどい言い方を一切しません。とにかく「やれ!」と命じます。
この最たるものが、2年生の算数で習うかけ算九九です。はっきり言いますが、これを怠った者は、小学校時代の算数の全てが苦痛になることを覚悟する必要があります。
発達障害だからとか、家庭的に恵まれていないからとか、やる気が起きないからとか、そんな理由は聞き入れません。とにかくやるしかないんです。覚えてなかったら覚えるまでやり続けるのです。かけ算九九を呪文のように唱えられるようにします。
国語で言えば、ひらがな・カタカナ・漢字を覚えるのも問答無用です。これはディスレクシアなどの障害もあるので一概には言えませんが、苦手程度であれば、死に物狂いで覚えよ!と思います。
なぜここまで、僕が問答無用でやらせようとするのかを考えてみました。それは、多くの人にとって学校が1日の大半の時間を過ごす場所だからです。
現行の日本の教育の仕組みの中では、学校に行かざるを得ないのが現状です。義務教育は保護者に対する義務ですが、これはほぼイコール、子供を学校を通わせることに繋がっています。多くの場合子供は、学校に半強制的に通うことになります。
そうであるならば、ここで生き残るためにアジャストする必要があると考えるのです。
1日6時間から7時間、週に5日間学校で過ごすことになっています。この場を楽しいものにするのか、苦痛の場にするのかは、その子自身にかかっています。
そしてこの時間のほとんどを授業に使っています。その授業では「読み・書き・計算」が必要不可欠です。
この基礎となるスキルを、「やりたくないからやらない」を選択するとどうなるのか?言わずもがな、学校にいる時間が苦痛のものとなります。不登校の原因にもなるわけです。
ちなみに僕は、不登校を悪だと考えていません。ただ僕が言いたいのは、現行の日本の仕組みの中では、学校生活にアジャストする方がストレスが少なくて済むと考えているだけです。
九九や字を覚えることは、スポーツで言えば基礎中の基礎です。
例えば、バスケットボールを習っている子がいたとします。ではこの子が、ドリブルが一切できなかったらどうなるでしょう?全く話にならないのが分かりますよね。
サッカーを習っている子が、ボールを蹴ることができずずっとドリブルだけをしているとしたら?
水泳を習っている子が、水が怖くて顔をつけられないとしたら?
バドミントンを始めた子が、ガット(羽を打つところ)に羽が全然当たらないとしたら?
何しに来てるん?となるのは想像できるでしょう。
バスケをやっている子がどんなにシュートが上手くても、サッカーをやっている子がどんなにトラップが上手くても、水泳を習っている子がどんなにバタ足が上手くても、バドミントンを習っている子が素振りがどんなに上手くても、ドリブル、シュート、潜る、ラケットに羽を当てることができなかったらお話にならないのです。
僕が問答無用の鬼になるのは、座学で言うところのこのような技能だということです。
とは言え、そんなことは子供たちには分かりません。今習っていることが将来に繋がるかどうかなんて、見通しがもてないわけです。
だったら、です。
まず、言われたことを素直にやってみて、と思うわけです。お前の言うことは聞けないというのであれば、他の人が同じように言っていることはないかと確かめてみるべきです。他の人が同じように言っていることは、それが大事だという証拠だからです。
芸能界等を見ると、学生時代にほとんど勉強ができなかった人がたくさんいます。それをネタにして、「私は学校にほとんど行ってなかったけれど、芸能界で上手くやれている。」と発言されることもあります。
確かに勉強が全てではありませんし、勉強することが成功を約束することでもありません。でも勉強ができなくて、世の中から弾かれてしまっている人も世の中にはその何十倍何百倍もいるのも事実です。
ほんの一握りの成功体験を信じて、努力を怠るようだと、僕は結局生きづらさを抱えていくのでないかと考えます。
だから僕は、大切だと思うことを問答無用でやらせます。僕は自分が関わった子供たちの人生を、生きづらいものにしたくないのです。
僕のことを怖いと言う子もいますし、厳しいとクレームを言ってくる保護者もいます。実際そうだと思います。
では、その人たちは自分の人生の責任を自分でとってくれるのですよね?僕が怖かろうが厳しかろうが関係ありません。あなたはあなたの人生の主導権を握って生きていくのですよね?
僕は、問答無用にやることが大切だと考えて、僕の責任の範疇で行動しています。それが気に入らないのであれば、自分が自分の責任の中でできることをすればよいと考えます。
僕は宿題をたくさん出す時もあります。それを多いと思うならば、やらなくてもよいと思います。僕は特に何も言いませんので。宿題をやるかどうかを決めるのは、僕ではなく本人です。
こういったことを肚に落とし込んでおく必要があると思います。
今の時代、ホワイトな雰囲気が広がって、ほぼ全ての選択権をそれぞれに与えられています。自由を享受しています。
しかし実は自由というのは恐いものでもあります。正解がない答えを求め続けるというのは、不安との闘いを強いられるということです。
この時「楽」を選択し続けると、後々になって取り返しのつかない事態に巻き込まれることにもなりかねません。
実は今の時代、「外圧」も重要になってきています。要するに、バランスが大切だということです。
だから僕は、今の時代だからこそ、自分が問答無用の鬼として外圧をかけていきたいと考えているのです。
最後までお読みくださりありがとうございました。