Murphy's Blog -4ページ目

山崎貴監督おめでとうございます!


 

ゴジラ-1.0で、第96回アカデミー賞視覚効果賞受賞!本当におめでとうございます!

でも個人的には、この吉報を聞いて思い出すのは映画「ALWAYS 三丁目の夕日」なのだ。というかその、長い1カットのオープニング。ここにこそ、山崎監督の心意気が詰まっていると思ったのだ。

東宝のロゴがラジオに切り替わり、そこから長いカットが始まる。

どんどんカメラがバックしていき、鈴木オートの引き戸を通り抜けて外へ出る。これはメディアで観たが、当時やはりこれはロバート・ゼメキス監督の「コンタクト」を思い出した。お、やってるな(ニヤ)。

しかしこの後、一旦カメラは帰って来る子どもたちを捉え、その子どもたちに今カメラが通り抜けた(つまりはCGだと思った)引き戸を開けさせる!

そして母役の薬師丸ひろ子とのテレビのくだりがあり、子どもたちはヒコーキを飛ばそうと外へ行く。

ここからカメラはヒコーキを追い始め、

空を舞い、路地へ降りてくる。

そしてヒコーキを追いかけてきた子どもたちに導かれ、電車の通る大通りへ。

遠くに建設中の東京タワーが見える。

ここまで観たとき、自分は知らず涙を流していた。それは監督の大きな心意気を感じたから。ヒコーキが舞うのは、これもゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ」を思い出した。あれは白い羽根が舞うカットが話題になっていた。

このながいワンカットは、単に真似やオマージュを超えて、むしろ挑戦状なのだと感じられたのだ。心意気を感じたとはそういう意味だ。だからこそ泣けてしまったのだ。

もちろん山崎監督はこれがスタートではないし、常に挑んできたんだろうと思う。ゴジラ-1.0 でオスカーという快挙を成し遂げた今、この挑戦が大きな実を結んだのだと感じずにはおれない。

改めて、心より、おめでとうございます。

ほかげ 監督舞台挨拶


地元映画館に塚本晋也監督が舞台挨拶に来られるということで上映も含め見に行きました。

戦後の混乱期、半焼けになった居酒屋で商売している趣里さん演じる女と、森山未來演じる復員兵、店に居着いてしまう子供がメインで登場人物も少なく小さな作りではありますが、戦争の悲惨さ、その傷跡を感じさせる素晴らしい映画でした。

もともと「野火」の後に、「闇市企画」として大きな規模の映画を構想されていたのが、コロナもあり実現できず、それならいっそ小さくしようと作られたそうです。

冒頭、音の演出がつけられていて、「野火」を思い出しつつも、見ていくにつれ、これは想像力を使わないといけない映画なのだなとわかってきました。登場人物だれもが戦争を影を引きずっていますが、直接的な描写はいっさいなく、観客は脳内で想像するしかないのですが、十分悲惨さを突きつけられます。それを表現する役者さんもさすがです。

この大人二人と子供一人という設定や話の内容もどれもが効果的で流石は塚本監督と思いました。観客とのQ&Aでもいろいろ資料にあたったりそれを元に考えたりと緻密に組み立てられていることを感じました。

私は見ていて、この大人二人の背中が妙に印象に残りました。それは子供が配されていたからこそかもしれません。考えてみれば、やはり子供は大人の背中を見るものだろうし、子供は大人二人の目撃者役でもあるわけです。彼がそこから何を受け取ったのかはわからないけど、最後の子供行動に感動させられるのは、やはり希望を見たいと思ってしまうからだろうと思うのですね。

ラストもある映画を思い出させて秀逸と思いました。

作りは小さくても、こちらに渡されるものはけして小さくない映画でした。

ネットワークプレーヤー2修理編


ということでコンデンサが怪しいとなったプレーヤー。秋月電子でニチコンのオーディオグレード1000uF25Vを注文。数があまりないそうで一個づつの注文にしてくれと。まだ電子部品不足をひきずってるのでしょうかね。

ともかく、3日ほどで届きました。

金色でカッコいい。

で基板を外します。

コネクタとネジを外します。背面の接続端子部分にも結構ネジが使われているのでなかなか外すのが大変。無事はずせました。

やはり膨らんでいる・・・

裏返して、ハンダゴテで溶かしはんだ吸い取り機で吸い取ります。GND側はやはりちょっと溶けづらい。

はんだ作業は両手を使うので写真はありません。

25V品なのでデカい。外したやつと並べたところ。

ちょっと手こずりましたが無事交換完了。

組み立て直して電源をつなぎます。

LEDがついた!初めはつきませんでしたがコネクタが一つキチンと刺さっておらず。差し直したら点きました。電源ボタンを押すと・・・

キター。というわけで修理完了。

この写真の上側がアナログ出力基板ですね。ディスクリートやん。

全体に造りがしっかりしてる感じがします。ネジも多めな気がします。ところどころ銅製のネジが使われてたり、ケーブルもちゃんと縛ってあったり、フラットケーブルにフェライトコアが付けてあったり、やはり音質重視なんでしょうね。

カバーを戻して繋ぎ直し、ちゃんと音が出ました。めでたしめでたし。

コンデンサ1個で電源入らなくなるんですね、ってどこかのブログでも書かれてましたが。電源ボタン押しても反応がなくなった時はちと焦りましたが、ヨカッたー。

ネットワークプレーヤーが!


ヤフオクで買ったマランツのネットワークプレーヤーNA7004を使っていますが、突然電源が入らなくなりました。

とりあえず開けてみたものの見ただけではわからん・・・が、ネットで検索してみると、あるある。

どうやら中華製コンデンサが怪しい模様。

この写真ではわかりにくいですが、確かに頭がふくらんでるっぽい。ということで手持ちに良さそうなのがないのでこの後買ってきます。

これで治ればいいのですが。

以下次号!(雑誌じゃないぞw)

ゴジラ-1.0


*この投稿はゴジラ-1.0のネタバレを含みます。読む際はご注意ください。

はじめに、個人的には大満足の映画でした。確かにつっこみどころはあるかもしれないが、それを補って余りある映画と思います。

SNSで神木隆之介演じる主人公のことを「覚悟はあったが死ねなかった」特攻崩れ、と書いていたのが気になって、そこから考えたのが以下です。ネタバレになるのでご注意を。

確かに特攻崩れではあるけど、「覚悟はあった」のか?私はなかったと受け取ります。なぜなら、親から「生きて帰ってこい」という手紙を受け取っていて、しかも戦闘機が故障したと偽って大戸島に不時着したんですから。よく言えば、親孝行したくて嘘をついたわけです。しかしそこにゴジラが上陸し、整備兵たちが死んでしまう。しかし彼は生き残る。望みは叶うが、心に傷を負ってしまうわけですね。素直に帰っていいのかと。

「お前が撃たなかったから」と責められるわけですが、後のゴジラを回復力を見たら、ほんとにそうだったかは怪しい気はします。むしろ撃たなかったから生き残ったのかも。その方が皮肉が効いてます。結局、死と対峙する覚悟がなかったから撃てなかった、その結果生き残った。

しかし、したいときに親は無し、そして世間代表の安藤サクラからも責められ、ますますこれでよかったのか、になっていく。それを承認(許)すべき存在としての浜辺美波と子供が登場するわけですが、おいそれとは心の傷は癒えはしないわけです。

しかし、「もう死んでるんじゃないか?」と取り乱す彼をなだめる女の気持ちに触れ、「もういいだろう。もう一度ちゃんと生きてみたい」となったときにまたゴジラが現れる。そしてその女性に生かされ、彼女は消える。

そこでヤケになって特攻を目指す。自分を生かしてくれた女を亡くして、死と向き合う覚悟ができた、という流れですが、大事な人を亡くしたから自分も死んでも構わない、というのが本当にそれでいいのか?という問いかけに思えます。いや生きろよ、なわけです。

さらには、置いて行かれた小僧が船団を連れて駆けつける、まるでクリストファー・ノーランの「ダンケルク」のシーンですが、この映画もいかに多くの兵士を「生きて」帰すか、に貢献したのは船で駆けつけた一般人だったという話ですから、自分は「おおー」と膝を打ちました。

結局、自分を責めるはずの相手から「生きろ」と言われ、自分で「脱出」を選択する。親に言われて「帰る」くらいだったところから「生きるぞ!」になるまでの話なわけですが、最後の海に沈むゴジラと、あのうなじのショットが、不穏さを醸し出している。いつまたゴジラが復活するかもしれないという、これは我々への警鐘でしょうか。

戦後の復興を引っ張った人たちは結局は「生き残った」人たちでしかないわけで、「おめおめと生きて帰ってきやがって」なんて言われるのはどうなんだろう。いろいろ思いはあるだろうけど、本当に死なないまでも「死んでもいい・命懸けで」と思えることを求めていたのかもしれないなと、見終えて思ったのでした。

マスクによる認知能力の低下?

https://www.pnas.org/doi/abs/10.1073/pnas.2206528119

の記事がネットで話題になっていた。試しにGoogle翻訳にかけた内容をあげるが、そもそもチェスプレイヤーでの調査結果だし、その影響は限定的で4時間経つと測定可能な不利益はないと書かれている。例によって反マスクの騒ぎすぎに見える。

Google翻訳

意義

フェイスマスクを着用すると認知能力が低下するのか? COVID-19 パンデミックの前と最中に数百万回のチェスの動きをした国際的なチェス プレーヤーの研究では、マスクは認知的意思決定の平均的な質を大幅に低下させました。ただし、マイナスの影響は短命であり、主にエリート プレーヤーやインセンティブの高いコンテキストで作用し、より広範なプレーヤーへの影響は最小限に抑えられます。

概要

フェイスマスクの使用は、ほぼすべての国で COVID-19 パンデミックへの重要な対応となっています。しかし、世界中の教室やオフィスでマスクが広く使用されているにもかかわらず、認知能力への影響についてはほとんど知られていません。自然実験を使用して、強制的なマスク着用が競技チェス プレイヤーの認知能力に負の因果効果をもたらすことを示しました。私は、パンデミックの前と最中に、18 か国で 8,531 人の個人 (5 歳から 98 歳) がプレイした約 300 万回のチェスの動きの質を分析しました。マスクを着用すると、選手の意思決定の質 (認知能力の尺度) が SD の約 3 分の 1 低下しました。ただし、マスクの破壊的効果は比較的短命であり、徐々に弱まるため、約 4 時間のプレイ後にマスクを着用することによる測定可能な不利益はありません。マスク効果は、エキスパートにとって大きなマイナスの効果によって引き起こされ、低レベルでのパフォーマンスの変化は最小限であり、インセンティブの高い競技ではより強力です。作業メモリの負荷が高い場合にマスクがパフォーマンスを妨げる注意散漫メカニズムのサポートを提供します。

ゴーストバスターズ アフターライフ


いやー、いいですねこれ。おすすめです。

エンドロール終わった後の映像(というかセリフ)で泣かされたのは初めてかもw

あのメンバーは、というか演じた俳優さんが亡くなっているし、そういう流れではじまるわけですが、ジュブナイルとしてよく出来ていて、オジサンは見ながらあの「グーニーズ」を思い出していました。まあそれにとどまらずいろんな映画のオマージュが詰まっている気がしますが、特に夏季スクールの先生が生徒に見せる映画が「クジョー」というのが笑えます。なんでやねんwしかもまさかの●●●w

そしてまあお約束とも言える展開なわけですが、オジサン的にはその後が胸熱でした。

その後エンドロールでとある名前を発見するのですが、「あれ出てた?」と思ったらすかさず、だったり、エンドロール後にも大事なくだりが。

ちょっとでも誰かの勇気になれたらいい、その魂が、アツいのです。

世界は癒しを求めているのか スパイダーマン ノーウェイホーム

すでにいろいろ話題になっていますがスパイダーマンの新作。しっかり泣かされましたおじさんもw

前作で正体をバラされてしまったピーター。それを無かったことにできないかドクター・ストレンジに相談したことからとんでもないことに。

ネタバレはしたくないのでぜひ内容はご自分で確かめていただきたいですが、自分の思ったことを少々書いてみようと思います。

やはり今の世界、本当か嘘かもわからないような情報が溢れていて、分断が進んでいるとも言いますが、この映画がヒットしているというのは、その先に光を見たい人が多いのではないかなとふと思いました。

具体的には内容に触れるので書きませんが、いろんな「癒し」が、感動を呼ぶ展開になっていると思います。マルチバースというやや強引な展開が、じつはそれを支えています。マルチバースという展開を持ち込んだからこそ出来た話ということもできると思います。

今の世界に必要なのは決して分断ではなく、その先の赦しと癒しなのではないか。それが望まれているが故のヒットだと信じたいなと。

映画好きなおじさんのささやかな願いです。

サマーフイルムにのって


福井メトロ劇場にて鑑賞。
とてもキュートな映画です。女子高校生が周りを巻き込んで映画を撮る、青春映画だけど、その先に繋がるであろう人生をも感じさせる力のある映画。
時代劇には「なくてはならない」と主人公の言う決闘が、撮っている時代劇のポイントであり、なおかつそれがストーリーにもしっかり組み込まれ、爽やかな感動をもたらします。

ここからは少しネタバレ。

多分監督の好きなものを全部ぶち込んだのであろうストーリーですが、それぞれの要素がしっかりと生かされてラストに繋がって行くのが素晴らしい。
まずは勝新。そして「時かけ」(原作本を出しながら設定はアニメからも!)だけでなく「夏への扉」も登場させるあたり時間ものSFが好きなんでしょうか。そして、「キラキラ恋愛」映画も決して嫌いではないと見た(笑)
まあ単純に映画愛と言えばいいんでしょうけどね(笑)
座頭市の1作目が神だと言わせたり、決闘は愛だとか、映画はスクリーンを通して過去と未来を繋ぐものだとか、考えてみれば映画を題材にしたら映画ファンからしたらネタは無限といってもいいくらいですわな。映画をネタにした映画は面白いの多いしね。ゴーストマスター、カメラを止めるな、ザ・マジックアワー、あ、海辺の映画館も忘れちゃいけない。
そんな中でも、ラストで明確に意思表示しているこれもまた、面白い映画。

これは「面白い映画」です。それで充分ですけどね。

ショーシャンクの空に FatAssの死んだ意味は?

「ショーシャンクの空に」好きな映画です。

「午前10時の映画祭」でも、最初に企画が始まった時の一般投票で1位だったそうです。

 

知り合いとFacebookでこの映画の話題でやりとりした時に、前から気になっていたエピソードを改めて考えてみました。

そして自分なりの解釈に辿り着きました。

 

それは、看守に殴られて結局死んでしまった新入り囚人(FatAss)の話です。

アンディたちがショーシャンクに連れてこられたとき、レッド(モーガン・フリーマン)を含む囚人たちが、どの新入りが最初に泣くかという賭けをします。

 

消灯のあと、囚人たちは新入りたちをからかう言葉を投げて泣かせようとします。

結局、太めの囚人に賭けていたヘイウッド(ウィリアム・サドラー)の言葉で、その太めの新入りが我慢しきれず泣き出します。

騒ぎに気づいた看守が「何を騒いでる!」とやって来て、泣き出した囚人(FatAss)は警棒でひどく殴られてしまいます。

 

翌朝、朝食をとっている食堂で、「あの囚人は死んだ」という話が流れます。

アンディは「彼の名前はなんだった?」と聞きますが、泣かせた当の本人ヘイウッドは

「どうでもいいだろ。やつは死んだんだ」と突き放します。

初めて見たときは途中すっかり忘れていて、後から思い出して「あれは必要なエピソードだったのかな」と思っていました。

 

であらためて考えてみて思ったのは、

「直接手を下していなくても、誰かの死に対して責任がある」

ということなのかなと。

 

この若い囚人が死んだのは誰のせいでしょう?もちろん、直接手を下したのは看守です。

でも彼が泣き出さなければ、殴られず、死ぬこともなかった。

そうすると泣かせた囚人ヘイウッドにも責任はあると言える。

 

翻ってアンディの事を思うと、妻の浮気の理由は映画では描かれていません。

でも、浮気の原因が自分にもあるとしたら、妻の死の責任の一端が自分にもある。

そうアンディは思い始めたのではないかと思うのです。

 

原題「Shawshank Redemption」 の Redemption の意味は「贖罪」です。

 

妻への贖罪がラストにつながるとしたら、アンディの中にあった、妻の浮気の原因とはなんだったんでしょうね。