ボトムワールド
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精神科医は使えねえ!

以前も書いたことがあると思うので、読者なら周知のことだが、オレは国も認める精神障害者である。障害者認定を受けて、障害者手帳もちゃんと持っている。(って、威張ることじゃないけど。)

だが、国民年金を払ったことがないので、障害者年金は出ない。等級も一番下の3級だから、3級には「基礎年金」と呼ばれる障害者年金が支給されないのだ。

厚生年金なら3級でも、基礎年金は出ないが、厚生年金独自の障害者年金がちょっとだけ出るらしい。国民年金より厚生年金のほうが払う金額が格段に高いんだから、そのくらいしてもらわにゃ、サラリーマンもやってられねーってとこだろう。


3障害(身体・知的・精神)のうち、一番福祉が薄いのが精神。認定を受けても、たいした恩恵はない。東京都民は都営交通が無料になるパスがもらえるが。

政令指定都市はサービスがいいらしいが、東京都も市部は政令指定都市じゃない。知らない人も多いが、23区だけが政令指定都市なのだ。その差はでかいと市部に引っ越してから気がついた。遅いって…。orz


また前置きが長くなるので、とっとと本題に入る。


精神病患者にとって一番厄介なのは、精神科医だ。まともな医者はほとんどいない。心療内科なんて名乗ってるクリニックは一番信用できない。精神科と心療内科では、診られる病気の種類も違うし、治療方法(使う薬)も違う。本物の心療内科医は、東大付属病院と九大付属病院と、そのどちらかで正式に「心療内科」の勉強をした開業医だけだ。他は全部、精神科医が敷居を低くするために名乗っているエセ心療内科医。

心療内科医は内科とつくだけあって、ちゃんと内科系の診察もしてくれる。が、精神科医は薬でヤバくなる肝臓の検査値しか目に入らない。患者が急激に太ったり、コレステロールが正常値の倍あっても、まったく気にしない。最大の違いはこれだろう。

さらに、精神科医の金儲け主義の処方や、無神経な言動、1時間待ちの1分診療と揶揄される、とにかく数をさばこうとする診察態度など、他の科目の医者と同じように精神科医を信頼している患者には、とってもヒドい末路が待っている。


巷じゃ医者不足で困っている。が、精神科医は不足していないようだ。都会ならどこの駅前にもあるメンタルクリニックも、場合によっては医者不足があるらしいが、内科や産婦人科、外科のように診療ミスでの訴訟がないのが精神科医だ。何故なら、誤診がないから。

何故、精神科には誤診がないかというと、誤診は現実には日々起こっているのだが、それを科学的に証明する手だてがないのだ。精神科医がリンゴは黒いと言えば、リンゴは黒くなる。

セカンド・オピニオンとか言うが、現実には医者同士が遠慮しあうので、主治医の見立てを否定するセカンド・オピニオンの医者はまずいない。精神科の世界とは、そういう生ぬるい世界だ。そして、連中が受け取る多額の報酬は、貧乏人が何とかやりくりして払ったものか、福祉で補助金として税金から補填された金だ。


オレの知る限りでも、様々の医療事故は起こっている。医者は医療事故とは見なさないだろうが。

たとえば、安定した状態にあった統合失調の患者に、新薬を試してみたいという勝手な理由だけで薬を変更し、ヒドい幻聴が起こってしまった人がいた。太るので有名なスルピリドを常薬にしたため、患者が急激に太り、糖尿病になったケースもあった。最近また流行の境界型人格障害(BPD)という診断名をつけられ、人格障害は治らないからと自暴自棄になり、暴れて留置所にぶち込まれた人もいた。その後、その人は会社を辞めてしまった。もう1人は飛び降り自殺した。


オレも2人の医者にBPD(長くて面倒なので省略形で)だと診断され、辟易したことがある。うちのクリニックは医者が2年といないで入れ替わるため、担当医もころころ変わるのだが(オレを怒らせて担当を変えさせたのもいる)、3人くらい前の担当医がその診断名をつけてオレを激怒させた。

その後、院長に担当を変えてもらい説得しまくり、BPDという診断名は変えてもらった。ちょうどBPDだと言い出した前の担当医が辞めたので、面子を潰さずに済んだからだろう。


なのに、今の担当医になったら、ろくに話もしていないのに、初診でいきなりBPDだと言い出した。どうもそいつ的にマイブームだったらしい。アメリカで書かれたBPDの新しい治療例の本を読んだらしく、自分じゃ治療できもしないのにBPDだと言い張った。いくら否定しても主張を曲げないので、院長からクギを刺してもらい、ようやく諦めさせた。

オレがBPDかどうかはどうでもいいのだが、薬をいじられると困る。九大心療内科の研究医とオレが知恵を絞って作った大事な処方だ。精神科医ごときに手を入れられたくはない。


実に、精神病患者にとって、敵は精神科医だと言える。勝手な思い込み、ぬるい業界の体質、金儲け主義、知識不足、プライドの高さ、などなど、相手にしてるとこっちの頭までおかしくなってくる。(もうなってるが。)

医者と薬剤師以外は処方しちゃいけないのが薬事法だが、薬を替えられて不安になった知り合いや友人の患者に相談され、その薬は飲んではいけない、とか、それよりこっちの薬を試したほうがいいとかアドバイスしていた頃があった。悪いが、それで病態が悪化した奴は1人もいなかった。

訴訟のない精神科医に、誰か誤診訴訟をしてくれないものかと思っている。医者であるのに、患者の肉体的健康をまったく無視する奴らのやり口には、とことん腹が立つ。


風呂場で転んだ

久しぶりに風呂に入ったら(オレは週に1回、日曜日だけ風呂に入るが、今回は2週間ぶり)、シートが滑って、思いっきり後ろ向きにコケた。後頭部は無事だったが、壁につけてある石けん置きやら何やらを、全部背中でこそぎ落とし、しりもちをついた。

ものすごく痛かったんだけど、シートってがコインシャワーで使われてるプラスチックの網状のもので、同居人が絶対すべらないというので許可すれば、この有様だ。って、どんなシートでも3年以上も掃除してなければ、タイルがヌルヌルになって滑るのは当然。髪の毛は絡みつくわ、掃除はしにくいわで、最悪のシートだ。今度こそ捨てさせる!


なんでコケたかというと、あしたのジョーの主題歌の1番の出だしが思い出せなくて、ボーっとしてたから。その後、YouTubeにて無事に確認できたが、背中が痛い。流血はしなかったのがせめてもの幸い。服が汚れる。

さっきも書いたのに、なんでまた書いてるかというと、入浴中にネタを思いついたから。現在、リハビリ中につき、連続アップだけど、誰にも文句言われる場所じゃないので書く。


異常犯罪研究家を自称するオレとしては、ずっと気になっている事件がいくつかある。その1つが、秋田県連続幼児殺人犯の畠山鈴香被告。「専門家」なる方々は、自分で殺しておきながら警察に殺人だと訴え続け、テレビにまで出て自分の主張を全国に発信し、余所の子供を殺して足がついたこの奇妙な事件を、「自分の娘を殺したという受け入れがたい事実からの逃避」とか言ってたが、受け入れられないなら殺すなよ。警察を動かすために、第2の殺人までやるのは、確かに理屈が通らない。夜中に男を引っ張り込んではやりまくってる間、小さな娘を家の外に何時間も閉め出していたというくらい壊れた人なので、やることに脈絡などなくても不思議はないのかもしれないが。

ぶっちゃけ、娘が憎かったし、邪魔だったというのは本音だろう。だが、生活保護で立派な町営住宅に住むには娘は必要。働かないで暮らすという不健全さは、あらゆる思考を腐敗させていくとオレは思う。病気の奴は別だが、ニートの連中もそうだ。義理の親戚に、ニート歴30年というベテランニートがいて、金づるの母親が死んだらどうするんだろう、と周囲はビビってたが、こないだ死んだので、これからが見物だ。50歳からの社会復帰なるか、ゆっくり見物させてもらう。w


この奇怪な事件の解釈をしようってんじゃなく、今では廃止された「尊属殺人」という馬鹿げた法律のことを若い世代は知らないんじゃないかな。子供や他人を殺すより親を殺すほうが罪が重くなるというメチャクチャな法律で、その非合理性によって1973年に最高裁で違憲との判決が下って以来、適用されなくなり、1995年の法改正で刑法から削除された。

尊属殺人なんてものは、儒教の影響のように思えるだろうが(実際、大宝律令に端を発する)、実は封建主義にとって便利だったのだ。目上の者には従う、逆らわない、何をされても我慢する、という訓練を家庭内で行い、そのディシプリンを国家が利用していたと言える。


日本という国は、民主主義国家ではない。アメリカが敗戦国に民主主義を押しつけただけの話で、フランスのように民衆が権力と戦って勝ちとったものではない。だから、日本人には民主主義の意味を理解していない者が多い。

殺人の対象が誰であろうと、殺人に違いはない。今でこそ気楽に親を殺す事件が増えているが、狂った親の横暴や暴力に耐えかねて殺すパターンが多かったし、そうじゃなくても親を殺すような子供を育てたのは親自身なので自業自得である。

であるから、尊属殺人なんてものは、まったく道理にかなわない、間違った刑法だったのだ。つねづね腹立たしく思っていたが、正式に削除されて清々した。


昔であれば、子供を親が殺すことなど罪にならなかった。「子消し」の風習である。赤ん坊を口べらしに殺しても、誰も何も言わなかった。子供は親の所有物だからだ。農作業ができなくなった爺婆を山に捨てても、誰も何も言わなかった。お互いさまだからだ。飢饉ともなれば次男や三男が、赤ん坊じゃなくても口べらしされた。娘は女郎屋に売られた。死人が出れば、その肉を食った。封建社会はそういうものを見逃しにしてきた。

日本は今や法治国家である。しかも、世界でも指折りの先進国だ。が、押しつけられた民主主義の意味など庶民には理解できないし、ぶっちゃけ、昭和の時代まで社会主義国家と言ってもいいくらいだった。なんでもお上の言うなりだ。自民党政権の長期化は、日本人の政治への関心を薄れさせる、または麻痺させるところにポイントがあった。


しかし、10人に1人が高齢者という社会になり、少子化は深刻化する一方。60代以上は6人に1人。ちょっと中国から余ってる子供でももらったほうがいいかもしれん。w

今や、親を殺すより子供を殺すほうが罪は大きい。もちろん刑法上で差別があってはいけないが、社会の意識、国家の意識としては、子供は親の所有物ではなく、もはや国家の未来そのものだ。子供を殺すことは、たとえそれが自分の子でも、国の将来を殺すに等しい。

産むだけなら、今でも赤ん坊を捨てたり殺したりしてるくらいだから、どんどん産ませて、国家が育てればいい。どうせ社会主義国家なんだから、国の財産である子供を国が面倒を見ればいい。


今でこそなくなったが、昔は公家や皇族の子供は里子に出されて、他人に育てられるのが習慣だった。里親は庶民でそこそこマシな生活をしている連中。このシステムの利点は、実の親に過剰な感情移入をせず、より平等な価値観で他人と肉親を扱えるようになる、という点だ。そういう育ち方をしたオレが言うんだから、間違いない。生みの親より育ての親、というやつだ。しかし、育て親はどこまでいっても他人だから、養子にでもならない限り他人のまま。そちらに肩入れするわけにはいかない。


昔の「ムラ」にも、便利なシステムがあった。農作業で忙しい母親が、年長の人に子供をあずけて働く。あずかる家は数人の子供の面倒をみる。保育園などなかった時代の庶民の知恵だ。

それを無認可保育園に任せていないで、国がやればいい。そうすれば、経済的にはともかく、母親も働けるので出生率も多少は増えるんじゃないか。


って、子供嫌いで子ナシのオレが言うのもアレだけど。またマトモなことを書いてしまった。全然リハビリ進んでねー! いつからオレはマトモな人間になったんだ?(なってねーって。w)


つれづれなるまま…って、忙しいってば!!

何だか分からないが、やたらと忙しい。本業は開店休業状態で、何もやってないのに、雑用ばっかり山のようにある。毎日その処理に追われて、昨日は疲れてふて寝してた。

で、気晴らしにボトムワールドに何か書こうと思ったんだが、雑用ばかりの日々でネタがないだな、これが。


そういや、先週、義理の母にあたる人の葬式に行った。学会さんなので友人葬。知らない人もいると思うが、学会さんは本山とケンカ別れしてから、坊主ナシで葬式をやる。それが友人葬。地区の支部長のおっさんが導師をやってヘタな読経を、列席の学会員とやるという、見せ物としてはつまらない葬式なんだが、初回なら物珍しいから、まだしも、2回も3回も出てると飽きてくる。


友人葬は、というか、学会は、香典を持って行ってしまうという話が全国的に広まっていて、親族もピリピリ。が、学会員は香典は持ってこない。世話役以外は、式が終わると、さっさと帰っていく。学会員が持ってきた香典は学会が持っていく。そらま、そうだな。道理だわ。


じいさんの導師は、年のせいで疲れるのか、普段から読経を途中でズルけるらしく、斎場じゃ1人だけマイクだったからバレバレ。w

しかし、全員が法華経の方便品と寿量品を暗記してるのには驚くね。まあ、短いっちゃ短いんだけど。特に方便品は短い。参列者が焼香終わらないと止められないから、法華経終わったら題目で持たす。難儀やなあ。

学会さんも日蓮正宗も、方便品と寿量品しか絶対読まない。通常の日蓮宗は観音経の世尊偈とか、他の品もやるから間が持つんだが。


なんか、いろいろ勘違いの多い集団だから、友人代表の弔辞でコケそうになったし、世話役の出棺の挨拶でもコケそうになった。あげくに、学会と関係ない火葬場のおっさんが、戒名ないから浄土真宗と間違えたのでトリプルで笑った。戒名ないけど、区別つくだだろ。俗名の上に、真宗は「釈」がつき、日蓮系は「妙法」がつく。プロなんだから、少しくらい勉強しいや。


学会では、死んだ姿が「即身成仏」ってことになっているらしい。顔が黒ずんでいると成仏してないことになり、顔が白いと成仏したことになる。

が、仏教的(密教系だけだけど<即身成仏)には、生きてる間に仏になるのが即身成仏なのは常識。

さらに、挨拶役は「死出の旅路は楽しく、間違いなく極楽浄土に辿り着くと信じるところであります」って。おいおい、おっさん。ちゃいまんがな。極楽行ったらあかんがな。霊山浄土やないかいな。と、つっこみを入れたかったが、一般社会では(ネットでもだけど)ステルスモードで目立たないよう大人しくしてるので、黙っておいた。

通夜には行かなかったが、葬儀屋と学会がケンカしまくりで、面白かったらしい。とか、あんまり書いてると、ソレ系の嵐さんが来そうなので以下自粛。w


うちに帰れば、バカ猫がオレの枕に小便してるし。奴は嫌がらせで布団や座椅子に小便するんだよね。ったく、猫が選べるなら、絶対買いたくないハズレ猫だ。が、猫は選べない。あっちから来るから。猫が人を選ぶことはできても、人間は猫を選べない。おかげで我が家の猫は1匹だけ当たり猫で、あと全部ハズレだ。w

とりあえずファブリーズしたけど、猫ションは強烈なので寝るたび臭い。まあ、いいけどね。天気良くなったら洗濯すればいいし。


あー、調子悪い。もっとリハビリしないとなあ。こんなフヌケた文章じゃ面白くない。


全部、放置

忘れた頃にペタがつく。こんな見捨てられたブログを見ちゃう、不運な人もいるんだね。(笑)


かれこれ1年以上、mixiもブログも放置状態。なんでかというと、日銭稼ぎに忙しいのと、ネタがないから。mixiも最初の頃は1日置きくらいに日記を書いてたが、今は義理で月1程度。日記は「友人まで公開」なので、ヤヴァイことも平気で書けるが、その「友人」がヤヴァかったりするから困る。(笑)


最初に立ち上げたのは、HPを別にすればこのブログなのだが、その後すぐmixiに走り、mixiも飽きたらアフェリエイトのブログをせっせと書いてる。アフェリのブログ書くのは面白いわけじゃないが、いかんせん小銭になる。更新すると翌日には何か売れる。が、紹介したショップじゃないとこで買ってるのが謎ではある。何買ってんだろね?(笑)


アフェリは断然ブログに限る。HPなんぞ、手間ばかりかかって売れない売れない。

モチベーション下がるよ。ブログは最初は誰も見てくれないし、見ても買ってくれないけど、数ヶ月我慢すると売れ始める。売れ始めると、書けば売れるになる。さらに段階が進むと、書かないのに勝手に売れるようになる。もちろん1%のキックバックじゃ鼻紙しか買えないんだけどさ。(笑)

ゲーム性があるんだろうな。そこが面白いところ。


このクソ暑い季節、商店街には異様な生物が現れる。ヘルメットのような、顔が全部隠れるサンバイザーをして、両腕に長~い手差しをつけ、ガキの頃、自転車のグリップにつけてた冬場の風よけをつけた、見るからに暑っ苦しいオバチャン連中だ。

今更、シミとか気にしてもムダだろうに。つか、誰も気にしないのになあ、オバチャンが白かろうが黒かろうが。そういうオバチャンがママチャリで我が物顔に商店街の道の真ん中を自転車でフラフラ走り、バスの走行を邪魔して大渋滞を起こしている。それがオレの住んでる田舎の日常風景だ。


久しぶりに何か書こうと思ったが、ネタがない。面白いこともない。日々是退屈。

暑いから昼間は外に出たくない。夏休みで、ガキどもがわらわらしているのも鬱陶しいしね。

駄文を連ねるのも退屈だから、こんくらいで止めとこう。


セックス映像って言われても…

ニュース原稿からは、もっと露骨な映像を連想したが、楽屋裏でのほのぼのとしたひとときじゃん。しかも、「隠しカメラ」じゃなくて、撮影してるの全員知ってるし。(ミニーがカメラに何度もポーズを取る。)

ディズニーは過激だから、職員処分は当然だろうが、このニュース見てマジで怒ってる奴の気がしれない。何が「子供の夢」じゃ。そいつもおとんとおかんがセクースしたから生まれてきたんだろ。

やった奴らもバカじゃねーの、と思うが、反応はもっとバカなので、フランス人の知能程度のみならず、日本人の知能程度も疑っちゃうね。

しかし、ミニーに入ってる奴が男だったら、それはそれでキモいかもしんない。w


映像を見たい方はこちら。↓

http://www.thesun.co.uk/article/0,,2006470493,00.html


ミッキーのセックス映像にディズニー社激怒
インターネット上に、ディズニーキャラクターがセックスをする映像が流出した。13日、ウォルト・ディズニー社は、キャラクターの着ぐるみを着て、ふしだらな行為を行ったディズニーリゾートパリの従業員たちに対し「適切な処分」を行ったと発表した。処分の詳細については明らかにしていない。[アメーバニュース]

パーソナル・ディスオーダー

病気は医者が作り出す、というのは精神病領域ではよく知られた話だ。80年代の末頃、「ボーダー」という概念を医者が作ったら、流行のようにボーダーの患者が大発生した。ボーダーたちは医者に感情的に依存するため、医者は時間外でも患者につきまとわれ大迷惑したそうだ。
ところが、「この概念は医者が作ったものに過ぎない」という批判が出ると、波が引くようにボーダーたちは消えた。彼らはなんだったのか。東京初台の某精神科医が作った「仮面うつ」という言葉も、出来るやいなや広まり、オレもそんな架空の病名をつけられた過去がある。意味が分からない病名だ。概念の遊びにすぎない。

ボーダーというのは「境界例」のことだ。精神病と人格障害の境界にいる人のことだが、この頃の境界例はもっと独特のニュアンスがあった。
現在では「境界型人格障害」と呼ばれるが、境界例と境界型人格障害には微妙な差違があるように思う。こういった定義を作っているのはアメリカ精神医学会が発行しているDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)という本で、日本語題名は「精神障害の診断と統計マニュアル」という。現在、94年に発表された第4版が使用されている。

本来、日本の診断名はICD-10という本が定義しているコード番号を使用する。あらゆる病名を整理して分類しているもので、10とは第10版という意味だ。厚生労働省が正式に認めるのは、ICD-10に記載のあるコードによる診断名が基本だ。
ところが、DSMがアメリカで作られはじめると、DSMの定義に飛びつく精神科医が増えた。DSM-Ⅱの頃から精神病業界で幅をきかせ、DSM-ⅢではICDを無視してDSMの定義を使用する精神科医が続出した。ボーダー(境界例)とはDSM-Ⅲで定義された病名だ。
なぜDSMに精神科医が飛びついたのかといえば、パーソナル・ディスオーダー(人格障害)という概念を作ったからだ。現在のDSM-Ⅳでは11種類の人格障害が定義されている。甚だしい例では、この11種類にない人格障害の名前を使用する医者やカウンセラーまでいる。それが「回避性人格障害」だ。

人格障害は、ご存知の通り病気ではない。人格の問題であって治療不可能とされている。昨今、異常凶悪犯罪が続出し、TVで有識者が偉そうに使うので知っている人も多いと思う。その最も極端なものが「反社会性人格障害」で、理解できないような殺人や凶悪事件を起こすと、まずこの名前をつけられる。反社会性とは、要するに社会理念に反する、という意味だ。だからあらゆる犯罪者は反社会性人格障害といっても良いことになる。
他にも演技型人格障害や自己愛型人格障害なんかがあるが、いちいち定義するほどのもんかいな、と思う。が、人格障害と定義してしまえば、精神科医はその責任から解放されるのだ。人格障害は精神病ではないからだ。
しかし、境界型人格障害は「精神病態を示す」ため、精神科医の治療対象となる。90年代前半のボーダー騒ぎにも懲りず、精神科医たちは安易にこの病名を患者につける。オレも1人の担当医につけられて大迷惑した経験がある。

一方で、境界型と診断された患者は悲惨だ。なにしろ人格障害は病気じゃないので治らない。癌告知と同じくらいの絶望感が襲う。よしんば境界型だとしたら、その診断名を患者には隠すくらいして欲しい。不治であることはもちろん、人格否定されたも同然なのだから。オレの知ってる例では、そう診断された途端に病態が急激に悪化し、暴力沙汰を起こした人もいるくらいだ。
今年、自殺した友人も境界型だった。彼の場合、境界型という概念に自分が取り込まれてしまい(自分で自分を自己規定し)、そこから逃れられなくなった。そのあげくが自殺だった。オレからしたら、しごく礼儀正しい子で、おそらくPTSD的なトラウマによる情緒障害はあったが、境界型なのかは分からない。医者に診断される前にネットで境界型の概念を知った彼は、自ら境界型と自分を定義し、医者がそれに同意した時点でそれは固定化された。

精神科医やカウンセラーは何が楽しくて人格障害なんて概念を患者に押しつけるのだろうか。DSMによる人格障害の定義は、精神病域からそれらの患者を切り離し、責任を回避し、犯罪を行った場合に責任能力の是非を問われるときに「心神耗弱状態」ではないから有罪だとするために作られたと思う。確かに佐川一政のような犯罪の場合、人格障害を適用しなければ無罪放免になりかねない。彼の場合、マジで逝っちゃってるから、更生不可能である。それが今でも日本で野放しになっている。
一方で、宮崎勤も逝っちゃってる人だ。が、こちらは明かに精神異常であるのにもかかわらず、その犯罪内容のあまりの反社会性から、検察は心神耗弱状態を認めようとしない。精神鑑定も行ったが、全員一致で精神病と結論ずけないから精神病とは認められない。明らかに、世論を気にする官憲のねじまげ工作だ。

オレは自分の人格が障害していることくらい自分で知っている。でなかったら説明のつかないことが山のようにある。その原因も知っている。人格障害とは、「人格形成期に何らかの理由により健全な人格形成が阻害された」ものと定義される。理由なんか明かだ。親以外に人間をここまで根底からダメにする影響を当たれられる存在はない。
だが、人格が障害していることは精神科医には無関係な話だ。それは彼らの仕事じゃない。だからほっといて欲しい。境界型などという診断は大間違い。オレはボーダーじゃなく、明かな人格障害者だ。言ってしまえば、精神病は全然別の問題だ。
確かに精神病態をいくつも持っているし、それが人格障害と無関係に起こっているわけではない。だが、所詮人格は治療できない。だから、そこはサンクチュアリだ。精神科医に手を突っ込まれたくはない。

人格障害という概念が、ネットの普及のせいもあり、一般に広く知られるようになって何か良いことでもあっただろうか?
都合が悪くなると「障害」という言葉に逃げ込む連中を増やしただけじゃないのか。そうじゃなくても、障害者は「負けるが勝ち」ゲームをしている。都合が悪くなると、無い足が痛み始める身体障害者も知っている。オレだって破産申請のときには大いに障害を利用させてもらったクチだ。自分をより低いところに置くことで、エクスキューズを要求する。それが「負けるが勝ち」ゲームだ。
障害を利用するのは自由だが、何事にも因果応報というものがある。それを自業自得することは避けられない。だから、利用する者には好きにさせるがいい。だが、精神科医に人生の幕は引かれたくはないものだ。

子供が危ない

ネタがない!!

我ながら、こんなに早くネタ枯れするとは思わなかった。時事ネタやってりゃ持つんだろうけど、面白くないっしょ。

暗黒ワールド、魂の極北、究極のマイナス思考を自負するオレとしては、しょーもない時事ネタに逃げたくはないんだな。読んでもしゃーないっしょ、そういうの。


あー。今日は王JapanがWBCで優勝したらしい。らしいって、試合見てたんだけどね。w

オレは野球は好きじゃないが、さすがに決勝戦となると見ちゃうわな。まー、良かった良かった。


で、生中継の後番組もつけっぱなしになってたんだが、やくみつるが○○なことをぶっこいていて、やっぱりこいつはホンモノのアレなんだなー、と感心した。

「アメリカ戦の判定のときは、全員退場しちゃえばいいと思ったくらいです」

それって負けじゃん…。こいつ、スポーツを理解してないのな。試合放棄で負けるくらいスポーツマンシップにもとる行為はない。どんなに不利なジャッジをされても、それを跳ね返すプレイをするのがスポーツマンってものじゃないの。


てなことをぶっこくのも、オレがサッカー狂だからなんだけど、サッカーにおいて主審のジャッジは抗議しても覆ることはない。明らかに不公平なジャッジを受けることもある。だが、そこで放り出したらお終いでしょ。

サッカーは野球と違って全世界的なスポーツだし、長いワールドカップの歴史を持つ。国際試合も盛んで、それこそ頂点に立てる国なんてほんの数個しかない世界だ。

今年はドイツ・ワールドカップの年なので、また1ヶ月間、サッカー漬けの日々が始まる。延べ100億人が観戦すると言われる、世界で最も大きなスポーツイベントだ。前回、準優勝に終わったドイツの優勝があるのか、ブラジルの連覇があるのか、日本はトーナメントに進めるのか、今から息切れしてる。ハァハァ。


で、やくみつるだが、こいつはなー、と思ったのは随分前からなんだけど、最近TV特番でひきこもりや登校拒否の子供を世話している人や学校教師がゲストに呼ばれた番組で、「子供は去勢すべし!」と発言し、大ブーイングを受けたのだった。わりと最近のことなので覚えている人もいるかもしれない。

自分は金髪にしてマンガ書いてTV出て、それで「子供を去勢しろ」ってどういうこと? 自分は去勢された子供だったのか? こういう○○がいるから子供の受難が叫ばれるんだよ。


子供が問題を抱える場合、ほとんどが親の過干渉が原因だ。放任されて悪くなる例もないではないが、問題は「不良」(←この言葉ってヤな感じだが)になるかどうかじゃなく、ひきこもり、登校拒否、ニート、パラサイト、精神病なんかを全部含めると、過干渉や共依存が問題と思える。

ちなみにオレは、まったく完全に放任されて育った。飯も自分で作って食った。だからこんな人間になったわけじゃないと思うがね。w


このテーマは大きすぎるので、おいおい書いていきたいと思うが、少年犯罪の犯人たちがいかに親にダメにされてきたか、犯罪に至るまでに味わった親からの仕打ちがどんなものであったか。親は被害者でもなければ気の毒でもない。問題は子供の側からではなく、親の側から起こっているとオレは思っている。


余計なお世話だよなあ

「日本で急増するネット自殺、2年間で3倍に」という記事を見た。自殺した若者の親が、自殺サイトに書き込んだ連中を告訴したとか、しょうもない記事もあった。
どうなんすかね、これ。自殺したい奴は一定数ずっといるし、練炭自殺という手軽な方法が発案、大々的に報道されたことで成功率が上がっているのは分かるが、自殺についてネットの功罪を問うのはおかしな話じゃないのか。

集団だから勢いがつく、ってのは分かるけど、自殺者の親が書き込みした連中を告訴なんてのは愚の骨頂。そもそも子供が自殺したい心境になっていることに親は気がつかなかったか、気がついていても有効な手段を取らなかったわけでしょ。
それを棚に上げて他人のせいにするって、親がバカ過ぎ。死にたくない奴はいくら周囲に促されても死なないもんだよ。

2003年の自殺者数は3万4427人と先進国でもダントツだそうな。かつて世界一の自殺率を誇ったスウェーデンを抜いて、今や日本が実質世界一の自殺国なわけだが、それは社会の閉塞感、豊かになりすぎた生活、長く続く不況によって経済的に追いつめられる人の数、うつ病の増加なんかが問題なわけで、手段としてのインターネットを叩いても何も変わらないんじゃないの。

オレもここんとこ連続でネット友だちが自殺してる。集団じゃないからニュースにもならないけどね。オレは自殺反対派じゃないし、死んだ連中に文句を言う気はない。どのケースも親が問題の核心なんだよね。
オレ自身も自殺はしたい。ヘタレだから実行できてないだけ。昨日、自殺した友人からの自殺する直前に送信された最後のメール(まだ消す気になれない)を眺めていて、死ぬ奴はどうやったって死んじゃうんだなあ、なんて思ってた。

国家が自殺を否定して当たり前。生きて働いて税金払ってもらわないと困るからね。社会が自殺を否定するのは当たり前。自分たちが後生大事に執着してるものを捨てて、勝手に一抜けされたらむかつくからね。死にたくない奴は自殺を否定する。自分の価値観を否定するものだからね。
オレも、どんどん自殺しろなんて言わないけどさ。でもネットの功罪云々はどうなんかなと思うよ。1人じゃ死ねないヘタレが心中相手を捜してチャットしてるのも見たし、心中に誘われた知り合いもいる。

だけど、ネットというコミュニケーション手段ができたから自殺が増えたわけじゃないだろう。死ぬ奴はいつかは1人でも死ぬんだよ。

格差社会の罠

世間では「格差社会」という言葉が大流行中だ。本も売れてるし、雑誌で取り上げられることも多い。

しかーし、マスコミが危機感を煽るほど切迫した問題なのか? マスコミは耳目を集めなきゃ商売にならんから、何事も大袈裟に書き立てる。それが仕事なんだから当然だ。面白ければ良い、売れれば良い。それは同業者として批判なぞしない。

しかし、受け手のほうはプロじゃないから、ニュースでやってた、新聞に書いてあった、雑誌に書いてあったと信じ込むわけだ。当然、コンシューマーが素直でいてくれないと商売はやりにくいので、それも別に批判しない。


オレが子供の頃、ドのつく田舎で育ったから、周囲にはドのつく貧乏人がたくさんいた。そりゃもうイマドキの若者には想像もつかんくらいド級の貧乏だ。オレんちだって金持ちじゃなかったが、ジュースくらいは飲めた。小学生のとき、クラスメイトの家に遊びに行ったら砂糖水を出してくれた。それがとってもおもてなしなのは何となく分かった。

その後、高度成長期からバブルに突入し、日本人総中流意識と言われ出した。実際は中流じゃない家庭なんかいくらでもあったろうになあ。で、次は格差社会ときた。格差なんて昔から歴然とあるし、金持ちは金持ち、貧乏人は貧乏人だ。

よくTVでやってる子沢山家庭のドキュメンタリー(たいていはほんわか系の作りだが実情は悲惨そのもの)を見れば、そういう家の子供が高校にも行けないケースは珍しくない。兄弟の上のほうは家計を助けるため働かなきゃならない。なのに両親はまだボコボコとガキをひり出しやがる。

普通の感覚なら切れるね。オレなら切れる。でも、そういう家庭の子供は良くできていて、誰も文句を言わない。大学に行きたいなんて言わないわけだ。で、すぐに収入に結びつく職人になる。

偉いよ。立派だよ。でもオレはイヤだよ。


格差社会のキーワードに「労働意欲の減退」ってのがあるらしい。ひきこもり、ニート、パラサイトなんかだ。だけどこれって、実は豊かな家庭の子供なんだよな。本当に貧乏な家庭の子供は働くんだよ。そうしないと死ぬから。病気で外に出られないメンヘラーを別にすれば、ひきこもりもニートもパラサイトも食わせてくれる親と住む家があってこそだ。ニートの名言に「働いたら負けだと思う」というのがある。大笑いした。負けかあ。そうだろうなあ。働いたら自分が有能じゃないことを知ってしまう。負けないためには勝負をしないってのが基本だ。けだし名言。

労働意欲を奪っているのは、格差社会でも将来に希望が持てないだのの理由じゃなく、要するに楽なほうがいいからに決まっている。何もしないで毎日ネット三昧で、3度の飯は出てくるし、家賃や光熱費の支払いに苦しむこともない。そりゃ誰だってそっちのほうがいいに決まってる。

一昔前、フリーターが社会現象だと大騒ぎしてフリーターを批判してたバカな大人がいたが、働くだけフリーターのがマシじゃんよ。オレはフリーターが問題だとは思っていなかったよ。金があれば働かず、金がなくなるとバイトや日雇いやって、また金ができれば遊ぶ。それで何が悪いのか分からない。コツコツ貯金しないからいかん、しっかり働いて税金払わにゃいかん、ってことでしょ、要するに。国の経済にとって国民総資産や預貯金高ってのは重要なわけだよ。あ、柄にもなく真面目なこと言っちゃった。(笑)


格差社会、おおいに結構なんじゃないの。勝ち組だの負け組だの言うが、オレは負け組上等。負けるが勝ちって言葉もあるくらいだ。見栄なんか持ち合わせてない。

また真面目なこと書いちゃうが、戦後の貧しさの中、オレらの親の世代は必死に働いた。物質的豊かさが目的だった。おかげで日本は超がつくほど豊かになった。でも物質的豊かさが満たされたら、次は精神的豊かさが欲しくなる。近年流行りの「スローライフ」なんてのはその代表的キーワードだ。

ガキどもは物質が飽和した中で育っている。オレの世代でもうそうなっていた。物欲は留まるところを知らない欲だが、それだけじゃ満足できなくなっているのも事実。

これを読んでいるニートやパラサイトのお前。「働いた対価をもらって豊かになるのは当たり前」と思ってるだろ。「だから働かないで豊かなほうが利口だ」とね。その通り。でも、日本にはヨーロッパみたいな貴族はいねーんだよ。親は全部、労働者階級で、アホみたいに働いて家庭と国を豊かにしてるんだよ。だがな、そういう親がお前らを育てたのも事実。子供がニートやパラサイトになったと嘆く前に、自分が子供に何を教育してきたか考えてみろ。悪いのは親である自分たちだって気づけ。そう親に言ってやんな。


クソうっとおしかった段階の世代が定年になる。そうしたら日本に働き手はいなくなる。奴らは年金や貯金があるからそれで食うだろうし、ろくでもないガキもそれで食わしてやっちゃうんだろう。だから奴らが死に絶えるときを楽しみにしてる。

それから、負け組とか言われてむかついてるお前。お前、自意識過剰な。バカじゃねーの。たいして努力なんかしてこなかったくせに、プライドだけは一人前かよ。オレは努力なんかしたことねーから、負けて当たり前だと思ってる。それで無問題だ。いい加減、気づけよ。

随分と久しぶりに

前回書いたのが一昨年の12月というのだから、とんでもなく怠惰だ。

いや、実はSNSではこまめに日記書いてるんだが、書くのが速いのが取り柄のハズなのに、不思議と日記は時間がかかる。200字くらいでちょちょっと出来事を書くのはもちろんすぐできるが、色々調べながら書くと、当たり前だが遅い。

まあ、それはいいや。

心機一転ってわけで、日記からエッセイに変更。タイトルも変えてみた。でも、あんまりたいしたことないから期待しないでね。(笑)


オレの周りにはメンヘラーやB面人間が何故か集まる。そんでもって自殺する奴が毎年出る。

オレは自殺反対派じゃないし、自殺する人を止めない主義だし、友人に自殺されても文句は言わない。他人の生き死にに文句言う奴が多くて困るよ。自分がイヤな気持ちがするってだけで文句言う。本人はもっとイヤな気持ちなんじゃねーのかなあ。だから死ぬんじゃねーの。

よしんば自殺を止めたとしたら、その後のそいつの人生に責任持ってやれるのか? やれないだろ。

そうはいってもオレも生身の人間なので、相手が信号を発し始めるとなだめたりはする。でも、死ぬ奴は死ぬんだよね。


自殺するメンヘラーより厄介なのはB面人間だ。B面人間って何か知らない人がいるかも知れないので説明すると、いわゆるオカルト系の人たち。霊感だのオーラだの前世だの死霊だの生き霊だの言ってる人たち。

どういうわけかオレの周りには昔からそういう人が多い。で、オレも同類だと思いこむようだが、ぶっちゃけ人生一度も幽霊もおばけも見たことはない。

TVじゃ守護霊だの前世だのオーラだの見えると主張する人が人気を集めているようだが、信じたい人は信じるだろうし、それはそれで仕方ないというか良いんじゃないの、とは思う。でもねー、オレは何も見えないし何も感じないんだよね。


オレの知り合いに、ホテルや旅館の部屋に入ると、真っ先にお札を探す人がいる。壁にかかっている絵や押入の天井、探せるところはくまなく探す。お札といえば、以前オレが住んでた部屋は、引っ越したとき押入の天井にヘンなお札が張ってあった。深く考えもせず汚らしいのでひんむいて捨てた。当たり前だが何も起こらなかった。

とか言っておきながら、オレも占いや霊感ネタは結構好きだ。霊感じゃないが、ここは気脈が悪いとか突然言い出す。気脈というのは気の流れる道のことで、主に地形や建物の配置で決まる。これが悪い場所に長くいると体調を崩す。そういうこと言うからB面人間だと思われるんだろうな。とほほ、だ。