他国による人道的介入をどこまで認めるべきか | リベラルアーツの精進と実践の日記

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通算97か国訪問し農村・スラムから先端企業徹底取材。世界情勢、歴史、哲学、アート、テクノロジー、ビジネスを繋げ、世界の行方を思索する。

最上敏樹著「人道的介入」(岩波新書)を読みました。

シリアで現在起きているアサド政権の人民抑圧やISによる惨劇、ソマリアや南スーダンでの人道抑圧について人道的介入が必要であることには多くの人が納得するかと思います。

しかし、歴史をさかのぼれば、人道的介入という名目で多くの蛮行がなされてきました。

例えば、ヒトラーは、チェコスロバキアのズデーデン地方に住んでいるドイツ系住民が抑圧されているとして介入して併合してしまいました。

また、米国は1983年グラナダ在住の1000人の米国人を救出するとしてグラナダに侵攻して左翼政権を倒しました。無辜の市民が多数殺されたことに対して、国連総会は、「国際法の明らかな違反」として米国を非難する決議を出しているのです。

しかし、人権弾圧が生じた場合、他国が無関心で何もしないということにもならないという意見もあることでしょう。

そこで、最上氏は以下の基準での人道的介入を肯定するのです。

1.はなはだしい人権侵害が起きていること。

2.武力行使は最後の手段であること(他の平和的手段を尽していること)。

3.介入の目的ははなはだしい人権侵害の停止に限られ、国益の実現といったそれ以外の目的は含まないこと。

4.手段は必要最低限で、期間も限定すべきこと。

5.結果として多くの人が迫害から逃れ生命が救われるなど、相応の人道的成果が期待されること。

私は、特に3の国益の実現ということを外すことが特に重要と思います。

軍事介入の目的に人道的介入を決して使ってはならないのです。

新たな国際社会のルールを作るべきであり、私も関与していきたいと思います。