ホームレスボランティアから見るキリスト教の隣人愛 | リベラルアーツの精進と実践の日記

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本日は、神戸の社会活動支援センターでの、ホームレス支援のボランティアに参加しました。


月に1-2回は、何とか参加すべく、日程調整に必死です。時計


神戸のメリケンパークを回って、11人のホームレスの方々を話をして、味噌汁ラーメンなどを配りました。


神戸には、いくつかのホームレス支援団体がありますが、いつも「なぜ」と思うのは、


そのほとんどがキリスト教に何らかの関係のある団体であること。


私の参加している社会活動支援センターも、カトリック教会の中に事務所があり、その事務所は教会から無償で借り受けているのです。


全国的に見てもキリスト教に関係ある団体がホームレス支援を多く行っている状況は同じです。


宗教が、一定の役割を果たすことがあることは、分かります。


であるならば、日本の伝統的な仏教や神道は、なぜホームレス支援に積極的でないのか。


昨日一緒に回ったお寺のお坊さんが、見事な回答をしてくれました。


「日本の仏教は、他者の排除の論理が強く、キリスト教のような隣人愛はない。」


「その理由は、江戸時代の檀家制度。檀家でない人間は、関係ないという思想が日本の仏教では広まった。」


なるほどねー。


江戸時代に、幕府の農民町民支配の末端を担ったお寺の檀家制度。あせる


その檀家制度が、よそ者を排除する日本的な精神風土を作った。ビックリマーク


目からうろこのように、いろんなことが見えてきました。


この精神風土、単にホームレス支援だけでなく、いじめ、凶悪犯罪、地域の崩壊など、日本の抱えるあらゆる問題の根っこにありそうですね。


大変に学びの多いホームレス支援でした。ニコニコ