雑話200「レオナール・フジタ展」
現在、東京・渋谷のBunkamuraで開催中の「レオナール・フジタ展」に行ってきました。
Bunkamuraザ・ミュージアム、エスカレータ前
今展は3つの章で構成されていますので、各章をダイジェストでご紹介しましょう。
第1章では、藤田の代名詞である1920年代の「乳白色の肌」の誕生について考察しています。
「タピスリーの裸婦」(部分)
1913年に26歳で渡仏した藤田は、当時の前衛芸術家たちの作品に触発されながらも、次第に独自のスタイルを確立する必要を感じるようになりました。
そこで、日本で培った技術と美意識を油彩画の表現に活かすことを考え、1920年以降は、それまでの西洋の美術にはない新しい独自の裸婦像を描き出そうとしました。
藤田嗣治「タピスリーの裸婦」1923年
藤田は”白色の麗しさを土台に使って生かし”ながら肌の白さを表現するとともに、”柔らかい、押せばへこむような皮膚を通して画のもっとも重大な条件である「質」”を描こうとしました。
そしてついに”カンバスそのものがすでに皮膚の味を与えるような質のカンバス”を考案し、「素晴らしい白い地」と称賛されることになる独自の下地を生み出しました。
藤田嗣治「横臥裸婦」1931年
また、「素晴らしい白い地」の美しさを最大限活かすために、藤田は対象の描写を日本画用の極めて細い面相筆と日本の墨を用い、毛髪のように細い黒の輪郭線を滑らかな白い下地の上に施し、「乳白色の肌」とも呼ばれる藤田独自の裸婦像を完成させました。
第2章では、日本における戦争画の制作を経て、パリ画壇に復帰した1940-50年代の油彩画を紹介しています。
第2次世界大戦後の藤田は、パリを拠点として子供を主題とした絵画を数多く制作しました。
藤田嗣治「姉妹」1950年
藤田が描いた子供たちは、ときには藤田の理想とする家に住まう子供であり、また彼のアトリエに訪れる空想上の子供でした。
藤田と彼の理想の家のマケット(模型)
※このマケットも展示されています
彼らは大人の世界とは異なる、子供だけですべてが完結する特別な世界の住人のようです。
藤田嗣治「誕生日」1958年
ここでは、絵の中の子供たちに囲まれながら暮らした藤田とそのアトリエに注目しています。
第3章は藤田が晩年に描いた「小さな職人たち」について特集しています。
1958年秋から、藤田は、フランスとりわけパリを舞台として様々な仕事に従事する子供たちの姿を数多く描くようになりました。
藤田嗣治「仕立て屋」1959年頃
これら一連の作品は「小さな職人たち」と呼ばれますが、この連作における重要なモチーフの一つは、左官や指物師、椅子職人のような手先の技術によってものを製作する職人たちであり、そのほかには古くからパリの路上で見られた馬車の御者やガラス売り、アパルトマンの管理人や掃除夫など様々な職種が見られます。
描かれた子供たちはそれぞれの仕事に真剣に取り組んでいるものの、そのしぐさにはどことなくユーモアが感じられます。
藤田嗣治「床屋」1958年
各作品はタイルのような小さな正方形の世界に表わされ、そこに藤田自身の空想が重ねあわされており、彼の子供を描いた作品のなかでも、ひときわ異彩を放っています。
レオナール・フジタ展は、10月14日(月・祝)まで開催されています。
終了間近ですので、ご覧になりたい方はお急ぎください。








