雑話105「シャガールとベラ①」
シャガールの人生にはベラ、ヴァージニア、ヴァヴァという3人の女性が登場しましたが、シャガールにとってベラは特別の存在でした。
シャガールとベラ
ベラはシャガールの絵の中では花嫁であり、ミューズであり、恋人であり、妻であり、魂でした。それは、彼のパートナーが変わっても同じことで、ベラはシャガールの中で絵のモティーフとして永遠に生き続けました。
実生活でも、ベラはシャガールの母であり、仕事上のパートナーでした。彼女はシャガールのあらゆる問題を処理し、契約を取り仕切り、絵画制作を鼓舞しました。
マルク・シャガール「エッフェル塔の新郎新婦」1939年
※新郎はシャガール、新婦はベラでしょう
ベラ・ローゼンフェルトはシャガールと同じロシアのヴィテプスク出身でしたが、貧しい労働者階級のシャガールとは違い、彼女の実家はヴィテプスクのもっとも裕福な家のひとつでした。
シャガールによると、当時まだ10代初めだったベラに出会った瞬間から彼女が自分にとっての最良の女性であり、将来の妻であることを直感したそうです。
しかし、ベラの父親は宝石や時計、腕時計を売る店を3軒も経営している上流階級でしたので、当然ながら彼女の両親はシャガールと娘の親しい付き合いを歓迎しませんでした。
シャガールも自分が世間に認められるような画家にならなければ、結婚を承知してもらえないだろうと自覚していたようです。
マルク・シャガール「窓から見たパリ」1913年
※当時のパリで主流の前衛美術だったキュビスムの影響が見られます
その翌年の1910年に、彼が芸術的な活動に様々な制限のあったロシアから、パトロンの援助を受けて当時の”芸術の都”パリに活動の拠点を移したのも、ベラを思う気持ちが後押ししたのかもしれません。
パリで当時の最先端の芸術や古典のエキスを取り入れたシャガールは、独自の芸術スタイルを開花させ、早くも高い評価を得ることができました。(※上図参照)
しかし、ヴィテプスクに残してきたベラの心変わりを心配したシャガールは1914年に彼女を迎えに故郷に戻ることを決意します。
マルク・シャガール「誕生日」1915年
※誕生日を祝いにベラがシャガールを訪ねたエピソードをもとに描かれました
出会ったころよりもさらに美しくなったベラとの再会に喜んだシャガールでしたが、その年勃発した第1次世界大戦のために、パリに戻ることができなくなってしまいました。
翌1915年に、シャガールは首尾よくベラと結婚することができました。ベラの両親は相変わらず憂慮の色を浮かべていましたが、幸福感で満たされたシャガールの芸術は2人の結婚が主題となり、感覚的な傑作が生み出されていったのです。
マルク・シャガール「結婚式」1918年
※2人の結びつきが神により定められ、祝福されたものと考えていたことが表れています
例えば、シャガールは「誕生日」のエピソードについて”私は私の窓を開けさえすればよかった。青い大気、愛、そして花々が彼女とともに入ってきた。純白や漆黒の衣装を身につけた彼女は、長い間私のカンヴァスの上を飛び、私の芸術を導いた”と語っています。
1916年には彼らの最初の子供であるイダが生まれ、いまや2人の家庭の幸福はゆるぎないものになったと思われました。





