雑話106「シャガールとベラ②」
愛するベラと念願の結婚をすることができ、子供まで授かったシャガールはこれ以上ないほどの幸せを手に入れたかに思えましたが、帰国したロシアは経済的にも政治的にも悪化の一路を辿っていました。
イダ、ベラ、シャガール1933年
そこで、シャガールは祖国を抜け出る決心をし、友人の手を借りてビザとパスポートを手に入れると、リトアニアのカナウス行きの外交便で脱出し、その後骨折して遅れてきたベラと娘のイダとベルリンで落ち合うことに成功します。
1923年にパリに戻ることができて、ようやく芸術に没頭できる環境に落ち着きました。家庭の調和に満たされたシャガールは意欲的に作品を生み出し、ベラとイダの穏かなイメージもこの時期のシャガールに目立って登場しています。
マルク・シャガール「窓辺のイダ」1924年
こうして家族とともに充実した人生を送っていたシャガールでしたが、そんな彼をナチスのユダヤ人迫害の知らせが不安に落とし入れます。シャガールもベラもユダヤ人だったからです。そして、とうとう1939年に第2次世界大戦が勃発してしまいます。
当初、シャガール夫妻は自分たちは捕えられるには有名人過ぎると高をくくっていましたが、次第にドイツの圧力が強まっていきました。
フランスでも反ユダヤ法が可決され、あらゆるユダヤ人がフランス市民権を奪われることになって、シャガールは命からがらスペイン経由で、アメリカに亡命せざるを得ませんでした。
幸せなパリ時代とは対照的に、アメリカ時代はシャガールにとっても、妻のベラにとってもつらい時期でした。
アメリカでは、ニューヨークの一流画商になっていたピエール・マティスとの契約により、十分な収入がありましたが、ナチスにやすやすと黙従し、自分を追い出したフランスに対する疑念や、故郷のヴィテプスクを含む東方のユダヤ人の虐殺のニュースがシャガールに暗い影を落としていました。
マルク・シャガール「孤独」1933年
※ヒトラーの権力掌握への反応として描かれました
ヴァイオリンはユダヤ的な楽器、若い牝牛はイスラエルを象徴しています
一方、夫よりもつねに控え目で内気な性格だったベラは、居住地の変化にほとんど適応することができずにいました。
1944年の8月にようやくパリが開放されると、シャガールとベラはさっそくフランスに戻る計画を立て始めるのですが、9月に悲劇が訪れます。
ベラが突然の病に倒れ、そのまま亡くなってしまうのです。
マルク・シャガール「天使の堕落」1923-47年
※何度も描きなおされた、この作品にもベラの死の悲劇的な雰囲気が漂っています
この悲劇は、シャガールの長い人生の中で、唯一この時期のみ創作欲をまったく失わせたほどの、深い悲しみを与えました。
当時、友人に送った手紙には”彼女は・・・ユダヤ芸術のミューズだった。彼女がいなければ、私の絵はあのようにはならなかっただろう。」とベラがシャガールの芸術に大きな影響を与えたことについて書かれています。
翌年にはもうヴァージニアという新しいパートナーがおり、彼女と別れた後はヴァヴァという女性がシャガールと生活をともにしていて、ヴァヴァとは結婚もして死ぬまで夫婦であり続けました。
マルク・シャガール「シャン・ド・マルス」1954-55年
※ヴァヴァと2人の新生活への賛歌となっていますが、亡霊のようなベラの姿とヴィテプスクを思わせる建物が画面下方に描かれています
しかし、この2人といる間も、ベラはシャガールの作品に登場し続けました。それほどベラはシャガールにとって絶対的な存在であり、いつまでも彼の作品の霊感源であり続けたのです。




