雑話165「ウォーホル③、死への恐怖」
先週、ご紹介したマリリン・モンローやエリザベス・テイラーの作品は、ウォーホルの最も物議を醸しだした作品群である「死と惨禍」シリーズの序章でもありました。
このシリーズは1962年の夏に起こった飛行機事故がきっかけで始められました。
ウォーホルが見たニューヨーク・ミラー紙の記事
ウォーホルの友人であり、メトロポリタン美術館の学芸員補佐だったゲルツァーラーは、ウォーホルに事故の記事が載った新聞を渡して、いいました。
「スープやコーラ瓶を描いている場合じゃない。これが今まさに起こっている現実なんだ!」
そこで、ウォーホルはその新聞記事を元にした作品「129人ジェット機事故で死亡」を描きました。
アンディ・ウォーホル「129人ジェット機事故で死亡」1962年
さらに、彼は続く数年間にわたり、身の毛もよだつ種類の報道写真を元にした絵画を制作しました。
それは、致命的な自動車事故、自殺、ニューヨーク刑務所の電気椅子、広島の原子爆弾の爆発、暗殺された夫の葬儀でのジャクリーン・ケネディー、バーミンガムでの人種暴動、腐ったマグロによる食中毒死した2人の主婦などでした。
アンディ・ウォーホル「死者5人」1963年
これらのモチーフの大半は、色やサイズ、構図的なものなどの様々な種類のアレンジがされました。
「死と惨禍」シリーズは、ウォーホルの異常なまでの事故死に対する恐怖から生まれたと思われます。
彼がそれほど死を恐れた理由のひとつは、子供の頃に受けたカトリックの躾でした。
カトリック教徒にとって、同性愛は殺人と同種の憎むべき罪であり、罪人には死後の裁きによって永遠に続く地獄での生活が科せられるのです。
このシリーズは単に彼の死に対する不安を表現するためだけでなく、その不安に対処する助けになるように描かれました。
ウォーホルは作品の中で、同じイメージを反復して使っています。彼はその理由について、ぞっとする映像も何度も見ているうちに、感覚が麻痺してきて何も感じなくなってしまうからだと語っています。
アンディ・ウォーホル「救急車の悲劇」1963年
”精神的麻痺”と呼ばれるそうした効果を狙って、ウォーホルはイメージの反復以外に、元のイメージに変化を与えました。
アンディ・ウォーホル「2重の銀色の惨劇」(部分)1963年
当時のウォーホルのアシスタントは、写真で見ると顔をしかめるような画像も、キャンバス上で違う色を施すと、見るに耐えるものになるか、元の画像ほど暴力的ではなくなったと証言しています。
アンディ・ウォーホル「電気椅子(赤)」1964年
こうして画像を粗くしたり、色をつけたものを繰り返し使うことで、事件の現実味は二重の意味で薄れただけでなく、死はある種のイメージに変えられました。ソファの上に飾られる、芸術というイメージです。
アンディ・ウォーホル「ラベンダー色の惨劇」1963年
このシリーズの多くの作品、特に電気椅子の作品は、美しい色が施されました。
恐ろしい死が魅力的な室内装飾に変えられるのは、ほとんどの人にとって不愉快かもしれませんが、そうすることでウォーホルの気持ちはずっと楽になったことでしょう。






