小学2年生と年長の子を持つお父さんと、日付が変わった頃に教室で話している場面です。
「学校のワークって何?」で始まった会話はこんな流れでした。
「このワークをやらないで、100点取ったら最高の評価なんでしょ?」
「いやいや違いますよ。範囲表を見てもわかるように、『提出厳守』と書かれてますよね」
「提出は全部のページをやらないといけないの?」
「そうですね。指定されたページ全部です。これを人によっては何回りもします」
「あ、他の塾さんでも3回りとか書いてあったわ」
「そうなんですよ!」
「息子が中学に入る頃には、ルール変わらない!?っていうか、出さないとどんなデメリットがあるの?」
「通知表の評価項目に、『関心・意欲・態度』という欄が全教科あるんですが、そこの評価が悪くなります。本当に簡単に言ってしまえば、定期テストの点数は『知識・理解』に当たります。だから仮にワークを提出せずに高得点を取っても、『5』が最高の通知表の内申が『3』になるようなケースがあります」
「『関心・意欲・態度』のカンシンって、『もんがまえ』のカンシン?」
「そうです!興味があるかどうかのカンシンです」
「じゃあ犬童さんの言っていることがますます謎だわ!」
「何でですか?」
「態度は別にして、『関心・意欲』ってさ、教師が『提出しなさい』って言ったワークを出して、その行為のどこに関心や意欲が感じられるんだろ。むしろそれに取り組まなくても高得点が取れる生徒こそ、関心や意欲があるってことにならない?極端かもしれないけど『100点を取ること=関心・意欲』ってならないのかな。だってその気がないと高得点は取れないわけじゃん。教師がノルマとして課すことをしなくても良い結果を残すってことは、普段からその科目について深く考察しながら生きていることになるでしょ。その姿勢こそが『関心・意欲』じゃないのかな?」
「その意見は一理も二理もありますね。私も現在の制度が当たり前だという前提で物事を考えていたので、今のお話にどう返答するべきか戸惑っています。でもFさんが想定しているほど、ほとんどの中学生は学校の授業以外で、学問について考えていないのかもしれません」
「そうですか…さっき学校ワークを見せてもらった時に、『まるで自転車の補助輪みたいだ』って感じたんだなぁ。そして塾でそのワークの取り組み方まで指導されるとなると『後ろで支えてもらっている状態』に思えるわけで。そこまでしてもらって平均点が50点だ、60点だと聞くと『日本の教育大丈夫かな』という感覚をどうしても持っちゃうなあ」
ちょっと私の中で整理が付かない部分もあったので、話題を変えました。
「Fさんの考えからすると、お子様は私立中学に進学を考えた方がいいかもしれませんね。公立中学が5年後・10年後に大きく変わる想像ができません。愛知にはあまりないのですが、公立の中高一貫校などができても面白いのですがね」
「ちょっとヒートアップしてすみませんでした。確かにこのワークをきちんと埋めて提出することを是として、評価の対象にする中学には魅力を感じないです。そうなると私立ですか。。稼がないけませんね。アメフトの問題で指導者が『やれ』といった間違った指示に選手が乗ってしまった。そういった指導がこういう所からされているのだな。勉強とタックルを並べてはいけませんけど、『やれ』と言われたことを『やる』と高評価をもらえるという形は一緒なのかなと。」
こんな感じで勉強に関する話は終わりました。
その部分だけ文字に起こすとFさんがキツイ人に見えますね。
その後は巨人と阪神と中日の問題点について話しました。
野球では私の方がキツイ意見をたくさん出しましたw
日々実際に中学生と接していると、Fさんが求める水準のハードルが高く感じます。
でも中身自体は十分に理解ができますし、本来はそうあった方がいいと思った所が多いのも事実。
私の方向性としては、現在の中学部の生徒たちは現状の方法をブラッシュアップ。
小学校の4年生くらいまでに入塾してくれた生徒は、
学校のワークに囚われなくても、結果を残せるような育て方をしていきたい。
大まかですが、そのように考えています。