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給料は社会奉仕の報酬

■3月29日<松下幸之助一日一話>
給料というものは、自分の生活を営む上で当然必要であるから、働くことの一つの目的ではあろうが、もっと大事な目的を忘れてはならないと思う。それは、自分の仕事を通じて、あるいはそのつとめた会社、商店を通じて、社会に尽していくということである。いわば職業人として、産業人としての使命をよりよく遂行していくことである。大きな意味で言えば、人間としての使命を果たしていくことにも通じると思う。だから見方を変えれば、給料というものは、そのように仕事を通じて社会に奉仕貢献していくことの報酬として与えられるものとも考えられよう。

まりも

1952(昭和27)年、北海道阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定されました。

3月29日の出来事

1602年:オランダが東インド会社を設立
1683年:「八百屋お七」が鈴ヶ森刑場で火炙りの刑に処せられる
1853年:太平天国の乱で洪秀全が南京に入城。南京を天京と改め大平天国の都とする
1894年:朝鮮で東学党の乱が起きる
1897年:金本位制貨幣法公布
1911年:日本初の労働法、工場法が公布
1925年:普通選挙法案が成立し同年5月5日に交付
1957年:日本の南極越冬隊が南極大陸に初上陸
1973年:アメリカ大統領がベトナム戦争終結宣言し、在南ベトナムの米軍が最終的な撤退を完了

サーロイン・ステーキの語源

■3月29日<今日の雑学>
毎月29日は肉の日。肉といえば、ステーキ。ステーキといえば、サーロイン・ステーキが有名だが、牛の上部腰肉のsirloinは、ステーキ肉でも最上級とされ、その命名についてはイギリスのヘンリー8世に由来するという説がある。彼はローマ教皇と喧嘩してイギリス国教会を作ってまで離婚を強行。次々と妻を斬首しては6人もの女性と結婚したことで知られる王様だが、食道楽としても有名。彼の食べた腰肉(loin)があまりに美味しくて、サー(sir)の称号を与えたというものだ。だが、サーロインの語源はフランス語の「シュールロンジュ」(surlonge)に由来するという説もある。シュールは「上」で、ロンジュは「背肉」の意味。ロンジュよりさらに上側をシュールロンジュといい、シュールロンジュが英国に入って「サーロイン」になったという。

マリモ

1952(昭和27)年、北海道・阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定されました。

3月28日生まれの著名人

1483年:ラファエロ(画家)
1828年:イプセン(劇作家)
1868年:ゴーリキー(作家)
1924年:邱永漢(作家)
1927年:利根川裕(作家)
1936年:藤巻潤(俳優)
1949年:伊武雅刀(俳優)
1960年:石田衣良(作家)
1969年:的場浩司(俳優)
1970年:水野真紀(女優)
1975年:神田うの(タレント)
1977年:多村仁(プロ野球選手)

身を捨てる度胸

■3月28日<松下幸之助一日一話>
人生というものには、いろいろな問題があります。しかし、それらのことも過ぎ去ってみると、あのときに迷わないでやってほんとうによかったな、というような場合が多いのです。そこが大事なところだと思います。ある場合には迷うこともあるでしょう。しかし、しょせん迷ってもお互い自分の知恵裁量というものは、ほんとうは小さいものです。だから、「これはもう仕方がない。ここまできたのだからこれ以上進んで結果がうまくいかなくても、それは運命だ」と度胸を決めてしまう。そうした場合には、案外、困難だと思っていたことがスムーズにいって、むしろ非常によい結果を生む、ということにもなるのではないかと思うのです。

古代都市・楼蘭

1900(明治33)年、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見されました。

3月28日の出来事

 804年:最澄・空海が遣唐使として入唐
1854年:クリミア戦争がおこる
1869年:明治天皇が京都から東京に着き、東京が日本の首都になる
1871年:パリ・コミューンの成立が宣言
1876年:廃刀令が出され、武士の特権だった帯刀が禁止になる
1901年:「北海道法」が公布。府県と同等の地方公共団体として認められる
1903年:日本初のビアガーデンが東京隅田川の吾妻橋にオープン
1913年:所沢で陸軍機が墜落。日本初の航空事故
1920年:平塚雷鳥・市川房枝らが新婦人協会を結成
1939年:スペイン内乱が終わる
1979年:アメリカスリーマイル島で原発放射能漏れ事故

「新婦人協会」結成

■3月28日<今日の雑学>
1920年3月28日、青鞜社の文学活動で知られる平塚らいてう(雷鳥)の主唱のもと、市川房枝、奥むめおといった女性運動家が日本で初めて女性の政治的自由を要求した進歩的女性団体「新婦人協会」を結成した。彼女らの主張は「婦人の能力を自由に発展せしめるため男女の機会均等」「男女の価値同等観のうえに立ち、その区別性を認め、相互の協力を主張すること」「婦人、母、子供の権利を擁護し、その利益の増進をはかるとともに、これに反する一切を排除する」というものであった。会員は400名を越え、機関誌『女性同盟』を刊行。婦人の政治的活動を禁止した治安警察法第5条の撤廃請願運動、性病男子の結婚禁止法制定促進運動など積極的な活動を展開。治安警察法の改正に成功したが、内部対立が原因となって1922年12月解散した。