法の解釈適用はかくあるべし、の見本のような見事な最高裁判決 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

何をもって法と解すべきか、ということについては、立場によってそれぞれ多少の違いがあることは、皆さんご承知だと思うが、法の解釈適用はかくあるべし、という最高裁判決が今日出された。

一人で死産した双子の遺体を自宅に遺棄したとして死体遺棄罪に問われたベトナム国籍の元技能実習生に対する最高裁第2小法廷判決である。

検察官が起訴し、一審の熊本地裁で懲役8月、執行猶予3年の有罪判決、二審の福岡高裁で懲役3月、執行猶予2年の有罪判決が言い渡されていたのが、上告審の最高裁で逆転無罪判決を言い渡されることになったのだから、法の解釈適用は法の解釈適用に当たる人によって実は違いがある、ということが了解されるだろう。

法の解釈適用として何が正しいかは、そう簡単に言えないところがある。

しかし、私は、結論としてこの最高裁判決を全面的に支持する。

もっとも、だからと言って、起訴に踏み切った検察官や、有罪判決を言い渡した地裁や高裁の裁判官の法的判断が端から間違っていた、とまでは断言しない。

法の解釈適用は、必ずしも一様ではない。

法の明文の規定の文言解釈だけでは決められない場合があることを、是非了解してもらいたいものだ。

それにしても、この最高裁の判断は素晴らしい。
法の解釈適用はかくあるべし、と私たちに教えてくれているようなものである。