遅すぎの感は否めないが、PCR検査受診の目安の変更は妥当だと思うのだが・・。 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

私は受けたいとは思わないが、世間ではPCR検査を受けること自体に何かしらメリットがあるように思っておられる方がおられるようだ。

確かにPCR検査を受けさせてもらえないで自宅待機を続けて、症状が急変してお亡くなりになった方が何人かおられるので、これまでのPCR検査受診体制に問題があったことは間違いない。

これまでは、医療側の受入れ態勢が十分整っていないために保健所等における相談対応が適切でなかったのだろうと思うが、その責任がすべて厚生労働大臣一人にあったか、ということになると、私は否と言いたくなる。

多分、医療専門家のどなたかがPCR検査受診の目安なるものを策定し、厚生労働大臣はこれを鵜呑みにしたのだと思う。

目安を受診の一つの基準のように取り扱ってしまったのは、多分保健所等の現場だろうと思う。

目安はあくまで一応の目安でしかないのだが、軽い気持ちで持ち出した目安なるものが現場では何かしら金科玉条のようなものに変質してしまうことがあるのは、行政の各場面でしばしば起きることである。

現実にこの目安なるものが一人歩きして、PCR検査受診の申し込みを撥ね付けられてしまった方々が相当おられる、ということに対して、厚生労働大臣は素直にお詫びされた方がいいだろう。

どんな言葉も、受け取った相手の立場に立って考えてみることが大事である。
言葉足らずが、大変な誤解を招くこともある。

釈明の言葉も、然り。

自分にはそういうつもりはなかった、それは誤解です、などと言っても、それだけでは足りない。
ゴメンナサイ、とは言い難いのかも知れないが、ごめんね、の一言くらいは言った方がいい。