ドンキで仮装して希望の塾に並んでいるのではないか、などと書いておられた方がいたが、私は希望の塾に入ろうとは思わない。
大阪の松井さんは自分も希望の塾に入りたいなどと冗談を言ってマスコミの人を湧かせていたが、希望の塾は若い方々に限る。
青雲の志の燃えている人や、自分の力の発揮どころ、試しどころを探している人などに小池さんの希望の塾はふさわしいだろうと思っている。
党派は特に問わないようだから、我こそは、と思っておられる方はどんどん飛び込まれた方がいい。
希望の塾に行けば何か得られるかも知れない、何かいいことがあるかも知れない、という考えの方はひょっとしたら当て外れになるかも知れない。
少なくとも切磋琢磨の場を求めて自ら動く、といった自発性、自律性、能動性が必要だろうと思う。
希望の塾は、受験塾、進学塾などではないはずだから、何かそこで答えを求めるようなつもりだと多分期待外れになる。
希望の塾は、あくまで切っ掛けに過ぎない。
希望の塾で出会った人を大切にされることである。
希望の塾は、学ぶ場ではなく、創る場だと思っていた方がいい。
塾というのだから教育する場だろう、4000人もの教育をする場などそうそう出来るものではない、希望の塾は単なる金集めの手段だろう、などと冷たい物言いをされる方がおられたが、私は必ずしもそうは思わない。
希望の塾は、受験塾でも進学塾でもない。
故棒の塾は、人を育てる塾、人材を育てる塾。
塾生は、自ら学び、自ら自分自身を育てて行かなければならないはずだ。
誰かに何かを教えてもらう、という普通の塾であるはずがない。
どなたかからお誘いがあれば、私も希望の塾に参画したいとは思っている。
多少は、お役に立てるはずだ。