同じ戦うなら、断然スポーツがいい。
アジアカップで日本が優勝した。
主力メンバーが負傷で欠場したのにも関わらずチームの団結力で勝利をもぎ取ったというのだから、素晴らしいことである。
私自身はテレビでその試合を見れなかったが、まさに死力を尽くして戦ったという感がある。
チーム全員がへとへとになるまで走り込んだようだ。
延長戦で新しいメンバーを投入し、気力も体力も旺盛な新しいメンバーが勝利の女神を呼び込む。
典型的な勝ちパターンである。
いざという時に備えて、おさおさ怠り無く丹念に準備運動を続けている控えの選手の存在が重要である。
今はまだ表舞台に登場していないが、いつでも「その時」に備えている本当の力のある選手。
そういう選手が欲しいものだ。
第一線で活躍している人たちが長い戦いに疲れ果てて足が止まりそうになるときに、颯爽と登場してグラウンドを所狭しと走り回って相手陣営を攪乱し、隙を見て止めの一発を放つ。
これで、スター誕生である。
対オーストラリア戦では、途中出場の李忠成選手が華麗なシュートを決めてくれた。
誰も李選手の周りにいない。
不思議な空間が生じていた。
そこにボールが飛び込んできた。
狙いすませたような決定打を放った。
実に素晴らしい試合であった。
スポーツの世界の戦いは、私たちを興奮の渦に巻き込んでいく。
やはり、スポーツの世界の戦いはいい。
今の政界の表舞台で活躍している人たちは、段々動きが鈍くなり足が止まりがちになっている。
どうにも切れが悪い。
ボールの動きの後を追うような感じになっており、ボールの行き先を見失いがち。
この辺で選手交替の合図を送るときだが、試合を見ているはずの監督がどこにもいない。
監督がいないから、選手交替の指令を発しないまま漫然とだれた試合を続行し、只管レフリーの笛が鳴るのを待っている感じである。
現在の日本の政治は、残念ながら凡試合のようだ。
凡試合も凡試合。
どこからも拍手が湧いてこないし、観客の歓声も聞こえてこない。
選手交替!
大きな声で審判にアピールする監督が必要である。