昨年の衆議院選挙で落選していないと私もなかなか今日のようなフリーな状況になれなかっただろうから、私がまだ気力も体力も充実している間に国会議員を辞めることになったのは、天の配剤かも知れないと思い始めている。
こんなにも自由に物が言える、というのは素晴らしいことである。
私のブログのコメント欄を非公開にしてから、今日が丁度1週間目である。
後数時間でまたまたコメント欄をオープンにさせていただく。
コメント欄を非公開にすることで、いくつかの収穫があった。
まず、私の独白が増えてきた。
ここまで書いていいか、と思うようなことも、この際、書いて置いた方がいいだろう、という気になって書いている。
他人の眼をあまり気にしない。
自分の主観で書くことを決める。
どこまで書くかも、その時の気分次第。
段々のめりこんで、どんどん本当のことを書く。
沈潜度が高まっている証拠である。
コメント欄非公開の間に私のブログを読まれた人には、さぞかし役に立つ話が多かったろう。
本当の話は、どんな場合も役に立つ。
本当の話の活用の仕方が分からない人には、豚に真珠、猫に小判の類だろうが、いずれは段々に本当の話の価値が分かってくるものだ。
これから選挙に出ようとしている保守系の人たちは、これからも私のブログを参考にされたらいい。
私は、自治省在職中に富山県に出向し、富山県庁地方課に奉職した。
その頃、富山県選挙管理委員会の職員も併任し、市町村の選挙管理委員会の指導をしていたことがある。
富山県選挙管理委員会の職員としての実務経験や、その後弁護士として長年司法の現場で培ってきた法曹としての訴訟実務経験は、おそらく他の国会議員にはない稀有のものであると考えている。
さらには、自ら国政選挙の候補者として、15年間にわたって選挙戦を戦ってきた現場経験がこれに加わる。
この間、自民党の公認候補になったこともあれば、無所属で立候補したこともある。
まあ、珍しい経歴だろう。
国会議員としては、自民党の法務部会に所属し、公職選挙法や政治資金規正法の改正論議等の重要な部分を担ってきた。
最後は、法務大臣政務官として、司法行政のトップの一端にも座ってきた。
勿論直接検察官を指揮するようなことは無いが、国の訴訟を掌る訟務検事に対して法律の専門家の立場から色々注文をしたことはある。
わたしのような経歴の持ち主は、おそらく皆無であろう。
昭和44年7月に東京大学を卒業して自治省に入省して以来の様々な経験が自ずから私のブログに滲み出ているはずだと思う。
経験だけが重要ではないが、経験は重要だ。
これから選挙に挑戦しようとする若い人が私の経験を学ばない、というのは損なことだと思うが如何か。
と、思ってたら、今日は、一ついいことがあった。
新党改革から参議院埼玉選挙区で立候補した中川幸司氏からメールが届いていた。
私のブログを読んでいるそうだ。
会って話を聞きたい、と言ってこられた。
与野党の立場を超えて、先達の話は聞いておくものである。
私は中川氏とは面識はないが、こうして私に積極的にアプローチしてくる人にはどこか見所があるはず、と考えている。
お会いするのが楽しみである。
なお、中川氏はみんなの党から立候補したのかと思っていたが、新党改革だったようだ。
それでもいいではないか。
私は、そう思っている。
誰に対しても役に立てれば、それはそれでいいことだ。