こんなことを書いたらあちこちから猛反発だろうな、と思いながら、後日のために問題提起をしておきたい。
我が国の農業予算は、私の眼から見るとかなり歪だ。
なぜこういう補助金が認められているのだろうか、と不思議な気がする。
日本農業の保護、農家の保護という大義名分が付くと、あれよあれよという間に巨額の予算が配分される。
自民党の農水関係の部会はいつも盛況。
応援団も駆けつけるから、座りきれないほど。
党本部の玄関を入ると、大勢の人が並んでいて、「早川先生です!」と応援団の事務局らしい人が大きな声を上げる。
この声を合図に一斉に拍手。
「よろしくお願いします。」の声に送られて、気恥ずかしい思いをしながら別の部会の会議に出席する。
たまに農水関係の部会に出席しても、発言できるような状況ではない。
大体は、それぞれの地域の実情を反映した予算措置の要望合戦。
都市農業の場合は国の補助金を要望しなければならない品目がないせいか、誰も陳情にはこない。
私が出席する法務部会や司法制度調査会は、特定の団体や特定の産業の個別利害よりも国民全体に関わる制度作りが基本なので、予算の獲得合戦に参加することはほとんどない。
そういう立場で農水関係の部会に出席する議員の発言を聞いていると、どうしても違和感を感じる。
何が何でも予算を獲得するんだ、という意気込みで参加している。
この人は理知的な人だなあ、と思って人が、地元の重要な農産品の政府買取価格の審議の場面では農水省の役人を怒鳴りつけんばかりに叱責しているのを聞いて、これは凄まじいものだ、と思ったものだ。
この位しないと地元の利益を代弁したことにならない、ということか、と妙に納得したものだ。
部会出席者で発言する人が皆それぞれに予算に関する要望を続けるから、ああ、ここは地元のあらゆる要望を出すところ。
うっかり、農水行政の在り方について素人っぽく疑問を提起したら、袋叩きになるのは必至。
でも何となく釈然としない。
これでいいのかな。
自分が予算査定をするとすれば、かなり大幅に組み替えるだろうな。
そう思ってきた。
そんな私の感覚と同じような感覚を持っていたらしいのが、石破農水大臣。
減反選択制なる制度を提案された時は、うん、これでいいんじゃない、と思った。
ところが、案の定自民党の農水部会での反発が凄かった。
そうか、日本は農業国家、農水国家だったのだ。
日本は農本主義国家だ、ということに気付かされた次第。
さて、これでいいだろうか。