乞食ではなく乞力 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

こつじき、と読みます。


毎日の駅頭で、一般の方々がどんなことを感じておられるかを肌で感じております。


駅頭に立っていて何がどうなるわけでもない。

選挙の結果を左右するわけでもない。

時には、罵声を浴びるだけに終わることもある。

時には自分のことではなく、他人のことでも全部自分に降りかかってくる。

逃げることは許されない。


これは、行です。

実に虚しい行です。


ああ、これが修行中の僧が行なうとかいう、乞食の行だな。

こじき、ではなく、こつじき。

そう、思いました。


何のために修行僧は乞食の行を行なうのかと考えました。


その日の食を得るという目的ではなく、あくまで、人から施しを受けるための行として行なっている。

そこに意味がある。

私は、そう理解しました。


人の成長に関わるから、行として成り立つ。

そういうことでしょう。

毎日の駅頭は、政治家の成長に役に立てば、行となり、単なる一時のパフォーマンスに止まれば人の愚かさを曝け出すだけのものに終わる。

そういうことです。


今朝は、雨です。

目の前で傘を閉じ、私の前を黙然と通り過ぎる人々の姿が、如何にも恐ろしく感じられる瞬間がありました。

あの傘が、一斉に政治家に対する非難の刃となって向かってくる。

じろっと私の方に視線を投げかけ、にこりともせず通り過ぎる。

おはようございます、の挨拶にも無反応。


こういう人が圧倒的に多い。

無言の非難、無言の批判が籠められているように感じました。

自民党にとって今が最悪のようです。


麻生総理の求心力の低下が、新聞の紙面を賑わしています。

同時に、日本の経済の再生力への懸念も紙面に躍っております。

今の日本にとって必要なのは、この圧倒的な閉塞感、失望感を打破し、目前の危機を突破する突破力ではないか。

そう、思えてきました。


そこで、私の新たな気付きです。


私の駅頭は、乞食(こつじき)ではなく、乞力(こつりき)。

皆さんから危機を突破するための力を頂くための行が、毎朝の駅頭です。

厳しかった人々の表情が、確かに和らいできました。

8時を過ぎたあたりから、わざわざ帽子を取って挨拶をしたり、頑張ってくださいと声をかけてくださる方、会釈を返してくださる方が増えてきました。

これでやっと力を取り戻しました。


ほんの短い駅頭であっても、こんな風に風景が変わります。

駅頭は、乞食ではなく、乞力だということを、政治を目指すすべての人々にお伝えしたいと思います。