止むを得ざる野次 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

年配者は、ほどほどのところで後輩に座を譲ったほうがいい。

そう思うような光景がありました。


国会議員の定数削減には反対だ、地方の国会議員の活動の場がますます狭くなる。

国民におもねるようなことは、すべきではない。


政界を引退することを表明している長老が長広舌を振るい始めました。

日頃弁論で鍛えておられるようで、実に豊かな声量で、かつ明快な論旨です。

しかし、くどい。


言いたいことが沢山おありのようで、もう一言、もう一言、と延々と発言を続けられます。


世襲制反対、などと言っている連中がいる。

なんと友情の無いことを言うんだ。

皆、同志じゃないか。

同志の足を引っ張るようなことをすべきでない。


義理人情の世界で育った世代に相応しいものの言い方です。

しかし、はいそうですか、とは言いがたい主張でもあります。


一つ一つ反論なり、批判をしたくなるようなことばかりです。

しかし、本会議の時間が迫っており、わざわざマイクを握って論戦を戦わせるわけにはいかない。

こういうときが、難しいですね。


沈黙を守っていたのでは、長老の意見に屈したように思われる。

大半の大人しい人たちは黙って聞いているが、私は、絶対に大人しい人間の数のうちに入れられては、困る。


そこで、いい加減にしろ、と野次を飛ばしました。


品は、ありません。

私たちは、どんなに弱くても、それぞれに戦いを繰り広げているサムライ達です。

一方的に批判されて、最後まで黙っているわけにはいきません。


勿論、長老には長老の言い分があるでしょう。

しかし、様々な政策提言をしている側にも、それぞれ言い分があります。

十分の議論の場が与えられているのならともかく、みんなが遠慮して物を言わないということを利用して、自分勝手な物言いを押し付け、反論はさせない。

それは、余りにも無体な。


いいことはいい。

悪いことは悪い。

私は、自分の意思をできるだけはっきり表明するべきときだと思っております。


「あの野次は、忠孝さん?」

同僚がそう尋ねました。

さて、長老に私の野次は届いたかしら。