こういう役回りだったか/原爆症認定訴訟の政治決着 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

おはようございます。


誰の責任でもない。

すべて私たちの方から言い出したことだ。

この問題の決着は、自分の手でしなければならない。


そう思えるような事態になりました。


私のブログを読んでいただいている皆さんはご存じだと思いますが、私は法務大臣政務官になる前は自民党の原爆被爆者問題対策小委員長を務めておりました。

小委員会は、一昨年、原爆症認定訴訟問題について、大胆な認定基準の見直しを行い、申請患者の早期救済を図るよう要望してきました。


自民党と公明党でプロジェクトチームを立ち上げ、認定基準の在り方について与党政策責任者としての考え方も示しました。

その座長を務めていたのが河村建夫官房長官です。


党側で提言を取りまとめた責任者が、今は内閣の側にいる。

これが不思議な巡り合わせというものでしょうか。

今度こそ政治的な決着を図らなければならないときです。


原審判決を最初に読んだときに、この一連の判決が控訴審で覆される可能性は殆どない、徒に事件を引き延ばすのではなく、先をしっかり見通しての判断をすべきだ。

そう繰り返し主張してきました。


裁判の結果を見通すのは、法律の専門家の間でもなかなか難しいことがあります。

どうしても上級審の判断を仰がなければ整合性、統一性が保てない。

新しい立法で決着をつけない限り、現行法の解釈としては現在の認定基準に依拠する外ない。

担当者のそんな悲鳴を受けて、やむを得ず控訴審の推移を見守ってきました。


どうしても今年の8月6日の広島原爆忌までには、解決を図りたいものだ。

そう、念願してきました。

いよいよその時期を迎えました。


河村建夫官房長官も私も、この問題の解決を図るべく現在の職務を与えられた、ということでしょうか。

不思議な巡り合わせです。

はじめから決まっていたのでしょうか。