一手の指し間違え | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

飯島勲氏の小泉官邸秘録(日本経済新聞社)を読んでいる。


書けなかったことも沢山あるだろうが、小泉元総理の時代に何があったか、実によく整理されて記述されている。

小泉時代はまさに日本の政治の大転換期だった。

オバマ氏の登場以上に日本の政治の大転換を実現したことが改めて確認できた。


小泉氏が自民党の総裁選挙で初めて当選したときの熱気や国民の興奮、その直後の参議院選挙で既に決まっていた自民党の公認内定者に対して派閥から離脱するように求めたこと、ハンセン病訴訟事件に対する熊本地裁判決に控訴しないことを決定して、国民を代表して原告患者代表団に謝罪したことなど、私が小泉改革を応援しなければならないと決意した大事な出来事がサラッと書かれているように、小泉時代には実に沢山の出来事があった。


9.11同時多発テロ事件や、その後の一連の有事法制整備問題、奄美沖の不審工作船銃撃事件、小泉総理の北朝鮮電撃訪問と拉致被害者の連れ戻し、道路公団民営化、田中真紀子外務大臣更迭、BSE問題、未納年金問題、郵政民営化実現までの長い長い戦い等、その一つ一つが日本の政治史を飾るような大事件の連続だった。


まさに息もつかせないような小泉劇場の連続だったことを改めて理解した。

小泉総理の登場で、老練だが明らかに高齢のベテラン政治家が何人も政治の第一線から退いた。

平成15年の衆議院選挙の時のことである。

85歳の中曽根康弘元総理や84歳の宮沢喜一元総理をはじめ塩川正十郎前財務大臣、野中広務元官房長官などが一斉に引退したのだから、小泉時代が日本の政治の大転換を果たしたことは間違いない。


小泉改革の光と影、その功罪が論じられているが、私は、今でも小泉構造改革は正しかったと思っている。


しかし、残念なことが一つある。

小泉総理は、たった一つ間違いを起こした。

しかも、その間違いは日本の政治にとって致命傷となるような間違いであった。


自分の後継者に、安倍晋三氏を事実上指名したことである。


森内閣の官房副長官であった安倍氏を小泉内閣でもそのまま続投させ、平成15年の衆議院の解散総選挙の直前には自民党の幹事長に登用するなど、小泉総理は安倍氏を重用した。

いよいよ小泉氏が総理を退任することが必至となった平成16年には、安倍氏を内閣の要である内閣官房長官に登用したのだから、小泉氏が安倍氏を自民党の後継総裁に事実上推すつもりであることは、誰の目にも明らかだった。


それが、やはり間違いの始まりだった。

自民党の総裁選挙を意識して平成18年の通常国会で会期延長もせず、教育基本法の改正や防衛庁の省昇格法、自衛隊法の改正法などの懸案事項の議決をどんどん先送りした。


案の定、後継総裁に安倍氏が選出され、第90代の総理に安倍氏が就任したが、平成18年の臨時国会、平成19年の通常国会は強行採決の連続であった。

小泉総理の平成17年の郵政民営化解散総選挙で与党が圧勝し、3分の2を超える議席を獲得したことから勝ちを急いでしまった。


ほんの一手の指し間違えなのだが、これが致命傷になっている。

あの時、自然の流れに従っておけば、今日のような事態にはなっていなかった。

無理をしたため、道理が引っ込んだ。


あの時、せめて福田総理を実現していれば安倍氏ももっと自分の経綸を養い、本当の同志を糾合することが出来たのに、勢いに乗じて戦いを急いだため、足元がどんどん弱く、緩くなっていることに気が付かなかった。


一手の指し間違えは、プロの世界では許されない。

麻生内閣において定額給付金問題がそうならないよう、周到に策を練る必要がある。