少数が多数を制する | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

よそ様のことではあるが、どんな世界でもあり得ることについて注意喚起をしておきたい。




少数が多数を制する方策についてである。


40人のグループが7つあるとする。


全体で280人の規模になる。


280人のグループの頂点に立つためには、21人をしっかり固めればいい。




1割弱の21人で何故280人の集団のリーダーになれるのか。


ゲーム理論の専門家に是非解析して頂きたいが、私は、実は簡単なことだと思っている。


7のグループの内の過半数が4,ということから、自分のグループを除いた3のグループから支持が得られれば、7のグループからなる集団のトップに立てる。




自分のグループでは、40人の中で自分を除いた他の20人の支持を得られれば、自分がトップに立てる。


そういうことである。


グループ相互の間では人的交流がなく、グループを超えた合従連衡が出来ないようになっていると、こんなことが可能になる。




自分のグループの結束をどう保つか。


これは飴と鞭、である。


自分に従う者には徹底的に支援し、自分に逆らう者は徹底的に干す。


権力を持つとこんなことも出来る、という見事な証左である。




選挙には、金がかかる。


だから、金を自由に差配できる者は金によって人の心を左右できる。


選挙に出るためには、党の公認が得られなければならない。


だから、実質上の公認権を持っている人間の顔色をどうしても窺うようになる。




さらに、選挙を戦うためには、現実に選挙戦を戦う人材が必要である。


選挙を間近に控えて、誰かの指揮命令の下で、組織的にかつ馬車馬のように働く軍団を動かす力を持っている人間に逆らうことは難しい。




こうしたパワーゲームの結果、どうやら民主党の代表選は無投票になりそうだ。


堂々と政策を戦わせ、新しい政治の潮流を生み出すきっかけになればいい、と期待していた私には、残念な事態である。




つまらない世の中になったものだ。


青年の気宇壮大な志(青雲の志)を遂げさせる道を、これからどうやって見つけたらいいだろうか。




これでは、内心に不満を抱きながら本当の自分の思いを表に出すことが憚られるような閉塞状況が拡がるだけではないか。