本物のタレントを示した橋下弁護士/奇跡は何度でも起きる、それが奇跡だ | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

見事な結果である。

38歳の橋下弁護士が大阪府知事選挙に当選した。


選挙戦の模様をテレビで見たときに、あっ、これは橋下候補が当選するな、と思った。

それほど、見事な変身振りだった。

茶髪で、乗りがいいが、如何にも軽薄そうな印象が一変していた。

一時、芸能週刊誌やタブロイドの夕刊紙でその過去の言動が批判されたこともあったが、それを跳ね除けて、大阪を変えたい、という若者らしい、必死の叫びを発信し続けたのが、逆風の中で闘い続ける橋下、のイメージを広げた。

どこにでもいそうな好青年である。


一方、民主党が担ぎ出した大学教授は、如何にも地味風であった。

民主党が所属する国会議員や労働組合員の総力を動員して応援した、というが、肝心要のマスコミの応援を勝ち取れなかったようだ。


民主党の小沢一郎氏の本会議採決の棄権が決定的だった。

マスコミが注視している、その目の前で衆議院の本会議場を出てしまう。

そのことが国民にどんな印象を与えるか、本人には思いも及ばなかったということだろうか。


担ぎ出された候補者にはいい迷惑だったろう。

自分には世論の応援がある、素人には大阪府政は任せられない、そんな意気込みで選挙戦に臨んだはずである。

「自分の不徳の致すところです。応援していただいた皆さんには、本当に申し訳ないことをしました。皆さんには、心から感謝しております。」

候補者は、そう挨拶されたのではないか。


本当にお気の毒だ。

せめてご自分の陣営から選挙違反者を出したり、選挙運動で大きな借金を抱えないようにして頂きたい。

国政選挙落選3回の、私自身の経験を踏まえて、そう申し上げたい。


この候補者も、実は政治の世界ではまったくの素人。

本当に何をやっていいのか分からないままに、選挙期間が過ぎてしまったはずだ。

どういった人たちが選挙運動に走り回ってくれたか分からない、選挙運動の資金がどこから出て、誰が、どんなことに使ったか分からない、分からないままに全てが終わり、その全ての責任が自分に降りかかってくる。


それが、選挙である。


その選挙を通じて、少しずつ候補者は成長する。

その時々の選挙の結果は、実はそうたいしたことではない。

選挙が終わってからが、本当の修羅場が始まり、また政治家としてのキャリアが始まる。

当選を果たした橋下氏も当選できなかった熊谷氏も、気持ち新たに、これからの人生を堂々と歩んでいただきたい。

心からそう祈っている。


時代が、橋下知事を求めていたのだと思う。

その時代の潮流をしっかりと受け止め、その潮流に乗ることが出来た橋下弁護士は、どうやら本物のタレント、才子ということだ。

これでテレビタレント業とはおさらばである。

弁護士の仕事とも当分の間、離れなければならない。


まだ38歳、実に人生は長い。

大阪を本当に蘇らせることが出来れば、橋下氏は本物の政治家になることが出来る。

このチャンスを、是非活かしていただきたい。


あり得ないことが、起きたのである。

3選確実と言われていた太田前知事が選挙の直前に出馬を断念し、まったく白紙からの候補者選び。

そのときに天から啓示を受けたように思って、自ら名乗りを上げた橋下氏。


チャンスには後ろ髪はない、という。

チャンスは前髪で掴め、ともいう。

宮崎の東国原知事といい、大阪の橋下弁護士といい、まさに奇跡といって良いようなことが、次々と起きている。


平成15年の衆議院選挙での私の当選確率が1億分の1であったことは、既に書いた。

今、衆議院議員として5年目を迎えている。

奇跡は、何度でも起きる。

それが、奇跡だ。


最近、そんな気がしている。