1月17日自民党の党大会が品川高輪プリンスホテルで開催された。大会冒頭12年前のあの阪神淡路大震災で亡くなられた被災者に対する哀悼の意を表明するため、全員で黙祷、ご冥福を祈った。
阪神淡路大地震は、大都市直下型地震であったため、死者6434名、住宅の損壊は63万9686棟に及ぶという大きな被害をもたらした。
懸命の復興再建の努力で、現在被災地は被災時の記憶を留めるところが無いほどに見事に再生を果たしているようだが、今日に至るまでには関係者の大変なご苦労があったと思う。
改めて亡くなられた方のご冥福を祈ると共に、被害を受けられた方々にお見舞いを申し上げたい。
今日、私が衆議院に議席を頂戴するに至った一つのきっかけは、阪神淡路大地震である。
当時私は、日本弁護士連合会司法制度調査会の自然災害に対する国民的保障制度検討委員会の委員をしていた。
わが国は災害列島と言われるとおり、地震や津波、噴火、台風等の自然災害が多発し、毎年多くの国民が自然災害で大きな被害を蒙っている。しかし、これに対する必要な保障制度が整備されていない。住宅が自然災害によって全半壊したときに、個人の力ではなかなかその再建は困難であり、被災者の生活再建にとどまらず地域の速やかな再生のために公的な保障の枠組みを作る必要がある。自助、公助、共助の総合的な観点に基づき、保険制度、共済制度によって新たな住宅再建制度を早急につくりあげるべきである、というのが当時の私どもの提言のないようであった。
その関係で、テレビ東京やNHKの番組で被災者に対する支援のあり方、特に住宅全半壊の被害を受けた被災者の方々に対する住宅再建支援問題に深く関わるようになった。
安全・安心・尊敬の美しい国を創ろうをモットーに最初の衆議院選挙に立候補したのが、平成8年10月の総選挙であった。
安倍内閣は、美しい国、日本をつくることを最大の政治課題としている。振り返ってみると、当時の私の公約そのものはないか。
初心忘るべからず。
災害の記憶を風化させることなく、安心、安全、尊敬の国づくりに邁進していかなければならない、という思いを新たにした一日であった。