じゃあ、お正月だから、書初めでもやってみようかな。
おお、いいじゃない?
何書こうかな・・・よし、ベタだけれど「お正月」って書いてみようっと。
ベタだな・・・
サラサラサラサラ
全然、手元見てないけど大丈夫?
よし、できた!
「舘ひろし」って!
全然違うじゃないか!
あれ・・・おかしいなぁ・・・もう一回やってみよっと。
サラサラサラサラ
だから、全然手元を見てないけど、大丈夫かって?
できた!
「マルサの女」って!
だから全然違うだろ?それに、さっきから言葉のチョイスが古いんだよ!
「お正月」がどこでどう間違ってそうなるんだよ?
だから、ちゃんと手元を見て書けって。
了解。じゃあ、もう一回やってみるよ。
サラサラサラサラ
だからお前、俺の手元見てどうするんだよ?
よし、できた!
「ランバダ」って!
もうお前は30年前にとっとと帰れ!
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癒しや解放を行っているのに、なかなか成果が出ないことがあります。
それは本当に見るべきものを見ていないからかもしれません。
たとえば、電車が遅延して、イライラしたとします。
自己観察していると「遅れることでイライラしている自分」に気付けるようになります。
そこで「遅れることへの苛立ち」が自分のパターンだと思いがちですが、
そうでない場合もあります。
その先を観ていくと、遅れることで、注意される、あるいは自己評価が下がる恐れがあったりします。
じゃあ、なぜ自己評価が下がると嫌なのかというと、元々自分の中での自己評価が低く、外側の評価でそれを保とうとしていたことに気付けるのです。
つまり、無意識にこういう思考回路で反応していたことになります。
「電車の遅延→会社に遅れる→注意される→評価が下がる→自己評価が低い自分を保てなくなる→イライラ(怒り)」
ですからこの場合、本当の原因は「遅れることへの苛立ち」ではなく、「自己評価の低さ」にあったということになります。
ここを解消しないと、時間の苛立ちは何とかできたとしても、
たとえば、誰かへのプレゼントが喜ばれなかった時の落ち込みや、
奥さんに家計のことで相談された時の怒りなど、
自己評価が絡まってくる事象への根本解決になかなかいたれません。
本当の自分の原因に気付くことができれば、半分はもう解決したも同然なのです。
癒しや解放は大切ですが、見るべきポイントを見ずに対処しても、
「お正月」が「舘ひろし」になってしまうように、
まったく思った結果が得られない場合もよくあります。
日常の反応に気付き、じっくり紐解いていくことでそれが徐々に見えてくるようになるのです。
本当の原因に気付いていくプロセスこそ、
自分を発見し、目覚めていくプロセスそのものなのです。
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なんでちゃんと書けないのかな・・・
だから、お前はちゃんと見るべきものを見てないからだよ。
見るべきものを見てない・・・?
あ、そうだったのか!うっかりしてたよ。
やっとわかってくれたか。
今日「やまだかつてないテレビ」の日だった。
絶対やってねーわ!
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本当の原因に気付きたいあなたへ。
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