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モン族は、中国にその起源を持ち、東南アジアの各地に移動した少数民族。
ただし、文字を持たない民族のため、その歴史を文献に知ることが難しく、詳しいことは分かっていません。
アジア各地のクラフトを紹介するフェアトレードの活動を手伝っていた10年程前、生産の現場を回る旅の中で、モン族が暮らすラオスの村を訪ねる機会がありました。
スコールでぬかるんだ急斜面を登ったところにその集落はありました
村に入ると、赤土の上に置かれた切り株や石片に腰を下ろし、
思い思いに刺繍する女性たちや…
簡易な店の軒先に集まって手を動かす女性たち
下絵もない布に慣れた手つきで自由に針を刺していきます
1人、白い布に刺繍するこちらの女性
商品ではなく、自らの死に装束を飾る刺繍を用意しているとのこと
元々モン族の女性たちは家族の衣装を飾るために刺繍をし、文字を持たない代わりに刺繍で様々な表現をしてきました。
独特な模様は自然に由来するものが多く、特別な意味を持ち、
上着の襟や袖、スカート、背負子などに縫い付けられました
別の村では、少女たちが伝統衣装を着て出迎えてくれました。
15歳と18歳という彼女たちも、既に刺繍の達人
この村で彼女たちが刺しているのが「ライフシーン」と呼ばれる、モン族の暮らしを表現した刺繍
とても素敵なこの刺繍ですが、実はこれは伝統的なものではありません。
他の民族と住み分けるために1000~1500mの山岳地帯を選んだモン族ですが、ラオスの内戦や近隣諸国の混乱といった時代の波に翻弄され、ベトナム戦争では国境沿いの山岳地帯で秘密裏にアメリカ軍の代わりとして戦闘に駆り出されました。
アメリカの敗北でベトナム戦争が終わった後、社会主義政権が誕生したラオス国内にモンの人々が安心して暮らせる場所はなく、多くの人々が国境を越えてタイに逃れ、難民キャンプに収容されました。
この「ライフシーン」は、文字を持たないモンの人々が民族の誇りと文化を失わないために、伝統の刺しゅうで暮らしや民話を表現するよう、海外の支援者たちの指導の下、難民キャンプで生まれたものなのです。
私が手伝っていたNPOの団体には、難民キャンプ時代に作られた貴重な作品がありました。
モン族の歴史を描いた一大叙事詩ともいえる巨大な作品です
大陸を南下し、平穏な農耕生活を送る様子
闘い、逃げる様子
メコン川を渡り、タイの難民キャンプに逃れる様子
クリント・イーストウッド監督・主演映画『グラン・トリノ』は、アメリカに渡ったモン族を取り上げた初の作品ですが、このライフシーンの壁掛がモン族の家庭の風景として描かれていました。
難民キャンプから第三国に渡った人やラオスに帰還した人。
いずれの人々にもその後も苦難があり、上の2つの村も、元居た場所とは別の帰還事業で割り当てられた土地。
決して豊かではないその土地で、人々は手間暇かけて農耕し、家畜を世話し、子どもを育てていました。
暮らしが仕事で、子どもは親の姿を見て育ち、伝統の手仕事も暮らしの中で自然に子供たちに受け継がれていました。
年をとれば抗うことなく自分の死の準備をする…そんな姿も村の中では自然な光景。
母親の手元を見つめる少女
村の共同炊事場で洗い物をする少女たち
田畑を耕し…
増水した池で魚を捕る
多くの困難がある中で、自然と一緒に呼吸しているかのようなモンの人たちの暮らしに出会ったことが、私が移住を決めたことにどこかでつながっているような気がします。
あの少女たちは今どうしているだろうか?
明るいライフシーンを描いているだろうか?
ビエンチャンのフェアトレードショップでは、伝統技術を生かした小物が販売されていました
適正価格で取引されることで、村の貴重な現金収入になっています
私も手や体を動かして、丁寧にきちんと暮らしていかないと。
だらけてしまいがちな毎日だけど、それが移住の目標だったのだから。
モン族について書かれた本
左:モン族について歴史、社会、、宗教、風習など、詳しくまとめられています
右:難民キャンプのスタッフとしてモン族と出会い、キャンプ閉鎖後も彼らの住むラオスに定住してモンの人々と関わってきた女性の活動の記録
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