CSで放送されたものを録画してあった、
仮面ライダーBlack Sun
を、ようやく視聴しました。
↓仮面ライダーBlack Sun
いや~、噂には聞いていましたが、凄い作品でしたね。
食事時に観る作品か!? と自分達にツッコミを入れながらかみさんと二人で最終回まで視聴完走しました。
以下、ネタばれありの感想の続き
いや、よく作ったな、これ というのが素直な感想です。
ここまでストレートに反差別を訴えかけてくる作品が、現代に作られたという事は特筆に値するでしょう。
とはいえ、諸手を挙げて大絶賛できる作品かというと、気になってしまう部分もあるにはあるわけで。
主に二つ。一つは
・葵が怪人となってしまったこと
もう一つはやはり
・ラストの葵の選択
葵の最後の選択を積極的に支持できるという人は、ほぼいないでしょう。
たとえこの作品に肯定的な人でも。
彼女がなぜあのような選択をするに至ったかをじっくり描いているので「理屈では分かる。気持ちを解ってあげたいとも思う。でもその選択を支持は出来ない」という人が多いんじゃないかなぁ。
スタッフの言いたいことは分かるつもりです。
反差別をテーマにした 問題提起型の作品で、安心感のある大団円で作品を終わらせたりしないぞ、という強い意志を感じます。
ラストの状況を整理すると
排外主義団体のリーダー的人物は死んだ。
創生王は死に、これ以上新しい怪人が生み出されることはない。
次期創生王をめぐる戦いも終結した。
怪人を生み出したかつての日本政府の闇は暴かれ、全世界が知るところとなった。
怪人を利用してきた日本国総理は死んだ。
この作品における怪人差別の「元凶」は一見全て取り払われたかのように見えます。
ところが
排外主義団体はターゲットを移民に変え、相変わらず憎悪と悪意を扇動し続けている。
過去の日本の大罪が暴かれてなお、人々に残った怪人への差別感情は消えない。
新総理は前総理の犯した罪を反省するのではなく「自分はもっとうまくやる」とほくそ笑む。
つまり、何も変わらなかった。
これが現実の日本の姿と「変わらぬ現実」であると示すためにも、大団円はふさわしくない、という判断だったのかもしれません。
なのでラストにさらなる毒として葵にあの選択をさせて「安易に安心感のある結末を求めないで下さい。問題は何も解決していないのですから」というメッセージを視聴者に送ったのでしょう。
その上で、私としては
かえってメッセージが視聴者の心に届きにくくなったのでは?
と感じています。
このラストは、視聴者が求めているラストではない、というのはスタッフにも分かっていることだとは思います。
後味が悪すぎます。
で、今の主な視聴者って、後味の悪い物からあまり真摯なメッセージは受け取ってくれないですよ。(断言)
昔は(数十年前)「後味の悪いラスト」は、「安直な作品ではない」ことを意味していて、「通常の作品よりもメッセージ性の強い、ある種の高尚さを持った作品」として受け止められていたと思うんですね。
でも今は違うでしょう。
作品を観て、まず気持ち良くなって。
ああ、いい作品だった、と第一印象を持ってそこから、
「でも、よく考えるといろいろ大団円とは言えない要素も含まれた結末だったなぁ」
と考察をはじめ、作品を深堀りしていく、というのが現代的な観賞スタイルだと思います。
まず、気持ちよく作品を観終わってもらわなくてはならない、と思うんですね。
「結局、何も変わらなかった」というだけで毒は十分で、むしろそこに止めておいてこそ、ちゃんと多くの視聴者にメッセージ性をくみ取ってもらえたと思うんです。
主人公である葵(観れば分かりますが、この作品、実質的に主人公は光太郎ではなく葵です)がラストにあの選択をしたことで、視聴者としては「何かあまり気持ちのいいラストではなかったな」という第1印象が付き、
「結局この作品を作ったスタッフって『こういう思想の人たち』なのかねぇ」
というところに落ち着いて、それ以上作品を深堀りせず、かえってメッセージが届かないと思うんですよ。
仮面ライダーでこのテーマを扱う、という事の意味は、「より幅広い視聴者層に、こういったメッセージ性の強い作品を観てもらえる」ところにこそあると思うので、
「より広い層に、メッセージが伝わりやすいラストにする」
としてこそ意義があったと思うんですけどねぇ。
以上、仮面ライダーBlack Sun の感想でした!
おまけ
昔作ったやつ。
ブログの内容とは、全く関係がありません。