29年前の今日……1月17日に、阪神大震災が起こりました。
私の実家はまさに兵庫県阪神地区。
この時の地震で、幸い家も家族も無事でしたが、ほんの数分も歩けば倒壊家屋が、そして最寄り駅周辺ではビルが横倒しになっている、なんて状況を目にしました。
よく遊びに行っていた繁華街なんかも壊滅状態で、その後復興しても「復興したんだ」という感慨より「変わってしまったなぁ。 ああ、もう私が育った街は、無くなったんだ」という喪失感の方が強かったです。
今年は、能登半島地震があったため、どうしても思い出してしまいますね。
あの日、私の父は遊びに行くべく駅に向かっていたんですね。(登山が趣味で、早朝から遠出して何泊か山で過ごす予定だったそうな)
ところが大地震が起こった為に急いで家に戻り、まぁ結果は家も家族も無事で、棚から落ちまくった食器類を片付けるのに苦労する、という一幕となったわけですが。
これ、「いやぁ、よかったですね」で済ませることのできるのは、部外者の特権です。
父は生前、その後何年たっても、
「駅から家に戻るとき、その歩いてほんの10数分ほどの間でも倒壊家屋をいくつも目にした。
もしあの時自分が自分の家にすぐに帰るということをせずに、倒壊家屋に残された人がいないかということを確かめる行動をしていたら、もしかしたら助かっていた人がいたんじゃないか?と思う」
と、自分の行動を悔い、口にしていました。
もちろん、まず自分の家族と家のことを心配して家に戻った父の行動を責める人などいません。父本人以外は。
大きな災害は、無事生き残っても、街が復興しても、被災者の心に大きな傷を残します。
忘れる、ということは、残念ながらできません。
でも、のり越える、ということはできると思います。
能登半島地震で被災された方々が、一日も早くこの不幸を乗り越え、心穏やかな日々、生活を取り戻す日が一日も早く訪れることを祈念してやみません。
おまけ
昔作ったやつ。
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