「’84ゴジラ」を、今度観返そうと思う | 無敵動画堂高田のブログ

無敵動画堂高田のブログ

無敵動画堂 というサークルで、アマチュアアニメを製作している者が、アニメや特撮について語ります。

 え~と、なんか書きたいことに対し、どう書いたらいいのか文章が上手くまとまらないので、今日はいつも以上に取り留めのない話をだらだら書き綴ります。

 

 ゴジラ-1.0を鑑賞して、

「作品に対して」ではなく、「キャラクターとして」ゴジラに自分は何を求めているのかな?

という事を少々自問自答しまして。

 で、自分はこうだ。他の人はどうだろう? 時代によってどのようなゴジラが求められ、それはどういった理由でどのように変化していったのだろう? とかいろいろ考えていった結果、今回の見出し「’84ゴジラを、今度観返そうと思う」に落ち着きまして。 あ、ある程度、時間に余裕のある時に、ね。(いつ来るのやら、そんな時が)

 

 そんなに'84ゴジラのゴジラが好きなの? って、そういうわけではないのですが。

 

 私が求めている「キャラクターとしてのゴジラ」:「ゴジラ像」とでも言いましょうか、それはもう明確に「ゴジラVSビオランテ」で確立され、平成VSシリーズで活躍していたゴジラ像でしょう。 

 ですが、あれをそのまま新作に当てはめたとして、心の底から「求めていたゴジラ像による新作だ!」と喜べるかというと、まぁ、まずそうはならない

 ゴジラのようなキャラクターには、変わらぬ普遍性と同時に、新鮮な驚きを与えてくれる革新性の両方が常に求められるものだから。

 事実「ゴジラ2000ミレニアム」以降のシリーズでは、何作か「平成VSシリーズのゴジラ像をほぼ踏襲したゴジラ」が存在し(「×メカゴジラ」のゴジラ等)、私の好みには合っているんだけど、やはり「平成VSシリーズのゴジラ」程キャラクターに愛着を感じるかというと……。

 

 初代のゴジラ像の復活をファンから熱望され、生れた筈の「’84ゴジラ」を観た時の旧来のファンの気持ちってこれに似た感情だったのだろうか? ……いや違うだろな(笑)

 

 とまぁ、そんな思考の流れから「’84ゴジラ」が連想されてきたわけです。 私の頭の中に。

 

 

 それ以外に、「ゴジラ像」について考えを巡らしている時に、-1.0におけるゴジラ像で、明確に私が「これはあまり求めていないな」と感じたことが二つ、ありまして。

 一つは映画冒頭での人々を襲ったゴジラで、ああいうキャラクターはそれはそれで求める時、カッコイイと思う時はあるのだけれど、私はあれをゴジラには求めていなかった。

 このニュアンス、うまく伝わるでしょうか?

 例えばエイリアンのギーガーは私の中でも「カッコイイ」けれど、私の中では「怪獣」には当てはまらない、当てはめてほしくない「カッコよさ」なんです。

 ……上手く伝わるような気がしない……ま、それはそれとして

 

 もう一つは「核兵器のメタファーとしてのゴジラ像」です。

 

 ……

 …………

 ……………………

はぁぁ?

てめぇ、ゴジラをなんだと思ってんだ!

そんなんでファンを名乗るな! 死ね!

 と、袋叩きにあいかねない発言ですね。

 

 別に初代のゴジラ像を否定にかかっているわけではないですよ。

 

 ただ、私の感覚としては「核兵器」というものは、完全に忌むべきものであって、はっきりとそのメタファーであるキャラクターを好きになるのは、かなりハードルが高いんですね。

 なので今回のゴジラ像に、やや受け入れ辛いものを感じているのでしょう。

 映画の中で有意にキャラクターが機能しているか、ではなく、そのキャラクターを好きになれるかどうか、という話ですよ。

 ……このニュアンス、うまく伝わるでしょうか?

 

 で、じゃあ初代ゴジラに対しても そういったある種の忌避感を持っているのか? というと、それはないです。

 ??? 初代=これが原点だからってことで、「忌避感を持ってはならない」というバイアスがかかっているから?

 そうなのか?

 自分でも最初からこの問いに対して明確な答えを持っていたわけではなく、しばらく考えた後に「これが正解だろう」というものに思い至ったのですが……。

 

 初代ゴジラって「核兵器」のメタファーという以上に「(核を含む)戦争」のメタファーであって、

ゴジラもまた犠牲者である、という視点が入っているからだろうな、と。

 ゴジラも犠牲者であるから、ラストシーン、芹沢博士の死だけでなく、ゴジラの死にもまた、悲しみが付きまとう。

 今回、「-1.0」のゴジラ像には「ゴジラも犠牲者」という視点が(私個人の見解としては)入れられていないと感じます。

 市井の人々からしてみれば、全くの理不尽な破壊と殺戮。

 巨大な爆発によるキノコ雲。

 絶望の中生き残った人々に降り注ぐ 黒い雨……。

 まさに今回のゴジラは「核兵器そのもの」だ。 

 だから、その死に対して敬礼を送るシーンに、首を捻るようなことになってしまっているのだろう、と。

 

 

 で、そういえばゴジラもまた犠牲者である という要素を、最も色濃く持ったゴジラ像であるのが「’84ゴジラ」だな、と。

 

 同一個体ではあるものの、「’84ゴジラ」と「VSビオランテ」のゴジラは、そのゴジラ像はまるで異なる

 で、「VSビオランテ」でのゴジラ像を理想に近いものとして捉えてきた私にとっては、むしろ「’84ゴジラ」のゴジラ像は「不評であったため否定された」ゴジラ像のはずなのです。

 なんだけど、これまでつらつらと書いてきた様な連想をしてきた結果、

「もしかして、自分の中に根付いているゴジラ像の中に、’84ゴジラも、自分が思っている以上に影響を及ぼしているのではないか?」

という考えもまた頭をよぎるようになったんですね。

 なので、再見したら前よりあのゴジラも好きになれるかもしれないな、と。

 

 で、見出しに戻る、というわけです。

 

 

 おまけ

 昔作ったやつ。

 ブログの内容とは、全く関係がありません。

GREEN SPOON ゴロゴロ野菜スープ

ABEMAプレミアム