11/4(土)に、友人二名と一緒に3人で
ゴジラ―1.0
を観てきました!
以下、ネタバレ有の感想の続きです。
完全にミスリードには引っ掛かりました。
気持ちよく騙されて、いい気分です。
まぁ、観客の半分以上は、「典子は生きているだろうな」「敷島は生還するだろうな」というところまで、ちゃんと予想していたと思うんですよ。クライマックスよりも前に。(予想していたでしょ?)
ただ、出撃前に「爆弾のスイッチ」と橘が説明したあれ、「ああ、これ本当は脱出装置だな」と思ってしまった人も結構な割合でいたんじゃないか?と思っているのですが(笑)
はい、私は見事に引っ掛かりましたよ。
てっきりクライマックス、死ぬつもりでスイッチ動作したらそれが脱出装置で、生還すると同時に「橘に許してもらえた」という事も重なって、それで立ち直る、という展開かと。
別にそれはそれで悪くないと思うのですが、実際の作品の方が、圧倒的に良いですね。
脱出装置は別にあり、ちゃんとそのことを橘は敷島に伝えていた。
つまり、橘に許される、という一つの壁は、出撃前にすでに超えていた。
そして、ゴジラとの戦いは決死の覚悟で向かう戦いではあったけれど、死を前提にした特攻というものではなかった。
生還を前提として戦いに赴いていた。
死ぬつもりで出て行ったのか、生きて帰ってくるつもりで出て行ったのかで、同じ「ラストは生還」であっても、敷島を主人公としたドラマとしてはまるで意味合いが異なる。
スイッチの作品内での扱いで、
観客に敷島自身は死ぬつもりで戦いに行った」と誤解させ、
「脱出装置ではなく本当に爆弾のスイッチだった」という展開により緊張感をより高め、
そしてクライマックス後に
「ちゃんと脱出装置は別にあり」
「事前にその説明は受けており」
「敷島自身、生きて帰ってくるつもりで戦いに行ったのだ」
と明かすことで安心感と
「敷島のドラマ」の真の姿が明らかになる驚きを与えてくれるとは、お見事。
ただ単に「観客を騙しました。引っかかりましたか?」というのとはわけが違う、見事なミスリードでした。
まぁ、本作、細かいことを言い始めると、
今回のゴジラは恐怖の存在としての面が強調されていたけれど、私はそれよりストレートなカッコ良さの方をゴジラには求めているんだよなぁ、とか(前半での人を襲う描写は、ちょっと自分的には「カッコいい怪獣のやること」から逸脱していました)
米ソ対立の影響で、両国が基本手出しをしてこない、というのはどうなんだろう? とか
銀座であのパニックの中、敷島と典子が出会うのは、いくら何でも無理があるのでは? とか
いろいろツッコミどころはありますが。
……念のために書いておきますが、これは
「今回の映画でも恐怖の存在としてではなく、カッコいいゴジラとして描いてほしかった」
「東西両大国が介入してくるストーリにしてほしかった」
「銀座で出会うのは無理があるから、敷島の目の前で典子が吹き飛ばされる描写も無しで」
とか、そういう事では断じて無いですからね。
細かいところで「良かったな~」と思い、書いておきたいのが、深海魚ですかね(笑)
ゴジラ出現の前に、内臓が口から飛び出しちゃっている深海魚がポコポコ浮いてくる描写。
怪獣出現の前兆の演出って、基本ワクワクするのですが、後半「水圧を利用してゴジラを倒す」という展開になった時、「あ、あれ伏線だったのか~」と。
総じて、
一本筋の通った主人公のドラマ
巧みなミスリードを盛り込み面白さを追求した脚本
分かり易い形できちんと回収される細かな伏線
と、「物語の王道的な作り」をきちんとしている作品でした。
最後に、ほんとに蛇足的余談……
いわゆる「ツッコミ」ではなく、
それらのシーンの意味というか、意義、みたいなものが、自分の中で消化できない要素もあるにはありました。
「こういう事かな~」と、頭で様々な解釈は出来るのですが、気持ち含めて納得のいく落としどころが見つかっていないですかね。
・クライマックスで、水島が多くの民間船とともに助けに来るシーン
・ゴジラの最期に対して、敬礼を送る一同
あたりは。
おまけ
昔作ったやつ。
ブログの内容とは、全く関係がありません。