前回の(その1)から随分間が空いてしまいました。
グリッドマンユニバースの感想の続きです。
まぁ今月はこれまで、エネルギーの殆どを作品制作の方に回していたので、ご了解いただければ……。
人間、記憶というものは残念ながら、徐々に薄れていってしまうもので。
映画館で半月以上も前に1回観たっきりの作品の感想なんて、まともに書けるじゃろか?と、自分自身に不安を覚えるところですが。
思いっきりネタバレ有なので、予めご了承ください。
・キャラクターの成長はリセットされなかった
前作からある程度時間をおいて発表される後日談的作品の宿命なのですが、多くの作品において、キャラクターの(内面的な)成長がある程度リセットされてしまう傾向があります。
これが、TVシリーズ終了直後に発表される作品ならそういうことは起こらず、TVシリーズでのキャラクターの成長を踏まえた上で「その後」が描かれるのですが、期間が空いてしまうと、そうはいかない。
ファンが求めているのは好きなキャラ達との「再会」であって、同窓会的な感覚……「うわぁ~、変わらないね、久しぶり!」という、あの感覚が大事なんですよ。
外面的なところでは、仕事に就いていたり、髪型が変わっていたりするのですが、「中身はあんまり変わっていない」ことが求められるわけです。
で、TVシリーズを観ている時にファンがみていたのは「キャラクター達の成長過程の姿」であって、成長しきった姿ではないので、キャラクターの成長をある程度リセットしないと「再会」した気分になれないわけです。
ところが、この作品、成長がリセットされませんでした。
特に新条アカネと南夢芽の二人で(キャラクターの成長をリセットしないという)今作の方向性が明確でした。
アカネは、
現実に目を向ける決意をしたものの、やはりそのハードルは高く、周囲に受け入れてもらえず、再び内にこもってしまう、
なんてことはなく、名前を呼び合う友達が出来ていました。
夢芽は、
過去にとらわれ周囲に溶け込むということが上手くできない状態から完全に脱し、
グリッドマン組(?)にすぐに馴染んだ上に、自身の恋愛話を普通に話すくらい、青春を謳歌している姿が描かれました。
明確にキャラクターが「変化」していて、それはいい方向で「成長」していました。
成長していくこと、変わっていくことは、素晴らしい事なんだ、とスタッフから背中を押された気分です。
あ~これ、あれだ。
TVシリーズとかの最終回で、EDの歌がフルコーラスで流れる中、キャラクター達のその後みたいのがちょこっと流れるやつ。
と、私は感じました。
ゆえに、あ、これ、TVシリーズのエピローグだ、と。
(つづく)
おまけ
昔作ったやつ。
ブログの内容とは、全く関係がありません。