仮面ライダー 令和・ザ・ファースト・ジェネレーション を観てきた(その2) | 無敵動画堂高田のブログ

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 仮面ライダー 令和・ザ・ファースト・ジェネレーション 
 を、観に行ってきました。


 何せ状況が状況で、日曜日をつぶしたくなかったので、
 仕事帰りに、遅めの時間帯のやつに行く、ということで かみさんの理解も得、二人で行ってまいりました。


 以下、ネタばれありの感想です。

 冬のライダー映画、最初のディケイド&Wの時は、(映画のタイトルは順番が古い方からではなく、現役ヒーロが先で W&ディケイド です)
ディケイド編とW編が独立しており、最後に共演編になる、
というトリッキーな構成であった。
 その構成はその後もしばらくは踏襲された。
 正直、この構成、もの凄く良かったと思うんですよね。
 ディケイド編はディケイドとしての、W編はWとしての面白さを追求すればいいから、
変に合わせることにより、お互いの良さを殺してしまうドラマになることが、無かった。
 そして最後にしっかり共演するので、映画ならではのイベント性も高かった。
 が、複数のドラマが別々に存在し、さらにそれを最後一つにまとめなければならないということから、もし1本筋の通ったドラマをやりたい、という場合には、この構成は絶対に取れないわけで。
 また、複数の脚本家に発注したり、色々作るのが大変だったのか、
ゴースト&ドライブ 以降は、通常の共演映画1本という構成になった。
 が、 ゴースト&ドライブを実際に観てみると分かるのだけれど、
この映画に関しては
ドライブは、完結編、後日談、同窓会 といった要素を消化し、
ゴーストは番組で芯になっていた父の要素を重視する、という、
従来の冬映画に、極めて近い要素でドラマが構成されている。
 が、その後、シリーズが積み重ねられていくごとに、
旧シリーズの方の「完結編、後日談、同窓会」感は薄まっていき、
新シリーズの方の(TVでも)作品の芯になる要素を中心にして、先輩ライダーの要素を色濃く絡ませ、ヒーローのバトンタッチを行う
といったニュアンスになってく。
 後日談、としての要素は、Vシネマとして新作が作られるのが定番化したため、必要なくなったのかもしれない。
 2本立てプラスアルファ(イベント)を観ているような感覚より、
 やはり1本の長編映画を見た、という方が、観客の満足度は高いのだろうか?
 正直に言うと、以前の構成が好きだった身としては、肩身が狭いが(笑)。

 今回の映画、この流れに素直に乗っており、映画のメインはあくまでゼロワンである。
 ただ、ストーリー的には歴史改変というジオウでなければならない要素が色濃いため、

ストーリー的には、ジオウのゼロワン編的ストーリー
だが
ドラマ的にはゼロワンのドラマ

である。

ジオウ側のキャラは、目立つ登場こそしているものの、今回の事件を通じ、彼らが何か成長したりといったドラマは何も用意されていない。
 あくまで、ゼロワンのドラマの引き立て役である。

 これって、結構すごくないですか?

 映画では率直にウリになるはずの「イベント性・お祭り」の権化たるジオウを、確かに欠かせぬ要素として組み込んではいるけれど、完全にゼロワンのドラマを盛り上げるための役割しか持たせていないのである。
 そしてジオウの要素を入れたことで、ヒューマギアの反乱がおこった最初の事件という過去を、ストーリーの中核に据えることができ、そこに子供時代のアルト(ゼロワンの主人公)と今は亡き父(のヒューマギア(ロボット))とのドラマを入れてくるという反則技(笑)。
 タイムトラベルなんていう無茶苦茶なものが絡まなければ、父とのドラマは、回想シーンなんかでしか描けなかったわけで。
 現在と過去を行き来し、そこにアルトと父のドラマをガッチリ絡めるのは、ホント、殆ど反則。
(続く)