高原山 -384ページ目

実は,共謀罪だけではない…サイバー法案の危険性

【阿修羅より転載】

実は,共謀罪だけではない…サイバー法案の危険性(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)

http://www.asyura2.com/0601/senkyo21/msg/405.html

投稿者 片瀬テルミドール夏希 日時 2006 年 4 月 29 日

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/0593694e8d2b59693b50ce137ab5f051

共謀罪は,実は,サイバー法案と抱き合わせで,法律化されている(正式名称「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」ここ←)。

http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

サイバー法案とは,サイバー犯罪に関する実体法の規定、コンピュータ・システムを手段として行われる犯罪についての捜査や刑事上の証拠収集についての規定と、国際協力に関する規定からなるサイバー犯罪条約を法律にしたもの。

民主党は,その問題点を端的に次のように指摘している(ここ←)。

http://www.dpj.or.jp/kyoubou/

【政府案ではネット上のあらゆる行為が検閲や監視の対象になる可能性があります。
メールの受信記録、ある個人がどのサイトを閲覧したしたかというような情報を90日間保存するよう、令状なしでもプロバイダ等に要請できるようになります。
ある一人のパソコンの差押令状があれば、同じサーバーに接続している他のユーザーの受信メールなどもごっそり押収可能になります。 】

日弁連の意見書は,こちら←

http://www.nichibenren.or.jp/ja/committee/list/kokusai_keiji/kokusai_keiji_a.html

こういう抱き合わせで知らぬ間に悪法を通すというのが最近の流行…。

共謀罪 治安維持法と特高警察(1)

【阿修羅より転載】

治維法・特高・憲兵による弾圧 治安維持法と特高警察(1)  【太平洋戦争下の労働運動】 法政大学大原社会問題研究所

http://www.asyura2.com/0601/senkyo21/msg/500.html

投稿者 愚民党 日時 2006 年 5 月 01 日

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.

第四編 治安維持法と政治運動

第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧


http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-114.html
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第一節 治安維持法と特高警察

治維法

 戦時下日本のいっさいの政治的諸運動抑圧の法的中核となったのは治安維持法であった。同法によって一九二八年以来検挙されたもの六万人、起訴されたもの六〇〇〇人(その九五%以上は左翼関係)と戦争直後発表されたが、「同法の近来の運用は赤化の防止という本来の目的から離れ、民衆の思想に対する強権的圧迫と人権蹂躙に悪用された傾向が極めて濃い」(朝日新聞、一九四五・一〇・一四)といわれたように、治維法はもともと天皇制と資本主義制度に反対する共産党の弾圧を直接の目的とする法律であったが、後には社会民主主義・自由主義・一切の反政府運動、さらにそれらの思想そのものに適用されていった。一九二五年に公布され、一九二八年に緊急勅令で改正された治安維持法(旧法)は、「国体を変革することを目的として結社を組織したる者または結社の役員その他指導者たる任務に従事したる者」は死刑または無期ないし五年以上の懲役ないし禁錮(以前は最高一〇年)、「情を知りて結社に加入したる者または結社の目的遂行の為にする行為をなしたる者」は二年以上の懲役または禁錮とした。同法の解釈は「最大限度に拡張して」(一九四〇・五月の全国思想実務家合同における控訴院検事の発言)使われ、「取締の対象が自から思想そのものに向けられるに至」(ジュリスト、一九五二・七・一五、伊達最高裁調査官)り、目的遂行行為と認められる範囲は勝手に拡張され、共産党の中央部が破壊されたのちには、コミンテルンの目的遂行行為として取り扱われ「国体を変革することを目的とする結社」も、最大限に類推・拡張解釈されて、朝鮮民族独立運動や「類似宗教団体」(大本教・天理本道・燈台社等)もこれによって処罰された。治維法が画期的に拡張解釈して適用されるにいたった重要な契機は、一九三五年のコミンテルン第七回大会およびそれに関連する人民戦線方針関係文書の海外からの大量流入と全面的な日中戦争の開始であった。

 この治安維持法を補充するものとして、一九三六年に思想犯保護観察法が公布施行された。保護観察とは、治安維持法の罪を犯した者に刑の執行猶予の言渡のあった場合、または訴追を必要としないため公訴を提起しない場合、さらに刑の執行を終わりまた仮出獄を許された場合、などに保護観察審査会の決議によって、「本人を保護して更に罪を犯すの危険を防止するため、その思想および行動を観察する」もので、担当者は保護観察所の保護司その他であり、本人にたいしては居住・交友・通信の制限、その他「適当な条件の遵守」を命ずることができたのである。

 その後治安維持法の改正案は、再三にわたり政府によって議会に提出されたまま実現にいたらなかったが、ついに一九四一年三月に根本的に改悪して公布され(実施は五月)るにいたった。改正治維法(新法)は実体規定としては、(1)外郭団体を直接取締りの対象とする支援結社に関する処罰規定、(2)直接に国体変革の実行を担当せず、党再建の気運醸成を主要目的とする準備結社に関する処罰規定、(3)結社の程度にいたらない集団(グループ)に関する処罰規定、(4)類似宗教団体に関する処罰規定、(5)人民戦線方策採用の結果あらわれた、結社と関係のない国体変革の目的遂行に資する一切の個人的行為を処罰する包括的規定等を設け、その刑をさらに重くし、旧法になかった特別刑事手続に関する規定および詳細な予防拘禁に関する規定を新たに設け、全部で六五条(旧法はわずか七条)の法律となった。

 予防拘禁制は、治維法違反者の将来の再犯の危険性を防止するため拘禁しておく制度であり、三・一五や四・一六で検挙された共産党指導者たちが非転向のまま刑期満了となるので、かれらを釈放して生ずる脅威を防ぎ、拘禁したまま転向を促進しようとするものであり、法文的には、治維法第一章に掲げられた罪を犯し刑に処せられた者がその執行を終わり釈放さるべき場合において釈放後にさらに同章に掲げる罪を犯すおそれのあること顕著な場合、および第一章の罪を犯し刑に処せられその執行を終わった者または刑の執行猶予の言渡を受けた者で思想犯保護観察法により保護観察に付せられた場合に保護観察によっても同章に掲げられた罪を犯す危険を防止すること困難でさらにそれを犯すおそれのあること顕著な場合などにいずれも検事の請求により裁判所の決定をもって言渡される保安処分である。この制度によって、政治的信念の変わらないかぎり終身拘禁されるわけで、このため非転向の共産党員は刑期が終わっても敗戦まで獄につながれた。なお、この予防拘禁制度を実施する施設として、予防拘禁所官制および予防拘禁委員会官制が、いずれも勅令をもって公布され、また予防拘禁手続令と予防拘禁処遇令が、いずれも司法省令として制定された。予防拘禁委員会は、予防拘禁の請求・更新・退所・執行免除などの場合に、その意見を求める諮問機関であり、全国二二個所におかれ、いずれも各地方裁判所検事局内に設置された。

 治維法の発動にあたっては、逮捕・捜査・取調・留置・取締・スパイ工作・右翼の利用等において、非条理きわまる濫用や無恥な拷問がもちいられた。逮捕する場合には、身柄の保護処分としての行政検束(「泥酔者、瘋癲者、自殺を企てる者その他救護を要すと認むる者」を「翌日の日没」まで検束する制度、一九〇〇年制定の行政執行法第一条)を利用し、その時限がすぎると書類上だけで釈放して再検束し、あるいは違警罪即決処分(「一定の住居または生業なくして諸方に徘徊する者」を三〇日未満拘留。一九〇八年制度の警察犯処罰令、第一条)にあてはめて二九日間の拘留処分にし、期限がすぎると警察署を転々とタライ廻しにして留置をつづけた。

 警察官の自由認定は、治維法による取締りの実施にあたっても大幅に認められていた。そして長期間の拘束の上で、手記を書かせ、それを根拠にして、治維法を適用することが行なわれた。治維法の「目的遂行」にあてはめるために、たとえば、いわゆる企画院事件で検挙されたある被疑者の場合には、彼が某大学で経済原論の講義をした際、参考書の一つとしてあげた中に共産主義的経済学者の著書があったのをとらえて、「国体を変革することを目的とした結社の目的遂行の為にする行為」としていた(海野普吉「治安維持法運用の跡を顧みて」、ジュリスト前出)。また、「私の一友人は治安維持法違反として、懲役二年、執行猶予五年の判決を受けた。判決文中で最も主要な証拠に援用されたのは、彼が他の友人達と協同で買い込んでいた本に、『ELM会』という判こうがおされていた事実であった。ELM会とは、北海道からきた仲間の一人が、故郷のにれをしのんでつけた名前である。ところが検事および裁判所にいわせると、それはマルクス、エンゲルス、レーニンの略字だとばかり、他にこれという証拠もなかったのに、共産党の一グループ活動と認定されたわけであった」(戒能通孝「暴力――日本社会のファシズム機構」)。さらに、いわゆる新興俳句事件で検挙された人たちは治維法によるデッチアゲについて左のような思い出を語っている(雑誌「俳句研究」、一九五四年一月号)。


 ――治安維持法に抵触しそうな架空の犯罪の型を捏造しておいて、被疑者を無理やりにこれにあてはめるんですね。だから自句自解を書かせる場合でも、新興俳句作者は全部共産主義の信奉者であって、俳句を通じてマルクシズムを大衆に浸透させ、他日プロレタリア革命によって共産主義社会を打樹てようとするものだということが結論にならなければパスしないんですよ。――書いてゆくとどうしても共産主義は正しいという結論になる。またそうしなければむこうが承知しない。その上で俳句がそれとどう結びついているかということでね。ところがこっちはそんなこと常識以上に知りァせんしね。留置場へぶち込まれて参考書がないでしょう。あったところで、俳句雑誌以外は参考書を見て書いてはいけないというんだ。しかしそれがなければコミンテルンだの資本主義の発達史だのなんて書けないしね。そこでぼくはこっそり自宅から改造社の「社会科学辞典」をとりよせて、それを見ながら書いたね――手記を書いていると、おや、じぶんは共産主義者になったかな、という気がした。しかしどうも旨く書けないので、手記の見本をみせてもらったら、なかなか見事なものだった。それでわたしは共産主義者としでの自覚と認識を、そっくりそのまま借用したら、「お前はそんな偉いことをいう部類にはいらぬぞ」といわれた。ともあれ、わたしは手記の上では完全な共産主義者になり、そして結論で転向を誓った。……
 治維法は、一九四五年一〇月四日、日本帝国政府にたいする連合国最高司令官の覚書「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃」によって、思想犯保護観察法、同施行令、保護観察所官制、予防拘禁手続令、同処遇令等と一緒に、一切の条項を撤廃し、かつ即時その効力を停止すること、同時にこれらの法令などにより拘留・投獄ないし自由を制限されてる人びとを即時(一〇月一〇日までに)釈放することが指令された。一○月一二日の定例閣議は治維法の廃止を決定し、同法により刑に処せられた者は、「将来に向ってその刑の言渡を受けざりしものとみなす」こととなった(勅令七三〇号)。


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始

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共謀罪 治安維持法と特高警察 (2)

【阿修羅より転載】

治安維持法と特高警察 (2)  【太平洋戦争下の労働運動】 法政大学大原社会問題研究所

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投稿者 愚民党 日時 2006 年 5 月 01 日


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.

第四編 治安維持法と政治運動

第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧


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第一節 治安維持法と特高警察(つづき)

その他の戦時弾圧法規

 四一年三月に公布され五月から施行された「国防保安法」は、戦時下の国防上、外国にたいして秘匿することを要する軍事・外交・財政・経済などに関する重要な国家機密を保護するために制定された国防保安に関する一般法であり、政治的・思想的弾圧の手段として利用された。同法によって、刑法に定められた以外に特別に重い刑罰が課され、またそのために刑事訴訟法に規定する以外の特別の刑事手続が規定された。

 四一年一二月の開戦直後に制定された「言論出版集会結社等臨時取締法」は戦時特別立法の一つとして、集会・集団運動・結社・出版等を行政官庁の許可制とし、それぞれの違反行為に厳罰をもって臨み、また時局に関する「造言飛語」「人心惑乱」行為を処罰するものであり、政府は各部面で自由に取り締まる権限をにぎることになった。同法の審議にあたって、一議員から「むしろ戒厳令を奏請し、これを適用する方が適当ではないか」と質問がでるほど苛酷な内容のものであり、たとえば「造言飛語」「人心惑乱」の事項を流布したものは懲役刑にされたが、その内容がたとえ事実で、確実な根拠にもとづくものであっても処罰されることになっていた。

 四二年二月に公布された「戦時刑事特別法」は、戦時下の治安犯罪などにたいしきわめて重い罪を課するとともに、戦時下の刑事手続について特別の取扱い(同第二九条よって後述のとおりゾルゲ事件は上告棄却となった)を定めた特別立法であり、「戦時に際し燈火管制中または敵襲の危険その他人心に動揺を生ぜしむべき状態ある場合」の放火罪、「戦時に際し国政を変乱することを目的と」する殺人罪、戦時下の騒擾罪・公共防空妨害罪・公共通信妨害罪・ガス電気利用妨害罪・重要生産事業遂行妨害罪・生活必需品買占罪・往来妨害罪・住居等侵入罪・飲料水に関する罪などが、最高死刑・無期以下の懲役となった。つづいて同法の改正案が四三年一月から三月にかけて第八一回議会で激しい論議の対象となり、貴族院では委員会八回・小委員会二回のあと法相の特別言明があって可決され、衆議院では委員会一二回、懇談会四回のすえ、東条首相みずから委員会と本会議で濫用せぬよう万全を期する趣旨の特別声明があってようやく可決となり(反東条派約三〇名反対)、三月から施行された。改正は四ヵ条の追加であり、国政変乱目的の傷害・逮捕・監禁・暴行・脅迫罪を死刑・無期以下の懲役・禁錮に、騒擾その他治安を害すべき罪の実行についての協議・煽動を七年以下の懲役・禁錮としたが、とくに問題となったのは同法第七条の四の「戦時に際し国政を変乱しその他安寧秩序をびん乱することを目的として著しく治安を害すべき事項を宣伝したる者」を同じく七年以下の実刑に処するという「宣伝」行為処罰の規定であった。私有財産制度の否認もこの「安寧秩序びん乱」になることとされ(四一・一〇・二三、東京控訴院の河合事件判決)、「治安を害すべき事項」とは「国家社会公共の法的安全を害するおそれある事項」で、出版法規における「朝憲びん乱」「政体変壊」「安寧秩序びん乱」なども含まれるものとされた(四〇・一一・一四、大審院判例)。

特高警察

 特高の歴史は、鮮血にまみれた人権じゅうりんの罪悪史であったが、「治安維持」の取締りにあたった特高警察は、いわゆる大逆事件の翌年、一九一一年に内務省がそれまで高等警察事務の一部であった危険思想取締りのため枢要地にとくに専任警部を配置することを勅令で決定し、大阪府に警察部長直属の高等課別室(翌年特高課に昇格)を、また警視庁の官房内の高等課を分課して社会運動の取締りだけを担当する「特別高等課」を設けたことに始まるものであり、一九一三年の警視庁官制の改正によって、特別高等警察・外事警察・労働争議調停の三部門を担当する課として明確な地位を獲得した(武野武治・赤枝清「特別高等警察史」、潮流、一九四六年四月号)。その後、日本共産党創立の翌年、一九二三年には主要九府県に特高課が創設され、つづいて一九二八年の三・一五事件のあと、残りの全府県に特高課が設けられ、また主な警察署に特高係が配置され、ここに全国的な特高組織網が確立し、思想警察を全国的に統轄する内務省警保局保安課は拡充強化された。府県の特高課長は警察部長とは別に直接に中央の保安課長と結びつき、府県特高課長の任免だけは内務省の保安課長(保安課長のみは勅任官)の人事に一任され、内務省の機密費も保安課長から直接に特高課長に工作費として送られていた(杉本守義「特高警察の組織と運用」、ジュリスト、一九五二・七・一五および八・一号)。(特高警察系統図)

 警視庁特高課の人員は、三・一五事件のころは、特高係・労働係に内鮮係・検閲係を加えて七〇人くらいであったが、その年の八月の増員で一挙に三八〇名となり、一九三二年六月には「特別高等警察部」に昇格して機構を拡充し、従来の係は課に昇格して、特高課(二・二六事件のあと、左翼担当の特高一課と右翼担当の特高二課に分かれた)・労働課・検閲課・外事課・内鮮課・調停課の六課となった。人員のいちばん多い時には約六〇〇名であった。特高一課の主任警部は八名、特高二課は六名(はじめは二名)で、主任警部はそれぞれ五名の部下(警部補一名、巡査部長一名、巡査二名)を使って活動した。特高係官には「検挙取調」をする係官と「視察」する係官とがあり、要視察人一人ひとりについて指紋・写真・記事をカード化して絶えず整備しており、甲種要視察人(現に運動をやっている者)は本庁で、乙種要視察人(転向していた者)はそれぞれの住所の所轄署の特高係が視察した。そのほか、メーデーその他状況に応じて予備検束する要注意人をきめてあった。また、大阪府特高課ははじめ約五〇名、のち一五〇名に増員された(大阪府では一九四三年に警察部を警察局に昇格させ、その下に治安部を設けて特高課を包含した)。各府県も、それぞれ数十名の係員を擁し、また下部の各警察署は、大きい署で七~八名、小さい署では二~三名の特高係員をもち、各署の特高主任は警部補がこれにあたっていた(小林五郎「特高警察秘録」)。特高警察官は治維法の実施にあたる第一線の部隊として、豊富な機密費を使って、常時調査・視察・取締りを担当し、尾行・逮捕・拷問の技術を習練し、国民のあいだにスパイ網をはりめぐらし、治維法・治安警察法・行政執行法などによって苛酷な弾圧をおこない、共産主義者はもちろん、のちにはいっさいの民主主義運動をも徹底的に取り締まり労農運動内部の攪乱工作にまでのりだした。(注)岩田義道や小林多喜二をはじめ残虐な拷問によって殺害された者も多い。


(注)一例として、静岡県特別高等課編の「特高教範」(一九四三年六月)の中の「視察内偵入門」と題された章の一部を抜萃して紹介すれば左のとおりである(雑誌「みすず」、一九六一年四月号による)。
第五視察内偵の方法
一、機構及運用
(一)外勤情報警察機能発揮
(二)民間情報網の設定
 (イ)各界に責任ある有力者を獲得すること
(三)特殊内偵線の設定
(イ)人または物に対し適格なる情報を入手するために設ける。特殊の工作と工夫を要する。
(四)尾行内偵
(五)張込内偵
(六)関係方面との連絡
 (イ)憲兵隊 (ロ)鉄道、郵便局その他官署 (ハ)印刷所(謄写印刷所)常に連絡し、一部の余分を作ってもらう (ニ)書籍店(古本屋)各社書籍の売行状況 (ホ)各種団体等、なかんずく郵便局とはどうしても連絡が付かねば駄目である。

二、具体的方法
 1 対象者の肩書や門構に恐れてはならない。(自分は陛下の特高警察官である)
 2 対象人物の真意が何辺にあるかを引出すこと。(反って反対の主張をして見ることもよい)
 3 視察眼を敏感、緻密にすること。(表面は見ざるが如く、或は特に注意せざる如き態度をとり、またとぼけることもよし)

 4 人の前ですぐ手帳を出して記録せざること(関心あるが如く記録することも可なる場合あり、すなわち我に訴えるが如き場合)

 5 大胆にして細心
 6 左翼に対しては隠語または通称語を覚える
 7 人情の機微を掴むこと
 8 視察内偵は計画的継続的系統的になすこと
(一)右翼関係者(略)
(二)左翼関係者
 彼等は物をいわぬ。従っていわしめて情報をとることは困難である。どうしても裏面内偵に重点が置かれねばならない。左翼人物は確信犯である関係で容易に転向するものではない。従って表面視察では駄目である。しかし、特に留意されたいことは、表面視察の状況を刻明に記録してもらいたい。何時誰が居たとか、何処で会ったとか、何処へ行っていたか等のことでよい。以下視察要領を掲げて見ると、(イ)熱意を持つこと、(ロ)内偵線を持つこと、(ハ)常時証拠品の蒐集に心掛けること、(ニ)証拠品及取調べに当りては、(1)証拠品第一主義で行くこと、(2)証拠品の湮滅を防止すること、(3)あせらぬこと、(4)証拠品は特高的に分析すること


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
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【目次】
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共謀罪 治安維持法と特高警察 (3)

治安維持法と特高警察 (3)  【太平洋戦争下の労働運動】 法政大学大原社会問題研究所

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投稿者 愚民党 日時 2006 年 5 月 01 日


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
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第四編 治安維持法と政治運動

第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧

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第一節 治安維持法と特高警察(つづき)

 また、大審院・控訴院・地方裁判所の検察局には、それぞれ専門の「思想係検事」(「思想実務家」)が配属されていたことは先に図示したとおりであるが、司法省ではさらに、一九三八年六月には「思想研究会」を設けて将来の思想事件に関する対策を講じ、判検事六名を選定し、三九年八月には全国控訴院別に思想ブロック会議を開いて対策をねり、四二年一月には大審院検事局思想部の機構を拡大した。司法省の思想関係執務参考調査資料として、刑事局「思想部報」「思想調査」「思想研究資料」(通巻六三冊、特集九九冊、一九二七~一九四三年)、「思想資料パンフレット」(通巻一五冊、特集三九冊、一九三八~一九四三年)、「思想月報」(一〇九冊、一九三四年~一九四四年)、「思想特報」(一九四一年)、「思想内報」(一九四四年)など確認できるだけでも尨大な量が作られていた(小森恵「帝国憲法下における社会・思想関係資料」、みすず、一九六〇・一一~六一・四月号)。

 終戦後、全国の特高警察(前出の「陛下の特高警察官」)は廃止されたが、連合軍の指令にもとづいて日本政府が罷免した特高警察官の数は四、九五八名であり、同じく保護観察関係の官吏は九七七名であった(連合軍最高司令部、一九四五・一一・七発表)。一九四六年一月四日には、総司令部の命令にもとづいて公職追放に関する勅令が発布され、八年間以上または一九四一年三月以降四年間以上にわたって特高警察に従事した者でその期間中に警部以上の職を占めたことのある者、また特高警察または思想検挙に従事したあいだに、重要思想刑事事件(一九三七年の労農グループ事件、日本共産党事件、日本労評事件、一九三八年の教授グループ事件、日本共産主義者団事件、一九四一年の国際共産党事件、燈台社事件、一九四二年の日本聖公会事件、きよめ教会事件、東洋宣教会きよめ教会事件、一九四三年の第七日基督再臨団事件)の処理にあたって主要な役割を演じた者(実際の処分は警部以上)が、公職から追放されることになった。

検挙数

 治安維持法による被検挙者総数は八万人に近いと思われるが、一九四三年までに検事局の受理した被疑者数は、「満州事変」以降一七、九二〇人、日中戦争以後六、四一七名(起訴一、六八六名)である(第32表参照。司法省「刑事統計年報」による。一九四四年以降は全国統計がない。また検事局受理人員には、検挙されながら検事の拘留状が発せられずに釈放されたもの、あるいは検察側と無関係に憲兵などによって検挙されたもの――救世軍の弾圧、沢田行政裁判所判事の検挙等――などを含まない。別に内務省警保局編「社会運動の状況」各年版によれば、治維法違犯事件検挙者数(および起訴者数)は一九三七年一三八六(二一〇)、一九三八年五五二(二一二)、一九三九年三二三(一五二)、一九四〇年六三二(一〇一)、一九四一年九三四(一五九)、一九四二年三二九(一四五)であり、また小林五郎「特高警察秘録」によれば、検挙者(および起訴者)は、一九三七年一、二九一(二一〇)、一九三八年五五三(二二一、一九三九年三八九(一五一)、一九四〇年七一九(一〇一)、一九四一年九〇一(一六一)、一九四二年三一七、一九四三年二八四、一九四四年二二〇、一九四五年九月末七九、となっている)。治維法によって起訴されたものの職業別および年齢別人員(前出「社会運動の状況」)は第33表および第34表のとおりであり、また治維法適用通常第一審判決科刑別人員調、(前出「司法統計年報」)は第35表のとおりである。終戦後、連合軍最高司令部の指令にもとづいて一九四五年一〇月二二日までに釈放された政治犯は五〇七名(連合国人・中立国人・白系ロシア人三九名をふくむ)、政治犯であって別に殺人罪、窃盗罪等により釈放されないままのもの三七名、司法省による保護観察を解かれたもの二、〇二六名であった(同年一一月七日、総司令部渉外局発表)。もちろん、取調中にあるいは獄中において死亡した犠牲者もたいへんな数にのぼった(その一部は、解放運動犠牲者合葬追悼会世話入会「解放のいしずえ」に掲載されている)。

 なお、一九四一年一二月九日には、対米英宣戦布告にともなう非常措置として、「内偵中の被疑事件」の検挙二一六名(令状執行一五四)、要視察人の予防検束一五〇名、予防拘禁を予定するもの三〇名(令状執行一三)、計三九六名の非常検束がおこなわれた。


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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【共謀罪と権力弾圧】 公安警察こそリストラすべきだ  【SENKI】

公安警察こそリストラすべきだ  【SENKI】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo21/msg/427.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 4 月 29 日

【SENKI】から転載


民間駐車監視員は警察の天下り先

公安警察こそリストラすべきだ

http://www.bund.org/editorial/20060505-1.htm

 「民間に出来ることは、民間へ」と唱える小泉首相の構造改革が、交通違反の取り締まりにも及ぼうとしている。道路交通法の改正により、この6月から駐車違反の取り締まりが民間業者に委託される。

 これまで駐車違反の取り締まりは、警察官が道路にチョークで印を付け、30分程度様子を見た後、ステッカーや「耳輪」が付けられたり、レッカー移動が行われたりした。

 新制度ではデジカメと違反ステッカーの簡易印刷機を持った「駐車監視員」が、運転者がおらず放置を確認した時点で即取り締まりが行われる。

 駐車違反は、街で頻繁に見かける。大阪では3重駐車も当たり前のように行われており、渋滞や交通事故の原因にもなっている。しかし一方で、営業やルート配送などで、いちいち離れたパーキングに入れに行くのは無理な話だ。大手の宅配業者は独自の荷さばき所を確保し、台車やリヤカーで配送する対策を実施しようとしている。資金のない中小企業の営業マンは一体どうするのか。

 警察は民間委託の理由として、①違法駐車の数が減らないので、取り締まりを増加させねばならない、②悪質な犯罪の増加により、刑事事件に警察の力を注入しなければならないと、主張している。

 だが、取り締まりの強化と民間委託が「最善の選択」だとはとても言えない。そもそも都会では圧倒的に駐車場が足りないし、あったとしても料金がとても高い。公共の駐車場を増やすとか、欧米のように都市への車の流入そのものを制限する政策を積極的に導入しなければ、取り締まりで追い散らされた車がまた別の場所に移動するだけの話だ。

 違法駐車は減少せず、駐車違反の取り締まり件数ばかりが増加するだろう。警察庁によっても、新制度導入によって取り締まり件数は2004年度の159万件から倍増するという。

 警察の思惑は、その結果国庫に転がり込む違反金を増やすことの方にある。現在でも1万5千円の違反金の総計は年間240億円にのぼっているが、新制度によって違反者が倍増すれば、それがたちまち500億円になるのである。放置違反金は今後は都道府県の収入になる。警察官は地方公務員だから、給料を保障することになるのだ。

 なぜ民間委託なのかも問題だ。そこには警察の「07年問題」―団塊世代の警察官大量退職問題がある。現在、警備会社やパチンコ産業といった警察官の天下り先は飽和状態だ。そこで駐車監視員という仕事を新たに作り出し、元警察官にはこの資格を簡単に取れるようにして、再就職先を確保しようとしているのだ。

 交通警察に人手が取られて、刑事事件に手が回らないというのはウソである。  仕事がなくてゴロゴロしている部局=公安警察がいるではないか。ソ連邦の崩壊にともなう左翼運動の低迷、カルト集団オウム真理教の解体によって、その存在価値を失った公安警察は今やリストラをまぬがれるために、ビラ入れ弾圧など無理矢理事件をでっち上げては延命を図っている。民間委託を云々する前に、警視庁公安部だけでも2000人いるという公安警察をリストラし、市民警察を拡充することこそ構造改革だろう。



(2006年5月5日発行 『SENKI』 1211号1面から)

http://www.bund.org/editorial/20060505-1.htm