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共謀罪 治維法・特高・憲兵による弾圧 流言飛語の取締り(1) 

治維法・特高・憲兵による弾圧 流言飛語の取締り(1)  【太平洋戦争下の労働運動】 法政大学大原社会問題研究所

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投稿者 愚民党 日時 2006 年 5 月 01 日


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.
第四編 治安維持法と政治運動
第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-122.html

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第二節 流言飛語の取締り

 治安維持法は、本来、日本共産党をはじめとする政治結社の運動を弾圧することを目的としたものであったが、戦局の進展につれて、国民のあいだに戦争にたいする嫌悪感が増大し、厭戦から反戦の気分がつのり、天皇制にたいする反感が強まるにつれて、政治的支配権力の側では、集団的な政治活動のみでなく個別的な「不穏言動」や「造言飛語」――反戦・反軍・不敬・不穏の言辞・策動・投書・落書・演説・文書掲出・放歌等々――に深刻な脅威を感じて神経をとがらした。内務省警保局が「今後人の集るところ必ず共産主義運動あり」と感ずるようになったこと(内務省警保局編「社会運動の状況」昭和一六年版、八ページ)は、かれらの危機感をよくあらわすものであった。

 内務省警保局や憲兵隊が反戦・反軍・不敬・不穏事件として、やっきになって探索し、弾圧した事件の数は、戦争が進むにつれて急激に増大し、警保局によってキャッチされた事件の数のみでも、第36表のように、月平均件数で日中戦争開始ころの一二~三件が年を逐って二三件、二六件、三四件、五一件と増大する一方であった。一九四〇年版の警保局「社会運動の状況」には、「最近は落書投書言辞等いずれを問わず、悪戯的なものは全く影を潜め、内容すこぶる不逞悪質のもの多きに上るの状況」と記しているように、「不逞悪質」の言動が目立ってきた。また、憲兵隊によって摘発された戦争末期の流言の数と種類は第37表のとおりであった(池田一「太平洋戦争中の戦時流言」、社会学評論、第二巻第二号、一九五一年八月による)。以下に官憲の目にとまった言動のうちいくつかを年代順にあげておこう。


 岐阜・陶器画工・二四歳――「今度の支那との戦争は侵略的である。支那と戦争して領土を占領しても我々無産者には何等の利益等ない。結局戦争は資本家が金儲けするだけでこんな侵略的戦争は反対だ。早く止めて貰いたい。仕事がなくなるから。」(数回にわたり数名に宣伝、一九三八年二月、造言飛語罪で禁錮四ヵ月)
 和歌山・農業・五二歳――「今年は百姓は悲惨なものだ。連日の降雨のため麦や罌粟は皆腐ってしまった。これは今度の戦争で死んだ兵隊さんの亡魂が空中に舞っているから、その為に悪くなるのである。戦争の様なものはするものではない。戦争は嫌いじゃ。」(理髪店で話す、同年五月警察犯処罰令で科料一〇円)

 岐阜・畳職・五二歳――「こんなに働くばかりでは銭はなし税金は政府から絞られるし全く困ってしまった。それに物価は高くなるし仕事はなし、上からは貯金せよといって絞り上げる。実際貧乏人は困っている。よいかげんに戦争なんか止めたがよい。兵隊に行った人の話では全く体裁のよい監獄じゃそうな。兵隊もえらいしええかげんに戦争は止めたがよい。日本が敗けようと敗けまいと又どこの国になっても俺はへいへいといって従っていればよい。日本の歴史なんか汚れたとて何ともない。」(或一人に話す、同年九月、陸軍刑法第九九条違反で禁錮六ヵ月)

 福岡・理髪業・三一歳――「皇軍兵士が戦死する場合無意識の間に天皇陛下万歳を叫んで死ぬ様に新聞紙に報道されているが、それは嘘だ。ほとんど大部分の者は両親兄弟妻子恋人等親しい者の名前を叫ぶということだ。」(数名に話す、同年一〇月、陸刑九九条で禁錮五ヵ月)

 岡山・製繩職工・二四歳――落書「労働者諸君賃金待遇に不平はないか、資本家はもうけているぞ、ファッショ倒せろ、賃銀値上せろ、涸落政党打倒、戦争する軍事費で失業者にパン救済せよ。」(同年七月二個所に落書、三九年三月、不敬罪で懲役二年)

 東京・飛鳥山公園便所に落書――「正義を愛する者は戦争に参加するな。」(三八年九月、捜査中)
 山形・応召軍人妻・三三歳――「兵たいさん父さんおかいしてくださいおねがいです。母さん病きでねています。私はまいにつないでいます。ごはんないのでばはいやにいもおもらった父っやんおかいしください。兵たいさんめくんでください母っやんぜにかないています。」(同年一〇月、歩兵三十三連隊本部へ投書、説諭処分)

 北海道・農業(区長)六五歳――「農家ではこの忙しい時に兵隊には取られるし頼りとする馬も徴発され仕事をするに大支障がある。とにかく戦争等は早く終って貰いたいと念願している。もう戦争は嫌になった。」(三九年二月、産組事務所で数名に話す、戒飭)

 石川・学生――第四高校内三教室に不穏落書(黒板に白墨で)「………この社会的動乱の渦中、立って賢明なる諸君は苛酷なる搾取と残虐なる戦争とを事とするブルジョアジーの味方をするか、それとも人間性の尊重と共存共栄との社会主義社会の建設を目指すプロレタリアートの味方をするか(授業が始ったら消して下さい)」および不穏文書(教壇教師用机の前方に「侵略戦争絶対反対」、「ファシズム反対」の小紙片貼布)。(検挙送局)

 福島・農業女性・三八歳――「国家なんて虫の良い事ばかりするものだ。足袋もなくて働け働けといわれても仕方がない。それに増税だ何だと是では百姓がやりきれない。是も戦争がある為だから戦争なんて敗けてもよいから早くやめて貰いたいものだ。」(一九四〇年、厳諭)

 岐阜――四〇年四月、二名の家人を前に新聞掲載の皇太子の写真に、「こんな良い服や靴を着て何じゃ、我々国民があって初めてこんな良い服が着られるのだ、こんなもの何じゃ」といいつつ該新聞紙をクシャクシャに丸め、これでストーブ上の油を拭き廻したのち「こんな者は早く死んで了え」とストーヴの火中に投じた。(七月、不敬罪で送局)

 山梨・芸能人(石田一松)、三九歳――同年五月甲府の劇場において、「稼いでも稼いでも喰えないに、物価はだんだん高くなる、物価は高いのに子はできる、できた子供が栄養不良、いやにしなびて青白く、あごがつんでて目がくぼみ、だんだん細くやせてゆく、日本米は高いからパイノパイノパイ、南京米や朝鮮米でヒョロリヒョロリヒョロリ」なる歌詞の時事小唄を演奏した。(演奏中止、厳重戒飭)

 千葉・五九歳――同年八月、小学校の時艱克服聖戦完遂村民総動員大会の席上で、「我々は今子供を二人も戦争にやっているが、もう戦争も大概に止めて貰いたいものだ」と発言。(厳重戒飭)

 和歌山・警察署長あて投書(新聞の皇族写真同封)――「署長以下署員皆様この御写真を見て如何に思うか。新体制が叫ばれている折今日この二方の服装はどうだ。上等の高価の毛皮の襟巻を着て堂々と新聞紙上に出すではないか。下人民の手本となるべき人はこの様な派手なことをするとは陛下の赤子として立腹の至りだ。現下の国民はいかなる苦難を忍びつつあるか。我々の生活の有様を推察せられ前記御二方へ厳重御意見を直接宮中へ出されよ。なお新聞紙に反答せられたし。一市民より。」(同年一一月、捜査中)

 大阪・五一歳――「天皇陛下も人間なら我々も人間だ。天皇陛下が米を食べられるのに我々国民が米を食べられないはずはない。天皇陛下が米を食べられないのなら、自分も食わずに辛棒する。我々は銃後の産業戦士だ。このような事で銃後の治安もくそもあるか。」(一九四一年二月、米穀共同販売所で発言、不敬罪としで送局)

 長崎・海軍徴用工員二名・三二歳および二七歳――一九四一年四月、両名は公休日に郷里に行き帰途の列車内で「オイ皇太子殿下に会って来たか(子供の意)。」「皇太子殿下に会わんが皇后陛下に会って来たよ(女の意)。」……と不敬会話をなし居るを同乗の移動警察官が検挙。(徴用工員のため憲兵隊に引継)

 山梨・農業・三九歳――「先日自分の出した供出米が一俵不正だとかで村の連中がとやかくいうが、あの位の事が悪いなら何の法律でもよい罰してもらいたい。このように種々と窮屈になったのも戦争のためでこの戦争を誰が頼んだものではない。政府が勝手にやっておるのでこんな事が永く続けば銃後はやりきれぬ。」(同年八月、某宅で雑談、科料五円)

 新潟・教諭・三七歳――同年九月、農林学校三年生四二名にたいし作文授業中、与謝野晶子作「君死にたまふことなかれ」の歌を板書し、生徒に筆記させ、「天皇は身自ら戦の庭に立たぬのだから我々も戦死する必要はない」との趣旨で説明を加えた。(厳重戒飭)

 兵庫・工場寄宿舎舎監・四一歳――事変に応召して召集解除となったが、戦地より支那軍捕虜殺戮現場写真等を持ち帰り、一九四一年九月以降一〇月、職工にたいし継続して、前記写真を提示しつつ、皇軍を誹謗し反戦反軍言辞を弄す。(四二年一月、神戸区裁で禁錮六ヵ月)

 北海道・訓導・二二歳――四一年一〇月、主として校長にたいする反感より、校長宅不在中、奉安所鍵を持ち出して奉安所を開扉し、箱中より今上陛下御真影および教育勅語を持ち帰り、火鉢にてまず教育勅語に火をつけ、更に御真影を焼却した。(一一月、懲役三年判決)

 群馬・農業・四五才――「日本もハアどうすることもできなくなってしまっただからね、皇族だっても我々と同じ国民ではないか、宮様の御祝儀だなんてあってこともない騒ぎをして一体皇族なんてものは何をして食っているんだべ。」(同一〇月、区長宅の常会席上、二二名の前で発言、一一月不敬罪で送局)

 大分・日稼・四四才――一九四二年三月、常会席上班長から国債購入の勧誘を受けたのに対し、「自分達はその日稼の苦しい生活をしているものだ。こんな事は下の者に無理にいうより戦争を止めるのが一番良い。そうすれば国債を売付ける必要がない。無理に戦争に勝とうとするからこのような国債売までするのだ。早く戦争をやめてもらいたい。」(検挙)

 東京・代議士(尾崎行雄)八四才――同年四月の総選挙に応援弁士として五回演説した際の言辞、「優れた天皇陛下がお出になってもそのお方が御在世の間は実に良い仕事ができますが、その次のお方が必ずしも同じ様でない時には今度は度々悪くなります(注意)……明治天皇陛下の聡明な御方が御崩れになって今日は二代目、三代目(注意)……。」(強制収容、起訴決定、取調中)

 岡山・役場吏員・三八才――十数回にわたり町村長、農会、警察署長等に投書、「商人丸丸と肥り、農村子弟戦場に血を流す。」「米の供出を御命令になるのは良家が闇をしている事になる。農家の親分として言分がある。農家の子弟が戦場で血を流し商人が儲けている。御承知あれ。」(六月、言論出版集会結社等臨時取締法ならびに臨時郵便取締法違反として罰金一〇〇円)

 大阪・鉄工仕上工・二○才――六月中旬工場において八―九名にたいし、「こんな戦争は勝っても決して我々労働者には何の得にもならぬ。お上の人は闇をしてはならぬと強調しているが、その人達が何をしているのか判ったものではない。」「天皇陛下がなければこんな戦争をやる必要はない。」(一〇月、言論出版集会結社等臨時取締法一八条違反として略式命令により罰金五〇円)

 神奈川・農業・四九才――四一年六月、国民学校における故陸軍兵長の村葬に参列し、埋葬に行く途中、村長にたいし、「国家のため戦死された英霊を何故国民学校の裏門より出発せしむるか」と質したのに対し、村長が「正門には御真影奉安せられあり、恐れ多いから臣下として御遠慮中し上げる」と答えたのに対し。「恐れ多い恐れ多いといったって天皇は我々が食わせておくのではないか、遠慮なら仕方がない。」と不敬の言辞を弄した。(四二年一二月、不敬罪として送致)

 北海道・生徒・一九才――四二年七月、道路において梨本宮殿下の御宿舎を望見しつつ同僚にたいし、「梨本君まだ来ないのか」と不敬言辞を弄す。(不敬罪として送致)


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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共謀罪 治維法・特高・憲兵による弾圧 流言飛語の取締り (2)

流言飛語の取締り (2)  【太平洋戦争下の労働運動】 法政大学大原社会問題研究所

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投稿者 愚民党 日時 2006 年 5 月 01 日



日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.
第四編 治安維持法と政治運動
第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧

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第二節 流言飛語の取締り(つづき)

 敗戦が近づくにつれて、国民のあいだには、生活の苦しみにもとづく終戦の要望、徴兵・徴用・供出などにたいする反対、心理的サボタージュ、官僚・軍部・天皇家にたいする抗議・攻撃などを内容とする「不穏言動」はいっそう拡まり、たとえ小さなものであっても戦時下で相当の勇気を要するこれらの言動は、支配階級にとって最も危険な抵抗の表現として受け取られた。憲兵司令部の資料によれば、一九四四年の一年間に全国の憲兵隊があつかった「造言」の数は、六、二三二件にのぼり、うち大阪六二五件、京都四六四件、仙台四一二件、東京三四七件となっている。また内務省警保局の資料(後出)によれば、一九四四年四月から一九四五年三月までの一年間に「不敬、反戦反軍、その他不穏にわたる言辞、投書、落書」の件数は、六〇七件となっている(南博「流言飛語にあらわれた民衆の抵抗意識」、文学、一九六二年四月号)。同じ警保局資料によると、一九四五年一月から五月までの反戦反軍的言動は一三五件、不敬言動は四〇件となっている(内務省警保局保安課第一係「最近に於ける不敬、反戦反軍、其他不穏言動の状況」、一九四五年八月――林茂編「日本終戦史」上巻による)。(以下は両資料による)

 警保局は、このうち反戦反軍的言辞の内容を分類してつぎのように述べている――「(イ)生活逼迫を訴えて戦争停止を希ふもの、(ロ)無条件降伏を為すも責任を問はるるのは戦争指導者のみにして下層国民の生活に現実以上の悲惨は齎されずと為し敗戦和平を希ふもの、(ハ)上層軍人の特権的生活に露骨なる憎悪感を示すもの、(ニ)戦禍の悲惨を訴へて降伏を希ふもの、(ホ)軍部は自らの無能無定見を陰蔽し只管敗戦の責任を国民に転嫁しつつありとするもの、(ヘ)我国の敗戦必至なりとして即時和平の交渉を希ふもの、等が圧倒的に多く、特に従来は(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の内容のものが多かったのであるが、極最近に於てはそれに加へ(ニ)(ホ)(ヘ)の内容のものが相当増加しつつある。何れも軍部官僚等の特権階級は自ら戦争圏外の特等席に位置し乍ら無意味なる抗戦の犠牲を国民に強ひつつありとする階級的感情の自然発生と結合し居るものの多いことは注目を要する動向と思料されるのである。」また、各種の不穏な言動を検討した上で、その動機などについてつぎのように述べている――「先づその動機に於ては従来の如き一部性格異常者、不穏思想抱持者等の悪戯及び思想的動機に出たるものに加へて最近に於ては大衆一般の戦局悪化に伴う厭戦敗戦感と戦時生活の逼迫から自然発せる苦痛の中に根源を持つ具体的生活的動機のものが著しく増加して居る。従ってその内容に於ても極めて切実なものが多い。而かも何れも反戦反軍乃至厭戦敗戦的思想感情が斯種言動を一貫して居るといふ点にその特徴を窺ふことが出来るのである。特に極最近に至っては所謂其他不穏言動が愛国乃至憂国的動機より出たるもの、又は、施策に対する不満より政府或は官僚を誹謗せる類の内容のものから漸次厭敗戦色調の濃厚なるものに移りつつあると謂ふ実情は頽廃的自暴自棄に亘る歌詞歌謡の流行等と相俟って正に反戦反軍的思想感情の広汎なる〔ウン〕醸地を準備するものとして注目に値する傾向である。………之等は何れも言動として表面化し視察取締りの線に触れたる偶然のものに過ぎず、その根源には猶戦時下特有の政治的社会的重圧の下に沈黙を余儀なくされたる大衆の広汎なる不安動揺の存在を推測し得るといふところに事態の重要性があるものと思料されるのである。………意識的計画的なる態様のものが最近僅か乍らも増加の傾向にあり、又極めて素朴なる形なるも宣伝、煽動的意図に出でたる態様のものすら萌芽しつつあるといふことは、当面国民心理の不安動揺といふ客観的条件が存在するだけに厳重警戒を要するところである。」以下に若干の具体的事例を掲げる。


 福島・農業・四二才――「米もすっかり持って行かれ百姓は酷いものだ。戦争なんか勝っても負けても同じ事で百姓には関係がないそうだ。」(一九四三年一二月、隣人三名に流布、憲兵隊審理中)
 呉・無職女性・二八才位――「町内会でも疎開者として勧奨しておった某実業家の二号は旦那が策動して疎開せずに済むことに決ったそうな。疎開にも闇中情実があるらしい。」(一九四四年五月、巷間聞知したる憲兵に洩らす、憲兵諭示、他言を禁ず)

 京都・鋳掛職――「大体政府は二合七勺位の米で腹がふくれると思っているのだろうか。こんなひもじい目をするのなら戦争は勝っても負けてもどうでもよい。」(一九四四年六月、常会席上または自宅において知人等十数名に洩らす、警察検挙、送致)

 京都・大工・一八才――「徴用検査の通知は死んだものにでも来るのだから行っても行かなくてもよい。検査の時は番号を呼んで行って居らんものは赤線を引いて消すだけで、検査に行けば徴用が来るが、行かなかったら徴用にも行かなくともよい。」(一九四四年七月、知人数名に流布、聞知せる二名は徴用当日不参、警察検挙、送致)

 茨城・農業・五一才――「十俵の収穫しかない者に、二十五俵の割当があった場合にも完納するのか。完納するとすれば盗んで来るより仕方ない。こんなに無理を強いられるなら、米英の世話になった方が良いと思う。」(一九四四年八月、供麦常会に居合せた二九名に流布、反響大、警察検挙、送致)

 埼玉・農業・女性・四七才――「神社のお告げだ。今年海軍に志願すれば戦死する。」(一九四四年九~一〇月、近郷町村一帯に流布、著しく海軍志願兵を消磨させ、特にH村は割当九名に対し志願者皆無、憲兵検挙、送致)

 東京・陸軍航空工廠工員・二九才――「軍はやられたり負けた事等はいつも発表しない。だから新聞等では解らない。」(一九四五年二月、電車内で同僚四名に流布、憲兵隊で厳諭始末書)

 埼玉・農業・五一才――「あんなに東京を焼いて了って天皇陛下も糞もない。戦に勝つから我慢しろと言やがって、百姓はとった米も自由にならぬ。骨が折れる丈だ。」(一九四五年三月、自宅付近で流布、憲兵検挙、事件送致)

 埼玉・村会議員――「沖縄も近く玉砕だ。この分では日本は負けだ。負け戦に貯金だ供出だと云うが馬鹿馬鹿しいことだ。」(一九四五年五月、部落常会席上で近隣約三〇名に洩らす、警察検挙取調)

 大分・農業・四九才――「敵が上陸したら国旗を出して歓迎する。」(一九四四年九月)
 不明――「日本が負けて天皇陛下はどうなるやろう。」「天皇陛下は淡路島でも貰うやろう。」「そんなことはない。どこか南洋か外国へ連れて行かれるのやないかと思うな。」(一九四五年、警察検挙)

水戸連隊区司令官あて――「軍人諸君特に陸軍の軍人諸君は民衆の忠誠を認識せず、徒に威丈高に叱責これを咎むるのみ急にして敗戦の責任の己自身に存することを誤魔化さんとする傾向日を追うて顕著なり。……」


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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太平洋戦争下の労働運動
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【共謀罪と戦争】 日本の新たな軍事的野心

【ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年4月号】から転載
http://www.diplo.jp/articles06/0604-4.html


日本の新たな軍事的野心

エミリー・ギヨネ特派員(Emilie Guyonnet)
ジャーナリスト、
「ロベール・ギラン日本報道賞」受賞
訳・阿部幸

アジアの地政学的な中心に位置することから「太平洋の要石」と呼ばれる沖縄は、第二次世界大戦以来、日米の戦略的決定に翻弄されてきた。太平洋戦争で、その最も悲惨な戦闘の舞台の一つとなった後(1)、米国の軍事的な植民地となり、日本の他の地域より20年も長く1972年まで米国の占領下にあった沖縄は、現在も37の米軍施設を負わされている。人口135万人の土地に将兵2万6000人がその家族とともに駐留する(2)。

 この縦100キロメートル、横15キロメートルほどの狭く、しかも人口密度の高い地域への基地の集中は、日常的に無数の問題を引き起こしている。規制値をはるかに上回る騒音や、犯罪、演習時の事故、実弾を使った訓練などに伴う危険といった問題だ。

 「基地はほんとうにいやです」と、嘉手納基地の近くに暮らす屋良朝博氏は言う。この基地は極東にある米軍空軍施設の中で最大規模であり、最も頻繁に活用されている。「夜中の2時3時から、飛行機の騒音で目が覚めることがあります。複数のジェット機が頭上を飛び交うのが見え、何かの金属や物体が庭に落ちてくることもあります」。基地問題は、3人の海兵隊員による少女暴行事件があった1995年に、ふたたび全国的な問題となった。「あの事件は世論にとってまさに衝撃でした。1972年の返還後、沖縄の状況がメディアに取り上げられることはなくなっていましたから」。沖縄タイムス編集委員である屋良氏はそう回顧する。

 にもかかわらず、問題は変わらず続いている。それを象徴するのが、人口8万人が住む市街地の中心に4800ヘクタールの面積を占める普天間の空軍基地だ。2004年8月13日に起こった米軍ヘリ墜落事故によって破壊された大学の建物の跡は、今でも間近に見ることができる。

 楽園のような浜辺が続き、ホテル群が立ち並んでいても、沖縄の空気は重い。冷戦が終わって久しいというのに、いまだに現状が維持されていることに地元住民はうんざりしているのだ。東京から1500キロ、太平洋と東シナ海にはさまれた日本最南の沖縄県は、別の時代に取り残されてしまったような奇妙な印象を与える。

 屋良氏は言う。「状況は変わろうとしています。日本は国民も指導者も、国防に関わる問題について考えてきませんでした。というのも、冷戦の間は、米国の核の傘に守られていたからです。しかし、常に米国を当てにできるとは限りません。今日ではこの議論を避けることは不可能です」。これこそまさに日米の新たな戦略協議の主題である。その骨子は中間報告に示されており(3)、原則的に3月31日までに最終合意文書に調印することが予定されていた(4)。中間報告には米軍部隊の再配置、すなわち、海兵隊7000人の沖縄から米領マリアナ諸島グアム島への移転が盛り込まれている。グアムは沖縄より広く、人口が少ないだけでない。米国防総省によれば、東南アジアの急進イスラム主義グループの活動に対処するのにより適した位置にある。

 この決定(実施日程はまだ詰められていない)は、在日米軍の総規模や、韓国における計画と比較すれば、見た目ほどめざましいものではない。89の米軍施設を擁する日本は、グアム移転後もなお4万人の米軍兵を抱えることになる。この移転費用のうちほぼ90億ドルは、日刊全国紙ジャパンタイムズが伝えるところによれば、日本政府が負担する(5)。日本はアジアにおける米国の最も親密な同盟国として、また軍事戦略の支柱としての役割を果たしつづけることになる。

 一方、この地域におけるもう一つの米軍の拠点たる韓国では、2008年までに駐留米軍3万7500人のうち1万2500人の削減が予定されている(6)。国民の反対が大きく、また北朝鮮との和解を模索しているため、米国との同盟関係に距離をおき、より多角的な外交を重視する方向に向かっている。ただし、1954年の条約が問題視されているわけではない(7)。

 日韓の違いは財政面にも表れている。日本が在外米軍の「最も気前のいい受け入れ先」であり、年間40億ドル以上、駐留経費の75%を負担しているのに対し、韓国の負担率は40%、拠出総額は8億4000万ドルあまりにすぎない(8)。

グローバルな同盟への歴史的転換
 日米の新たな二国間合意は、冷戦後のアジアにおける米軍再編というだけにとどまらない。そこには日本の外交・国防政策の変化があますところなく表れている。すなわち、米国との政治的、軍事的な同盟関係のかつてないほどの強化である。2005年10月29日の中間報告発表の場でライス米国務長官が述べたように、「日本の防衛を唯一の目的とし、地域の安定を潜在的な目的とする協力関係」から「グローバルな同盟」への転換が、この合意によって実現されることになる(9)。
 「歴史的」と評されるこの合意は、1945年9月2日の降伏文書調印に始まる日米関係の第三期を画するものである。1951年9月、サンフランシスコ講和条約と同時に調印された日米安全保障条約では、日本に米国の基地と軍を維持することが定められた。この頃、武装解除されていた広大な日本の目と鼻の先で、朝鮮戦争が勃発していた。1960年1月、この条約は、その前提となっていた力関係の変化を受け、日米相互協力および安全保障条約に改定された。期限は10年で、その後はどちらかの通告後1年で終了する。新条約では、相互性の概念が導入されるとともに、基地の使用や核兵器の日本への持ち込みに際して日本政府と事前協議をすることが米国に義務付けられた。それから46年後の新たな同盟合意により、両国の戦略的パートナーシップはあらゆる状況に対処できるものへと拡大される。

 こうした展開は、湾岸戦争で日本の「小切手外交」が「国際社会」の批判を浴びた1991年以降の流れの中に位置付けられる。2001年9月11日以降、米国政府が「対テロ戦争」に乗り出し、日本政府が同盟に基づく協力姿勢を打ち出していることで、この動きはさらに加速した。しかも2001年4月には、ブッシュ大統領寄りの小泉純一郎が日本政府のトップに就任している。

 新同盟の布石となったのは、2001年以後の情勢を受けて可決された特別措置法である。これにより自衛隊は、1992年のカンボジアに始まる従来の海外派遣とは異なり、国連の枠外でグローバルな任務に当たることを認められるようになった(10)。日本の外交と国防の専門家レジーヌ・セラ氏の見解によれば、これらの任務は法的にも形式的にも1960年の日米条約の対象には含まれない(11)。2001年10月には「テロ対策特措法」成立によって、アフガニスタンのタリバン政権と交戦する多国籍軍の後方支援のために自衛隊がインド洋に派遣され、2003年には「イラク復興支援特措法」によって、イラク南部サマワに出動した。

 日米のパートナーシップの拡大は、2005年10月29日にワシントンで開かれた中間報告の記者会見でラムズフェルド米国防長官が言った「テロとの戦い」にとどまるものではない。大きな動機となっているのは中国が大国として台頭しつつあることだ。2005年6月28日のインドとの防衛協定の調印から1年足らずのうちに進められた日本との新たな同盟協議は、米国政府にとって中国「封じ込め」戦略の一環として位置付けられている。米国政府から軍事支出が不透明だと指弾される中国は、日本政府の新防衛大綱でも北朝鮮とともに安全保障上の懸念材料として名指しされている。

 アジアの二大国間の勢力争いの背景には、尖閣諸島(中国名は釣魚島)をはじめとする領土問題と、日中双方の国民のナショナリズムをかき立てる歴史問題がある(12)。グローバルな同盟をめざした中間報告でも、新たな脅威を例示した個所に「島嶼部への侵略」を挙げている。

 中国に対する日本の戦略上の懸念を強めているのが、朝鮮半島が統一されるかもしれないという見通しである。そうなれば核保有の可能性のあるミドルパワーが誕生し、平壌のみならずソウルにおいても外交の重心が中国にシフトして、現在進行中の社会的、政治的な変化がいっそう進むことになるだろうからだ。

 米国の国家情報会議がCIAに提出した2020年報告の中で「アジアにおいて大規模な国家間紛争が起こる可能性は依然として他の地域より高い」とされている状況下で(13)、日本政府は、この地域においても国際舞台においても外交・軍事の両面で第一級国たらんと決意しているように見える。第二次世界大戦後かつてなかった姿勢である。日本は非常に高度な軍備を保有し、年間400億ドルという巨額の防衛予算(米国、英国、フランスに次いで世界第四位)を持っている。しかしながら平和憲法を備えていること、国連安保理常任理事国入りが行き詰まっていることにより、海外への出動を制限されている。欠落分野のない外交を展開し、「普通」の軍事大国としての地位を回復するには、米国との防衛協力を強化することが最も有効な方法と見るのはそのためだ。

「統合運用体制」への変革
 この政策の主な手段の一つが、2005年10月29日の中間報告が掲げているような、両国の部隊の「相互運用性の向上」である。この方針は米軍再編の柱の一つであり、具体的には、情報の共有および共同の演習や作戦を円滑に行うために日米の意思決定中枢が抜本的に再編される。沖縄に関しては、米国側は一部の施設の共同使用を認めるつもりがあると強調する。「日米両政府が明言しているのとは裏腹に、グアム移転によって沖縄の基地の負担が軽減されるとは限りません。自衛隊が米軍に代わることになる可能性が高いからです」と琉球大学教育学部で教鞭を執る山口剛史氏は嘆く。
 この他に、東京の北西部にある横田飛行場には、日本の航空総隊司令部を移転して米空軍司令部との連携をはかるとともに、共同統合運用調整所を設置することが予定されている。同じく東京近郊にあるキャンプ座間では、現在の米陸軍司令部が改編され、統合任務が可能な作戦司令部組織が設置される。

 このような相互運用性の必然の帰結として、「自衛隊を統合運用体制に変革する」ことが予定されている。この新たな機構の役割・任務は、中間報告では明確に定められていないものの、現在の自衛隊のように狭義の国土防衛のための出動のみに限定されるわけではない。この点、合意は実に巧妙に書かれている。あいまいで、制約が設けられていないため、両国政府が自由に運用できるようになっているのである。自衛隊の「このような変革は憲法違反です」と山口氏は憤慨する。

 マッカーサー将軍の指揮のもと米占領軍によって原案が作られた1947年の憲法は、第9条において、日本国民が、戦争と、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を放棄し、戦力は保持しないと規定している。この憲法はすぐに暗黙の変更を加えられることになった。冷戦という状況下で、マッカーサーは1950年、日本に対し7万5000人からなる警察予備隊の設置を求め、これが母体となって4年後に自衛隊が生まれており、現在では約24万の隊員を数えるに至っているからだ。自衛隊の合憲性をめぐっては大きな議論があり、たとえば社会党は1994年になるまで公式には合憲と認めていなかった。

 米国との同盟の枠組みに沿った自衛隊の地位の変更は、憲法改正議論の渦中で提案された。小泉首相率いる自民党は、2005年11月22日、自衛隊を「軍隊」にする内容を含んだ新憲法草案を発表した。しかしながら、今のところ改正が具体的日程にのぼっているわけではない。改正には両院それぞれ3分の2以上の賛成と、国民投票による過半数の賛成が必要とされる。

 政界では1945年の降伏以来の謙虚な姿勢が薄れ、ナショナリズムへの回帰が見られるとはいえ、国民は今なお憲法の平和主義にこだわりを持っている。駒澤大学法学部教授の西修氏は言う。「世論の大半が憲法改正に前向きだからといって、9条の改正が賛同を得るとは限りません」。しかし、「国民の意識は変わりつつあります」と国立公文書館アジア歴史資料センター研究員、牟田昌平氏は言う。「景気が後退した時期に、保守派の考えが世論のうちに浸透し、右傾化が進みました。小泉首相はこれまでの首相より保守的な路線をとっており、ことに歴史問題に関してはそれが際立っています。もう一つ兆候があります。特にここ数年、一部のメディアが非常に右寄りになってきているのです。左の意見が聞かれることはますます少なくなってきました」

 1960年の安保条約改定時には、国民の反対運動が巻き起こって国政が2カ月にわたって麻痺し、アイゼンハワー大統領の訪日取りやめという事態となった。反対派による最大の非難は、1951年の条約が勝者によって占領末期に押し付けられたものだったのに対して、1960年の条約は判断と行動の自由のある政府が行った交渉の結果である点に向けられた(14)。衆議院での抜き打ち採決だったとはいえ、1960年の条約は民主主義の枠内で成立したと言えるものだった。今回の改定をめぐっては、とりわけ米軍施設のある県の政治家と住民の間に、強い反対が起こっている。たとえば広島の南西方向にあり、米軍再編計画による部隊の増強が予定されている岩国市は、2006年3月12日に住民投票を実施した。この住民投票には象徴的な意味しかないとはいえ、反対票が89%と圧倒的多数を占めた。しかし、地元の抗議は何らの重みとなることもなく、再編計画は住民にも議会にも諮られないまま両国政府の上層部のみによって決定されつつある。


平和主義体制の終焉か
 相互運用性の向上は、日本の部隊がとりわけ技術面で米軍と同じ水準を維持するために、変革を必要とするということも意味している。将来の合意文書に「双方がそれぞれの防衛力を向上」させ、「技術革新の成果を最大限に活用」するという二重の動きが規定されているのも、これによる。
 日本はアジア太平洋地域における米国の他の同盟諸国と同様、自国の能力と米国の能力との格差拡大を恐れている。しかも、米国防総省付設のアジア太平洋安全保障研究センター(APCSS)が主催した会議の議事録でも指摘されているように、日本では予算や制度、官僚機構が壁となって、米国が進めているほどの軍事再編は歯止めをかけられ、妨げられている(15)。

 両国間の協力分野の中でも、特に1998年に北朝鮮の弾道ミサイルが日本領空を通過した事件以後、中心課題となったのが弾道ミサイル防衛(BMD)である。10月29日の中間報告にも、BMDに関する「それぞれの能力の向上を連携させる」と記されている。1967年以降、日本が政府の方針によって武器と軍事技術の輸出を禁止してきた現状からして(16)、米国の軍事技術の移転は産業界にとって重要な意義を持つ。

 とはいえ、この方針は2004年12月に小泉内閣によって部分的に解除された。視野にあるのはミサイル防衛における米国との協力である。「三菱重工と川崎重工という日本の2大軍需企業にしてみれば、解除を正当化する理由として、技術的課題があることを主張できるだろう」とレジーヌ・セラ氏は指摘する(17)。防衛庁は2010年末までにパトリオット・ミサイル124発を調達する意向を表明している。当初は米国から輸入し、続いて三菱重工に製造させるという計画である(18)。

 日本が20世紀に行った植民地化を今なお記憶にとどめている近隣アジア諸国は、平和主義に貫かれた戦後体制の見直しに向かおうとする日本の変化を快く見てはいない。アジア太平洋地域では、ナショナリズムが高まり、戦略上の問題も抱えているうえに、米国が数多くの安全保障条約や相互協力条約を交わしてきた結果、軍拡競争が止まらずにいる。この地域は今や中東に次ぐ世界第二の武器市場となっており、1990年から2002年の間の購入額は1500億ドルを超えた(19)。

 日本にとっても、豪州、韓国、台湾をはじめとする他の対米同盟国・協力国にとっても、米軍との連携上の運用能力を維持することが目標となっている。アフガニスタンやイラクに見られるように、米国との共同作戦を実施する可能性が増大しているからだ。多くの国が米国の新型装備を調達しており、たとえば豪州、日本、韓国は艦隊戦闘システム「イージス」を導入した。

 しかし、米国が「軍事革命(RMA)」に乗り出して以降、アジアに向けて行ってきた先端軍事技術の輸出が度を越していることは、地域内でも批判する国が出てきている。APCSS主催の別の会議の議事録によれば、これらは「テクノロジーそのものの偏愛」に傾いた「思い付き、技術革新、テクノロジーの世界」に属するものであって、「低強度の脅威、特にテロへの対処や暴動鎮圧作戦には不向き」である(20)。

 この会議の参加者たちは、米軍再編がアジア太平洋地域に及ぼす波及効果を懸念した。「米国の軍事的優位の確定と強化を目的としている」限り、米軍再編は「新たな脅威を創出する」ことになりかねない。

 防衛力を進化させることのできない国々は、「低強度の攻撃(暴動やゲリラなどの戦術)のように非対称的な手段に出るか、大量破壊兵器(核・生物・化学弾頭を搭載したミサイル)の能力を増強する」可能性があるのだ。米国政府がアジア太平洋地域で展開する安全保障政策のパラドックスはまさしくここにある。

(1) 1945年4月から6月に繰り広げられた沖縄戦は、23万人以上の死者を出した。そのうち9万4000人が民間人である。
(2) 2004年に公表された県庁報告書「US military issues in Okinawa」によると、県内の米国籍者の総数は5万826人にのぼる。
(3) 2005年10月29日にワシントンで日米防衛・外務担当閣僚が行った会議を受けて発表された中間報告書「日米同盟:未来のための変革と再編」参照(http://www.jda.go.jp/j/news/youjin/2005/10/1029_2plus2/29_e.htm )。
(4) 2006年3月末の時点で最終合意は4月以降に持ち越しとなり、4月23日、日本がグアム移転費のうち60億9000万ドルを負担することで合意、協議は大筋で決着した。[訳註]
(5) >, The Japan Times, Tokyo, 25 November 2005.
(6) この決定は2004年10月6日、ラムズフェルド米国防長官によって発表された(http://www.defenselink.mil/releases/2004/nr20041006-1356.html )。
(7) 1954年に調印された韓米相互防衛条約が米軍の韓国駐留の根拠となっており、米軍は韓国が国外から攻撃を受けた場合に援助する義務を負う。
(8) 入手可能な最新情報は、同盟諸国の貢献に関する米国防総省の2004年報告であり、それによると、2002年の日本の負担額は44億1000万ドル、韓国の負担額は8億4280万ドルである。
(9) 前掲「日米同盟」。
(10) それまでは自衛隊の行動は国土の防衛に限定されていた。
(11) レジーヌ・セラ『日本の戦略の変遷:EUにとっての課題』(EU安全保障研究所、ブリュッセル、2005年6月)。
(12) マルティーヌ・ビュラール「中国が展開する非対称外交」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年8月号)参照。
(13) Mapping the Global Future, Report of the National Intelligence Council's 2020 Project, National Intelligence Council, December 2004.
(14) E・O・ライシャワー『ライシャワーの日本史』(國広正雄訳、講談社学術文庫、2001年)。
(15) Asia-Pacific Center for Security Studies (APCSS), >, Hawai, 30 March - 1 April 2004, http://www.apcss.org/core/Conference/CR_ES/DefenseTrans.doc
(16) 「三原則」と呼ばれる方針。共産圏の国、国連により武器輸出が禁じられている国、国際紛争の当事国またはそのおそれのある国に対する武器の売却と軍事技術の移転を禁止している。1976年には禁止の範囲がすべての国に拡大された。
(17) レジーヌ・セラ、前掲書。
(18) >, The Japan Times, Tokyo, 13 November 2005.
(19) Richard A. Bitzinger, >, APCSS, Hawai, March 2004.
(20) APCSS, >, Hawai, 1-3 December 2004.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年4月号)
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共謀罪 危惧や不安はもっともだ ─社説:毎日新聞

共謀罪 危惧や不安はもっともだ ─社説:毎日新聞


http://www.asyura2.com/0505/senkyo10/msg/653.html  



投稿者 天木ファン 日時 2005 年 7 月 25 日 19:01:53:



共謀罪 危惧や不安はもっともだ


 犯罪を謀議しただけで処罰できる「共謀罪」の導入を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の国会での審議が始まった。「国境を越えた組織犯罪の防止に関する条約」の要請に基づく改正だが、日本の刑事法制は犯罪の実行行為を裁くのが原則で、実行されなかった犯罪計画が罪に問われるとなると、歴史的な大転換となる。国際基準に合わせるのが目的とはいえ、国を挙げての論議が不可欠だ。結論を急いではならない。

 同条約は国際マフィアによる銃器や麻薬の密輸の取り締まりを主眼とし、加盟国は国内法で共謀罪か組織的犯罪集団への参加罪のどちらかを整備することが条件とされている。政府は当初、「共謀や予備の行為を犯罪化することは、わが法制度に首尾一貫しない」として条約批准に消極姿勢を見せていたが、米同時多発テロ後の対テロ強硬論に押されて方針を転換したらしい。

 政府が言っていたように、現行法制度で実行されぬ犯罪で罪に問われるのは、殺人、強盗、爆弾事件といった限られた重大犯罪に設けられている予備罪だけだ。刑法の共謀共同正犯で、謀議に加わっただけでも共犯に問われることはあるが、この場合も共犯者による犯罪の実行が前提だ。

 法案では、犯行を計画した後、謀議に加わった全員が翻意して実行しなかった場合も処罰される。615種の犯罪が対象になるともいう。しかも、実行前の自首による減軽、刑の免除も認められるから、密告を奨励したり、捜査当局によるおとり捜査に道を開くことにもなりかねない。

 南野知恵子法相は趣旨説明で「重大かつ組織的な犯罪を実行しようと共謀する行為を処罰する。具体的かつ現実的な合意がなければならない」と述べている。法務省も一般市民や労働組合、会社には適用されない、と説明している。

 しかし、制定後の運用で解釈が変わったり、拡大されるのが法律の常だ。暴力団対策が目的だった凶器準備集合罪が、学生運動や市民運動の取り締まりに活用された経緯もある。共謀罪も、市民への弾圧法と化しかねない危険性をはらんでいる。衆院法務委員会の審議で法案への疑問が噴出、与野党双方から修正要求が出されたのも、市民の一部から「現代版の治安維持法だ」との批判の声が出ているのも無理からぬところだ。政府が条約の交渉記録の一部を黒塗りにして開示したり、条約では「組織的犯罪集団が関与するもの」が共謀罪の要件とされているのに、法案では明文化されていないことが、不安や不信を増幅していることも見逃せない。

 政府はまず、条約に対して積極姿勢に転じた理由を明かした上で、条約が要請する法整備の範囲を明確にすべきだ。条約の要件が法案に盛り込まれなかったのはなぜか、も明快に説明してほしい。どうしても国内法の整備が必要とされる場合も、最小限で済ませるべきは当然だ。市民の危惧(きぐ)や不安を払しょくできないような法案を、認めるわけにはいかない。


毎日新聞 2005年7月25日

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/