高原山 -383ページ目

【究極の大陰謀】 5/9強行採決と共謀罪?!



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共謀罪は世界権力による「治安共同体」の創設 (2)

共謀罪】 資料/国際的組織犯罪条約逐条批判
【共同行動オンライン】http://hanchian.org/index.html

国際的組織犯罪条約逐条批判

http://hanchian.org/kyoubou/kokusaijouyaku-hihan.html
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(7)「特別な捜査手法」B-電子的又はその他の形態の監視〔第20条〕
 イ.急速に進む電子的監視
 ②「電子的監視」とは電話(携帯電話も含む)盗聴やインターネット監視のことであり、アメリカでは、小型マイク利用による自宅・クラブ・自動車内の会話の盗聴も含まれる。その他の形態の監視とは、街頭・店内カメラやNシステム、あるいは「顔紋」照合などハイテクを駆使した社会監視のことである。電子的又はその他の形態の監視は、2000年8月(’01年9月最高裁が合憲判決)に盗聴法が施行され、本年末までには歌舞伎町24時間監視カメラ作動やNシステム合憲判決など日本でも着々と進行している。

 警察の盗聴がプライヴァシーを侵害し、様々な民衆運動の組織的解体を狙うものであることは改めて言うまでもないが、それは、従来の捜査の概念を根底から覆し、未だ犯罪が発生していない段階での予防的な強制捜査権限を与えたという点でも極めて攻撃的なものであった。

 条約そのものは電子的監視の内容を定めていない(条約審議の中でも電子メール盗聴が含まれるかどうかは結論がでていない)が、この間進められている①サイバー犯罪条約の内容、②「反テロ国際包囲網」を口実としたアメリカ・イギリスなどでの盗聴権限拡大の動きからして、組対法三法反対運動の高揚の結果、警察にとって「使いにくい」とされる盗聴法の改悪攻撃は必至の状況に入っている。

 ロ.「サイバー犯罪条約」の危険性
 アメリカ・イギリスなど英語圏五カ国の大規模な国際的盗聴網(エシュロン)が、軍事・外交・商業・個人通信を監視していることが暴かれた。EUは国際協定違反と抗議する一方、自らの主導権で「サイバー犯罪条約」の締結を目指している。

 サイバー犯罪条約は、'97年頃から欧州評議会で制定作業が進められてきたが、今秋にも採択され、コンピュータ犯罪に関する初の国際条約として発効しようとしている。ちなみにアメリカ・カナダ・メキシコ・日本も起草段階から参加している。この条約は、その技術的・方法的性格において、従来の「物」を対象とした捜査・押収の概念を「記憶データ」という新たな領域に拡大させることを通して、強制捜査における令状主義の原則を緩和し、警察のグローバル化・権限の強化を飛躍的に進めるものとなっている。

 条約の内容は、違法アクセス、違法傍受、データ妨害、システム妨害、コンピュータ関連偽造、同詐欺、児童ポルノ関連犯罪、著作権等侵害犯罪を新たな犯罪類型とし、手続き法については、コンピュータ・データの緊急保全、個人に対するデータ提出命令、プロバイダーへの加入者情報の提出命令、捜索・押収、トラフィックデータ(受・発信地、経路、日時、サイズなど)及びコンテント・データ(通信内容)のリアルタイム盗聴などについて各国が法整備するよう求めるものである。

 実体法部分については日本では既に不正アクセス禁止法、刑法のコンピュータ犯罪規定、児童ポルノ禁止法などが法制化されているが、サイバー犯罪条約が手続き法として求めているコンピュータ情報等に対する捜査については全く規定が設けられていない。条約の求めるコンピュータ・データの捜索・押収は有体物を対象とする刑訴法では認められていない(ガサ入れの現場ではハードディスク、フロッピーディスクなどの媒体を有体物とし押収している)。

 また日本の盗聴法の前提犯罪は4犯罪だが、条約は、トラフィック・データについてはコンピュータを使う犯罪であれば全て、コンテント・データについては「重大犯罪」といずれもゆるやかで、広範な盗聴を認めている。その他にも通信業者や管理者を警察の手先とする、双罰性を問わないなど、極めて危険な内容の代物となっている。日本がこの条約に調印・批准するとすれば盗聴法改悪は必至となる。

 ハ.盗聴法改悪攻撃は必至
 「反テロ国際包囲網」を情報面から検討してみる。現在進行形であり、全容が明らかにされていないことを前提にしても、すさまじい限りの暴走であり、市民団体などからの「自由を脅かす」との反対・懸念の声が強まっている。

 独自の偵察衛星で地上通信を盗聴、超大型コンピュータで暗号を解読、英語に翻訳する、あるいは電子テレスコープで地上の動きを追尾するシステムを誇ってきたNSA(米国家安全保障局)も「カーニボー」で盗聴するFBI(連邦捜査局)CIA(中央情報局)も今回のハイジャックを探知できなかったことに衝撃を受けたブッシュ政権は、盗聴を全社会に押し広げようとしている。

 狙っているのは、特定の電話番号に限られていたのを不審者が利用する全ての電話に拡大、州や裁判所の許可がなくても捜査当局が自由に盗聴できる、インターネット上の暗号利用規制、外国情報機関の盗聴情報が憲法修正4条(不当な逮捕・捜索・押収の禁止)に違反していても捜査に使用できる、など文字通り捜査機関にフリーハンドを与えることである。更に個人情報取得を簡単にできるようにするなど、「テロ対策」に名を借りた治安立法が目白押しとなっている。イギリスでも、電子メールの監視権、盗聴記録の公判での証拠採用など盗聴権限拡大や全ての国民にIDカード(身分証明書)所持を義務づける法案などが画策されている。

 事件以前から様々に策動されていた治安管理強化策だが、あまりの暴走に、リベラルから保守まで150以上の人権擁護団体や宗教団体、法律家団体などが、「自由の防衛」と題した声明を発表するなど、プライヴァシー侵害をくいとめる反撃が強まっている。

 アメリカ・イギリスなどの盗聴権限強化は、条約が「ループ・ホール理論」(抜け穴を防ぐ)に則っている以上、日本が追従すること必至である。

(8)「司法妨害の犯罪化」〔第23条〕と「証人の保護」「被害者への援助及びその保護」〔第24条、第25条、第26条4〕

 見てきたような新たな大量の犯罪類型創出と人権侵害多発必至の特別な捜査手法導入は、それを実行する司法・捜査機関を絶対化することなしには不可能である。「司法妨害の犯罪化」によって司法を絶対不可侵の聖域と化し、その庇護の下に「証人の保護」や「司法取引・刑事免責」の手法を使って「組織犯罪集団」を切り崩し解体するというのである。

 第23条(a)「虚偽の証言をさせ又は証言若しくは証拠の提出を妨害するため、暴力、威迫若しくは脅迫を用い又は不当な利益の供与を約束し、申し込み若しくは供与すること」は証人威迫罪(刑法第105条の2)と、(b)「司法機関又は法執行機関職員の公務を妨害するため、暴力、威迫又は脅迫を用いること」は公務執行妨害罪(同第95条)と同趣旨であり、前者は、組対法によって法定刑が1年以下から3年以下に引き上げられた(第7条)。そしてこれとセットになって第24条[証人の保護]が定められている。

 特徴は証人威迫罪のように「面会を強請し、又は強談威迫」と実行行為が曖昧であれ明文化されるのではなく「潜在的な」報復又は脅迫からの保護とされていることである。潜在的な報復とは何のことかと思うが、恐らくは、刑訴法改悪が、「加害等の防止を図る」に留まらず「証人等の不安を軽減、除去するため」に行われたのと同じ流れの中にある。従って、主観的でもある証人(被害者、目撃者、捜査・訴追に協力した犯罪関与者など)の不安を除去するためには、「被告人の権利を害さない範囲で」とあえて注記せざる得ないほど徹底した措置が求められる。

 具体的には①住居の移転、②人定及び所在に関する情報の非公開又は制限、③ビデオリンク等を通じた証言であり、刑訴法改悪で②③の一部が法制化され、証拠開示が厳しくなる、傍聴席や被告席から証人を見えなくする衝立裁判が行われるなどが既に強行されている。裁判の大原則である直接主義がモニターを通じることで損なわれ、防御権・弁護権が侵害されてきているのである。

 モデルとされていると思われるアメリカの「証人保護プログラム」では、証人等は、氏名を変え、遠く離れた土地に住居を与えられ、職業を斡旋される。氏名や住所の変更に伴って生じる社会保障番号、運転免許証等の変更も行われる。又、生活が軌道に乗るまでの間、一定の金額が支給され、司法省関係者が定期的に訪問する。

 ここまで来れば、捜査当局が、身の安全も含めて証人を長期間コントロール下に置くことが、刑事裁判による真実の発見にとって、はたして意義があることだろうかという当然の疑問が湧いてくる。証人保護を口実にした反対尋問権の制限や身元の非公開、ビデオリンク方式は、匿名証言や覆面証言という暗黒裁判に道を開きかねない危険を秘めているといわざるを得ない。

(9)「司法取引・刑事免責」の導入〔第26条〕

 イ.「司法取引」は証言強制の別名
 第26条[法執行当局に対する協力拡大のための措置]は、「組織犯罪集団に参加している者又は参加した者」に対し、情報提供と犯罪収益剥奪への協力を呼びかけ、「実質的な協力を行う被告人に対する処罰を緩和する可能性」「実質的協力を行う者に対し訴追の免除を付与する可能性」を規定することを考慮するよう求めている。

 「司法取引」とは「訴追裁量権の取引的行使」と定義され、要するに「犯罪者」に対して減刑あるいは免罪を餌にして警察・司法当局の捜査に協力させるというものである。①被告の有罪答弁と引きかえにした訴因縮小や求刑引き下げ、②被告の有罪答弁プラス捜査協力と引きかえにした隍訴因縮小や求刑引き下げ隘不起訴(免責の合意)など様々な形がありうる。③「刑事免責」は同じく訴追裁量だが、免責を一方的に付与することで自己負罪拒否特権*24を失わせて供述を強制し、その供述を他の者の有罪を立証する証拠とする制度である。取り引きではなく、証言強制であり、拒否すれば新たに処罰される。③刑事免責(供述強制)には隍行為免責(証言をした人に関しては一切起訴しない)と隘使用免責(証言した内容をその人の刑事事件の証拠として使わない)という二つの類型があり、アメリカでは後者が主流となっている。

 ロ.「司法改革」攻撃とセットで進行
 法務省が1997年に最初に出した組対法案(刑事局案)では、③刑事免責隘(使用免責)の導入がうたわれていたが、刑法学会などでの議論が不充分であり時期尚早として、法制審諮問の際に外された。しかし今、条約批准策動と「司法改革」策動の煮詰まりの中で、「刑事免責制度等の新たな捜査手法の導入」が叫ばれている。

 司法制度改革審議会意見書は、「争いのある事件とない事件を区別し、捜査・公判手続の合理化・効率化を図る」ための有罪答弁制度、「組織的犯罪等への有効な対処」としての刑事免責制度、「捜査段階における参考人の出頭強制制度」(任意出頭の強制化!)を検討課題としている。「効率化」と「組織犯罪への有効な対処」を旨としている以上、有罪答弁にしても司法取引の要素は薄く、むしろ捜査から公判までの全過程での、証言のみならず証拠提出強制を含む、刑事免責(使用免責)制度導入を主眼に画策されているように思われる。

 '97年の法務省刑事局案は、①捜査段階での証人尋問請求又は公判での証人尋問で、②供述を拒否している証人(捜査段階では虚偽供述の疑いがある場合を含む)に対して、③使用免責(本人に不利益な証拠として扱わない)を与え、④証言を拒んだ者は六月以下の懲役もしくは五十万以下の罰金(併科も)に処するとしていた。また弁護人の在席は支障がない場合に許容とされていた。自己負罪拒否特権・黙秘権を侵害し、弁護人の援助を受ける権利を奪い、司法・捜査機関の都合のみ優先させた新たな供述強制制度の導入を許すわけにはいかない。

 ハ. 運動と人格破壊を目指す卑劣な手法
 ロッキード事件最高裁判決は、「刑事免責の制度は、自己負罪拒否特権に基づく証言拒否権の行使により犯罪事実の立証に必要な供述を獲得することが出来ないという事態に対処するため、共犯等の関係のある者のうちの一部の者に対して刑事免責を付与することによって自己負罪拒否特権を失わせて供述を強制し、その供述を他の者の有罪を立証しようとする制度」であるとする。供述強制制度の(慎重なという但し書きつきとはいえ)立法を現憲法化で容認する判決への批判は別にするとして、この判決は、集団犯罪に関して、供述強制制度を導入するということは、仲間を裏切らせて自白した者を軽く処罰し、それ以外の関係者が否認していようが有罪にして、重く処罰することになることを意味するとあけすけに認めている。それ故に「これを必要とする事情の有無、公正な刑事手続の観点からの当否、国民の法感情からみて公正感に合致するかどうかなどの事情を慎重に考慮」すべきだとしている。司法審意見書も同じ立場である。しかしその場合に、自分の罪を軽くする為に他人に責任を転化する者が現れないとも限らないし、更に、本当は罪を犯していない関係者を罪に陥れるために国家権力が、ある者に偽証させることも考えられる。そして、国家権力が「スパイ」を組織に入れておいた場合に最終的な「救済措置」として機能することをも意味する。

 人質司法の下での「お前は許してやる。全てあいつが悪いんだ。本当のことを話せ」という警察=悪魔のささやきは、厳しい獄中の闘いを強いられている者にとってある程度力を発揮する。しかし人間の弱さにつけ込む刑罰制度とは卑劣である。供述強制制度は、団結、という以上に人間相互の信頼関係を解体し、供述した者も含め人格をずたずたに引き裂くのである。ましてや供述が真実とは限らない。冤罪を助長する制度といわざるを得ない。

(10)「防止」〔第31条、第28条〕―「組織犯罪対策」への翼賛と動員

 条約は、司法・捜査当局の「組織犯罪壊滅作戦」であると同時に、もうひとつ組織犯罪対策への市民社会の翼賛と動員を狙っている。企業・団体など市民社会のあらゆる要素を、守るべき国家への翼賛・動員を通じて一体化させ、市民社会の中に「市民対非市民」の新たな対立と排除を作り出すことが狙われている。

 この間、日本でも急速に進んでいる「市民的治安法」(ストーカー法など)の制定や弁護士会の刑事弁護ガイドライン策定などがその現われである。

 第31条[Prevention]は、外務省・警察庁訳では[防止]とされているが、内容からしても日弁連訳[予防]が正しい。意図的に、事件発生以前からの監視・管理・統制を狙っていることを隠そうとしているのである。予防の焦点は、①司法・捜査・税関など国家権力と私的団体との相互協力、②公的・私的団体の廉潔性を保障するための基準及び弁護士・税理士などの行動規約の作成、③公的機関の入札・商業活動からの排除、④組織犯罪集団による法人の悪用の防止((・)公的記録、(・)有罪者の役員資格剥奪とリストアップなど)⑤マスメディアを使った組織犯罪への民衆の認識の促進などに据えられている。企業・労働組合・各種NGOの動員、今まで権力から独立していた弁護士などの包摂・規制、そして組織犯罪集団及び有罪者の社会からの排除・抹殺をすすめ、マスコミなどを通じて組織犯罪との闘いに民衆の自発的参加を促すというのである。

 「社会的底辺集団が国際的組織犯罪の活動により影響を受けやすくしている状況を緩和する」(警察庁訳では「国際組織犯罪の活動にさらされる」と意図的誤訳)などという規定は、帝国主義的な政治・経済秩序の世界化(グロバリゼーション)に反対する労働者・民衆、民族の解放闘争などを「組織犯罪」として抑圧する傾向を感じさせる。

(11)「法律上の相互援助」「刑事手続きの移管」「犯罪経歴の立証」「共同捜査」「法執行協力」「訓練及び技術援助」「その他の措置:経済成長及び技術援助を通じた条約の実施」〔第18条、第19条、第21条、第22条、第27条、第29条、第30条など〕

 条約はいたるところに捜査・訴追及び司法手続きの相互協力を規定し、世界的な監視・管理・弾圧体制のレベルアップと標準化を狙っている。

 捜査の為の情報・技術及び人的交流の飛躍的強化は、二以上の国による「共同捜査班」の設置にまで具体化されている。ある場合には、捜査を日本警察とCIAが共同して行うというのである。既に反基地運動などの警察情報はアメリカに提供されている。もっとも、この条約では、「双方可罰性の不存在を理由として…相互援助を与えることを拒否することが出来る」としており、「サイバー犯罪条約」とは異なる。サイバー犯罪条約では、事件が二国間にまたがる時、一国(例えばアメリカ)においては犯罪だが、他の国(日本)では合法の場合でも、日本に対しての捜査協力を求めうるとの踏み込んだ規定となっている。

 現在カナダ捜査当局が、ケベックでのWTO反対運動関係のサイトへのアクセスログの提供を米国シアトル警察に要請しデータが提供されるという事態に対し「米国憲法に違反する」という訴訟が争われている。双罰性が欠如していても「裁量的に決定する範囲内において援助を与えることが出来る」とする本条約、あるいは「サイバー犯罪条約」が批准されてしまえば、こうした当局の行為は合法化され、逆に日本の「歴史教科書」への批判の一環として韓国民衆が呼びかけたサイバーデモなどは、サイトへのアクセスを妨害する行為として、犯罪化される恐れがある。

 既にEUでは、1999年以降ヨーロッパ刑事警察機構が国境を超えた活動を始めており、タスクフォース(特殊任務を持つ機動部隊)の枠内で各国の捜査支援を行っている。日本も韓国・中国などと治安協定を結び、「KOBAN」など日本警察システムのアジアへの輸出が進められ、アジア太平洋地域の国際会議・セミナーが頻繁に開かれている。条約はこうした全世界的な「治安共同体」を構築する為に没収した資金の一定割合を国連に設ける基金に拠出し、「開発途上国」への「資金上のまたは物質上の援助を拡大する」とまでしているのである。

まとめにかえて

 条約が狙っているのは、裁判所・検察・警察の飛躍的な権限強化と、組織犯罪対策を口実にした労働者民衆の国家・社会防衛への翼賛・動員であり、世界大での「治安共同体」(エドウィン・クーベ前ドイツ連邦刑事警察庁)を創り出すことにある。CIA、MI6、旧KGB、モサド、ニッポン警察など世界の諜報・捜査機関が結びつく。

 条約が目指しているのは、あらゆる活動はもちろん心の中まで国家によって監視・管理・動員される極めて息苦しい社会である。スパイと密告、相互監視がはびこり、一切の反抗・異議申立ては封じ込められ、声をあげれば弾圧される。それはジョージ・オーウェルが描いた『1984年』社会のハイテク版・世界版である。

 しかし「治安共同体」などを掲げざるを得ないのは、支配が総体として危機に陥っているからでもある。世界恐慌の足音が高まる中での、アフガニスタン戦争の開始は、21世紀前半の世界を激動に突入させる。いわゆる「反テロ国際包囲網」によって労働者民衆の反撃が圧殺し得るものでないことは、RICO法適用によって弾圧された労働組合チームスターが97年大規模なストライキでパート労働者の権利を勝ち取ったことで証明されており、反グローバリゼーションの闘いは世界各地で進んでいる。民衆の結びつき、団結と連帯を国家の暴力によって根絶しうると考えるのは、権力の思い上がりである。

 私達は全力で、国際的組織犯罪条約の批准阻止に向けて立ち上がる。前倒し実施と対決し、全面的な団体取締り法の国会上程を阻止する。その攻防の中から、グローバルな警察・法執行権力の形成に対し、国民国家への私達自身の呪縛を払い、その枠を超えた労働者民衆の解放運動のありようを模索する。正念場に一挙に突入した今、強靭かつ広範なスクラムを創りだし、一歩踏みだして、ともに闘おう。


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共謀罪は世界権力による「治安共同体」の創設 (1)

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はじめに-国際的組織犯罪条約とは?


 国際的組織犯罪条約は、2000年11月の国連総会で採択され、同年12月12日イタリアで開催された会議で約120カ国が署名した。40カ国の批准で発行すると決められており、2002年12月12日まで署名が開放されている。日本政府は荒木外務副大臣(公明党)が調印、法務省は条約批准とセットで国内法整備を行う意向を示し、密室作業を進めている。「本条約の批准のためには、重大犯罪の共謀又は組織的犯罪集団の活動への参加罪などの新設を含む国内法の整備が必要となる」(『研修』'01年3月、高嶋刑事局付検事)と法務省自ら認めるように、組織的犯罪対策3法改悪を含む全面的な団体取締り法制定が、今、狙われているのだ。

 アメリカ中枢同時爆破事件を契機に、ブッシュ政権は同盟国を駆りたててアフガニスタンを手始めとした「報復戦争」に突入、同時に、国際的な治安弾圧体制の強化へ突き進んでいる。「新しい戦争」の中味は、大量別件・微罪逮捕、事情聴取のためだけの身柄拘束、出入国規制強化、組織の資産凍結、支援者の資金提供禁止、盗聴権限の飛躍的拡大、司法・捜査共助強化など、国際的組織犯罪条約を前倒し実行するものである。それのみならずアメリカは「『手段のいかんを問わず、致死あるいは身体、経済的に障害を与えることを目的とし、公共機関などの破壊を狙った行為』をすべて対象とし、テログループを組織したりアドバイスを与えた者も取り締まりの対象」とする「包括的テロ対策条約」の締結すら狙っている。

 世界的な政治・経済危機進行の中で噴出する労働者民衆の異議申立てと反撃を、アメリカ・EU・日本など世界の警察・諜報機関が一体となって弾圧水準を高め、監視・管理・圧殺せんとする国際的組織犯罪条約の発効を阻止し、労働者民衆の国際的に連帯する力で治安弾圧体制強化策動を打ち破らなければならない。

 以下、国際的組織犯罪条約の狙いを、逐条的に暴いてみる。

(1)条約の概要

 条約は「国際組織犯罪をより効果的に防止し及びこれに対処するための協力を促進することにある」[第1条]とその目的をうたい、全41条から成っている。内容は、①共謀罪・参加罪、援助・相談罪の新設[第5条]、②マネー・ロンダリング(不法資金洗浄)規制拡大[第6・7・12・13条]③汚職の犯罪化[第8・9・10条]、④コントロールド・デリバリー(泳がせ捜査)・覆面捜査・電子的監視など特別な捜査手法の導入[第20条]、⑤司法妨害罪、刑事免責・司法取引導入[第23・26条]、⑥証人保護、被害者援助[第24・26条]、⑦国際的司法共助強化[第15・16・18条]など多岐に渡っており、その多くは近代的な刑事司法の原則を侵食し、脅かし、転換させるものである。

 第5条「組織犯罪集団への参加の犯罪化」、第6条「犯罪収益洗浄の犯罪化」、第8条「汚職の犯罪化」、第23条「司法妨害の犯罪化」は国内法整備が義務づけられている。なお本体条約には、①銃器等の規制、②女性・子供の不法な取引、③移住労働者の不法な取引に関する三つの議定書が付属され、本体条約批准とセットでのみ締結しうると規定されている[第37条]。

(2)条約の適用対象〔第2条・第3条・第34条2〕

 条約が対象とする犯罪は、①原則的に、国際性を有し、かつ組織犯罪集団が関与する②第5条、第6条、第8条、第23条の犯罪、及び③「その最長において4年以上自由を剥奪する刑に処し得る犯罪(以下、条約に沿って「重大犯罪」と言う)」である。

 名称からしてこの条約の適用対象はすべからく「国際性」と「組織的」という二つの特徴をあわせもった犯罪にすえられているようにみえる。しかし実はそうではない。すべての「重大犯罪」が対象とされ、全世界の治安管理社会化・密告社会化が狙われているのだ。

 イ.「国際的組織犯罪」が取り締まり対象との仮装の下で…
 条約の審議過程でも多くの政府から、適用対象は国際性と組織性を明確に兼ね備えたものに限定すべきだとの主張がなされ、紛糾したが、結局、この主張は退けられ、「柔軟かつ広範なアプローチ」を採るということにされたことである。「条約の理念上、犯罪構成要件該当行為が必然的に国境を跨ぐもののみを取り上げるとの論もあったが」「犯罪化の文脈では、国際的要件を各国国内法の構成要件に求めるものではないことが合意された」(『警察学論集』’00年9月号)のであり、条約第34条2[条約の実施]は、共謀・参加罪、援助・相談罪、マネロン罪、汚職罪、司法妨害罪は「犯罪の国際性又は組織犯罪集団の関与との関係を離れて規定する。ただし第5条が組織犯罪集団の関与を求める場合を除く」としている。「国際的組織犯罪」「越境犯罪」のみを対象としているかのような名称・解説は全くのデマであり、たとえ一国内で活動する小さなグループ、諸個人であっても、たとえ事件に国際的性質がなくても、監視・管理・弾圧の網の目から逃れることは出来ない。

 ロ.「組織犯罪集団」が対象との仮装の下で…
 条約第2条[用語の定義](a)は、『組織犯罪集団』とは①「一定期間存続する3人以上の者からなる系統的集団」で②「直接又は間接に資金上その他の物質上の利益を獲得するため」③「重大犯罪又はこの条約の規定に従って定められる犯罪を一又は二以上犯す目的で協力して行動するもの」をいうとしている。

 ①はあたかも上意下達の強固な組織性をもつ暴力団やマフィア、テロ組織を対象としているかのようだが、これも仮装である。第2条(c)が、わざわざ「『系統的集団』とは、その構成員に対して正式に定められた役割、その構成員の継続性又は発達した系統を有することは要しない」と注記しているように、「犯罪を直ちに行うために無作為に組織されたものではない集団」全てが対象なのである。犯行時に偶然関わった者はともかく、数時間あるいは1日前に知りあった仲間との協力は「組織犯罪集団」だと見なされる。職場や学園のサークルであれ、地域の○○の会であれ、インターネット上のメル友であれ、全てが「組織犯罪集団」とされるのだ。

 ②に労働組合は勿論含まれるが、平和運動などの政治活動や言論・表現活動あるいは環境保護や反差別の社会運動・市民運動も、「直接又は間接に資金上その他の利益を獲得する」目的をもつと見なされる。自分たちの、あるいは直接的な物質的利益のための活動ではなくても、「間接」的に利益を得るとされるのである。

 アメリカ連邦最高裁は、中絶クリニック爆破事件に条約と同趣旨の規定をもつRICO法を適用するにあたって「アメリカの経済秩序を脅かした」-要するに「間接的に物質上の利益を獲得する」ためであるとの判決を下している。「政治団体やテロ集団」「過激で熱心な政治的集団(たとえば中絶反対活動家、動物の権利の主張組織、グリーン・ピースのような戦闘的な環境保護グループ)」「黒人独立革命グループ、クロアチア独立主義者…」(『警察学論集』’99年5月号)など、全ての集団活動が対象なのである。

 ハ.「重大犯罪」処罰の仮装の下で…
 ③「国際的組織犯罪」「重大犯罪」のレッテルが貼られると、極悪なイメージが浮かばせられる。しかし、少年グループがコンビニで万引しても「重大犯罪」なのである。条約第2条(b)は、「重大犯罪」とは「その最長において4年以上自由を剥奪する刑に処しうる犯罪」と規定している。万引の場合、刑法第235条窃盗罪は10年以下の刑を定めているから当然重大犯罪となる(傷害、詐欺…10年以下。逮捕監禁…3月以上5年など)。数えている余裕はないので「長期5年以上」をめどにマネロン罪の前提犯罪として列挙された組対法別表を参考にされたいが、その数は膨大、「長期4年」となれば更に対象犯罪は増える。なお威力業務妨害罪や強要罪(いずれも刑法では3年以下)は組織的犯罪処罰法第3条(刑の加重)で5年以下となっているため団体活動と見なされれば「重大犯罪」となろう。

(3)「組織犯罪集団への参加の犯罪化」〔第5条、第10条、第11条3・4、第31条d〕

 ブッシュ大統領は9月25日、米連邦捜査局(FBI)の捜査員を前に「邪悪な者、それを隠まう者、養う者、励ます者すべてを裁くのだ。がんばってくれ。国家が君たちを頼りにしている」と演説した。諜報組織を頼りにする「自由と民主主義」国家!?宗教的・道徳的非難(邪悪な者)で、罪を超えて人を裁き報復するという、近代刑法以前の感覚と戦争による殲滅の論理は、国際的組織犯罪条約にも貫かれている。

 イ.「共謀罪」・「参加罪」・「援助・相談罪」新設とは?〔第5条1〕
 条約の大きな目玉は、「組織犯罪集団への参加」それ自体を「犯罪化」することにあるとされる。しかし、ai)共謀罪は必ずしも組織犯罪集団の関与を前提としていない[第5条3]。また第5条は「犯罪行為の未遂又は既遂に含まれるものとは別個に成立する犯罪」として共謀罪・参加罪の新設を義務づけている。実行行為のない「犯罪」を裁くというのである。

 具体的には、第5条ai)「重大犯罪の実行を合意すること」(合意を準備することも含まれる)=共謀罪、ai)「組織犯罪集団の目的及び犯罪活動一般…を認識している者」が、組織犯罪集団の①「犯罪活動」(重大犯罪に限定されていないことに注意)、②「その他の活動で、当該者の参加が犯罪目的の達成に資することを認識しているもの」に参加すること=参加罪の、一方、または両方が犯罪とされる。諸個人の重大犯罪合意、犯罪集団の活動全てとそれを支援する者がその対象である。集団の中の2~3人が共謀罪に問われ、他の構成員が参加罪とされることもありうる。

 「共謀罪」とは、夫婦喧嘩や友人間のトラブルで「あいつ、ぶっ殺してやりたい」と友達に電話、「そうだ、そうだ、やっちゃえ」と相づちをうったら殺人罪の「実行を合意」したとされ、処罰するというもの。「参加罪」とは、労働組合の組合員が、上は何をやってるのかわからないなと思いながらも組合費を集めたり集会に参加すること、あるいは構成員でなくても集会に賛同したりカンパをすることを処罰するというもの。

 更に恐るべきことに第5条bは、「組織犯罪集団が関与する重大犯罪の実行を組織し、指示し、ほう助し、教唆し若しくは援助し、又はこれについて相談すること」と団体活動取り締まりの処罰対象を、組織の外部に無限に拡大していることである。bは、aが実行行為がない場合であるのに対して、「実行を組織し」たことを前提にし、犯罪に関わると見なした支援者ら周辺に広く網をかける規定である。悪名高い「ほう助」「教唆」処罰は破防法第4条にあるが、条約はなんと「援助」「相談すること」にまで広げている。「援助・相談罪」の新設であり、救援カンパをすることももちろん罪とされる。

 ロ.司法・捜査当局の判断次第で適用可能〔第5条2〕
 第5条2は、1犯罪化の認定に関する規定であり、「1に規定する認識、故意、目的又は合意は、客観的な事実の状況により推認することができる」とされている。要するに、本人や団体が何といおうと司法・捜査当局が「客観的な事実の状況から、犯意がある、もしくは集団を支援しようとしている」と見なせば弾圧できるとしているのだ。犯意などの立証責任を捜査当局から被告に転換させることも狙われている。事実認定が「推認」でかまわないというのだから、権力に一度目を付けられたら逃れようもない。人権をまったく無視した規定といわざるを得ない。

 更に「組織犯罪集団」の認定の方法が規定されていない。警察が組対法のように勝手に認定することになりかねない。破防法や団体規制法には公安審査委員会、暴力団対策法には公安委員会(警察の隠れ蓑であることは明らかだが)と、「暴力主義的破壊活動を行った団体」「暴力的不法行為をする恐れがある集団」の認定の期間・手続きが曲がりなりにも定められていたが、これだけ団体を規制する条約にも関わらずそれがないのが大きな特徴である。

 ハ.「加担する法人の責任」追及と個人の活動制限〔第10条、第11条3・4、第31条2(d)〕

 第10条[法人の責任]は、重大犯罪などに「加担する法人の責任」を「刑事上、民事上又は行政上のものとすることができる」とする。「加担する法人」は組織犯罪集団でなくてもかまわないから当該団体あるいは関係すると見なされた団体全てがその対象となる。

 更に条約では簡単に「刑事上、民事上又は行政上の」責任追及と表現されているだけだが、この規定は恐るべき団体破壊の手段となりうる。アメリカRICO法で労働組合を破壊するのにもっとも威力を発揮したのが、刑事面とあわせた民事・行政責任の追及であったとFBI自身が総括し、ニッポン警察に教訓化を勧めている(『警察学論集』’99年5月号)。大量かつ恒常的な刑事弾圧(洋書センター闘争や関西生コン支部・全金港合同弾圧!)と巨額の損害賠償(関西生コン支部世界産業闘争への2億6千万余円の損賠判決!)は既に現実であり、行政規制(オウム真理教の法人格剥奪。アメリカでは、組合執行部を辞任させて管財人の管理下におき、多数の組合員を追放する「民主化」が合衆国最大の労組チームスターにかけられた!)を加えたトータルな組織の攻略が画策されているのである。

 団体に対してのみならず、当該個人に対しても規制が強化される。第11条[訴追、裁判、制裁]3・4は、被告人の釈放について「出頭を確保する必要性を考慮に入れること」、有罪判決を受けた者について「仮釈放の可否を検討するに当たり、このような犯罪の重大性に留意する」こと、更に第31条[防止](d)で「組織犯罪集団による法人の悪用を防止する」一環として、有罪判決を受けた者に対して全ての「法人の役員として活動する資格を合理的な期間において剥奪する可能性の導入」を求めている。組織犯罪に関わった者は、長期に社会から隔離し、社会復帰後もその資格を剥奪し、活動を制限するなど、息の根をとめるという厳罰主義が貫かれている。

 ニ.治安維持法・破防法も顔負けの稀代の悪法-近代刑法原理の破壊
 日本の刑事司法の基本は、行われた犯罪を罰するという規定になっている。未遂罪はあるが、何らかの実行行為が伴わなくてはならない。この原則の一部を崩したのが、まだ行われていない「犯罪」を予防盗聴・別件盗聴する盗聴法だが、それでもしばりがかけられていた。しかし条約の「組織犯罪集団への参加の犯罪化」、具体的には「共謀罪」「参加罪」は日本の現行法に全くないどころか、実行行為の処罰という原則を根底からくつがえすものである。

 稀代の悪法とされる戦前の治安維持法、戦後の破壊活動防止法と比べてみても、「参加の犯罪化」が如何にすさまじいものかがわかる。
 治安維持法は、国体変革と私有財産制度の否定を目的にする者をことごとく弾圧する治安法であった。それ故、治安維持法を拡大して労働団体・宗教団体、市民グループに拡大適用する場合、その目的を曲がりなりにもデッチ上げる必要があった(横浜事件など)。また破防法は「暴力主義的破壊活動を行った」団体への規制であり、団体規制法(第2破防法)も同じである。しかし「共謀罪」「参加罪」は、集団の目的を問わず、実行行為も前提にしていない。オールマイティーなのである。権力ににらまれたら終わり、権力ににらまれていると思われる集団に近づいたら終わり、というものであり、日本国憲法が保障する思想及び良心の自由(第19条)信教の自由(第20条)集会・結社・表現の自由(第21条)勤労者の団結権・団体交渉権その他団体行動権(第28条)を文字通り破壊しつくすものである。

 「援助・相談罪」は破防法ですら「実行」「未遂」「予備」「陰謀」「教唆」「せん動」にとどめ、内乱罪・外患誘致及び援助罪に関わる「文書活動」「通信」のみ処罰対象としていたものを大きく踏み越えるものであり、計り知れない人権侵害を引き起こすこと必至である。それは改悪治安維持法第1条「情を知りて…結社の目的遂行のためにする行為」を復活し、破防法第8条「団体のためにする行為」、要するに何を犯罪とするかを捜査当局に全て委ねる白地刑法を創りだす以外の何者でもない。

(4)「犯罪収益洗浄の犯罪化」〔第6条、第7条、第10条、第12条、第13条、第14条、第29条、第30条、第31条〕

 条約第6条[犯罪収益洗浄の犯罪化]第7条[資金洗浄と戦う方法]などは、いわゆるマネーロンダリング(資金洗浄-犯罪収益の不正な起源を隠匿し若しくは偽装する目的で収益を処理すること)の禁止と監視、没収・押収を規定している。「犯罪収益等隠匿罪」[第6条(a)]「犯罪収益等収受罪」[第6条(b)i]など、組対法とほぼ同じ内容だが、看過することの出来ない拡大が狙われている。

 ひとつは、組対法の場合、「犯罪収益等隠匿罪」(第4条)の予備の処罰にとどまっていたのが、「隠匿罪」「収受罪」とも「参加し、共謀し、これに係る未遂の罪を犯し、これをほう助し、教唆し若しくは援助し又はこれについて相談すること」が犯罪化されていることである。

 もうひとつは、「疑わしい取引の届出義務」を金融機関から「弁護士・公証人・税理士及び会計士」にまで広げていることである[第31条防止2(b)]。

 刑事法の基本原則を侵食しかねないが故に麻薬取締りに限定されて導入され('91年麻薬特例法)、組対法によって極めて広範な一般犯罪にまで広げられたマネロン罪の導入の狙いが、単に「犯罪による収益が組織的な犯罪を助長すること」の防止のためではなく、市民社会の経済活動全般を監視・管理し、支配者が必要と考えればいつでも「犯罪化」=弾圧出来る体制を創り出すことにあったことが明らかになってきたのである。

 イ.組対法マネロン罪の拡大A-前提犯罪の拡大
 条約は「最も広範囲の前提犯罪」への適用を求めている。組対法自体ドイツやフランスより広汎だが、条約は、更に①共謀・参加・援助・相談罪、資金洗浄罪、汚職罪、司法妨害罪、②重大犯罪(組対法の前提犯罪長期5年を長期4年に拡大)に広げている。

 泥棒は窃盗罪で罰せられる。'99年まではこれで済んだ。組対法が成立したことで、遊興に使ってしまえば罰せられないが、屋根裏に隠したり銀行送金すれば「犯罪収益隠匿罪」「収受罪」成立という常識では説明のつかない事態となっている。条約は更にどこに金を置くか相談を受けたことまでも処罰しようというのである。

 ロ.組対法マネロン罪の拡大B - 弁護士・税理士などの規制
 組対法では「疑わしい取引の届出義務」は金融機関だけに限られていた。条約は「犯罪集団が犯罪収益をもって合法市場に参入する現在及び将来の機会を減ずるよう努める」とし、「公的及び関連する私的団体の廉潔性を保障するために」「関連する職業(特に弁護士、公証人、税理士及び会計士)の行動規約の発展を奨励する」[第31条]とし、既に弁護士・会計士などに新たに通報義務を課そうとする動きが'99年10月モスクワ国際組織犯罪対策G8閣僚級会合以降、世界的に強まっている(いわゆるゲートキーパー《門番》問題)。

 金融機関の場合、取引の中味はわからないので、怪しいと思ったら当局へ通報する。弁護士の場合、相手は自分の依頼者である。当局に通報すれば依頼者との信義・守秘義務を破ることになる。しかし弁護士は疑わしい取引を通報しなければ懲戒になったり、弁護士報酬を受け取ったとして犯罪収益収受罪を適用される。

 アメリカでは、マネーロンダリング罪で毎年数百人の弁護士が逮捕されている。マフィアから弁護料を受け取るとマネロンの共犯として逮捕されるので、マフィアは私選弁護人をつけるのが困難となり、ほとんどが国選弁護人となっている。ゲートキーパー問題とは、防御権を奪い、弁護士を支配の枠にはめ込む策動なのである。

 ハ.テロ資金供与防止条約- 資金提供者の処罰など-新たな策動
 マネロン罪創設・拡大の狙いが、麻薬などの犯罪行為を取り締まるというよりも、如何なる質のものであれ、現存支配秩序を脅かしかねない集団を資金面から封じ込め、解体するものであることは、アメリカ中枢同時爆破事件に対して、米・EU・日本などが採った措置で明らかである。「包括的な国内の規制及び監視の体制」の下で「国内的に及び国際的に協力し情報交換を行う」[第7条]ことで、「没収及び押収」[第12条・13条]の前段として、アルカイド関連資産と見なされた銀行口座・資産の凍結が進められている。「犯罪」と「戦争」の区別が曖昧化されているのである。

 包括資金規制を目指す米大統領令(9月24日)は、「まず計27のテロ組織、関連団体を対象に在米資産を凍結、さらに外銀にもテロ組織との関係根絶を求め、これに反する場合は、その在米資産を凍結する」(『日経』)とする戦時法発動である。

 また日本政府が批准を強行しようとする「テロ資金供与防止条約」('99年)は、テロの共犯者でない場合でも、広く資金提供者を処罰するものである。日本政府は、「組織的犯罪処罰法の見直しか、新法を作るか」を検討していると報じられているが、組対法を超えてさらに憲法・刑法の根本原則を揺るがし、自由と団結の基礎を破壊しようとするものであり決して許されない。

(5)「汚職(外務省訳では腐敗!)の犯罪化」〔第8条、第9条〕

 イ. 今更、汚職取り締まり?
 条約第8条は、公務員が、公務の遂行に関して行動しまたは行動を控えることを目的として、贈・収賄することを禁じている。国際的組織犯罪条約にわざわざ「汚職の犯罪化」が規定されているのは、汚職そのものを真剣に根絶しようということではない。組織犯罪集団の資金源を絶つためと、国際競争のためである('97年、国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約)。従って条約は、国家そのものが組織的犯罪を犯しつづけているということを全く規制していない。「国家は国法の中に、権力濫用の追放・禁止を組み込むこと、及びこのような権力濫用の犠牲者への救済措置を規定することを重視しなければならない。」「必要なら、政治的・経済的な権力の重大な濫用を構成する行為を行う権限を剥奪する立法を行い、実施」すべきであるとの「犯罪と公権力濫用の被害者の為の司法についての基本原則宣言」('85年国連第40回総会決議)すら反故にされているのである。

 しかし逆に言えば国際条約でわざわざ「犯罪化」する必要があるほどに、各国政府の腐敗がすさまじいということである。外務省・財務省・警察庁・厚生労働省など日本でも文字通り国家中枢の組織的・構造的腐敗が露呈している。しかし日本の政治家・官僚の厚顔極まりない回答は「個人の不祥事」であり「教育」が全てであるとされる。日本には、汚職公務員の政治責任や行政責任を追及する十分な法制度がなく、全てが刑法の収賄罪・贈賄罪(刑法第197~198条)で対処されている。また処罰が末端公務員に集中、政治家・高級官僚が関わりやすい賄賂行為が「職務との関連性」「請託の有無」などの限定的な解釈の下で見逃され、免罪されているのが実情である。もちろん、組織的犯罪対策法には、「汚職の犯罪化」は欠落している。

 ロ.「汚職の犯罪化」と「おとり捜査」が結びつくと
 条約は「おとり捜査」「司法取引」という「特別な捜査手法」を勧めている。「おとり捜査」自体の危険性は(6)で検討するが、この手法が公務員腐敗摘発に使われた時の危険性には十分な警戒が払われるべきである。

 おとり捜査は、麻薬犯罪などでさまざまな国が使っているが、賄賂などの公務員犯罪の刑事訴追で多用しているのはアメリカである。司法取引制度もアメリカの刑事司法の特色のひとつで、公務員汚職の捜査・訴追で多用されている。アメリカの連邦最高裁人事が極めて政治色の濃いものであることはマスコミで報じられている通りであるが、独立検察官も含め連邦検察も例外ではなく、「政治主導型の刑事規制手続き」と特徴づけられている(王 雲海『賄賂の刑事規制』)。政敵を追い落とすために、覆面捜査官が罠を使って政治家・公務員を贈収賄に引きずり込み、法廷で虚偽の証言をして消えるという映画まがいの事態が生じうるのである。

(6)「特別な捜査手法」A-泳がせ捜査・おとり捜査〔第20条〕
 第20条は、①「監視付移転」②「電子的監視その他の形態の監視」③「覆面捜査等」の「特別な捜査手法の利用」を定めている。

 イ.泳がせ捜査の危険性
 ①「監視付移転」(コントロールド・デリバリー)とは、例えば麻薬の小包を配送途中で警察・税関が発見した場合、その場で差し押さえないで、受取人をつきとめて逮捕することである(泳がせ捜査)。麻薬特例法第11条で日本にも導入された。③「覆面捜査」とは警官が身分を隠して対象組織に潜入、内部から情報を入手したり、ある場合は、罠をかけて犯罪の実行に誘い込んだうえで逮捕する(おとり捜査)ことである。

 ①は、犯罪に嫌疑あるものの常時の尾行と監視の公認をもたらすものであり、日弁連は麻薬特例法制定時に、「捜査における適正手続の保障や処罰規定における罪刑法定主義など、刑事法制の諸原則を大幅に破る恐れがある」とし、「麻薬等の取り締まり目的に厳格に限定される事が保障される場合に限り」との条件をつけて支持した曰く付きの手法を一般化しようとするものである。しかし、水際作戦・薬物追及などの従来の方針を転換させ、薬物や所持者を入国させ背後の大物を逮捕し密売組織を一網打尽にするとの麻薬特例法施行以降10年の結果は、国内での麻薬の蔓延であった。

 ロ.おとり捜査は冤罪を大量生産
 ③は、麻薬特例法・銃刀法で銃などを譲り受ける形でのおとり捜査は合法化されたが、原則的には認められていない。「捜査機関が罠を使って、執拗に、人々を犯罪行為にはめ込んだ上で、または、犯罪の潜在者を犯罪の実行に誘い込んだうえで、検挙する」のはいわゆる「司法の廉潔性*14・誠実性」を脅かし、憲法第31条法定手続きの保障に違反する。

 アメリカのハンプトン事件でおとり捜査の実態と違法性をみてみる。事件は、ハンプトンが金が必要だとおとり捜査官に相談→捜査官が麻薬販売の計画を提案し合意→捜査官が麻薬を提供→他の連邦捜査官に売りに連れていって現行犯逮捕という経緯であり、捜査官自身が犯罪を作り出したようなものだが、おとり捜査が合法化されているので有罪とされた(1976年)。

 日本では有名な菅生事件(1952年)がこの典型であり、駐在所爆破に深く関与した潜入警官戸高公徳は後に出世、今も謀略機関(日本リスクコントロール社)にいる。近くは、’95年銃刀法改悪以降、警察庁が潜入捜査を指示、「情報を得るためには手段を選ぶな」「殺し以外は面倒をみてやるから」などと国営暴力団らしい姿をさらけだしている(『手記 潜入捜査官』)。違法捜査は必ず組織の構造的腐敗を深めるのだ。

 注意しなければならないのは、こうした「特別な捜査手法」が「組織犯罪集団」捜査として行われ、捜査当局が集団にスパイを送り込む場合の事後措置が条約第26条[法執行当局に対する協力拡大の為の措置]で規定されていることである。集団の構成員をスパイに仕立て上げたりした場合も同様だが、潜入捜査官がある重大犯罪を提案、「よし、やろう」となった場合、共謀罪が成立、しかし潜入捜査官も同じ罪に問われるから、ちゃんとその救済措置を「処罰を緩和」「訴追の免除」「保護」として準備している。

 民衆を誘惑し犯罪を行わせる、警察が自ら犯罪を行い民衆を共犯者に引き込む「特別な捜査手法」は刑事訴訟法の前提となるデュープロセスの破壊であり、日本のスパイ社会化、相互監視と密告社会化である。冤罪が大量生産されることは目にみえている。




http://hanchian.org/kyoubou/kokusaijouyaku-hihan.html

【共謀罪と治安維持法】 あの戦争は何だったのか (1) 杉浦正健

【阿修羅から転載】

あの戦争は何だったのか (1)    杉浦正健

http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/166.html

投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 28 日

あの戦争は何だったのか     杉浦正健

http://www.seiken-s.jp/


一九九五年は敗戦五十年目の節目の年だった。

 海外からは、欧米の各地で開催された戦勝記念式典や真珠湾五十周年祭などの様子が華々しく報道されたし、国内でも記念式典はじめさまざまな行事が例年になく盛大に開催され、国会でも「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」いわゆる国会決議がなされ、各種メディアにおいても過去の戦争がいろいろな角度から大きく取り上げられるなど、節目にふさわしい一年だった。

 私は敗戦の年は国民小学校五年生の「軍国少年」だった。あの忌まわしい戦争と敗戦後の五十年を振り返ることは、私の一生を省みることにほぼ等しい。政治の世界での浪人の立場でこの節目の年を迎えるとは、敗戦の当時は夢想すらできなかったことではあるが、一九九五年は、その立場からわが国の今後の五十年、そしてそれから未来へ向かってどうあるべきかに想いを巡らすことと、還暦を迎えた人生の節目の年として過去に思いを馳せることとが重なって、私にとって感無量の一年であった。本稿は、私の人生の節目に当たってのいささかの感慨を、昨年綴ったものである。

一九九七年 三月

杉浦正健

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一.昭和二十年八月十五日
二.あの戦争は何だったのか
三.やくたいもない戦い
四.近代史の流れの中で
五.日清戦争から日本はおかしくなった
六.孫文と勝海舟
七.お上から与えられた明治憲法
八.明治憲法の欠陥
九.神道について
十.共存から共生へ
十一.軍事的鎖国を
十二.「栄光の二十一世紀」をめざして
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一.昭和二十年八月十五日

 あの日は、小学校五年生の夏休み最中の、暑い一日だった。前日から、正午に天皇陛下の玉音放送がある、との予告があった。天皇は神であり、陛下のお姿やお声を直接、見聞きすることが考えられなかった時代のことである。重大なことが陛下ご自身から語られる、何事だろう、と世間はざわめき立った。

 夏休みに入る直前の六月末、岡崎は大空襲を受けた。夜半すぎ、空襲警報のサイレンでたたき起こされた時には、東の空は真っ赤に燃え上がっていた。郷東の田植えが終わったばかりの水田も火の海だった。降りしきる火のかたまりからわら葺きの家を守るため、村人は大わらわとなった。翌朝、郷東の田んぼは、焼夷弾で、月面のような穴ぼこだらけで、大半の稲が焼け焦げているのに、村人たちは呆然となった。

 村の神社の境内は、田んぼから抜き取られ運ばれた焼夷弾の残骸の山が築かれた。初めて目にする正六面体の鋼鉄製弾体の山を前にして、この一群の投下がもう千メートル西へずれたら、集落は丸焼けになったに違いないと背筋が寒くなると同時に、日本中がこのような目に遭っていって、本当にこの戦争が勝てるのか、という疑念が湧き上がるのを、どうしようもなかった。

 八月に入って、広島と長崎に大型爆弾が投下され、大きな被害が出たと報道されたが、その頃から、空襲警報がめっきり減ってきたなと感じていた矢先の玉音放送の予告であった。当時は、ラジオのある家は多くはなかった。わが家には、あまり性能はよくないが、ラジオがあったので、隣近所から聞きに来る人もいた。文字通り、初めて耳にする天皇陛下の肉声は、ラジオの性能の悪いこともあって雑音が多く、よく聞き取れなかった。「耐え難きを耐え」とか、「万世のため太平を」とか、きれぎれに耳に入るお言葉の端々から、戦いが終わったと察しられた。両親や祖母ら大人の人々は意外と平静だった。祖母から、戦争は負けに終わったと聞かされた軍国少年は、絶対にこの戦、負けることはないと教えられ信じ込んでいただけに、頭の中が真っ白になったのを、今でも昨日のように想い出す。

二.あの戦争は何だったのか

 五十年前の八月十五日、「軍国少年」だった私が、敗戦という現実に直面して感じた素朴な疑問は二つだった。一つは、負けるはずがない、と教え込まれ信じ切ったこの戦いになぜ負けたのだろうかということ、もう一つは、一体この戦いは何だったのかということだった。この疑問は、程度の差はあっても、恐らく当時のすべての人々が感じられたことではないか、と思う。そして五十年、半世紀が経過した今、この五十年を生き抜き還暦という人生の節目を過ぎ、ある意味では成熟した一市民として、そして政治の道を歩んでいる人間として往時を省みると、少年時代に抱いた疑問のうち中核の部分が、なお疑問として根深く心の底に沈澱しているように感じられるのである。

 第一の疑問については戦後、さほど時間を要しないで氷解した。圧倒的な物量の差など、彼我の「力」の差は歴然たるものだった。いわば、負けるはずがないどころか、負けるべくして負けた、と言ってもよい。しかし、この疑問が解けると同時に、それではなぜ、このような無謀なとも言える戦いを、負け戦覚悟で敢えて戦ったのか、という疑問が湧き出、第二の疑問に溶け込んでくるのである。

 一九九五年一年間、敗戦後五十年の節目に当たって、さまざまな人々が、それぞれの立場で敗戦について語った。メディアでもさまざまな企画が組まれ、国会でも決議をめぐって論戦が闘わされた。国民的に広く論議されたと言ってよい。しかし、それらを振り返ってみると、前述の素朴な疑問について、全国民的なコンセンサスの得られた答えが出されたとは、とうてい言えない。私の抱いた疑問も心の底に深く貼り付いたままである。

 私ども日本民族が、未来に向かって大道を歩むに当たって、この点についてしっかりとけじめのついた共通の認識理解を共有し、子供や孫の世代に伝承することが必要であると私は思う。そう思うがゆえに、これから私なりに、私の抱いている疑問について真っ正面から取り組んでみたいと願い、筆を執った次第である。

いわゆる「国会決議」

 一九九五年七月、戦後五十年に当たって国会決議が行われた。国会は、国民から選ばれた議員によって構成されているから、その決議は、民意を最も正確に反映しているものと言ってもよいであろう。その決議内容は、前述の私の疑問に答えているものではなく、国民の間にコンセンサスがないことを端的に示しているので、その全文をここに引用することとする。


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 歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議

 本院は、戦後五十年にあたり、全世界の戦没者及び戦争等による犠牲者に対し、追悼の誠を捧げる。

 また、世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。

 我々は、過去の戦争についての歴史観の相違を超え、歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかなければならない。

 本院は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、世界の国々と手を携えて、人類共生の未来を切り開く決意をここに表明する。

 右決議する。


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 この決議のうち、後段の未来指向の部分については、恐らく何人も異論のないところであろう。国際社会の平和、国際協調、人類の共生、いずれをとっても、世界中の人々も心から願っていることであろう。しかし、問題は、その前段であり、過去の戦争においてなぜ、それに反する道をわが国が選択したのかということである。反省の念の表明にしても、それはそれでよいとして、何を歴史の教訓とするのか、その最も大切な、根幹の部分に何ら触れるところがない。

 国会決議に至る過程で、各党各派のさまざまな異なる主張がぶつかり合ったことは広く知られている。決議は「歴史観の相違を超え」と入れている通り、いわば妥協の産物である。それはそれとして理解できないことではないが、しかし、それに表徴される国論の分裂は、まことに不幸としか言いようがない。このような状態のままでは未来への道筋の中で、再び同じような過ちを繰り返すのではないか、という危惧の念をぬぐい切ることができないのは私だけではないであろう。


三.やくたいもない戦い

 敗戦直後のわが国は、文字通り「国破れて山河あり」の状態だった。大都市のみならず中小の都市・町に至るまで焼け野原で、軍需工場だけでなく生産設備はほぼ壊滅した。膨大な数の生命が失われた。軍人、軍属として異国の地に果てた方々だけでも二百万を超え、空襲や原爆、はたまた民間人で海外などの戦闘に巻き込まれた死者は数百万人に達するであろう。その数を上回る人々が傷つき、空爆や海外に残して引揚げを強いられたため、数千万の人々が家財や職を失い丸裸同然となった。これらの人的・物的な犠牲は、価額換算は不可能であるが天文学的数字に達するであろう。その結果が敗戦という厳しい現実である。あの戦争は、まことに、やくたいもない戦い、であった。

 あの戦争は、わが国家・国民にとってのみ、やくたいもない戦いであったわけではない。「併合」によってわが国民の一部とされていた朝鮮半島や台湾の人々は、本土の我々と同様の犠牲を強いられたし、戦争の当事者となった米英をはじめとする連合国側の人的・物的損害もおびただしかった。とりわけ、あの戦争の主戦場となった中国、フィリピンはじめ東南アジアの国々、人々の蒙った犠牲は、わが国をはじめとする戦争当事者のそれの数倍に達するであろう。戦争の原因に無辜であるこれらの国民や、そのふるさとに与えた軍靴のつめ跡は深甚であり、未だに癒えるところではない。まことにあの戦争は、戦勝国という地位を別とすれば、彼らにとっても、やくたいもない戦いであった。

 あの戦争が敗戦に終わって五十年の歳月が経過した今、あの戦争は文字通り歴史の一部となっている。あの戦争が何だったのか、という設問は、わが国の長い歴史の中で、あの戦争がどのように評価され位置付けられるのか、と言い換えてもよい。わが国民一人一人の答えは、千差万別でありうるが、ひっきょう、それは個々人の歴史観によって異なる、と言ってもよい。

 しかし、あの戦争は、わが国の歴史の連続性の中で捉えた場合、どのような歴史観に立脚しようとも、あの戦争への道の選択が正しかった、という結論にはならないのではないか、と今は私は思う。先に引用した、一九九五年のいわゆる「国会決議」中に、「過去の戦争についての歴史観の相違を超え・・・」とあるのが、それを雄弁に示している。私は、今は、あの戦争は、あの戦争への道を選択したのは間違いだった、誤っていた、と思わざるをえない。理由は、単純化すれば、あのようなやくたいもない戦争を選択し、遂行するという選択は、わが国の歴史、その精神的文化的伝統の線上からは、どのように考えても出てこないということである。

 わが国有史上、あの戦争を除くと海を超えて軍兵を派遣したのは、神功皇后と豊臣秀吉による二度だけである。いずれの場合も短期間で失敗に終わり、戦況不利とみるや機敏に撤兵し、損失を最小限にとどめている。双方ともに、あの戦争のようなやくたいもない、という評価はされていない。国内では有史以来、争乱が絶えなかったが、その中から武士が誕生し、そこに発達した武士道精神が日本民族の精神的支柱の一つとなっている。しかし、私なりに武士道の心を尋ねてみて、そこからは、あのようなやくたいもない戦いをするという根拠は、いささかも生まれてこない、と言わざるをえない。

 わがふるさとの生んだ戦国の雄、徳川家康だったら、どのように処しただろうかと考えてみれば、明白に否である。家康は、負けることが明らかな戦いはしなかった。周到に調査し政略をめぐらし、勝てる、少なくとも負けないという確固たる見通しを得てから戦いに臨むのが常であった。ただ一つの例外は三方ヶ原での武田軍との敗戦であるが、それも、浜松城に強固な後衛軍を配備して敗軍を収拾し、武田軍に城攻めを許さない用心を怠らなかった。戦いに際しては、戦闘能力の損耗を最少にとどめるよう常に留意し、打ち破った敵軍の人材は無為に殺傷せず、捕らえて味方に加える努力を尽くしたことは、よく知られている。武将にとって軍兵は宝であるから、無益な戦いや無用の兵力・民力の消耗を避けるのは戦国武将にとって当然の原則であった。家臣団や版図を守るため、和議を図り敵に降り、その際、主君の首を敵に差し出すことすら稀ではなかった。

 戦国の武将たちでなく、仮に明治の軍人の鑑とされた乃木希典や東郷平八郎であったらどうか、と想いをめぐらしても、答えは明らかに同じである、と思料される。負けるべくして負けたと言わざるをえない、無謀なやくたいもない戦いを敢行した愚かな選択をした、歴史的な原則・精神・文化的伝統は、少なくとも明治の初期まではなかったと言わざるをえない。

四.近代史の流れの中で

 あの戦争が何だったのかを省察するのに、歴史的な視点が欠かせないのは言うまでもない。あの戦争への道を選択したのが誤りであるとすれば、それに至る歴史の流れの中に多くの誤りが積み重ねられていたはずであるからである。あの戦争は、その最後の四年間が第二次世界大戦と称せられている通り、全世界を巻き込んだ戦争であった。従って、世界の近代の歴史の中で捉えられる必要があることも言をまたない。

世界の近代史を社会・経済の面から要約すると、欧州で資本主義経済が生まれ、発達し、世界
中に広がった時代、と言える。それに先立つ、スペイン、ポルトガルの大航海時代に始まった植民と植民地経営は、十八世紀後半にイギリスで起こった産業革命によって加速された。飛躍した生産力を維持拡大するための、原料と製品市場の確保という要請が加わったためである。世界貿易・植民の覇者は、ポルトガルからスペイン、イギリスと変わり、植民地拡大競争には、オランダ、ベルギー、フランスなども加わって激化の一途を辿った。十八世紀後半にはイギリスの植民地だったアメリカが独立するが、それも競争に加わり、十六世紀から二十世紀初頭にかけては、ニューフロンティア・植民地獲得に欧米列強が血道を上げた時代、と言い換えてもよい。その結果、アジア、アフリカ、中南米など欧州以外の地域のほとんどが植民地となってしまった。

 政治面から言うと、この時期は、「君主」から「民主」への移行の時期と要約される。自由、平等、博愛が精神的支柱として、新しい時代の旗印として高く掲げられた。後に、二十世紀初頭にはロシア革命が起こり、共産主義が周辺に拡大して行き、そして崩壊するに至るが、それも「平等」の徹底を目指した、資本主義世界経済へのアンチテーゼとしての、七十年間にわたる壮大な実験として位置づけすることができると思われる。

 わが国は、この近代史の流れの中で、十九世紀半ばまでは孤立した位置を保った。戦国時代の長い国内の争乱の末に成立した徳川幕府の鎖国政策によって、世界の歴史の流れから、二五〇年にわたってほぼ遮断されていた。列強の動向のみならず、それ以前は深い交流のあったアジア地域とも交わりを断ち、わが国が地理的に極東の避遠の地に位置したことも幸いして、中国、インドはじめアジア各地がおしなべて欧米列強の植民地化していった歴史の中でも、独立を保ち続けられた。そのわが国が、十九世紀半ば過ぎに至って、ペリー艦隊の来航に始まる外圧によって開国から明治維新と、一気に国際社会の激流にさらされることとなる。

 江戸幕府にとって代わった明治政府は、「文明開化」「富国強兵」を旗印として、国の「近代化」を目指して驀進した。あの戦争に至る半世紀余の道程は、遮二無二、その目標に向かって突き進んだ、の一語に尽きると言ってもよい。わが国は、「近代化」に驚異的な成功を収め、経済力は躍進し、二十世紀初頭には「強兵」においても欧米列強に並ぶまでに至る。

 しかし、その成功が因となって、当時、欧米列強が全地球上で鎬を削っていた、市場・植民地獲得競争にわが国が後発国として参入するという結果を招いた。そして、その結果の延長線上で、わが国の「近代化」の活力がその版図を超え、あの戦争に連なっていったのは誠に無念としか言いようがない。

 あの戦争は、欧米列強との戦いであり、自己の存立を護るための正当なものである、と論ずる向きもある。確かに、あの戦争の最後の四年間は、わが国と独・伊の、いわば資本主義後発組が同盟して、欧米列強のいわば先発組と戦ったわけで、その側面がないわけではない。また、あの戦争は、植民地化していたアジア解放の戦いであった、と強弁する者もいる。しかし、このいずれも、朝鮮半島を併合し、満・蒙に覇権を求め、口実を設けて中国大陸から仏印(仏領インドシナ)にまで兵を進めたことを、どう説明するのであろうか。朝鮮半島や中国大陸をはじめ、わが軍兵の兵靴の及んだ地域の人々は決して認めないであろう。

 わが国の「近代化」の道筋が、なぜ、その版図の内における近代化に集中できなかったのか。なぜ、欧米列強の悪しき競争から、孤高の地位を保ち、和して同じない路線を貫けなかったのか。植民地化し、苦悩するアジアの人々と連帯して、その解放と発展に尽くす道を、なぜとれなかったのか。具眼の士がいなかったわけでもないのに、また、あの戦争に至るまでの間に、何度となく最悪の事態を回避する機会があったのに、残念無念としか言いようがない。

五.日清戦争から日本はおかしくなった

 私は、昭和九年生まれなので、物心のついた頃は「大東亜戦争」突入の前夜であり、世情は戦争一色、今から省みると、わが国社会全体が狂熱に浮かされたようであった。この状態は、昭和十六年十二月八日の開戦と共に最高潮に達し、昭和二十年八月十五日の敗戦まで続く。敗戦の年は、私は小学校五年生、私の前後の世代、当時の若者たちの人生の目標は例外なく軍人、「聖戦」に参加し、天皇陛下のために死ぬことが至高の生涯であると教えられ、幼心に確信にまで高揚していた。私も、行く行くは陸士か海兵へと、勉学に身体の鍛錬に励んだ、いっぱしの「軍国少年」だった。

 その間、私の幼い心に映った世間一般の大人たちの心の姿は、今にして思えば滑稽ですらあった。日本は神国であり、天皇は神として君臨し、国民は臣民として神に仕える存在だった。日本民族は神の子であって、他の民族に優越し、米英らは神国に刃向かう「鬼畜」であった。この戦いは「聖戦」であって「八紘一宇」をめざすと、正当化された。

 この当時、日本人はアジアの人々を見下していた。中国兵をチャンコロと言い、朝鮮人をチョウセンピーと言ってさげすんだ。大東亜共栄圏という目標も、あくまでも日本が盟主であって、東亜の諸民族は、「五族協和」とか美名を用いながらも、その実質は日本民族に従属するというのが、その中身であった。わが国の有史上、卑弥呼の時代から二千年余、仏教、儒教などの精神文化、律令制など社会法律制度、各種産業技術に至るまで、計り知れない恵みをもたらしてくれた、偉大なる中国・朝鮮半島の人々に対してとりうる態度ではありえない。

 明治維新以来、日本人がめざした優れた西洋文明を担う人々に対して、いかに戦争に勝つためとはいえ、「鬼畜」と言って民族的敵意をあおり立てたことも、およそ常軌を逸している。欧米に対する劣等感と、アジアに対する優越感がないまぜになった、一種形容し難い異常な精神状態が、当時の日本人全体を覆い尽くしていた。これを精神的頽廃といわないで、何をかいわんや、と言って過言ではないであろう。

 先日亡くなった司馬遼太郎氏は、その著述『この国のかたち』の中で、終戦の放送を聞いた時、「なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。(むかしはそうではなかったのではないか)とおもったりした。」(Iの二一二頁)と書いている。彼の言うむかしとは、明治時代の前半までのようである。同じ著書の中で、昭和ヒトケタから敗戦までの十数年について、「あんな時代は日本ではない、と灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動がある。」(Iの三六頁)という。昭和の軍人たちは、国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやってのけた、と氏は嘆く。心底から深く共感する指摘である。

 司馬氏は、日本国と日本人を調子狂いにさせたのは、日露戦争の勝利だ、という。日露戦争が勝利に終わり、明治四十一年に関係法令が改正されて、参謀本部が内閣どころか陸軍大臣からも独立する機関となり、やがて「統帥権」という超憲法的思想を持つことにつながっていった点をとらえてである。日韓併合はその二年後のことである。この指摘は鋭い。

 しかし、私は、その序曲として、日清戦争(明治二十七年)とその勝利が、そのきっかけではなかったか、と考えている。日清戦争に先立って、治外法権の撤廃に成功し、欧米の植民地的状態から脱却するが、日清戦争勝利の結果、日本は清国から、遼東半島(これは後に三国干渉で返還する)と台湾を譲り受けるとともに、三億一千万円もの巨額の賠償金を獲得した。この金額は、当時の明治政府の歳入の二年半分に当たる。

 日清戦争後の日本について、現在の中学生用のある社会科教科書は次のように記述している。

 「日本は条約改正と日清戦争の勝利によって、欧米諸国への従属から脱して、名実ともに独立国となった。しかし、それと同時に台湾を領土とし、台湾の対岸地域と朝鮮とを勢力範囲におさめ、欧米列国のアジア侵略に加わる足がかりをつくった。日本の国民は、中国も破ったことで独立国としての自信を強めるとともに、中国人をさげすみ、朝鮮を属国とする優越感を持ち始めた。そして、三国干渉を知ると、新聞などで、国民の生活を犠牲にしてでも軍備を強めようとする主張がさかんに唱えられた。政府は賠償金のほとんどを軍備の強化に注いだ。」(東京書籍「新しい社会・歴史」)。わが国は、巨額の賠償金で軍備を強化し、「軍国日本」へのスタートを切ったのである。

六.孫文と勝海舟

 日清戦争後のわが国の歩みの変調について警鐘を鳴らしていた人の中に、勝海舟と孫文がいる。

 勝海舟は、その『氷川清話』(日清戦争直後の明治三十年頃、初刊とされる。角川文庫版)で、日清戦争の勝利に湧き、中国人を見下し始めた日本人に向かって、口を極めて警告を繰り返している。そのさわりの部分を引用しよう。

 「シナは大国、シナは大国民」

シナは、さすがに大国だ。その国民に一種気長く大きな所があるのは、なかなか短気な日本人などは及ばないよ。たとえば日清戦争の時分に、丁汝昌が、死に処して従容迫らなかったことなどは実にシナ人の美風だ。(略)こないだの(日清)戦争には、うまく勝ったけれども、かれこれの長所短所を考え合わしてみると、おれは将来のことを案じるよ。(前掲二六六頁)

 「シナ人のスケールの大きさ」

シナ人は、一体気分が大きい。日本では戦争に勝ったといって、大騒ぎをやったけれども、シナ人は、天子が代わろうが、戦争に負けようが、ほとんど馬耳東風で、はあ天子が代わったのか、はあ日本が勝ったのか、などいって平気でいる。(略)ともあれ、日本人はあまり戦争に勝ったなどといばっていると、あとで大変な目にあうよ。剣や鉄砲の戦争には勝っても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるよ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とてもシナ人には及ばないだろうと思うと、おれはひそかに心配するよ。」(前掲一九一頁)

 「シナを認識せよ」

 シナをこらすのは、日本のために不利益であった、ということは (略)最初からわかっていたことだ。(略)シナは、ドイツやロシアにいじめられて、早晩滅亡するなどというものがあるけれど、そんなことはけっしてない。膠州湾や、三沙渙くらいの所は、おれの庭のすみにある掃きだめほどにも思っていないだろう。(略)ドイツが膠州湾を占領したといっても、シナ人は、日本人と違って少しも騒がないよ。永くひっぱっておいて、あとで償金でも払わせるであろう。上海でも、シンガポールでも、香港でも、実力は皆シナ人の手の中にあるのだから、ドイツが少々騒いだくらいのことには、なかなか驚かないのさ。(前掲二〇五頁)

 勝海舟の、この視野の広さ、そのスケールの大きさ、大局観の確かさは当時のものとしては感嘆に値する。その後の日本の歩みは、まさに彼の心配した通りとなったのである。

 孫文が大正十四年、その死の数ヶ月前、日本人への遺言ともいうべき有名な演説をしていることは、よく知られている。ところは、県立神戸高等女学校の講堂、主催者は神戸商工会議所や新聞三社で、聴衆は二千を超えた。題して「大アジア主義」。人口に膾炙しているのは、その結語である。「あなた方日本民族は、西方覇道の手先となるか、それとも東方王道の于城になるか。それは日本国民が慎重におえらびになればよいことです。」

 明治時代、中国(当時は清国)からわが国へ多数の留学生がやって来た。その数は、通算すると、一万を超えた、といわれる。明治時代は、清朝の末期である。清朝は、その末期、英国はじめ欧米列強の言いなりになり、多くの土地を割き、利権を渡し、半植民地化した。彼ら留学生たちは、そのほとんどが留学中に革命の気概に燃え、そして帰国して倒清=革命運動に加わった。孫文もその一人であるが、明治三十五年以後、日本を根拠地の一つとして活動するようになって、その名を知られるようになる。江戸の封建時代から開国、そして、中央集権国家体制を確立して近代化に向けて驀進した明治のわが国は、彼ら清国人をして、何か学ぶところのある魅力を具えていたようである。孫文は、先に引用したその演説の中で、「三十年以前は、日本はヨーロッパの一植民地だったが(略)あらゆる不平等条約を廃棄して、アジアではじめての独立国家となった」と述べているが、三十年以前というのは日清戦争前のことであるから、半植民地的状態から脱するのが至上命題であった彼らにとって、いち早くそれを成し遂げ、文明開化に進む日本が、彼らの進むべき道への模範の一つと映ったのであろうか。孫文の演説は、聴衆が日本人であることに心を配り、「日本の独立」直後の日清戦争にも、その後の対華二十一カ条の強要についても触れていないが、前述の結語が、彼や、中国留学生たちの日本の進路についての憂いを集約したのであろう。

 その後の日本がどうなったかについては、言うまでもない。


http://www.seiken-s.jp/

【共謀罪と治安維持法】 あの戦争は何だったのか (2)  杉浦正健

【阿修羅より転載】

あの戦争は何だったのか 共存から共生へ (2)    杉浦正健

http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/167.html

投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 28 日



あの戦争は何だったのか (2)    杉浦正健

七.お上から与えられた明治憲法

 尊皇攘夷から討幕、そして開国から大政奉還――王政復古の大号令へといった幕末から明治維新へ向けての歴史の大きなうねりの中から、明治二十二年、明治憲法が誕生した。明治維新を遂行した元勲たちは、徳川将軍家と幕藩体制に代えて、わが国の近代化を推進するために天皇の統治する中央集権的国家体制を選択したわけである。明治維新から、あの敗戦までのほぼ八十年間のわが国の近代史は、明治憲法の歴史と言い換えてもよい。善きにつけ悪しきにつけ、あの時代は明治憲法と共に歩を進めた。あの戦争が何だったのかを省みるについては、明治憲法への省察を避けて通るわけには行かない。

 司馬遼太郎氏は、その著『この国のかたち』の中で、「日露戦争の勝利が日本国と日本人を調子狂いにさせた」(「雑貨屋」の帝国主義 Iの三二頁)とし、日露戦争が終わった後の明治四十一年、参謀本部が、関係法令の改正によって内閣はおろか陸軍大臣からも独立する機関となった点を鋭く指摘する。やがて、参謀本部は、「統帥権」という超憲法的な思想を持つに至り、あの戦争に至る軍部独走につながって行くわけである。そのへんの詳細については、同著の『統帥権の無限性』(Iの三六頁~)、 『機密の中の国家』 (Iの五五頁~)に詳しく述べられているが、氏は「明治憲法は、いまの憲法同様、明快に三権分立の憲法だったのに、昭和になってから変質し、統帥権がしだいに独立しはじめ、ついには三権のうえに立ち一種の万能性を帯びはじめ、・・・」(Iの四五頁)、かくて「昭和十年以後の統帥機関によって、明治人が苦労してつくった近代国家は扼殺されたといっていい」(Iの六三頁)と言い切る。

 私は、司馬氏の説に異論を唱えるつもりは毛頭ないけれども、氏の言われるように、明治憲法が「明快に」三権分立の憲法だと言えるかどうかについては疑問をさしはさむ余地があると思う。また、統師権についても、明治憲法第一一条に、天皇は陸海軍を統帥す、と明文があり、これが、第五五条一項の大臣の輔弼責任の外にあるという説を生む根拠となっていることを全く否定できないのではないか、とも思う。私が言いたいのは、歴史の所産である明治憲法そのものの中に、後にその国家そのものを破産の淵にまで追いやった原由が潜んでいる、ということである。

 「わが近代国家は、明治人が苦労してつくった」と司馬氏の言われるのは、その通りだと思う。わが先人たちの血のにじむ努力のお陰で、我々が今日ある、それはまさにその通りである。だが、明治憲法の発布については、いささか違う。維新後、近代国家には、国の基本法である憲法と民意を反映する議会が不可欠という世論の高まりを受けて、明治二十三年に国会を開くという天皇の勅諭が出されたのが明治十四年になってからである。それを受けて政府は、憲法制定の準備に取りかかり、伊藤博文を主任として、欧州の憲法、とりわけ君主の権力の強いプロシア憲法をもとにして草案を作成したことはよく知られている。そして、国会開設の前年である明治二十二年、天皇が国民に与える、という形で明治憲法が発布される。欽定憲法と言われる所以であるが、明治憲法発効の日は、憲法前文に当たる勅語で「帝国議会ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時(明治二十三年十一月二十九日であった)ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシメルノ期トス」と定められ、憲法に定められた通り翌明治二十三年に第一回総選挙が行われ、引き続いて第一回帝国議会が開かれたが、そこでは憲法は効力を発生しており、所与のものとして、承認の手続きはおろか、議論すらなされなかった。

 現行憲法について、これは占領軍に押しつけられたとし、自主憲法制定を主張する意見が根強いが、敗戦という厳しい現実から出発して、明治憲法から現行憲法へといわば新憲法の制定に等しい大改革がなされたについては、明治憲法第七章補則の第七三条に定める改正手続きに則って行われたのである。明治憲法、現行憲法ともに「お上」から実質的には国民に押しつけられたものであるが、国民によって選ばれた国会で議論され決議されているか否かという点では決定的に違うのである。

 明治憲法の制定によって、わが国はアジアで初めての立憲君主国となり、国民の意思を政治に反映する道が開かれ、近代国家として進むうえに大きな力となったのであるが、その出生においての未熟さの故に、その構成上のさまざまな欠陥の故に、その後の先人たちの血のにじむ努力にもかかわらず、あのいまわしい戦争に至ってしまったと言えるのではないか、と思わざるをえない。

八.明治憲法の欠陥

 旧帝国憲法が、司馬氏の言われるようなはっきりとした、「三権分立」のものであるか否か、学問的な詮索はさて措いて、それを制定した明治の元勲たちが、維新後のわが国の将来像として、当時、彼らが見聞きし学んだ西欧社会のような、三権分立の国家社会を描いていたことは想像に難くない。それは、旧憲法第二章以下の、三権の構成の骨格を見れば明白に読み取れる。

 そして、帝国憲法発布後、多くの先達たちが、国家運営の現実において、三権分立の実をあげるように、血のにじむ努力を傾けた。例えば、帝国議会は、内閣総理大臣を指命する権能がないという憲法上の欠陥に対しては、帝国議会の第一党の党首を指命させるという慣行を徐々に作り上げていったり、議会の解散権は天皇にあるという欠陥も、内閣総理大臣などの信任・不信任に議会の意思を働かせることなどで是正していき、大正の一時期には、いわゆる「憲政の常道」が慣行として成立しかかったのも歴史上の事実である。

 しかし、旧帝国憲法が、その冒頭の第一章を天皇とし、第一条から第一七条まで、天皇が立法、行政、司法の三権のみならず軍事大権も総攬する、わが国の統治権者であることを詳細に定める条項を置いたことは、その後のわが国の国家運営の根幹を歪め、あのいまわしい戦争に至る破局への道の出発点となった、と私は思う。そもそも統治能力のない天皇家を、国家権力の頂点に据えた、が故にである。

 古来、東西を問わず、権力者の栄華が長続きしたためしはない。その多くは、血なまぐさい結末を迎えている。わが国の天皇家は、そういった中で、有史上、何らかの形で政治権力と係わり続け、そして絶えることなく存続してきたという意味で世界史の中での例外的存在、と言えるかもしれない。しかし、わが国の歴史を詳しく見てみると、古墳時代は別として国家としての実質を備え始めた律令制の確立以後は、平安時代の摂関政治といい、鎌倉以降の征夷大将軍による統治といい、天皇家は政治の実権を他に委ね、権力から遠い位置にあってその存続が保たれてきた、と言ってよいであろう。天皇家が、統治能力を有して自ら政治権力を掌握しようとした時、例えば白河上皇による院政や、建武の新政の折りには、かえって権力をめぐる闘いを激化させ、世は乱れ、政治の瓦解を早めている。明治維新を遂行した元勲たちが、この歴史の教訓を知らないはずはない。知らないなずのない彼らが、なぜ、あえてあのような体制を選択したのか、彼らがすべてこの世を去った今は、その理由を直接確かめる術はない。

 その理由については、講学上いろいろに説かれているが、私は、要するに、明治の元勲たちは満々たる自負と確固たる信念を持っていたのだ、と思う。わが国を欧米を範とした近代国家に蘇生させる、そのために命を賭けて討幕に驀進する。「尊王」「王政復古」は、その大義名分だった。維新成った後は、近代化の推進に天皇の権威を借りる。大改革は、天皇の名で行う。しかし、政治の実権はあくまでわれらが手中に留める、われらの責任で維新を全からしめる、と本気でその使命に燃えていた。旧帝国憲法は、その自信を形に変えたものだ、と言えるのではないだろうか。

 形のうえでは、天皇にすべての権力が集中しているが、しかし、実際には天皇には何らの実権も与えられていない、法形式と実態とがまったく、一八○度ちがう体制が誕生したことになる。別の見方からすると、実際にはまったく責任を負えない天皇が、法形式からすると全責任を負う、という、おそろしい無責任体制が生まれたのである。明治の元勲たちは、この乖離をいささかも意に介さなかったようである。自分たちが実権を掌握し、自分たちの責任で革命を遂行する。枢密院という、自分たちの体制上の牙城も旧帝国憲法にしっかりとビルトインされていた。

 法律は、いったん制定されると制定者の意図とは無関係に、時代とともに一人歩きを始める。旧帝国憲法の運命もそうだった。明治の元勲たちが健在の間はまだよかったが、彼らが一人去り二人去り、政治の舞台から消えていくにつれて、旧帝国憲法の欠陥は繕い難くなっていく。明治の元勲たちが、元老として政治の実権を掌握できなくなっていくにつれて、わが国家は維新の大業を知らない指導者たちの手で責任の所在の定かでない国家になっていき、やがては、軍部が元老たちに代わってその実権を掌握するに及んで破局を迎えることになる。

九.神道について

 明治政府は維新直後の明治初年、天皇家の信仰にかかる神道を、いち早く国教と定めた。このことが、天皇家を権力構造の頂点に据えたことと相まって、あの敗戦に至るわが国の歴史に国粋主義的な色彩を色濃くしたことと深く関わっていると思われる。

 神道については、私は充分な知識を持ち合わせてはおらず、それを語る資格はない。私的なことで恐縮だが、わが家は先祖代々、浄土真宗大谷派に帰依している。しかし、この国土に生を享けた人々のほとんどがそうであるように、神道は自然に受け容れ、その説かれるところの八百よろずの神々を心から崇敬してやまないところでもある。神道は、いにしえから、人々の生命の源である食べ物、海の幸・山の幸の恵みの豊かさを願う心に発したものであったのではないだろうか。それが、稲作の普及とともにわが国土全域に広がり、だんだんに今のような形式を整えていったように観察される。

 筆者は三十年前、マレーシアを訪問した際、その古代博物館に展示されていた、稲作を始めた頃の古代マレーシア人の衣装が、日本の神官のそれに酷似していたのに驚いたことがある。稲の原生地中国(雲南省とされている)から稲作が高温多湿の東部アジア一帯に広がっていった頃、それは当然のことながら、現在の四大宗教が生まれるはるか以前のことであるが、その頃は、稲作とともに神道類似の自然崇拝がかなりの地域的広がりを持っていたのではないか、とも思われる。それはさておき、わが国土で人々に受け容れられ発達した神道、社と鎮守の森に鳥居、といった様式、神事の形式は、他の地域には見られず、わが国の歴史的風土に深く根ざした独自の信仰と言ってよい。言い方を換えれば、わが神道は、地球上のさまざまな地域、多様な人々に根付いている無数の伝統的宗教の一つにすぎないとも言えるのである。

 神道は、いわゆる「多神教」のカテゴリーに属する。わが国には、聖徳太子の頃から仏教が伝わり、天皇家もそれに帰依し、一時は国教の地位も得るが、神道はそれによって排除されなかったし、神道も仏教を排斥することなく、共存した。その後、キリスト教はじめ他の宗教も伝わったが、神道との関係は仏教同様であった。私どものふるさと三河地方は、仏教が盛んに伝わった地域である。集落には、神社とお寺が隣り合わせて、村人たちに守られている。村人は、豊作を神社で祈り、お寺で先祖の供養をする。お寺と神社は、村の行事、人々の冠婚葬祭の中心でもある。最近は変わってきつつあるが、私の小さい頃は寺や神社の境内は子供の遊び場で、いわば集団生活・社会訓練の場でもあった。

 その神道が、明治維新とともに、国家宗教となった。地球的な広がりを持つ仏教でなく、わが国独特のと言ってよい神道にその地位を与えた明治の元勲たちの意図は、天皇家を体制の頂点に置いたことと軌を一にしていると思われるところであるが、近代化に突き進んだ維新初期は別として、あの戦争に向かう破局への道を歩んだ時期には元勲たちの意図をはるかに超えた作用を生んでしまったと思料される。

 私は昭和九年生まれ。ものごころついた頃は、太平洋戦争へ突入する寸前、それから敗戦までの子供心に映った世間は、今から思い返すと、きつねつきが取り付いたような、狂熱に浮かされた状態だった。天皇は「現人神」(あらひとがみ)であり、日本は「神国」である。戦いは「聖戦」であり、敵は「鬼畜」である。天皇イコール神の国は、戦いに負けるはずはなく、神の民である大和民族は、すべての民族に優越し、「八紘」を広めて世界を「一宇」にすると教え込まれた。神社からは、若者たちが出征兵士として歓呼の声に送り出され、そしてその多くが、還らぬ人となった。神道は、その罪ではなく、それを利用した人々の罪ではあるが、日本国中を巻き込んだ、排外主義的民族主義、国粋主義の支柱の役割を果たしてしまった、と言えるのではないだろうか。

 宗教は、人間の心と生きざまに深く関わるものであり、その本然の姿からして、政治と微妙な関わりを持つことは古今東西を問わない。わが国の当今でも、オウム真理教という極端なものも出てきたし、創価学会の問題も政治問題化しつつある。政治と宗教の問題は、あの戦争の反省のうえに、未来を指向する私どもにとって、避けて通れない大きな問題であることは間違いのないところであろう。

十.共存から共生へ

 あの敗戦に至る歴史から、未来へ向かって何を学ぶべきか、今まで触れてきた問題の外にも、民主主義の未成熟の問題など、省察すべき問題は多くある。しかし、私の人生の節目に当たっての感慨も、そろそろ結論をまとめる時が来たように思われる。

(一)過ちを正面から見据え、国家の理念を明確にしなければならない

 教訓の第一として、あの戦争は、大きな過ちであった、ということを自分自身の問題として受容することが、これからの私ども日本人の出発点でなければならない、と私は思う。あの戦争を、いわゆる軍閥であるとか、天皇や特定の個人・グループの責任として逃れられるものでは決してない。若い世代の一部にある、僕らがやったことではない、という論理も他民族・国際社会には通用しない。

 植民地解放の戦いであったとか、米英など列強の不当な圧迫に対する正当な戦いであるとかいう大義も、二百万人を超える同胞の戦闘要員を死に至らしめ、それに数倍する軍・民間人を殺傷し、官民の国富を甚大に消耗した事実の前には空しく響くだけである。何としても、あの戦いは回避すべきであったと言わざるをえない。あの戦いによる同胞の尊い犠牲もさることながら、韓・中はじめ周辺諸国の人々に与えた災禍、苦痛は計り難い。どのように謝罪慰謝しようとも、今後、永久に消える去ることはないであろう。あの戦争は、あらゆる意味で、断じて正当化できるものではない。

(二)新たな理念を求めて

 「理念のない国家は亡びる」という名言がある。理念は、国家・国民にとっては、心を一つにして向かう道しるべである。この国のために生命を賭してもよい、という国民のコンセンサスのある国こそ、真に強い国である、と言い換えてもよい。国力の強さは、軍事力や経済力ではない、国民のいわば団結の力である。その団結を生み出すのは優れた理念である、と前記の箴言は言っているのである。あの戦争は明確な理念のないまま、というよりも誤った理念に導かれて、国民が一致結束して暴走した結果、国を亡国の淵にまで追いやってしまったのではないか。孫文がいみじくも警告した通り「西方覇道の手先」となり果ててしまったのである。

 あの敗戦の後、わが国は、平和主義、民主主義、基本的人権、国際主義を基とする新憲法の下で廃墟の中から再出発した。高邁な、人類普遍の理念を高く掲げてのスタートであった。そして、五十年、半世紀が経過した今、経済は復興し、世界の経済大国と言われるまでになったのであるが、果たして、高邁な理念の下での国民の団結があるか否かとなると、いささか疑問符をつけざるをえないように思料される。一九九五年の戦後五十年の節目の年に当たっての国民的論議に耳を傾けてみて、その感をひとしお強くしたのは私だけであろうか。その原因は、私には、あの大きな過ち、あのやくたいもない戦争に対して、われわれ日本人が正対していないことがその基本にある、と思われるのである。

(三)文化的自己中心主義を是正する

 国際交流が盛んになったのは喜ばしいことである。企業の海外進出、とりわけアジア地域への生産拠点の移転は目覚ましい。大企業のみならず中小企業に至るまで、その活動はグローバル化しつつある。それはそれで結構なことであるが、アジアの各地から、日本企業は自己の利益ばかり追及して、進出先をないがしろにする、という批判が絶えない。途上国に対する経済・技術協力にしても同様である。わが国に留学するアジア各国からの留学生も増えてきたが、日本人の受け入れ態度は概して冷たく、アジアの留学生だというだけで下宿を断られるという苦情もよく耳にする。脱亜入欧という、明治維新以来、正確には日清戦争以後のアジアの人々を低く見る、尊大な日本人の精神的退廃がそれらの事象の陰に見え隠れする。アジアの心ある人々の多くは、日本人は本当にあの戦争の反省をしていないのではないか、と未だに思っているのである。

 われわれは未来に向かって、平和、自由、民主、人権という人類普遍の理念とともに、真にあのやくたいもない戦争に至った大きな過誤の反省に立脚した、他民族との共生という理念をしっかりと打ち立て、国際社会に対して謙虚に臨んでいかねばならないと思う。政府も民間も個人に至るまで、あらゆる民族、あらゆる人々に対して、対等の立場で、一対一で和合できて初めて心を開いた協力関係が生まれて行くであろう。孫文が期待した「東方王道の于城」に日本がなれるのかどうか、われわれが、あの大きな過ちを反省し、明治維新の原点に立ち返ることができるかどうかにかかっていると言ってよいであろう。



十一.軍事的鎖国を

 ところで戦後五十年を省みる時、そして、あの敗戦に至った歴史的反省に立つ時、私はこの際、わが国が天下に改めて明らかにしなければならない国策の根本は、わが国の防衛力=軍事力は、他国を侵略したり、他民族を殺傷したりするために行使しないこと、であると思う。

 このことは、戦後の歴代政府が、過去の反省のうえに、新憲法の下で一貫して採ってきた政策である。専守防衛、防衛力は国土を敵から守ることに専念する、というものである。

 しかし、冷戦終結後、仮想敵であった共産圏の崩壊とともに、また、経済大国となって国際的影響力が増すとともに、外交的には国連安保理事会常任理事国メンバーに推す声が国際社会で広がる中で、いわゆる「ふつうの国」論が台頭し、国際社会の要請があり、その中での共同行動であるならば、軍事力を国際秩序維持のため使用していいかのような主張がなされるようになった当今、この従前からの国策の根本を宣明することは格別の意義を持つものである、と私は考える。敢えて分かりやすく理解しやすい表現として、軍事的鎖国と言わせていただいたが、中身は今までの政策と変わるものではない。私は、われわれ日本民族は、あの敗戦に至る歴史の教訓としてこの原則を遵守し、子々孫々に至るまで未来永劫に伝え承け継いでいかなければならない、と考える。

 わが民族は、わが版図の外に武力を行使して成功した例がない。有史上、神功皇后、豊臣秀吉、そして今度のやくたいもない戦いである。このことは、わが国土がアジア大陸から海を隔てた海上に位置した島国であることと無縁ではない。他と比べて異なる人種・民族と交わる機会が著しく少ない特異な民族と言ってよい。勢い、他民族・異文化に対する理解の度は著しく低くならざるを得ない。孫子の兵法に「敵を知り己を知らば百戦危うからず」とあるが、わが民族は、異民族については「敵」を知らず、知る能力も本質的に極端に低いのである。この点は、そもそも多くの民族が集合して国家を形成している米国とは好対照である。誤解を恐れずに言えば、「世界の警察官」になり得る資格は、米国にはあるが、わが国には全くない、と言ってよい。反面、異文化の受容能力は高く、古来から東洋、そして近代は欧米と先進文化を吸収同化して独自の文化を醸成し、小さな島国ながら経済大国と言われるまでになったのは誇ってよい。われわれが国際社会に出ていくとすれば、断じて軍事力であってはならず、経済・文化など他のお役に立つ部分による外はない。

 われらが生まれ育ったふるさとを外敵の侵略から守らねばならないことは、当然のことである。そのための軍事力の保持・行使も、同様である。現行憲法には、国民の義務として国土の防衛は謳われてはいないが(明治憲法には兵役が義務づけられていた)、これは当然の前提であろう。教育をはじめとして国民の意識を高める努力は、これから大いにしていかねばならないところでもある。軍事力の量は少ないに越したことはない。国際的な安全保障の枠組みを強化し、国際間の緊張を緩和することに努めて、世界が軍備を縮小する方向に向かえるようにすることも大事である。しかし、何よりも大切なことは、わが国が軍事的鎖国の国策を国是として宣明し、守り、経済・文化の面で、謙虚に国際社会と交わる努力を積み重ねることであろう。古今東西、故なく他国を攻める無法者は数少ないのである。こちらが守りのみに専念し、他に対して友好協力的であれば、不法に攻め込まれることはまず考えられない。

 あのやくたいもない戦いによって、中国大陸・朝鮮半島はじめアジア各地に与えた惨禍は言語に絶するものがある。あの豊臣秀吉の朝鮮侵略のような小規模なものでも、未だに朝鮮の人々の中に残っているのであるから、あの戦いの記憶は、永く被害を受けた人々、地域に語り伝えられるに違いない。それは、われわれ日本民族が未来永劫に担い続ける重荷であり、十字架と言うべきであろう。その償いは、賠償金の支払いなど賠償協定の履行によって終わる、といった事柄では毛頭ない。われわれが、軍事的鎖国の国策を堅持し、さまざまな努力を重ねても、彼らの恨みは容易には解けることはないと思われる。しかし、われわれにとっては、この敗戦の歴史的教訓をありのままに受け容れ、それと正対し、子や孫にも正しく伝え、未来に向かって再びその誤りを繰り返さないようにしなければならない。アジアの被害者たちの心を、その鏡として。

十二.栄光の二十一世紀をめざして

 私の政治の恩師である、故福田赳夫先生は、その晩年の著書『回顧九十年』のなかで、二十世紀を省み、二十一世紀を展望して次のように述べられている。


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 今は、二十世紀と二十一世紀の節目にいるわけだが、私はこの節目が人類始まって以来の変わり目になるだろう、と考えている。

 二十世紀は大変な変化のある世紀だった。新エネルギーの開発、科学技術の発展と相まって、物質文化、つまり人間の物質的側面において大変革が起こった。これは特に経済発展において顕著で、GNP(国民総生産)でいうと実に十五倍の大発展を遂げた。人類始まって以来の経済繁栄である。

 人々の暮らしも革命的に改善され、地球上挙げての大量消費社会が出現した。しかし、物質文化が目覚ましく発展した結果、「作りましょう。使いましょう。捨てましょう。」これが当然の世の中になってしまったわけだ。地球上に存在するありとあらゆるものを使い荒らし、捨て散らすことに何の不安も感じず、それが当たり前だという気持ちでわれわれは今日に至った。

 いまやその「栄光の二十世紀」が終わり、新しい世紀が始まろうとしている。経済発展、生活の改善とは裏腹に、地球上のありとあらゆるものを荒らしまくったツケを払わなくてはならない段階がやってくる。資源、エネルギー、生活環境はことごとく悪化していき、このままで推移すると人類の生存すら危ぶまれる事態にならないとも限らなけいからである。つまりわれわれはこれから先、人類の存亡をかけて二十一世紀を考えなればならないのだ。(福田赳夫『回顧九十年』三四五頁以下)


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 いささか長文ではあるが、ご紹介させて頂いたのは、この部分が、福田先生のわれわれへのいわば遺言ともいえる右著書の核心といってよいからである。同時にまた、「栄光の二十世紀」と共に歩まれ、その人生後半にわが国内外の政治に偉大な足跡を残された先生の「遺言」は、そのままわれわれ残された者に課せられた大きな課題である、からでもある。

 「ありとあらゆるものを荒らしまくったツケ」は、われわれの身のまわりにもいっぱいある。地方自治体を悩ませるゴミ処理、産業廃棄物の処理問題、生活廃水などによる海や川や湖の汚染、自動車排気などによる大気の汚染や騒音、さまざまな公害など、生活の便利さと引換えに抱え込んだ難題は数多い。トドの詰まりが、四四〇兆円を超える国、地方を通じての借金であり、肥大化した非効率な「大きな政府」である。目を国外に転じても、事態は大同小異である。開発途上国のかなりの部分の人口爆発は続き、食糧問題の深刻化が懸念されると同時に、貧富の格差は拡がる一方である。資源・エネルギー問題、環境の悪化といった人類の存亡にかかわる問題も改善の兆しが一向にみられない。冷戦の終結はみたものの、地域紛争はかえって多発し、核の廃絶や軍縮をめざす動きも遅々とし、先進国はそれぞれ内部の病弊に苦悩を深めている。地球全体が、混乱・混迷のなかで、明日へ向かっての光明を見い出せないでいるのが、厳しい現実の姿ではないだろうか。

 当面の国政の課題は、この「ありとあらゆるものを荒らしまわったツケ」を支払うことであり、自民党が今回の総選挙で公約として掲げた「抜本的行政改革」は、その重要な第一歩になる、と私は確信する。国民が自民党に勝利を与えたのも、それを期待してのことである、と私は思う。国・地方を通じて、民業に移管できるものはすべて民に移し、行政組織をスリムにし、行政経費の大幅な節減を図らねばならない。小さな政府の実現によって浮いたお金で、財政再建を軌道に乗せ、社会インフラや科学・技術振興への先行投資を思い切ってできるようになる。あの赤字の塊だった国鉄をJRに再生したのは、その良き先例であろう。わが国自身が、福田先生の言われる「人類始まって以来の変わり目」に当たって、その再生に成功すれば、国際社会にとってもまたとない良い模範となるであろうし、そうしなければならない、と思考する。それと並行して、地球全体がより良い調和を取り戻すため、国際社会とは協調と連帯の姿勢を堅持すべきであることもいうまでもない。

 福田先生は、二十一世紀についてはいささか悲観的に考えておられたようであるが、そのような結果にならぬよう、その教えを受けた者の一人として微力を尽くさねばならない。「栄光の二十一世紀」をめざして。

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