高原山 -381ページ目

【共謀罪】 世界勝共連合:犯罪の国際主義(レッ・ボルテール:全訳)

阿修羅から転載

世界勝共連合:犯罪の国際主義(レッ・ボルテール:全訳)
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/837.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 27 日 08:52:14:

世界勝共連合:犯罪の国際主義(レッ・ボルテール:全訳)


レッ・ボルテールの以前の記事を見直していて、極めて大切な文章を見落としていたことに気付きました。世界勝共連合の歴史です。その全訳文を投稿します。

これは2005年1月20日付のレッ・ボルテール(スペイン語版)に載せられた論文で、著者はティエリ・メイサン(レッゾー・ヴォルテール編集長)。元々は昨年の5月12日にフランス語版レッゾー・ヴォルテールに掲載されたもので、スペイン語訳が今年になって登場しました。(なお、以前私が「テリィ・メイサン」と書いたのは「ティエリ・メイサン」の誤りでした。すいません。)

一つの謀略的組織が誰によってどのように形作られ、どのように利用され、そして放り出されるのか、という筋道がよく解ると同時に、第2次世界大戦が何を残し、その後の世界で何がどのように展開させられ、そこから現在まで何が継承・展開させられているのか、という、現代史の重要な認識の一部を成すものでしょう。特にこの勝共連合とビン・ラディンおよび文鮮明の関係が、今日になって最大限に生かされていることは、すでにご存知の通りです。

ただメイサンは、世界勝共連合とカトリック教会(特にオプス・デイ)やシオニストとの関係にまでは触れていません。これが玉に瑕です。

注釈も含めて全訳します。また画像はUrlを示し説明の日本語訳を添えます。ただ日本語での正式な名称の分からない組織などは英語でそのまま書いておきますので、ご存知の方はご教授ください。不正確な名称などもご指摘ください。(英文検索で役に立つかもしれませんので人名や地名には原文のつづりを添えておきます。)


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http://www.reseauvoltaire.net/article13873.html
http://www.redvoltaire.net/article3397.html?var_recherche=wacl

テロリズム
世界勝共連合:犯罪の国際主義

THIERRY MEYSSAN

パリ(フランス)  2005年 1月20日

蒋介石、文鮮明師およびナチや日本の戦犯たちによって台湾で発足した世界勝共連合(WACL)は、最初にニクソンによって東南アジアからラテンアメリカにかけての反乱に対抗する手段として使われた。7名の国家指導者がその会議に参加した。後になって、レーガンの時代に再び活力を得て、冷戦中に米国の軍産複合体とCIAの道具と化した。彼らは政治的な暗殺とあらゆる紛争地域での対ゲリラ勢力の形成に携わった。紛争地域にはアフガニスタンも含まれるが、ここではオサマ・ビン・ラディンによって代表されたのである。
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(写真:「第4回世界勝共連合総会」)
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第2次世界大戦の終了に及んで、米国の諜報機関はナチ、ファシストそしてウスターシ【クロアチアのファシスト:訳者】を反共ネットワーク創出のために使った。これがステイ・ビハインドである[1]。将来のNATO諸国の中でリクルートされた諜報員たちが秘密にされなければならない以上は、逆に、ソビエトのコントロールの下に置かれた国々の諜報員たちはその活動が表ざたにならざるを得なかった。その結果、西側へ移動する東側出身の諜報員たちによる協調行動のために、1946年に一種の国際団体が作られた。これがAnti-Bolshevik Bloc of Nations(ABN)である。

ウクライナ、ハンガリー、ルーマニア、クロアチア、ブルガリア、スロバキア、リトゥアニアなどのファシストたちはヤロスラフ・ステツコ(Yaroslav Stetsko)の指導の下に会議を開いた。ウクライナでの対占領軍事協力者の元リーダーだったステツコは1941年6月2日にルフォフ(Lvov)で犯された700名の虐殺――大半がユダヤ人だったが――の責任者だったと考えられている。

その8年後、朝鮮戦争休止時に米国はインドシナでフランスに取って代わった[2]。アイゼンハワー大統領は、USSRと中国に対抗するために動員される地域防衛システムを確立した。1954年9月8日にNATOをモデルにして、オーストラリア、ニュージーランド、パキスタン、フィリピン、タイ、英国そして米国によってSEATOが作られ、12月2日には米国と台湾の間で相互防衛条約の締結が完了した[3]。

これに並行して、CIAがアレン・ダレス(Allen Dulles)の指揮の下で、これらの国々の諜報機関員を組織化させこの地域の反共主義政党間の接触をはかる一つの組織を確立させた。こうして蒋介石(Chiang Kai-shek)の元に建設されたのがAsian People’s Anti-Communist League, APACLである。

台湾の総統である蒋介石に加えて、APACLはそのメンバーとして、後に韓国大統領となる朴正熙(Paek Chun-hee)、戦犯の一人で富豪となり日本の自由民主党の資金を支えた笹川良一、さらに統一教会の文鮮明(Sun Myung Moon )師[4]を数えた。またAPACLのメンバーにはプラファム・クラピチティール(Prapham Kulapichtir)将軍(タイ)、フェルディナンド・マルコス(Ferdinand Marcos)大統領(フィリピン)、ソパサイノ(Sopasaino)殿下(ラオス)[5]、ド・ダン・コン(Do Dang Cong)大佐(ベトナムのグエン・バン・チューNguyen Van Thieu大統領の代理)などが含まれている。

APACLは、後のCIA台湾支部[6]の責任者レイ・S.クライン(Ray S. Cline)の総合指揮の下にあり、雑誌The Asian Bulletinを発行、その編集は、後にHeritage財団[7]のアジア支部の責任者となるマイケル・ラサター(Michael Lasater)の負担になるものであった。

(画像:「1967年にWACLが創設された」)
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[WACLの創設]

1958年以来、ABNの総裁は台北でAPACLの年次総会に参加した。クラインとステツコは台湾のthe Political Warfare Cadres Academyを視察した。これは反共主義的鎮圧のために蒋介石政権の軍隊に訓練を行う教育機関である。

この学校は米国のthe Psychological Warfare Center of Fort Braggとパナマにあるthe School of Americas[8]のアジア版である。CIAは次第に、政治家グループと反乱鎮圧の指導者たちによる世界レベルの組織網を作っていった。1967年にABNとAPACLは合併し、世界勝共連合(World Anti-Communist League、WACL)が名乗りを上げた。そしてその活動を『自由世界』の連合へと広げていった。その新しいメンバーの中に、第2次大戦の間に作られたメキシコのファシスト組織で「王たるキリストの軍団(Legión de Cristo Rey)」とも呼ばれるロス・テコス(Los Tecos)がある。この連合は、73~75年のリチャード・ニクソンとその治安参謀ヘンリー・キッシンジャーがホワイトハウスを牛耳るときに、最初の最盛期を迎える。

(画像:「軍事学校が反ゲリラの闘いを組織する」)
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その機能は統一教会を通して気前の良い保証を受けた。しかしこの事実は1975年まで公式に認知されていた。文鮮明師はその後この連合との関係が崩れたと主張するが、その日本人の代弁者である久保木修己の後ろで指導力を発揮し続けていたのだ。

フェニックス計画(1968~1971)とコンドル作戦(1976~1977)に適用されたWACLの役割には、東南アジアやラテンアメリカで共産主義のシンパであると疑いをかけられた何万人という人間の殺害が含まれている。それは今日に至るまで実態が明らかにされていない。

フェニックス計画はおそらくベトナムで、後にWACLの総裁となるジョン・K.シングローブ(John K. Singlaub)将軍のthe Joint Unconventionnal Warfare Task Forceによって適用されたはずである。しかしながらシングローブはこの計画との関連を常に否定し続けていた。

一方では、1971年~1978年にボリビアに独裁政治をひいたウゴ・バンセール(Hugo Banzer)は、WACLのラテンアメリカ部門を率いた。バンセールは1975年に野党である共産主義者たちを肉体的に抹殺する計画を立てた。このバンセール計画は、1977年にアスンシオンで、パラグアイの独裁者アルフレド・ストロエッスネル(Alfredo Stroessner)将軍の主宰で行われたラテンアメリカWACL会議の中で、続行すべきモデルとして紹介された。同様に、ラテンアメリカ各地で解放の神学を唱えるあらゆる僧侶と信者の抹殺を進めるための動議が、パラグアイ支部によって提案され1978年のWACL世界大会によって採用された[9]。

同時にまた、この期間に欧州に衝撃を与えた緊張の戦略(Strategy of Tension)の中で、WACLの役割は明確な科学とも見なされない【意味不明瞭。原文tampoco se conoce a ciencia cierta:前後の段落の内容から考えて「正確に知ることができない」というような意味か、フランス語からの翻訳の際に起こったミスではないか、と思われる:訳者】。”新秩序”の創始者でフランス人のフランソワーズ・ドゥプラッ(François Duprat)、MSIの創始者でイタリア人のジョルジョ・アルミランテ(Giorgio Almirante)、CEDADEの創始者でスペイン人のヘスス・パラシオ(Jesús Palacio)、”国々のサークル”の代表であるベルギー人のパウル・ヴァンケルホヴェン(Paul Vankerhoven)、そして同様の他の者たちがWACLの活動家となった。そして、イタリアでテロリストとして指名手配されたステファノ・デレ・チアイエ(Stefano delle Chiaie)[10]を非合法に連れ去り、ウゴ・バンセール政権のボリビアに送ったのはこの連合だった。そこで彼はすぐにクラウス・バルビー(Klaus Barbie)の補佐役に指名された。暗殺隊のトップとしてである。

またレバノンの戦争でWACLが果たした役割に触れる記録文書もほとんど無い。後に、1975年にこの紛争が勃発する1週間前に、元大統領のカミレ・シャモウン(Camille Chamoun)のキリスト教民兵の関連組織に傭兵を雇ったことが明らかになる。

(画像:「1973年の世界勝共連合メンバーの中の国家首脳」)
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1977年にホワイトハウスに入ったときに、ジミー・カーターは前任者たちの汚い行動を終わらせようと願った。そして海軍大将スタンフィールド・ターナー(Stanfield Turner)をCIA長官に指名し、ラテンアメリカの横暴な政府を抑えることに努めた。これはWACLにとって困難な時代だった。そのメンバーから出資を受けることをあきらめなければならなかったからだ。これはやがて反カーターの動きを作る。より都合の良い時代を準備し、当然のごとく米国最大の反カーター組織、the National Coalition for Peace Through Strengthとの関係を確立した。

この反対派の急先鋒はアメリカ保安委員会(American Security Council)に由来するものである。それはアイゼンハワー大統領が『軍産複合体』という用語と共に考案したものであった[11]。その共同責任者は、ジョージ・H.ブッシュとともにチームB[13]と呼ばれるパイプス委員会の中でソビエトの脅威を再登場させたダニエル・オグラハム(Daniel O’Graham )将軍[12]、およびジョン・K.シングロウブ将軍であった[14]。

この連合の数多くの責任者たちがロナルド・レーガンの選挙戦用の組織に絡んでいた。彼らの大部分にとってこのカリフォルニアの共和党の指導者とは無関係ではなかった。実際に第2次大戦終結時に、レーガンは自由十字軍(Crusade for Freedom)のスポークスマンとして、共産主義から逃れてきた東欧出身の移民たちを米国に定着させるための資金集めに参加していたのだ。それは実際にはABNメンバーであるナチ、ファシスト、ウスターシたちを移住させることであった。副大統領のジョージ・H.ブッシュも良い友人であった。彼はCIAの守護神としてコンドル作戦の長であったのだ。


[WACL黄金時代]

ロナルド・レーガンとジョージ・H.ブッシュがホワイトハウスに登場して以来、WACLはかつての活力を取り戻し発展を続けた。以前からの人脈はその成果を現してきた。米国の軍産複合体は、世界自由委員会(Council for World Freedom, USCWF)の名称の下にWACL米国支部創設の財源提供に努めた。ジョン・K.シングロウブ将軍がこれを指導しダニエル・オグラハム将軍が副委員長となった。しかし実際の狙いはそうではなかった。軍産複合体はWACLの権力を我が物にし世界の反共弾圧政策の中心的な道具に作り変えた。シングロウブはこうしてWACLの総裁になった。

(画像:図表「1982年の反ソビエト戦争の資金」)
http://www.redvoltaire.net/IMG/jpg/dos390.jpg


[連合があらゆる前線で活躍]

アフガニスタンでのソビエト勢力と戦うために、アメリカ保安委員会[15]はWACLのそれに関する部門に資金を提供した。ヘリティジ基金に本部を置く自由アフガニスタン委員会(Committee for a Free Afghanistan)である。この作戦は、マーガレット・サッチャー、およびMI6の長ニコラス・ベセル(Nicholas Bethell)卿の米国公式訪問を期に開始し、J.ミルノール・ロバーツ(J. Milnor Roberts)将軍がその指揮を取った。

この委員会は直接に『自由のための闘い』への軍事的援助に参加した。それはCIA長官ウイリアム・ケイジー(William Casey )[16]の決定によって実現し、オサマ・ビン・ラディン[17]によって運営された。公開されるビン・ラディン・グループのサウジ拠点での協力者であるアーメド・サラー・ジャムジョオン(Ahmed Salah Jamjoon)長老および一人の南イエメンの元首相が、WACLとこのサウジアラビア資本家の子弟とのつながりを作り上げたのだ。[18]

フィリピンでは、WACLを代表したのがフェルディナンド・マルコスである。しかし1986年に彼が失脚すると、ジョン・K.シングロウブとレイ・クラインは新しい相談者を作りに現地へ赴いた。彼らはそこで反ゲリラの議員組織を作り、フランク・カールッチ(Frank Carlucci )[20]、ジョージ・H.ブッシュ、およびビン・ラディン家の友人であるフィデル・ラモス(Fidel Ramos )将軍[19]に目星をつけた。

ニカラグアではサンディニスタ革命と戦うために、WACLは、コスタリカにあるジョン・ハル(John Hull)の所有地に後衛基地を置きアルゼンチン人の教官を配置した。連合は同時にホンジェラスで参謀長官のグスタボ・アルバレス・マルティネス(Gustavo Álvarez Martínez)将軍によって提供された施設を利用した。この将軍は人権主義的な装いで隠蔽した国際難民救済団(Refugee Relief International)を利用しながら傭兵を雇っていた。

グアテマラでは国民自由運動のリーダーマリオ・サンドバル・アラルコン(Mario Sandoval Alarcón)がWACLに参加した。サンドバルは1974~1978年の副大統領であり、大統領のロメオ・ルカス・ガルシア(Romeo Lucas García)が操り人形でしかなかったのだが、この国の本物の主人であった。サンドバルは5年間に1万3千人以上を殺した暗殺団を組織した。

エルサルバドルではWACLは、台湾の軍事学校で教育を受けグアテマラからの援助に支えられたロベルト・ダウブイッソン(Roberto d’Aubuisson)を支援した。ダウブイッソンは後に、この地域のCIAにあたるANSESALの総裁、および極右準軍事組織である国家共和主義党(ARENA)のリーダーとなった。同時に暗殺団を組織してオスカル・ロメロ(Oscar Romero)大司教を殺害した。

(写真「自由防衛のための秘密委員会メンバー、ハリー・アダーホウルトとジョン・シングロウブの両将軍」)
http://www.redvoltaire.net/IMG/jpg/Aderholt-Singlaub.jpg

しかしWACLの成功はその転落をも促した。1983年に国防副長官のフレッド・C.イクレー(Fred C. Iklé )[21]はペンタゴンの中に8名の専門家からなる一つの秘密委員会を作った。自由防衛のための委員会である。その委員長はジョン・K.シングロウブ将軍であった[22]。この委員会が、ニカラグア、アンゴラ、エルサルバドル、ベトナムの拡張を吹聴するモデルとして、アフガニスタンへの隠密の侵略を作り上げた、と言われている。しかし彼らの行動の詳細に関する証拠文書書類は十分ではない。

1984年にロナルド・レーガンは、イランゲートヘの私的な出資の責任を、この連盟とジョン・シングロウブの個々の手に預けた。この事件は国家防衛委員会のオリバー・ノース(Oliver North)大佐の直接の指揮の下で行われたものであった。1987年、このスキャンダルの暴露がWACLのすべてをなぎ倒し解体させたのであった。


【注釈】

[1]”Stay behind :Las redes estadounidenses de desestabilización y de injerencia” (Thierry Meyssan,Voltaire, 20/06/2001:スペイン語)を参照
http://www.redvoltaire.net/article5.html

[2]フランス軍は1954年5月7日のデン・ビエン・フーの戦闘で敗れた。

[3]その一方で1955年1月29日に議会はアイゼンハワー大統領に対して、共産主義者による攻撃が起こる場合には台湾を防衛する戦争に突入する承認を与えた。

[4]”Révérend Moon : le retour”(Voltaire, 26/03/2001:フランス語)を参照。
http://www.reseauvoltaire.net/article7830.html

[5]ソパサイノ殿下はラオス議会副議長であったが、1971年4月23日にオルリ空港でフランス当局に逮捕された。荷物の中に60kgのヘロインを隠し持っていた。

[6] Ray S. Clineは朝鮮戦争の最も過激な見解を聞かせたアナリストであった。1958~1962年にCIA台北支局の責任者。彼の表の姿はthe US Naval Auxiliary Communications Centerの責任者だった。後にコチノス(Cochinos)湾の失敗で引き起こされた人事異動のおかげでCIA副長官になった。著書にSecrets, Spies and Scholars(Edotirial Acropolis Books, 1976)がある。

[7] Michael LaseterはElizabeth ClaireのChurch Universal and Triumphant(CUT)の第一責任者であった。70年代の半ば、この教団はカリフォルニアの本部に軍隊用の武器が発見されるスキャンダルに見舞われた。責任者の一人は80年代にアフガニスタンのWACLの代表幹部に指名された。

[8] The School of Americasはその後米国のFort Benningに移転した。我々のネット資料ページには1947~1996年のこの学校の学生の完全なガイドがある。(フランス語)
http://www.reseauvoltaire.net/rubrique366.html

[9]この作戦はアルフォンソ・ロペス-トゥルヒーヨ(Alfonso Lopez-Trujillo)神父の協力で行われたように思える。彼は後にラテンアメリカ教会会議(CELAM)の理事長となった。【この神父はオプス・デイと深い関係を持つ:訳者】

[10]”1980: masacre en Bolonia, 85 muertos”(Voltaire, 14/03/2004:スペイン語)を参照。
http://www.redvoltaire.net/article694.html

[11] The National Coalition for Peace Through Strengthは議会のメンバー258名を集めるに至った。

[12]Daniel O’Graham中将は他の諜報局員との連携を担当するCIAの副長官(1973~74)だった。後にDIA長官(74~76)になる。アメリカ保安委員会の執行部長で、『スター・ウォーズ』計画の最大の擁護者の一人だった。High Frontierを設立し、1995年の彼の死までそれを主催した。

[13]1975年に極右団体がCIAを共産主義者の潜入者によって侵されており赤の脅威を減少させていると非難した。フォード大統領はそこでジョージ・H.ブッシュをCIA長官に指名しチェック体制を任せた。リチャード・パイプス(Richard Pipes)は、軍拡路線の再建を正当化する警告の通知を発行する『チームB』を作った。今日では、パイプス委員会が軍産複合体に市場を開くためにデータを故意に改ざんしたことが知られている。このテーマについては”Los manipuladores de Washington”(Thierry Meyssan、Voltaire, 11/01/2005:スペイン語)および”Daniel Pipes, expert de la haine”(Voltaire, 05/05/2004:フランス語)を参照。
http://www.redvoltaire.net/article3393.html
http://www.reseauvoltaire.net/article13765.html

[14] John K. Singlaubは第2次大戦中はOSSの局員であった。日本に対して蒋介石の国民党ゲリラを作った。朝鮮戦争の間はCIA支局の責任者であり、後にベトナム戦争の間には、グリーン・ベレーを率いた。その後Fort Benningで対ゲリラ戦を指導。退職後はアメリカ保安委員会の訓練責任者となった。やがてWACLの総裁となる。

[15]1984年から民主主義国家基金がこの委員会に資金を送った。これは後に、アフガニスタンでの彼らの政治目的に都合の良い人道的組織が受け取る資金の一部へと引き継がれていく。特にベルナール・コウチネル(Bernard Kouchner)の国境無き医師団である。

[16]米国はアフガニスタンを意図的に不安定にした。しかしモスクワの軍事的な反応の大きさは予想しなかった。ワシントンはそこでこの戦争に加わらせるために同盟国を動かした。それはアフガニスタンの『自由』という目的ではなく、ソ連がアラビア海までの道を所有することを防ぐためである。

[17]1983年にWACLはオサマ・ビン・ラディンの顔をシャツに印刷し次のような説明を添えた。『アフガニスタンの自由の戦士を支援せよ。彼はあなたのために戦う。』

[18] オサマ・ビン・ラディンはしたがってイスラム信者として紹介されたのではなく、対ソビエト戦に米国と共に参加するために、サウジアラビアの諜報機関の長官であるトゥルキ(Turki)王子によって選ばれた反共商売の人物として、であった。ビン・ラディンは当初は『自由の戦士』を必要とする諸機関の設立に専念し、その後それに合流する外国人のムジャヒデシンたちの補給を担当した。オサマ・ビン・ラディンは彼らの上でその権威を確立するためにその後にイスラム教徒に変身しただけである。

[19] Fidel Ramos将軍は1992年に大統領に選ばれた。1998年、彼の統治の後にカーライルグループに入った。”Le Carlyle Group, une affaire d'initiés”(Voltaire, 09/02/ 2004:フランス語)を参照。
http://www.reseauvoltaire.net/article12418.html

[20]”L’honorable Frank Carlucci”(Thierry Meyssan, Voltaire、11/02/2004:フランス語)を参照【Url不明:訳者】

[21] Fred C. IkléはペンタゴンでCaspar Weinbergerのナンバー2であった。この冷戦の歴史に残る戦士は実際にはthe Center for Security Policy (CSP)、the Project for a New American Century (PNAC)のメンバーであり、Smith Richardson Foundationの管理者であった。

[22]この委員会にはHarry AderholtとEdward Lansdale両将軍がおり、大佐のJohn Waghelstein、Seale Doss、 Edward Luttwak、少佐のF. Andy Messing Jr、Sam Sarkessianがいた。

【共謀罪】 資料/大規模集団洗脳の現場報告 (4)

阿修羅から転載

大規模集団洗脳の現場報告(4)地下鉄サリン~9・11~3・11~・・・そしてマドリッド日程
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/362.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 3 月 14 日 08:04:54:

大規模集団洗脳の現場報告(4)地下鉄サリン~9・11~3・11~・・・そしてマドリッド日程


今回は、マドリッド3・11事変一周年という名目で行われた「民主主義・テロリズム・安全保障に関する国際会議」を中心に、今後世界規模で展開していくであろう「反テロ戦争体制作り」に関してお送りします。

3・11事変は、おそらく普通に感じられているよりも何十倍も奥の深い、何十倍も大きな意味を持っている事件なのでしょう。マスコミは、隠すことはあっても、決してこの意味を探ろうとはしません。


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大規模集団洗脳の現場報告

(4)地下鉄サリン~9・11~3・11~・・・そしてマドリッド日程


今までの阿修羅への投稿でもお知らせしてきたとおり、3月8~10日の期間に、米欧ユダヤ支配層の下部機関、マドリッド・クラブおよびバルサフスキー財団が主催したマドリッド「民主主義・テロリズム・安全保障に関する国際会議((International Summit on Democracy, Terrorism and Security))」が開かれた。この会議の主催者は会議用の独自のホームページを作って構成メンバーおよび討議内容、会議の結果について、詳しく我々に見せてくれている。
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http://english.safe-democracy.org/
Safe-Democracy.org (Home)
【参照】
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/288.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 3 月 11 日 09:20:55
反テロ・マドリッド会議の内容と出席者総覧(お祭り用の来賓は除く)
[*フォローで詳しい資料(1)~(5)]
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●このホームページをSafe-Democracy.orgと名付けたからには、この「安全な民主主義」が今からの「対テロ戦争」用プロパガンダのスローガンとなるのだろう。そして会議最終日に、総括として「マドリッド日程(The Madrid Agenda)」が発表された。私はこれが、9・11を頂点として3・11マドリッドへと続いた「テロの恐怖戦略」の成果を集大成した世界大改造計画の具体的な指針になるものと考える。

恐らくそれは1990年代から、ひょっとすると1995年3月20日のオウム真理教による地下鉄サリン事件の前から、目に見えないところで練り上げられてきた戦略の中で最も重大な中継点になっているのかもしれない。

この会議の分科会に関する説明の中に次のようなことが書かれてある。
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東京からマドリッドにいたるまで、以前より多くのテロリスト・グループが宗教を彼らの行動の口実をして使っている。何がこの宗教的な動機のテロリズムの勃興を説明するのだろうか。・・・・
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この会議の主催者は「対テロ戦争」の起源の中に、ちょうど10年前に発生したオウムの地下鉄サリン事件を数えているのだ。そして1998年8月のナイロビ、ダルエスサラーム、2001年9・11、2002年10月バリ島、2003年5月カサブランカ、同年11月イスタンブール、2004年3・11マドリッド、同年9月ベスラン・・・、と「アルカイダ」による大規模な「テロ」が続く。

こうやって冷戦時の「民主主義と共産主義」の似非対決構造に続く次なる偽制作りの下地作りが進行していったわけだが、この10年間の「戦果」の総まとめともいえる「マドリッド日程(The Madrid Agenda)」の内容を検討してみよう。ただしその全部まではスペースの関係上取り上げることが困難なため、重要部分の訳とコメントのみにとどめるが、できたら次の全文(英語)を読んでその全体を確認していただきたい。
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(The Madrid Agendaの全文:英語)
http://english.safe-democracy.org/agenda/the-madrid-agenda.html
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●まずその前半の部分からの抜粋を見ていただきたい。

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【前略、引用開始】

[マドリッド諸原則]

テロリズムは全人類に対する罪である。それは無垢の人々の生活を危険に陥れる。それは憎しみと恐れの雰囲気を作り上げ、民族と宗教の間の対立に油を注ぐ。テロリズムは平和、国際法および人間の尊厳の価値に対する最大の侵害の一つである。

テロリズムは民主主義と人権に対する攻撃である。暴力による脅迫と殺害の行為によって市民と非戦闘員を標的にすることを正当化するいかなる理由も無い。

【引用終り】
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「テロリズムは全人類に対する罪である(Terrorism is a crime against all humanity)」このニュルンベルグ・ペテン裁判での造語が、「テロリズム」が、「ファシズム」「共産主義」に続く似非2項対立構造の一極の役割を果たすものであることを、明らかに示している。ただ今回のものは、後でも述べるが、先の二つとはやや異なる役割を与えられている。

それにしても上の「テロリズム」に対する形容は、数十年来、米国が中南米やベトナム、そしてアフガニスタンやイラクでやってきたこと、イスラエルがパレスチナと現在中東全域で行っていること、そのままなのだが、「テロリスト」の正体が誰なのかが期せずして明らかにされているのだろうか。


●次に中心の部分である。

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【中略、引用開始】

[国際協力]

テロリズムは現在、世界的な脅威である。我々はそれをマドリッドやニューヨークとワシントンばかりでなく、ダルエスサラーム、ナイロビ、テルアビブ、バリ、リヤド、カサブランカ、バグダッド、ボンベイそしてベスランで見てきた。それは世界的な反響を呼んでいる。政府と市民社会は国際的な取り組み、協力そして対話の努力を、再度活性化させなければならない。

[市民と民主主義]

自由と民主主義だけが最終的にテロリズムを打ち破ることができる。他のいかなる政治システムもそれ以上の正当性を主張することはできない。そしてさらに他のいかなるシステムを通しても政治的な不満がより有効に述べられることは不可能である。

市民たちは民主主義を推進し擁護する。我々はあらゆる国での民主的な運動の成長を支援しなければならない。そして連帯、包括性そして文化的多様性への尊重に対する我々の行動を再確認しなければならない。

市民たちは俳優であって観客ではない。彼らは民主主義の原則と価値を体現するものである。力強い市民社会は、各地のコミュニティーを保護し、過激なイデオロギーと戦い、そして政治的暴力を処分する戦略的な役割を演じる。

【引用終り】
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ここで言うところの「市民」「民主主義」とは一体何を指しているのだろうか。また「我々」とは誰のことか。

「市民たち」と訳した原文はCitizensなのだが、このcitizenは元々古代ギリシャ、ローマの「自由市民」を指し、支配階層の元で特権を与えられる文明化された(civilized)帝国の人間たちを指すのであって、決して「各国国民一般」を指すものではないはずだ。「民主主義(democracy)」にしても同様に奴隷制の上に立つ特権市民による合議制のようなものではなかったのか。意味論に詳しい方にフォローをお願いしたい。

そして「我々はあらゆる国での民主的な運動の成長を支援しなければならない(We must support the growth of democratic movements in every nation)」という際の「我々」とは? 直接にはこの会議の主催者と参加者を指すのだろうが、むしろその後ろに控える米欧ユダヤ支配層と見るべきだろう。それが「市民」「我々」という言葉によって、あたかも各国国民一般を指すもののように幻想が与えられる。ここには中南米やアジア、アフリカ、中東などの下層大衆は含まれておらず、彼らは「市民たち(日本人も入っているのかな?)」によって民主主義を指導されなければならないわけである。

そして「自由と民主主義だけが最終的にテロリズムを打ち破ることができる。他のいかなる政治システムもそれ以上正当性を主張することはできない(Only freedom and democracy can ultimately defeat terrorism. No other system of government can claim more legitimacy)」ときた。他の政治形態は認めない、もっと言えばテロリズムを擁護するものとみなす、ということだろう。

つまり「テロリズム」は、強引に世界を「民主主義」に向かわせるための不可欠な役割を与えられていることになる。第1日目の分科会では「テロを根絶するため」の軍事・警察・諜報活動の指針についての報告がなされていた。その意味ではネオコンの戦略とかなり似通っているかもしれない。しかしマドリッド・クラブのメンバーを見てもネオコンの流れの者はいないし、もう一人の主催者バルサフスキー氏にしてもシオニストとは関係が薄そうだ。しかし逆に考えると、ネオコンも決して特殊な「鬼っ子」ではなく、要するにこのマドリッド会議と同じ根っこから出ているのだろう。

おまけに「市民たちは俳優であって観客ではない(Citizens are actors, not spectators)」ときた。Actorsねぇ。(これを例えば「当事者」などという日本語で翻訳する阿呆がいるのではないか、と恐れる。)誰が台本を書くのだろう。その横には「テロリストたちも俳優である。」というようなト書きなどもあるのではないか。


●中心の部分からもう1箇所。

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【中略、引用開始】

[特筆すべき危機の要因]

テロリズムは脅迫、恐れそして憎しみの上に繁栄する。当局者が信仰の自由を含む自由を保証する責任を持つ一方で、その代わりに宗教指導者を含むリーダーたちは憎しみやファナチズムあるいは宗教戦争を奨励し正当化することによる自由の利用をしない責任がある。我々は次のことを提唱する。
・地域の会合、円卓会議、国際的なプログラムの交換を通して文化的・宗教的な対話を組織的に推進すること
・当局者たちとマス・メディアが、テロリストの目的である脅迫と恐れと憎しみを無自覚にそして不均衡な形で鼓舞することの決して無いように、その言葉の使用を常に見直すこと
・学校の教科書の文化的・宗教的な寛容さを見直すと同時に、人種主義的な表現、民族的対立そして宗教的過激主義とメディアにおけるそれらの影響を見張るために、国内的なまた国際的なプログラムを作ること

貧困はテロリズムの直接の原因ではない一方で、経済的そして社会的政策は、排他主義や急激な社会経済変化による衝撃――それはしばしばテロリストに付け込まれる不平不満を引き起こすのだが――を鎮めるのに役立つ。我々は次のことを提案する。
・周辺に追いやられたグループが能力をつけることを助け参加を促すような長期的な貿易、援助と投資の政策を採用すること
・集団的な差別を無くすことによって社会の中での構造的な不平等を減らす新たな努力
・女性の教育、雇用と能力開発を促進する目的を持った計画を打ち出すこと
・2015年までにミレニアム開発目標(the Millennium Development Goals;MGCs)【後述:訳者注】を実行に移すこと

テロリストは、解決しない紛争があり政治的な不満を収めるための責任あるシステムがほとんど無い社会で繁茂する。我々は次のことを呼びかける。
・紛争と分裂に特徴付けられた社会のための仲介と平和創出の新たな創意工夫を行うこと。なぜなら民主主義と平和は手を携えていくからである。
・国内と世界のレベルで民主的な制度と透明性を促進し強化する努力を重ねること。民主主義共同体のような工夫はこれらの目標に貢献するかもしれない。

【引用終り】
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前半部は要するに、学校の教科書とマス・メディアに対する世界規模の検閲を強化・実施する、ということだ。この一部はすでに始まっている。
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【参照】
http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/499.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 2 月 21 日 00:44:04:
2004年のイスラエルの「ホロコースト否定禁止法」
http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/595.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 10 月 17 日 17:28:01
ブッシュ、世界中の反ユダヤ的動きを記録する法律を発布(エル・ムンド)
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また、このマドリッド日程だけではなく、米国の言論界には「テロの原因は貧困ではなく過激な思想である」といった論調があるようだ。この半世紀の中南米やアフリカを見ても分かるとおり、貧困は米国と国際資本による新植民地主義とネオリベラル経済が積極的に作り出しているものだが、要するに「貧乏人どもを焚き付けるヤツが悪い」というわけなのだろう。情報への検閲と取締りを徹底させながら力づくで「民主主義」を植えつけて国際的な武力で縛り、おとなしく搾取される貧乏人を作り出せ、ということか。

上の引用中で「ミレニアム開発目標(the Millennium Development Goals;MGCs)」に関しては次のサイトを参照のこと。
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http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/un/mdgs_gai.html
ミレニアム開発目標: 概要(簡単な説明文と目標和訳)
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まあ「いいことづくめ」で到底実現するとも思えない。いや一つだけ実現可能な道がある。それは、想像したくもないが、2015年までに世界の人口が半分以下に減ることだ。以前からロックフェラー財団あたりがたくらんでいるように。

またこの2015年という年に関しては、次のような興味深い情報もある。

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http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/1019.html
2004 年 1 月 21 日 08:38:57
イベリア半島「百鬼昼行図」 その6:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(3)アスナール政権=オプス・デイ政権、「3馬鹿軍団」の裏には?

より引用
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【引用開始、前略】

アスナールはオプス・デイの手先として国外に対しても次の手を打っているようだ。1月14日付けのエル・パイス紙には次のような記事が載っている。

『アスナール、ヨーロッパとアメリカの間に貿易地区の創設を提唱』という見出しで、アスナールが1月14日のワシントンでの米国通商部との会談の席上、2015年にEUとアメリカの間で自由貿易地区を創設する、という提案を打ち出した、というのだ。ただ、少々誇大妄想ぎみのオッサンの言葉だから眉につばをつけておく必要はあるが。

El Pais 14-1-2003
Aznar propone crerar una zona económica entre Europa y EEUU
http://www.elpais.es/articuloCompleto.html?xref=20040114elpepinac_9&type=Tes&anchor=elpepiesp

まず2010年までに情報通信とデジタル技術、航空輸送、金融サービスの4つの分野でこれを実現して競合関係を調整する、とし、その後2015年までにさまざまな分野に広げていくそうである。さらに彼は、スペインの国内総生産がG8のうちの2国(ロシアとカナダを指す)より大きく、スペインが世界をリードする国々の一つであると主張し、EUと米国を結びつける大きな力となれることを強調したようだ。

【中略】

それにしても2010年から2015年とは面白い設定だ。もしかすると、その時期にはユダヤ・シオニズムとプロテスタント原理主義者の力が失われ、オプス・デイ=バチカンがヨーロッパと国連を陰からあやつり、アメリカ保守勢力とアラブ世界を丸め込みながら世界のヘゲモニーをとっていける、という見通しでもできているのかもしれない。ただしこれは憶測に過ぎないが。

【後略、引用終り】
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単なる偶然の一致とは思えない。2015年という年がかなり以前からすでに決定済みの日程ででもあるのだろうか。


●紙面の関係で訳出は省くが、続く[テロとの対決]の項にはおよそ次のようなことが書かれてある。

「テロリストを孤立させること」、そのために「テロ行為あるいは人権の悪用を防ぐため、国内的・国際的な対テロ対策に人権に関する法律を導入する」「対テロ対策と両立する人権法について国連の人権委員会が統括できるようにする」「国家間の情報網の確立と国境を越えて担当する諜報活動を保証」「全地球的なテロ情報データ・ベースと協力体制を作る」「国連安保理が主導するテロ捜査と対策」「テロの財源封じ込めのための国際機関創出」などが書かれており、「反テロ」を目標に世界を一つにまとめていく、国連がその中心任務を果たす、といった方向性が描かれる。


●そして後半の部分から次を訳出・引用しておこう。

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【中略、引用開始】

[市民社会]

テロと暴力に対する防衛策としての民主主義を建設するプロセスは、国際社会と市民の協力を必要とする。我々は提案する。
・世界中から民主主義のための戦いの前線と市民社会のリーダーたちを結び付け、インターネット技術やその他の新しい通信技術の有利さをフルに生かした世界的な市民ネットワークを創出する。
・このネットワークの一部として、抑圧に直面する市民社会グループに対する精神的・物質的な支援のチャンネルを提供すると同時に、地域紛争がエスカレートする前にそれを散らせてしまう「早期警戒システム」を作る。


[マドリッド日程を推し進めること]

マドリッド・クラブは、他の機関と政府と同様に、国連にもチリにおける民主主義共同体の次期閣僚級会議でこのマドリッド日程を提示するだろう。マドリッドク・ラブは、今回の会議の分科会とパネル・ディスカッションによって作られた提案をさらに具体化するために、大学、特別研究機関やシンクタンクと提携するだろう。

【後略、引用終り】
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再度強調しなければならない。「市民(Citizens)」とは決して世界中の人間ではない。主として欧米の中流以上の人間、およびその他の地域のそれに付き従う人間たちを指す。そしてその「市民たち」による大掛かりな『地球隣組制度』を作っていこう、ということなのだ。

現在「対テロ戦争」は、米国とその同盟者、および欧州各国で、それぞれ多少ニュアンスは異なるものの併行して推し進められているのだが、これが次第に国連の手に移り、国連が中心になって、これに従う世界各国をテロ対策の名の元に一つにまとめ上げていこう、というのである。そしてそのために「市民社会は総力を挙げよ」というわけだ。それに逆らう者は「テロリスト」としてパージされることになる。


●現在、米国と欧州、米国と国連の対立が言われているが、私はとんでもない茶番劇だと思う。今回のマドリッド会議の主体はやはり米国なのだ。というよりも、米欧ユダヤ支配層に慎重に選びぬかれたメンバーによる、特に9・11事変の『完結編』としての3・11を存分に利用して企まれた、今までの「テロによる恐怖戦略」の成果をまとめ、次の10年間、2015年までの行動方針を明確にするための一大イベントだったに違いない。これが3・11事変の重大な目的であり、その実行者が誰なのか、も暗示してくれているように思える。

彼らにとってみれば、ブッシュもネオコンもEUも、その手の内にある駒にすぎまい。さらにマドリッドという場所が選ばれた背景には、国王フアン・カルロスとその背後にいる支配者群の一つオプス・デイの意思があるもの、と私は見ている。マドリッドはロンドン、ローマ、ニューヨークと並ぶ魔都の一つなのだ。

この数十年間、世界の人間を、神話作りと教育・マスコミによる洗脳で騙し続け、そして最後に「9・11=3・11=イスラム・テロ」の大嘘で世界を奈落の底に(彼らにとっては天国に)落とし込もうとしている欧米ユダヤ支配層に対しては、世界各国の真実を求める人間たちが協力し合って、隅から隅まで徹底的にその嘘を暴いていく以外に無いだろう。嘘つきほど真実を恐れる。彼らは恐れているのだ。

【共謀罪】 資料/スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった (1)

阿修羅から転載

スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:メイン号事件から9.11へ(超長文です)
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/286.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 10 月 01 日 09:35:49:SO0fHq1bYvRzo

スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:メイン号事件から9.11へ(超長文です)


1989年2月15日に起きた「メイン号事件」は米西戦争のきっかけとして世界中の多くの人に知られており、日本のネット・メディアでも、特に2001年9.11以後、それとの比較で様々に取り上げられてきたはずです。もちろんスペインでも同様です。特にこの国では米西戦争の歴史的なトラウマとして、未だ強い反米感情が心理の深層に横たわっています。

私も縁あってスペインという国のお世話になっている以上、この「事件」について黙っていると言う訳にもいかないでしょう。またイラク戦争で米国自らが「撤退時期」をほのめかすようなご時世ですので、このアメリカ帝国の出発点となる米西戦争および「メイン号事件」について、改めて検討してみるのも意義あることと思います。かなりの長文ですが、最後までお付き合いください。

この文章は次の5部構成です。
(1)米西戦争のあらまし
(2)メイン号沈没の原因探し
(3)私は歴史をどう見るのか?
(4)メイン号事件とその後の歴史についての検討
(5)「メイン号事件」についての、日本におけるさまざまな反応の実例

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スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:メイン号事件から9.11へ


(1)米西戦争のあらまし

米西戦争の過程についてはすでにご承知の方も多いだろうが、あまりご存知の無い方のために、とりあえず簡単に事実経過をご紹介しよう。

●19世紀も半ばになって、かつての大植民帝国スペインは次々と領土を失い、没落の一途をたどる。(ただし勘違いしてはならないのは、植民地時代に作り上げた人と金と物の流れ、特にカトリック組織を通した通路は決して失われていない、ということだ。一つの帝国にとって「旧植民地」は単なる「旧」では無い。)最後に残された植民地は、キューバ、プエルトリコ、フィリピン、グアム周辺と、アフリカの一部(現在の赤道ギニアとサハラウイ)であった。1880年代以降はそのキューバとフィリピンで独立運動が盛んになりスペイン政府は激しく弾圧を繰り返す。1895年にキューバで、ホセ・マルティー(同年に殺害される)が指導する独立運動が大きな盛り上がりを見せ状況は危機的になる。

一方、南北戦争の混乱から立ち直り、またインディアンの大虐殺と土地の強奪をほぼ完了させたアメリカ合衆国は、南北戦争でやや出遅れた感のある帝国主義的進展を開始させる時期にあった。彼らにとってフィリピンなどの太平洋の諸島とカリブ海はまさに垂涎の的であった。キューバにはすでに砂糖キビ・プランテーションに大量の米国資本が投下されていたのだ。まさに「甘い汁」である。そして国内のイエロー・プレス(イエロー・ジャーナリズム)と呼ばれる様々な新聞が「スペインによるキューバ人大虐殺」を書きたて、国民の反スペイン感情を煽ってていたが、同時にそれは「独立と自由を守る正義のアメリカ人」という国民のナルシシズムを心地良くくすぐるものでもあっただろう。

一方、豊富な資源と絶好の地政学的条件にあるフィリピン諸島獲得のチャンスを虎視眈々とうかがっていたアメリカは、1896年にフィリピン革命戦争が勃発すると「独立を支援する」という名目で介入し、この太平洋のスペイン植民地強奪策謀を開始していたのである。

当然のことながら米国はキューバの反乱勢力支持を打ち出して再三スペインに警告を発しており(大統領はクリーブランド:民主党、97年からマッキンリー:共和党)、両国の間の緊張が増していった。そしてキューバ人の反乱が激化した98年1月に、米国政府はキューバ在留米国人の保護という名目で海軍の派遣を決め戦艦メイン号をハバナ港に送った。そして2月15日の夜、メイン号は突然爆発を起こし沈没。260名が死亡したがその中には7名の日本人労働者も含まれていた。

米国海軍省の直後の調査では爆発の原因は特定できなかった。しかし多くのジャーナリズムや一部議員たちは、この爆発を何の根拠も無しにスペインが仕掛けた機雷によるものと決め付け、新聞が「リメンバー・ザ・メイン!」を煽り立て、「復讐心と正義感」にいきり立つアメリカ人たちは、一気に戦争へ突っ走る巨大な塊へと変身した。スペイン政府は双方の委員からなる事故原因究明のための共同委員会を組織することを提案したが、もちろん米国政府はこれを拒絶。「開戦には躊躇する」というジェスチャーを見せながら時間を稼ぎ、すでに十分に進めていた戦争準備を完了させる。

米国は4月25日に戦争を宣言した、ということに一応なっているが、実際にはずるずるべったりに戦闘状態に入ってしまったようだ。米国は迷わずフィリピンを攻めた。米軍は5月1日のマニラ海戦でスペイン太平洋艦隊を全滅させたわけだが、その際の米軍の被害は負傷者8名のみだった。その2ヵ月後にキューバのスペイン海軍を全滅させるのだが、7月3日の海戦ではわずか4時間でスペイン艦船をすべて撃沈、米軍は死者1名負傷者2名のみ。どちらもまるで漫画みたいな戦闘だったようである。

すべての補給を絶たれてキューバに取り残されたスペイン陸軍は降伏する以外に道は無かった。すでに2千名を戦闘で、1万5千人以上を病気で失っており、なすすべも無くぼろぼろになった敗残兵たちはスペインに貨物のように送り返されて、バルセロナなどの岸壁に放り出された。彼らは熱病にうなされながら道端で物乞いをするしかなかったのだ。

こうして戦いはアメリカの一方的な勝利に終わった。またそのどさくさに紛れてハワイも併合してしまう。これが、アメリカが世界帝国として踏み出した第1歩であることに、誰一人異論はあるまい。ついでに南北戦争で植えつけられた米国人相互の不信感を癒し、一体感と自信を植えつける重要な戦争でもあった。
【参考資料】
http://www.loc.gov/rr/hispanic/1898/chroncuba.html
(Chronology of Cuba in the Spanish-American War)

キューバは戦略的な位置と同時に砂糖の「甘い汁」を滴らせていた。しかし最初に攻略したのがキューバではなくフィリピンであったことは興味深い。もちろん1年以上も前から(あるいはもっと前から)ここを奪い取る策略を開始していたのである。フィリピンでの開戦を遅らせたら英国やオランダなどによる干渉が起こっていたかもしれない。

また戦争後にキューバは「アメリカの保護の下に」独立をさせ、米資本によるほしいままの収奪が開始された。また当初は「独立派を支持」していたフィリピンに対しては、1898年12月のパリ条約によってスペインから2千万ドルで買い取り植民地とした。フィリピンはすでに6月に独立宣言をしていたのだが、アメリカはスペインと同様に独立派勢力に対し徹底的な弾圧を加え、1899年から2年間にわたるフィリピン戦争の果てに独立派勢力を壊滅させた。

この国の大がかりな政治詐欺は今に始まったことではないのだ。当然だが、フィリピンとグアム、ハワイは、その後のアメリカ帝国にとって決定的に重要な場所となる。政治詐欺----これが米西戦争以後のアメリカの対外基本路線であり、それは現在まで、強化されつつ一貫している。


●それにしてもなぜこれほど一方的な戦いになってしまったのか。何せ没落帝国スペインときた日には、既得権にしがみつくしか能の無い王族と坊主共、産業革命のような元手のかかる作業にはそっぽを向く低能の政府高官、絶望的に無能な将軍とやる気のかけらも無い汚職まみれの軍スタッフ、酒と女とキューバ人をぶん殴ることにしか興味の無い兵士、キューバ人をこき使って懐を暖めることにしか関心を持たない農場主と投資家たち、・・・、そして軍の装備は、というと、たとえば、ペリーが浦賀に「黒船」を率いてやってきてからすでに40年もたっているのに、未だに大半が木造の軍艦で、鉄板で覆うことすらしていない、という体たらく。はなから勝負にならない。相手は腐れ切ってヨレヨレ、米国にとって勝利は100%保障されていたのだ。

しかしスペインにしても、哀れな下級兵士たちは別としても、彼らがそれ以前に300年以上に渡って中南米で働いてきた蛮行、略奪と強盗、そしてアフリカ人に対する救いがたい行状を考えるならば、一切同情には値しないだろう。しょせんは強盗・ヤクザの抗争の大型版、帝国主義戦争に過ぎない。

スペイン人にとってこの米西戦争は、「アメリカから原因不明のメイン号事件で言いがかりを付けられてナケナシの植民地をむしり取られた」忌むべき出来事、ということになる。現在でも米国を毛嫌いするスペイン人は多い。例えばイラク戦争開戦時には、調査によっては多少の違いはあるが、80%前後が反対した。自国政府が戦争支持の姿勢を打ち出したにも関わらず、である。これは単なる「反戦平和主義」という以上に「潜在的にある反米主義」が吹きだした、と見る方が正確ではないか。

●特にカタルーニャでは反米意識が強い。これがイラク戦争に対して、アスナール与党国民党の支持者をも含めて、カタルーニャ人の90%以上が反対した背景となっている。バルセロナでブッシュを応援しようものなら、にらまれて完全にそっぽを向かれるか、激しい議論を吹っかけられることは保障する。

これは、一つには、バルセロナ港に放り出されたキューバ敗残兵の悲惨な光景が、メイン号事件での言いがかりと共に、バルセロナ市民の記憶に生々しく焼きつき、子から孫へと語り継がれているためである。そしてもう一つの理由がある。

18~9世紀のカタルーニャのブルジョアたちは、まず奴隷貿易で、そしてキューバでその奴隷をこき使って砂糖やタバコでぼろもうけし、ある者は質の悪いラム酒と綿製品をキューバで売りつけた。そうやって膨らませた資本でカタルーニャでの産業革命を起こして、今度は没落農民であるカタルーニャ人労働者を1日14時間から16時間も(女、子供を含めて)こき使ったのだ。さらに彼らは、贅沢三昧でなおかつ余った金をマドリッドの王家に献上して爵位を買い取っていたのである。有名なガウディのパトロンであるグエイュ(日本ではグエルで通っている)公爵家などはその代表だ。そしてスペインの中でも、そのカタルーニャのブルジョアたちがこの米西戦争敗北で最も深刻な打撃を受けたわけである。なぜカタルーニャで上も下も反米なのか、これでご理解いただけるだろう。


(2)メイン号沈没の原因探し

以上が米西戦争のあらましだが、さて、そのきっかけとなった「メイン号事件」について、である。

●次の資料は、米国海軍歴史センターのホームページからのものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ページのUrlでは接続できないため、次のgoogleのキャッシュから入ってください)
http://www.google.co.jp/search?q=cache:Radl5tPYDjwJ:www.history.navy.mil/faqs/faq71-1.htm+maine+havana+1898&hl=ja&lr=lang_ca |lang_es|lang_ja|lang_en
(The Destruction of USS Maine)
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これによると、沈没の原因は、「事件」当初の海軍による調査では全くつかめなかったため何の結論も出さず、ジャーナリズムの憶測による反スペイン・キャンペーンだけが吹き荒れた。戦争後の1911年になって船体が引き上げられて原因が調査され、弾薬庫付近の船底の鉄板の曲がり具合から、機雷によって外から爆破されたもの、という結論が発表された。しかし一方では「燃料の石炭の自然発火による事故説」も根強く、1976年に海軍大佐Hyman G. Rickoverが「最新の科学知識を応用して」以前のデータを再検討し、「弾薬庫の隣にあった燃料用石炭の自然発火が最も可能性が高い」という結論を出した。そしてこの資料では、石炭の自然発火は到底ありそうに無いと異論を唱える人々もいること、しかし機雷説にしても推測に過ぎないこと、最後に、米国海軍自身の結論としては「原因は未だ不明」だということ、が述べられている。いずれにせよ、1911年に調査のために船体が引き上げられたあと再び沈められ、もはやこれ自体の物的な検証は永久に不可能になっている。

石炭は空気中で酸化を起こして自然発火する可能性があり、石油と違って長期間の備蓄が効かない、という。確かに昔九州のボタ山から自然発火の煙が立ち昇っていた。しかしどれくらいの量をどんな状況にどれくらいの時間置けば自然発火するのだろうか。メイン号のような大型船舶が燃料の石炭の自然発火で事故を起こした例は、私は不勉強にして知らないが、ご存知の方があればお教え願いたい。しかし、可能性をゼロとは断言しないが、いずれにせよ極めて小さいのではないか。

米国の高校生用の教科書をのぞいて見るとやはり「未だに原因は不明である」と書かれているのみで、他の米国側の資料でも原因については簡単に「不明」としか書かれていない。例えば
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http://memory.loc.gov/ammem/today/apr25.html
(US declared war on Spain)
http://militaryhistory.about.com/cs/spanishuswar/
(Military History“Spanish-American War”)
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●ではもう一方の当事者スペインではどのように言われているのか。私は様々な資料を調べているのだが、驚くことにその「原因」について詳しく追究しているものが意外と少ない。学術的な歴史研究のサイトでも、スペイン史資料で「権威の高い」とされるHispanidadも、ひたすら事実関係を述べるだけで、メイン号爆発・沈没の「原因」に関しては、まるで忌まわしいものから目をそむけるような態度なのだ。ただ左翼的な情報誌Rebelionは「石炭の自然発火説」を取り上げて「スペインには責任が無いことが証明された」という内容の記事を書いている。
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http://www.rebelion.org/internacional/maine061001.htm
(Rebelion:Remember the Maine:スペイン語)
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しかし残りのいくつかのページでは、その後に起こる第1次大戦への参戦経過、パールハーバー、トンキン湾事件、そして9.11と並べて比較した上で、「米国による謀略説」が強調されている。
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http://www.elguanche.net/voladuradelmaine.htm
(La Voladura del Maine:スペイン語)
http://www.contrastant.net/hemeroteca/ramonet1.htm
(Contrastant:カタルーニャ語)
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推測するしかないのだが、多くのスペイン人の胸の内はたぶん「米国謀略説」ではないか。あえて原因を活字にしない著者にしても同様で、むしろ自然発火説は断固として認めたくない、というのが本音ではないか、と思われる。普段は黙っていても、いざというときに吹きだしてくる反米意識がそのことを強く暗示しているように思う。


●事件発生以来、「スペインによる奇襲攻撃説」、「米国による謀略説(主としてキューバ独立派勢力をそそのかして機雷を仕掛けさせた、というもの)」、「自然発火説」、また一部には米国とスペインを衝突させる「キューバ独立派勢力による陰謀説」と様々な説が乱れ飛んできたが、いずれの説にしても「完璧な物証」があっての話ではなく、またその追究はすでに不可能になっているし、たとえ何かの決定的な証拠になる文書が米軍内に機密資料として眠っているとしても、それが公開される可能性はほぼ無いだろう。もはやこの「メイン号事件」に関して何も語りようが無いのか。


(3)私は「歴史的事実」をどう見るのか?

もちろん私は歴史を専門的に勉強したこともないし、持っている知識にしてもたかが知れている。さらに、歴史を専門に研究する人々が歴史上の「事実」に関してその真偽をどんな基準で判断しているのか、よくわからない。

当然だが歴史は自然科学とは異なる。自然科学なら必ず観測・測定可能な物体なり現象なりで一つの仮説が証明されうる。一定の条件と手段さえ整えばある予測された結論(素粒子論やカオス理論によって導き出される確率的な分布を含めて)が繰り返して検証可能である。しかし人間は自然界の物質とは異なり、物理的・受動的に反応すると同時に、「意図」を持って行動し「意図」を持って物事を創造しうる能動的な主体である。

歴史を、あたかも意図を持たぬ(持ったとしても反射的・一時的な判断程度の)機械人形が、「歴史法則」や経済原則、地理的要因などによって、受動的に動かされるプロセスであるかのようにとらえて、それを「客観的な歴史的事実」などと主張することは本質的に誤っているように、私には思える。少なくともこれは科学的な態度とは言いがたいのではないか。観察者自身もその対象も「意図」を持った能動的な人間である、という自然科学とは根本的に異なる条件を無視しているからだ。(私自身が理科系の出身であるだけに、逆に、歴史をそのような目で見る人には大きな違和感を覚える。)

上記のような人が陥る「偶然史観主義」とでも呼ぶべき「偶然に起こった出来事を人間が利用して歴史を作ってきた」などという考え方は、私には単なる知的不誠実=似非科学としか見えないのだ。(具体的な批判例は『(5)「メイン号事件」についての、日本におけるさまざまな反応の実例』の中で展開させていただく。)

もちろん自然科学流の「繰り返しての検証」は原理的にできない。一つの仮説を元に将来を予測したとしても、当事者が意図的にその行動を変えてしまう場合には仮説の検証自体が成立しない。また物証が意図的に消滅させられあるいは隠匿された場合、その検討は不可能となる。あるいは意図的に「物証」が捏造された場合は検証自体が無意味になる。例えば「メイン号事件」に関して、万一新たな資料が発見されたとしても、その資料自体の真偽がどう判断できるのか。

イタリア・ルネサンス期のロレンツォ・ヴァラが「コンスタンティヌスの寄進状」(ローマ教皇領の根拠とされた)のでっち上げを見破ったような例はある。しかしすでに千年間以上の既得権益となった教皇領が奪われることは無く、時すでに遅し、である。そしてこの件は、いかに重大な「物証」捏造が意図的に行われうるのか、の実例でもあるのだ。

人間の歴史にはこのような「嘘の上に成り立つ事実」もあるだろうし、逆に「事実に基づいた嘘」もありうるだろう。歴史の「真実性」と自然科学的な方法論における「真実性」とは、重なる部分と同時に、本質的に異なる多くの部分を含んでいるものではないか。

再度申し上げるが、人間は物理的・受動的に反応すると同時に、「意図」を持って行動し「意図」を持って物事を創造しうる能動的な主体である。ある出来事に関して「何が真実か」は、その出来事と、その前後に続く一連の物事との間に貫かれる「ある意図」を検出することによってもまた、明らかにされうるのではないか。もちろん私はこのような方法を慎重で十分な調査と照合が不足したまま適用した場合の危険性は重々承知している。

当然だが、「全能の神(悪魔?)のような陰謀主体」を想定して、すべてをそこに演繹的に帰結させるような考えは単なる知的怠惰であろう。このような考え方は要するに一神教的世界観のグロテスクな変形に過ぎない。従って例えば「ユダヤ人が何百年も前から仕組んできた陰謀」であるとか、「フリーメーソン」「イルミナティ」等々に、様々な現象を結び付けて説明して「事足れり」とするような態度にも、私は「偶然史観主義」と同様に強い違和感を覚える。

この世に陰謀、謀略、だまし、やらせ、詐欺、でっち上げ等々が存在するのは当然なのだが、あくまでも人間の世界は多元的・相対的・流動的でしかなく、どのような陰謀主体も無様につぶれることもありうるし途中でその意図を変更させざるを得ないこともあろう。陰謀・謀略を練る者が意図を持った人間であり、それを見破って打ち破ろうとするのも、すべてが意図を持った人間だからだ。

したがって、先ほど述べたように「何が真実か」は、その出来事と、その前後に続く一連の物事との間に貫かれる「ある意図」を検出することによってもまた、明らかにされる可能性がある、と私は思う。歴史を一枚の織物として、物理的・地理的要因を「横糸」とすれば、人間(注意!歴史の登場人物および歴史を記述する人物の双方!)の主体的な意図が「縦糸」、というように見て、その双方の「糸」の表面と裏面でのつながりを見抜いていく中で「何が真実か」が発見可能ではないか、と思う。

このような見方に関して、専門的に歴史を研究される方から厳しいご批判を受けることは覚悟しているが、「歴史」があくまでも人間の歴史であり、「歴史の記述」があくまでも人間の思考の産物である以上、以上のように考えざるを得ない。19世紀段階の自然科学を中途半端に真似しただけの「普遍的で客観的な歴史的事実」など、「天地開闢6千年」のキリスト教原理主義の歴史観同様、私とは無縁である。

ではこの「メイン号事件」の場合、具体的にどのように見ることができるだろうか。


(4)メイン号事件とその後の歴史についての検討

●少なくともスペインにはアメリカと戦争をする理由は無かった。というよりも、する実力も気力も無かった。現在のアメリカとフセインのイラク以上に力の差があったかもしれない。こんなときに戦争を自ら誘発するような愚行を犯すことは、いくらスペイン人が向こう見ずでも、100%ありえない。

前述のように、戦争への強烈な「意図」を持っていたのはアメリカの方である。すでに何年も前からキューバ・フィリピン強奪の準備を初めていたのだ。しかも100%勝てる。あとはきっかけと名目が手に入ればよい。そして、先ほどの米国海軍の資料によると、「キューバでの不測の事態を恐れた船長が米兵の上陸を許可しなかった」とある。どうやら語るに落ちたようだ。その上陸足止めのせいで犠牲者の数が膨らみ、その結果、戦争へ大きく弾みがついたのである。以上の点からキューバ独立派の単独犯行説は薄れ、米国謀略説が一気に黒味を帯びてくるだろう。

それともやはり偶然の事故を上手に利用しただけであろうか。「たまたま戦争やる気満々のときに、たまたま兵士を足止めしたところに、たまたま弾薬庫の隣にあった石炭の自然発火がたまたま起こった」ということか? しかしこれほど続くことを「たまたま」というだろうか。そして事件後に登場したのは、「相手が悪い=我々は正義である」「我々は被害者だ=復讐する権利がある」という盛大な声である。

国内世論を戦争に誘導し反対派を封じ込め、さらに国際世論を戦争容認へと導くのに、これほどに便利な口実はあるまい。ジャーナリズムが愚かな大衆を大がかりに扇動して駆り立て、「内外の世論に支持されて」という開戦パターンは、この19世紀の終わりに大成功を収めた。しかも「正義の味方アメリカ」の自尊心は愛国心として、その後徐々にだが着実に国民の意識の中に根付いていく。そしてこの米西戦争こそが、アメリカの帝国としての「初体験」の勝利だったのだ。

これは「たまたま」がたまたま続いた結果なのか? それともアメリカの戦争へと向かう意図によって貫かれた一連の出来事なのか? どっちだ?

「同国民の犠牲」が勝利をもたらした例は、実はそれ以前にもある。1836年の対メキシコ戦争でテキサス強奪のきっかけを作ったアラモの砦での189名の討ち死にである。アメリカ政府が援軍を送らず見殺しにした、という説もある。しかしジョン・ウエイン主演の映画「アラモ」では「自由を守る聖戦」としてのアラモの戦いが描かれている。このときにアメリカ国民は叫んだ。「リメンバー・アラモ!」と。そして今「リメンバー・ザ・メイン!」。

「何たる不謹慎な!一国の政府の偉い方々が自国民を犠牲にしてそんな演出をすると疑うなど、とんでもない!」と無邪気・無条件に確信する超お人好しの田吾作はともかく、通常レベルの判断能力を持つ人間なら、まず対スペインの開戦理由を意図的に作り上げた可能性を疑ってみるのが自然ではないだろうか。

一万歩譲ってこれが本当に偶然の重なりだったとしてみよう。歴史上このような例が後にも先にもただ1回だけなら、それも否定はしない。「偶然」とは「確率的にほとんどありえないこと」を言うのである。ではその後の歴史経過をざっと見てみよう。もう散々言われ尽くしたことばかりだが、念のため。

クソッ、だんだん腹が立ってきた! もう遠慮抜きでものを言おう。

【共謀罪】 尻尾を出したか、FBIとCIA?

阿修羅から転載

3・11実行犯、ニューヨークの駅襲撃も計画(エル・ムンド):尻尾を出したか、FBIとCIA?
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/972.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 3 月 03 日 05:56:52:

3・11実行犯、ニューヨークの駅襲撃も計画(エル・ムンド):尻尾を出したか、FBIとCIA?


3月2日付エル・ムンド紙は『3・11テロリストはニューヨーク中央駅への襲撃も計画していた』という見出しの記事を掲げています。(ただし、これは有料記事です。)

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http://www.elmundo.es/diario/espana/1763160.html
Terroristas del 11-M planearon atentar en la Estación Central de Nueva York
(El Mundo : 2 de Marzo de 2005)
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長文ですので概略の内容をお知らせします。

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【概略紹介】

警察は、「アブ・ダーダー」の右腕でアル・カイダの幹部、逃亡中のモウタズ・アルマラーが所有するアパートで、ディスケット類と共に、詳しい注釈がついたニューヨーク中央駅の手書きの見取り図を発見していた。これは、アルマラーの兄弟で、昨年3月に逮捕されたモウハンナッド・アルマラーの部屋の中から、昨年3月24日~26日の捜索で発見されたものである。
モウタズ・アルマラーは同時に、デル・オルモ判事の命令で逮捕されたバセル・ガーリオウンとエル・モラビットが住んでいた住居の持ち主でもあった。スペイン判事局はこの情報を1月末にFBIに送ったが、現在これに関しては米国国土安全保障省によって分析中である。
またモウダズは2002年1月にスペインから逃亡した。治安当局はそのときまでにすでに「ナツメヤシ作戦」と呼ばれるアル・カイダのスペイン細胞掃討を展開していたのである。1998年には捜査当局はモウダズとアブ・ダーダーが一緒にいる写真を撮っていた。

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このニュースは同時に、MSN(英語)ニュースでも取り上げられています。(英文ですので下のUrlから入ってお読みください。)
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http://msnbc.msn.com/id/7063769/
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ところがエル・ムンドは3月2日の夜になって、何と、ニューヨーク市長マイケル・ブルームバーグが「3・11のテロリストがニューヨーク中央駅を襲う計画を持っていたことは、はるかに以前から知っていた。」と語ったことを報道しました。
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『ニューヨーク市長は3・11テロリストが中央駅の図を持っていたことを知っていた』
http://www.elmundo.es/elmundo/2005/03/02/espana/1109785725.html
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この記事によりますと、ブルームバーグは、FBIやCIAはこの「ニューヨーク中央駅の見取り図」のことは少なくとも昨年中には知っておりNY市警に通告して警戒していた、と語っています。しかしスペイン最高裁と判事局は、間違いなく今年の1月末に始めて情報を米国に送りワシントンは非常に興味深く受け取った、と明言しています。

さあ、これはオモロイことになってきた! どうやらスペインの判事局と米国の諜報機関との意思一致がうまくいっておらず、大きなボロ、いや尻尾を出したようです!

スペイン側の言う事が正しいとしたら、FBIとCIAはそれを通知以前に知る立場にあった、つまりその「見取り図」作成に彼らが関わったからこそ知っていた、ということになります。FBIがどこからいつその「見取り図」の情報を手に入れたのか、は全く新聞には書かれていません。


そもそも、このモウハンナッド・アルマラーの部屋は昨年3月24日~26日に捜索されたらしいのですが、マドリッド近郊モラタ・デ・タフーニャにある例の「証拠残しまくりの一軒家」の捜索結果が公表されたのが3月27日であり、全く同じタイミングです。この「一軒家」に今まで何度もお知らせしていますが、3・11の後、十分に「仕込み」の時間がありました。

それにしても大笑いだ! 3・11の後にニューヨークで同様の「テロ」を計画していた「アル・カイダ」のテロリストが、付近住民に見られまくりながら、3・11の当日にパーティーを開き、ダイナマイトの残りや、起爆装置、多数の私物と指紋を残しまくって出て行く、などという、元々から馬鹿げた話にさらに「馬鹿」を3つくらい付け加えたような今回のドタバタ報道です。

こりゃまあ、飛行機免許取立てのテロリストがあの小さな3つの目標に、1機たがわず命中させ、鉄骨も崩れる高温の中でテロリストのパスポートが燃え残り、遺体はおろか飛行機の残骸も残らぬペンタゴン、などなどの、ウルトラ与太話に、与太ぶりはで同等になってきたワイ!


ただ、なぜ3・11が1周年を迎えようとする今の時点で、この「ニューヨーク中央駅の見取り図」のことが公表されたのでしょうか。今までにもこのような情報を公開するチャンスはいくらでもあったはずであり、なぜやっと1月末になって米国に通達したのか、どうしてそれを3月1日のタイミングで報道機関に公表したのか、これを考えるとイヤーな気持ちになってきます。

「テロの恐怖」を小出しにしながら何度も何度も小さな「条件反射」を繰り返させ、それを固く神経に定着させて、もはやそれから逃れることができなくさせてしまう、このような大衆心理操作の定石を行っているように思います。もうテロリストの「テ」を聞いただけで縮みあがり、一斉に「市民生活の安全」を保証してくれそうな強力な管理社会の方向に突っ走っていく、そんな「自らの頭脳を持たない群集」を欧米世界で実現する作業の一環ではないのか、と疑われます。(「ユ」を聞いただけで縮み上がる者は特に日本で多いようですが。)

スペインでは例の「国会3・11調査委員会」が3・11の一周年を迎えて特別声明を準備しました。その中に見逃しがたい項目があります。それは「テロ防止」のためにデータ保護法の適用に制限を設ける、という提言をしている点です。これが与党の社会労働者党から各民族政党、旧共産党の統一左翼連合までの一致で可決されました。最大野党の国民党はこの声明を出す手続き上の問題で反対しているだけで、基本的に「全会一致」です。「テロ防止」という名目があれば個人情報に何の保障も与えない可能性を、法的に保証しようというわけです。
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『3・11委員会でPPを除くすべての会派で、40枚の提案書を決議』(エル・ムンド2月28日)
http://www.elmundo.es/elmundo/2005/02/28/espana/1109617166.html
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支配者にとって被支配者こそが最大の敵であり、被支配者に仕掛ける「心理戦争」は物理的な戦争同様に過酷で悲惨なものです。あの9・11を見ても、このような3・11を見ても、何一つ疑問を感じないばかりか、積極的にプロパガンダという大量破壊兵器を協力にさせるような、精神的死者や精神的傷病者がゾンビの群れのようにさまよう世界が見えてくるようです。負けてはいられない。

【共謀罪】 ハリバートン、イラクなど戦争地域で巨大な利益 【アルジャジーラ】

阿修羅から転載

ハリバートンが大都市避けて株主総会 イラクなど戦争地域で巨大な利益 【アルジャジーラ】
http://www.asyura2.com/0601/war80/msg/768.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 5 月 17 日 05:55:55:

ハリバートンが大都市避けて株主総会 イラクなど戦争地域で巨大な利益

 【アルジャジーラ特約15日】米国の石油生産サービス企業で、米国が支配する戦争地域での利権が取りざたされているハリバートン社が、今年の定例株主総会を隠れて行うようだ、と非難の声が上がっている。

 ハリバートン社は以前、ディック・チェニー副大統領が代表取締役を務め、2005年度決算では24億ドルの収入を計上した。

 ところが、同社は例年、テキサス州ヒューストン市で開催していた定例株主総会を今年はオクラホマ州ダンカン市で開催することにした。同社では、会場の変更は、同社がオクラホマ州南部に発祥の地があったためと説明している。ダンカン市は人口わずか2万2500人で、ハリバートン社の本社所在地。

 これに対し、昨年の株主総会で身柄拘束を受けた15人の一人である「ヒューストン・アウェアネス・コレクティヴ」のスポークスマン、モーリーン・ヘイヴァーさんは「ハリバートン社は自分たちの株主に対して説明責任を持たずに済むような都市に会場を移そうとしている。自分たちの内懐みたいな都市に行こうとしているのです」と語った。

 ハリバートンが戦争でもうけていると非難しているグループの一つである「平和のためのオクラホマ退役軍人の会」はこのほど、ハリバートン社が資金援助をしているダンカン市のシモンズ・センターで株主総会が開かれる際、その外側で約300人の集会、デモをする許可をとった。

 同グループの活動家たちは、ヒューストン・アウェアネス・コレクティヴなど反グローバリゼーション活動家その他の抗議グループも加わるものと予想している。

 同市では、総会当日は警官や警備員を増やして警戒に当たらせ、近くの学校も学童の安全のため休校となる。

 ハリバートンの株主総会は近年、200人から500人による抗議活動が恒例となっており、昨年は、会場のホテルで座り込みがあり、参加者が逮捕された。

 会社側は、米国旗が市の中心道路になびいているような静かな小都市に会場を移すことについて、批判を避けるためではないとしている。同社のキャシー・マン広報担当は「ダンカンで株主総会を開く理由は、わが社が伝統と革新の精神に価値を見出す会社だからです。その精神の多くは80年以上も前に、ダンカン市で始まったのです」と説明した。

 ダンカン住民の一部は、ハリバートン社支持の対抗デモの許可を取得した。

 ハリバートン社は、公開入札もなしで大口の政府契約を取っていると批判されている。特に、そのKBR部門は中東に駐留する米軍将兵への支援役務を提供している。

 同社はまた、多くのイラク国民の間で、自分たちの悲劇を食い物にしているというので悪名高い。

 スゥエーデン在住のイラク人政治家、ヌリ・アル=ムラディ氏は「(ハリバートンが)イラクからクウェートに運び込んでいる燃料に不当な価格を付けているというスキャンダルを取っても、この会社がイラクで何をしているかの明白な証拠だ。実際、それ以上の説明など不要だ」と話した。(翻訳・ベリタ通信=日比野 孟)


2006年05月17日00時37分 アルジャジーラ
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1969005/detail?rd